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第21話 眩暈

たぶん依頼人であるだろう初対面のその女を、歓迎する気持ちは微塵も沸いてこなかった。

さらに自分の中に敵意に似たものが生じていることに気づき、美沙は戸惑った。


ただの勘。けれど確信に近い勘だ。

自分や春樹にとって良くない種を持っている。

いや、もしかしたらその種はもうどこかに植わり、芽を出しているのかも知れない。

美沙の体の芯が鈍く痛んだ。


「初めて会うのに、私の名前が分かっちゃうのね。さっすが、探偵さんってスゴイなあ」

本心とも冗談ともつかない声で藤川咲子は言った。

そしてコツコツとヒールを響かせて美沙のデスクまで歩み寄り、その顔を覗き込む。

「きれいなお嬢さんだ」

「ご用件は何でしょう。ご依頼でしたら、私が承ります」

静かに凛とした声で美沙が言うと、咲子は尚も美沙の顔を覗き込んだ。


「もういいよ。春樹に頼んだから」

「あの子は・・・。春樹はまだ新人ですから」

「そんなことない。素晴らしい探偵さんよ。一週間も経たないうちに仕事を終わらせてくれたわ。それも、完璧にね」

「終わらせた? 春樹が? まさか」

「どうして、まさかなの? あの子はスゴイよ。危なっかしいけど、一途で、一生懸命で。可愛くて仕方ないね」

「一体、貴方はどういう・・・」

美沙がデスク越しに身を乗り出すと、咲子はバッグから厚みのある封筒を取り出し、それをポンと美沙の前に置いた。


「どういう仕事だったかは、あの子に訊けばいいよ。私はこれを届けに来ただけ。調査料って言うのかな。あの子一人でやり遂げた仕事だから、あの子に全部渡してもらえる? 誰も居なかったらポストにでも放り込んで帰ろうと思ってたんだけど、丁度良かったよ。金額は訊くの忘れたから、私が勝手に決めた。それに見あうだけの仕事をしてくれたから」


美沙はかなりの厚みを感じるその封筒を、胸の悪くなる思いで一瞥し、再び咲子に向き直った。

「ここは探偵事務所です。そんな個人的な契約は禁じていますし、あの子も受け取らないはずです。本人に直接この件を問いただして検討しますので、取りあえず今日の所はお引き取り願えますか」

「堅いね」

咲子は目尻に皺を刻みながらクスクスと笑い、それでも封筒を引っ込めようとはしなかった。

「とにかくこれは預かってよ。春樹が受け取らないって言うんなら捨てちゃえばいい。私はもう来ないし、もう要らないから」

「捨てちゃえばいいって・・・・」


唖然とする美沙を横目に見た後、咲子はふと何かを思いついたように卓上に目を落とし、そこに置いてあったメモパッドから一枚を剥がし取り、備え付けのボールペンで何やら書き始めた。

「春樹、今日はもう来ないかもしれないけど、もし来たら、このメモを渡してくれる? お金と一緒にさ」

「春樹が今日来ないって、どうしてあなたが思うんです。・・・あの子がどこにいるのか知ってるんですか!?」


たぶん、美沙のその声は悲鳴に近かったのだろう。

咲子は一瞬驚いたように顔を上げ、蒼白な表情の美沙を見ると、さっきよりも更に楽しそうに笑った。


もう不快感を隠すこともせずに美沙があからさまな鋭い視線を投げつけると、ひとしきり笑い終えた咲子は体を起こし、どこか不健康にねっとりした瞳で美沙を覗き込んだ。

「心配なのね、あの子が」

そしてその吐息のような声と共に、今書いたメモを四つ折りにして美沙の手に握らせた。


「いっぱい心配してあげなさい。でないと、後悔することになるよ」

「どういうこと?」

美沙は握らされたメモを持つ手を更に強く握りしめ、激しくドクドクと脈打つ血流を耳の奥に感じた。

「ねえ、どういうこと? あなたは何を知ってるの? 春樹と何があったの?」

「何もないよ、お嬢さん。ほら、そんな泣きそうな顔しないで」

咲子は先程までとは違う、寂しげな笑みを浮かべると、一歩体を美沙から離した。


「あの子はいい子だけど、少しばかり脆すぎるから。あんたがしっかり手を握ってやらないと」

「そんな事、あなたに言われなくたって、分かってる!」

叫び声と共に投げつけられた美沙の激しい憤りを、咲子は視線を流しただけでヒラリと交わし、「それなら良かった」と、つけ添えた。

そして「そのメモ、捨てないでね」とウインクすると、少女のような仕草でヒラヒラと手を振り、美沙が何か反撃する間もなく、あっさりと部屋を出て行ってしまった。


美沙は例えようもない衝撃に身を震わせながら閉まってゆくドアを見つめ、そのあとやり場のない感情と共に、視線をデスクの上の封筒に落とした。

無理やりにでも、その忌々しい封筒を突き返すべきだったが、思いがそこまで及ばなかった。

ただ足元から、背中から、脳天から、熱を帯びた怒りと不安がジリジリと体の中に染みこんでくる。


美沙は手の中のメモをクシャリと握りつぶして足元に落としたあと、眩暈が収まるのを、ただひたすら待つしかなかった。



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