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第22話 求めた光

《ごめん。ごめん。ごめん。》

たったそれ1行だけの、叫び声のような隆也からのメールを、春樹はただじっと見つめていた。


事務所ビルの横にあるファーストフード店は、いつになく閑散としていて、ぬるくなったコーヒーをカウンターに乗せたまま、もう1時間もボンヤリと座る春樹が、席を追い立てられることもなかった。

どこへも行くあてはなく、結局行き着くのはここなのだった。

美沙と春樹の探偵事務所、鴻上支店のあるビルの横。

隆也がいつも春樹と落ち合う店。


心が辛くて、こうやってボンヤリしていると、なぜかいつもタイミング良くひょっこり現れた隆也が、『どうした?』と、声を掛けてくれる、この場所。

いつも思う。隆也こそ、こちらの人恋しさを見抜く特殊な能力を持っているのでは無いかと。


その隆也からあんなふうに逃げ出してしまった。

それなのにここで、さっきの隆也とは違う、今までの優しい隆也を待っている馬鹿な自分が居る。


《僕こそ、ごめん。》

そう何度も文字を打ってみるが、どうしても送信ボタンが押せない。

こんな無機質な文字列で、今の気持ちを表せるはずが無かった。


本当に悪いのは自分なのだと、春樹は心底思っていた。

あの時自分は確かに隆也を避けたのだ。

いつもは隆也の中にあるサラリと乾いた匂いと青い空に心を癒されているというのに、春樹に対して尖った激しい感情を向けてくる隆也には、近づくのが怖かった。

触れて、自分の中に入って来て欲しくなかった。

けっきょく自分は、都合のいい隆也だけを求めていたのかもしれない。


“手を放せ”

絶対に言ってはいけない言葉だった。

春樹の忌むべき特異体質を知って、それでも尚春樹を拒まず友人でいてくれる隆也に、絶対に言ってはならない言葉だったのに。


胸が押しつぶされそうだった。

苦しかった。

一度に流れ込んだ沢山の感情が、春樹の胸の中で爆発しそうにひしめき合っていた。

隆也の感情、そして、昨夜の咲子とのことが。

咲子のことを考えずにいることで何とか平静を保っていたが、その体の中では結界を壊そうと絶えず凝縮され固められた感情が、密かに脈打ち蠢いていた。


咲子の肌に触れ、交わり、そこで春樹が見た闇は、まだ18年しか生きていない春樹にとってただ辛く苦しく反芻することさえ躊躇われる愛欲と憎悪にまみれた激情だった。


けれど、そこに確かにあった。

春樹が咲子の中に見たかった、強い光に満ちたもの。

白く輝き、甘くいななき、自分を待っている美しい使者。

春樹が求めたモノは、咲子の中にある、それだったのかも知れない。

肌の温もりも、性交の愉悦も関係なく。

必死に腕を伸ばして掴もうとしたのは、咲子の中にあった最後の光。

死への切望。


春樹はふらりと立ち上がり、そのまま店を出た。

すぐ横の事務所ビルへ入り、エントランスを突っ切ってエレベータへ向かう。

もしかしたら、彼女はもう一度来るかも知れない。

今朝、ホテルで春樹が目を覚ましたときにはもう、すっかりチェックアウトを済ませ、携帯にも反応せず、春樹の前から消えてしまっていた咲子。

けれど自分が事務所で待っていたら、もしかしたらまた、いつものようにひょっこり訪ねてくるのではないだろうか。

サヨナラくらい、言いに。


頭の中ではそんなこと有り得ないと思い、一方、にわかに心がはやり、春樹は何度もエレベーターのボタンを押した。

会ってどうしたいのかなど、分からなかった。


性交の合間のほんの一瞬、春樹の命を奪ってしまいたいと願った咲子の想いに、なぜ自分が恍惚を感じたのか。

答えを探ることはとてつもなく怖かった。


けれど、心が咲子を求めるのを止められない。


“もう一度会えたら・・・そしたら、自分はどうしたいのだろう・・・”


ようやく開いた鉄のドアに乗り込むと、今日3回目の美沙からの着信を携帯が拾った。

けれど目を反らす。

ごめん、美沙・・・。そう心の中で呟き、春樹は電源をオフにした。



      ◇


足元に転がった、くしゃくしゃのちいさなメモ紙を、美沙はもう数十分、ボンヤリ見つめていた。

机の上にポンと置かれた分厚い現金入りの封筒の事よりも、今の美沙の心を掻き乱すのは、その小さな紙片ひとつ。


あの女は美沙に「見るな」とは言わなかった。

それは美沙に対するあの女の挑戦なのだろうか。

それとも本当に春樹にしか分からない、密やかなメッセージなのだろうか。

そのどちらであっても、美沙にはとてつもなく悔しく、腹立たしく、体の奥が煮えたぎる思いがした。

同時に、恐ろしくて堪らなかった。


何度メールを送っても電話を入れても、春樹は反応してくれることはなく、その事が更に美沙の心を不安にし、苛立たせてゆく。

あの咲子という依頼人がきっと、すべての元凶なのだ。

あの女が春樹を翻弄し、何かを吹き込み、春樹を変えた。

取り戻さなければ。

あの女から。


美沙がグッと腹に力を入れ、その紙片を凝視しながらゆっくりつまみ上げたのと、事務所のドアが開いたのは同時だった。


美沙が向けた視線の先にいたのは、目を見開き、呆然と立ちすくんでいる春樹だった。




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