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第4話 意地悪な虫

「君も美沙さんのお見舞いだろ? 一緒に病室に行って貰えると嬉しいんだけど」

立花聡は、哀願するように春樹に言った。

知的で涼やかな40過ぎのこのボスは、そんな心細そうな表情を作っても不思議と様になる。


「いいですよ」

春樹は聡を導くように、病室に向かって歩き出した。訳もなく、胃が重苦しい。


「なあ春樹君、知ってたか? この病院って見舞いに花を持って行っちゃいけないんだってね。さっきナースセンターで注意されたから、持ってきた花預けてきたよ。俺さあ、見舞いって言ったら花だと思い込んでたんだ」

きまり悪そうに言う聡に、春樹はわざと素っ気なくポツリと言った。

「知ってますよ。最近は特に衛生管理が厳しくなって、ダメみたいです。この病院だけじゃなく」

「そうなのか。知らなかったなあ」


ほんの少しの罪悪感を抱きながら、春樹はチラリと聡を見た。

実のところ春樹も偉そうに言える立場ではない。

食べ物の差し入れは出来ないので、美沙に花でも買って行ってあげようかと、少しドキドキしながら事務所前の花屋を覗いたのは昨日のこと。

そこで初めて、『あの病院は、お花を持っていけないはずですよ』と花屋の店員に教わったのだ。


「607号室。ここだね」

美沙の病室の前まで来て、聡は立ち止まった。

ちょっと気恥ずかしそうに春樹に笑って見せたあと、聡はゆっくりスライドドアを開ける。

手前の二つのベッドはカーテンが引かれていたが、窓際のベッドはいずれも開け放たれ、その一つで、薄ピンクのパジャマを着た美沙が、退屈そうに雑誌をめくっていた。

けれどふとドアに目を向けた美沙は聡を確認するやいなや、あたふたと居住まいを直し、少女のように頬を赤らめた。

春樹には、そう見えた。


「立花局長、どうしたんですか。・・・びっくりするじゃないですか」

美沙がうわずった声を出すと、聡もバツが悪そうに小さくなり、「いや、近くに来たもんで、ちょっとお見舞いにと思ったんだ。・・・ごめん。迷惑だった?」

いつもの風格はどこかへ消し飛び、まるで何かを失敗して反省している中学生のようだ。


春樹は静かに少しずつ後退し、それでも美沙がこちらに視線をよこさないのを確認すると、そのままクルリと踵を返し、病室を出た。

後ろで美沙が「春樹?」と呼んだような気がしたが、立ち止まりもせず、僅かに消毒液のする廊下を突っ切り、エレベーターに滑り込んだ。

別に何が気に入らない訳ではないし、ましてや怒っているわけでもない。

ただザワザワと心臓あたりで蠢く虫のようなものが、“外へ行こう”と促すのだ。


“ほら、外の空気を吸えよ。お前がここに居たって仕方がない。

何度お前が来たって、美沙はあんな表情を見せやしないだろう?”


春樹は調査資料を入れたプラケースを握りしめたまま、風の強くなった屋外へと飛び出した。

自分がここにいる理由はない。

自分がしなければならないのは仕事だ。依頼を受けた仕事。

春樹の調査報告を待っている依頼者が居る。だから町田健一郎を捜すのだ。

今はただ、それが春樹の心の寄りどころだった。



            ◇


咲子がくれた町田の情報は本当に少なく、以前彼が努めていた会社の名刺一枚が全てだと言ってもよかった。

町田は、咲子が勤めているクラブと同じ区内にある、中小証券会社の営業マンだった。

一年半前ひょっこり咲子の店に現れ、馴染みの客になったが、半年前に急に姿を見せなくなったという。

噂では会社を辞めてしまったと聞いたが、出来れば今現在の所在を知りたいのだと咲子は言った。


依頼を受けたその日、

「差し支えなければ、町田さんを捜す理由を教えてもらえますか? どんな些細な事でも手がかりにしたいんです」と春樹が訊くと、咲子は気だるい目を細めて、「差し支える」と言った。

そしてそのあと、自分がふざけて書類に書いた《探し出して殺してやる》という文字を、ボールペンでカシャカシャと真っ黒に塗りつぶしながら、「元気でいるか、知りたいだけよ」と、ポツリと言ったのだ。


ただ、もう一度会いたい。

たぶん、それが本心なのだろうと春樹は感じた。

町田健一郎を捜し出して、咲子に会わせる。

それが出来れば、この咲子の周りに漂う、粘り着くような暗色のカーテンを取り払うことができるのかもしれない。

最初は苦手な女だと感じたが、肌に触らずともビリビリと電気のように伝わってくる、咲子の負の感情が、春樹を突き動かした。

“何かに似ている”と感じたが、それが何かは分からない。

とにかく面倒くさい自分自身の問題はひとまず忘れてしまおう。

今はこの与えられた課題を全力でこなし、一人の人間の願いを叶える、それだけに集中しようと春樹は自分に言い聞かせた。



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