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第8話 暗中

「きのうは春樹くん、来なかったんですか?」

美沙の腕の留置針の具合を確認しながら、担当看護師北村が、ちょっとイタズラっぽく美沙に言った。

「どうして?」

「戸倉さん、浮かない顔してるから」

「晴れ晴れした顔の入院患者を捜す方が難しいんじゃない?」

美沙はワザとおどけたように言い返してみたが、実のところ、図星だった。


きのう立花聡局長と一緒に入ってきたかと思ったら、なぜかいつの間にか消えてしまった。

また後で戻ってくるだろうと思っていたのに、結局顔を出してはくれなかったのだ。

何か気に入らないことでもあったのだろうか。

来なくていいといっても、ちゃんと顔を出していてくれたあの子が。

なんだか、自分が中高生のように気落ちしていることが少々腹立たしくて、ほんの少しその矛先を春樹に向けたくなってくる。


「冷たいんだから。まったく」

ポツリと言った独り言を拾って、北村女史がクスリと笑った。


             ◇


美沙のいない鴻上支店は、今日もガランとして寒々しかった。

午後から出社した春樹は、窓際の自分の椅子に静かに座り、机の上に町田と咲子と華蓮の3人のホステスの名刺、そして情報を走り書きしたメモを並べてじっと見つめた。


町田健一郎を捜していたというのに、気がついたら藤川咲子という女の辿った日々を覗き見る結果になっていた。

聞かなくてもいい話だったはずなのに、春樹は“何かの役に立つかもしれない”と自分を納得させ、リツコの話を最後まで聞いてしまった。


悲しく、寂しい、愚かな女の半生。そこに差し込んだ柔らかな一筋の光。

町田と言う人間がそんな存在ならば、何としてでも捜してやりたいと春樹は思った。

リツコは咲子の半生を語ったあと、

『町田さんには荷が大きすぎたんだよ。咲子は町田さんの手に負えない。あの女は不幸と契りを結んだような女だから。結局逃げられたんだとしたら、町田さんを捜すのは、どちらにとっても不幸だと思うけどな』と、そう呟いた。

春樹は内心ドキリとしながらも聞かない振りをした。

春樹の頑なな意思を察したのか、リツコは別れ際、半年前に病気で転職したホステスの携帯番号を教えてくれた。『咲子とも町田さんとも親しかったホステスの連絡先だよ。何か聞けるかも知れない』と言って。


町田の元同僚が教えてくれた町田の実家と、リツコが教えてくれた元ホステスの連絡先。

辛うじて掴んだ二つのルートで、どこまで彼を追えるのだろうか。

そして、もし追えたとして、それは咲子にとって良いことなのだろうか。


不意にコンコンとドアをノックする音が響き、春樹は慌てて卓上のものをかき集め、引き出しに収めた。

「はい、・・・どうぞ」

誰だろうといぶかりながら立ち上がって声を掛けると、ドアを開けて入ってきたのは咲子だった。


「咲子さん・・・」

「どう? 探偵さん。調査は進んでる?」

派手な花柄のロングチュニックに黒のレース地のカーディガンを羽織った咲子は昨日よりさらに妖艶で、匂い立つような色気を纏っている。

相変わらずの濃いムスクの香りの裏に、昨日聞き齧ったその女の重苦しい闇を感じ、春樹はぞわりと鳥肌を立てた。


「いえ・・・まだ」

「いいのよ、急かしに来た訳じゃないの。春樹君の顔、見たくなって」

咲子は勝手に美沙のスツールを春樹の机の前に持ってきてフワリと腰掛けると、「あんたも座りなよ」と、派手なマニキュアの指でトントンと机を叩いた。


「咲子さん、華蓮を退職されてたんですね」

座りながら春樹は静かに訊いた。もちろん、咎めたかったわけではない。

「行ったのね、華蓮に」

「はい」

「いろいろ分かったでしょ」

「いえ、町田さんに関しては、何も・・・」

「町田じゃなくてさ。馬鹿でマヌケでどうしようもない“藤川咲子”っていうクズ女の事がさ」

「・・・そんな」

「いいのよ。そこまで調べられたのなら、そこそこの探偵さんよ」

「いえ、でも依頼は町田さんの調査で・・・」

「きれい」

咲子は両肘を机につき、組んだ手の上に顎を乗せ、正面からじっと春樹を見つめた。


「・・・え?」

「あんたの目、すごく奇麗」

「・・・」

「どんな宝石もさ、そんなに綺麗だとか欲しいとか思ったことないのよ。でも、あんたの目は、すごく綺麗。見てると吸い込まれていく。琥珀だね。不思議な光り方をする。なんてキレイなんだろう。・・・欲しいな、それ」


春樹はじっと見つめてくる咲子の目に射すくめられ、何と返して良いか分からず困惑した。

ただの戯れだと聞き逃そうとしたが、その目の強さに言い知れぬ気迫のようなものを感じ、身体が動かなかった。

漠然とした不安を感じながら、春樹もまた同じように、正面に座る女を見つめ返した。



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