表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/24

第3話 優しい蟻

「へー、春樹ひとりで依頼を受けたのか。で? どんな調査? 大変そう?」

隆也は身を乗り出し、春樹に好奇心いっぱいの目を向けてきた。

春樹はうっかり喋ってしまったことをひどく後悔し、自室の天井を仰いだ。


予備校の帰り、いつものようにふらりと春樹の部屋へ遊びに来た穂積隆也は、本日ビール持参だった。

また母親と派手に喧嘩でもしたのだろう。

隆也が酒を飲むのは、そんな可愛い憂さ晴らし目的の事が多かった。

ほんの少しアルコールが入ると色白の頬が赤くなり、目が潤んでくる春樹を、隆也はいつも「女の子みたいだ」と笑う。

それが悔しくて平気な振りで飲み続け、結局いつも気分が悪くなり、突っ伏して再び隆也に笑われるのが常だった。


穂積隆也。酔うとタチの悪い悪友。そして春樹にとって唯一無二の、掛け替えのない親友。

春樹の秘密を知って尚、今までと変わらず付き合ってくれる、大切な友達だった。


「ほら、蟻だ。蟻だと思えばいいさ」

秘密を知ったあとで隆也はそう言った。

「アリ?」

「そうだよ、蟻はさ、言葉の代わりに触覚を触れあわせて心をやり取りするんだ。春樹もそうさ。でっかい蟻。残念だなー。俺もそんな能力があったら、内緒の話とか出来るのにさ」


そう言いながら、ふざけて春樹に触れてきた友人の温かい手から読み取ったのは、本当に無数のアリだった。

春樹は可笑しくて可笑しくて、泣き笑いしながら隆也に抱きついた。

そして再び隆也から流れ込んできた感情は、無数にじゃれ合う蟻と、青く澄んだ空と、『春樹、元気出せ』の想い。

春樹はその時、この友人だけは決して失いたくないと強く思った。


その無二の親友にも、それなりに欠点はある。

探偵業が気に入らず、事あるごとに「そんな仕事やめて、進学しろよ」と春樹に無理強いするくせに、興味だけはあるようで、やたらと仕事の話を聞きたがる。

酒でぼんやりしていたこともあり、つい口を滑らせてしまった本日の依頼の話に、隆也は喜々として飛びついてきたのだった、


「内容なんて言えるわけないじゃないか。依頼人のプライバシーだ」

「いいじゃん、絶対秘密にするからさ。どうせ春樹一人じゃ調査出来ないし、本社に回すんだろ?」

「いや・・・僕一人でやってみようと思うんだ」

「マジで? 美沙さん、承知か?」

「美沙にはあとでちゃんと説明する。今は心配掛けるといけないから、内緒で進めるけど。それに・・・依頼人が、そうしてくれって言ったんだ」

「依頼人が?」

「うん。出来れば僕個人に依頼したいって」

「えーーーー。それって・・・」

隆也は小さなテーブルに更に身を乗り出し、目を輝かせた。

「事務所通さない、直の仕事? マージン丸儲け?」

「嫌らしい言い方するなよ。一応事務所を通す形で契約書を書いて貰ったし。ただ、気持ちの問題だよ。依頼人にそう言われたら、僕がしてあげなきゃって思うし、何かミスした時は、僕個人が責任をとればいいし」

「もうひとついいことがあるぞ」

隆也はニヤリとして春樹の目を覗き込んだ。

「俺が手伝ってやれる」

「はあ?」

春樹は冗談じゃないとばかりに、おもいきり渋い顔をしてみせ、「もう帰れ、酔っぱらい!」と、隆也のジャケットをその頭にパサリと被せた。


          ◇


翌日の朝、春樹は町田健一郎の調査にあたる前に、美沙の病院にちょっとだけ顔を出すことにした。


バスを降りると、たいして資料も入っていないファイルケースを抱えながら、春樹は病院前でいつものようにちょっとだけ気合いを入れた。

若い女性ばかりの四人部屋にいる美沙を見舞うのは、春樹にとって、けっこう気まずいものだったのだ。

青い顔でTVを眺めている見知らぬ女性の横で、これまた点滴につながれたパジャマ姿の美沙を前に、何を話したらいいのか分からない。

ソワソワする春樹に、美沙はいつも「もう、来なくていいのに」と苦笑するのだ。

それでも、春樹は必ず見舞いに行った。

行って何を話すわけでもないのだが、春樹が顔を見せたときに一瞬見せる、あの笑みがどうしても見たかった。


美沙の病室があるフロアのナースステーションをちらりと覗くと、見知った看護師が笑いながら手を振ってくれた。

軽く会釈をして通り過ぎた春樹だったが、少し行ったトイレの前で、珍しい人物の背中を見つけ、ドキリとした

高身長でスレンダー。

ほんの少しロマンスグレイの入ったその後ろ頭は、誰のものかすぐ分かる。


「立花局長?」

春樹が声を掛けると、立花聡はハッとしたように振り返った。

「ああ、春樹君。君もお見舞い?」

その口元から誰からも好感を持たれそうな穏やかな笑みがこぼれた。

関東にいくつも支社を持つ、立花フランチャイズ探偵社のトップ。

社長ではなく、親しみと敬意を込めて皆が「局長」と呼ぶ、立花聡その人だ。


弟である薫同様、よく美沙と春樹の鴻上支店にふらりと立ち寄るが、なぜか聡が来た時だけ春樹はソワソワする。

美沙の目が、話し方が、笑顔が、心なしかいつもより華やいで見える。

薫に対するフランクなものと違う、特別なものを感じていた。

美沙が尊敬する局長なのだからと割り切っているはずなのに、それでもザワザワとしたものが春樹の心臓あたりでうごめく。

春樹自身、その不快で不可解な感情にいつも戸惑わされていた。

その「戸惑いの元」が、今、少しばかり不安げに春樹の前に立っている。

いつも聡明で堂々としている局長らしくもなく、見知らぬ土地で迷子になった子供のようだ。


「春樹くん。ああ、よかった。なんというか・・・ここまで来てから気がついたんだが、女性の見舞いって、初めてでね。いきなり病室に入ってもいいもんなんだろうか。病室はきっと女性ばかりだろうし、・・・やっぱり帰ろうかって、ずっとここで迷ってたんだ。君が来てくれて本当に良かったよ」

聡は完璧とも言える体型をシルバーグレイの仕立ての良いスーツに包み、涼やかな目元を細めて安堵の笑みを春樹に向けた。

新入りで下っ端で、自分の子供くらいの年齢の春樹に対し、自分の弱みを取り繕うこともしない。

本当の心根が強いからこそ持ち得る、大人の優しさ、包容力が感じられる。


春樹が逆立ちしたってかなわない。

自分が女だったら、きっと心惹かれていると思える、大人の男の魅力だ。


春樹の中の何かが、今もまた、ザワリと揺れた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ