第3話 依頼人の女
「ご依頼ですか?」
春樹はその少々無礼な物言いの女に、努めて冷静に返した。
「あら、やっぱり探偵事務所だったの? 可愛い坊や一人だったんで、学習塾にでも入り込んじゃったのかと思った」
女は玉虫色のラメの入ったロングスカートを揺すり、ぽってりとした唇をゴムのようにひき伸ばして笑った。
どこか陰気な笑いだ、と春樹は感じた。ムスク系の濃厚な香りが、部屋の中に広がってゆく。
苦手だな。
春樹は一瞬、本能的にそう思ったが、もしも依頼人ならば大事なお客様だ。
丁寧な対応をしなければ、と春樹は背筋を伸ばし、女を応接用のソファに座らせた。
「所長の戸倉は暫く不在なので、実際の業務は休止中なんですが・・・。もしお急ぎでしたら、本社の方に取り次がせていただきます」
「あら、坊や、本当にここの社員さんだったの? こっそり入り込んだ学生さんじゃなくて?」
「・・・いえ」
春樹はムッとする気持ちを抑えて自分の名刺を差し出した。
実際の年齢よりも、自分の外見が幼く見えることを春樹は充分承知しているし、今までにも春樹の若さに意外そうな顔をした依頼人は多かったので、別段気にもならなくなっていた。
しかし、こんなにあからさまにそれを口にされたのは初めてで、そこに含まれる僅かな嘲笑が、少々春樹のカンに障った。
「天野春樹君・・・か。いい名前ね。じゃあ、春樹君に調べてもらっちゃおうかな。別段急がないし」
女はトロンとした目で正面のソファに座る春樹をじっと見つめた。
ムスクでは隠せない、アルコールとタバコと生活の匂いが重く春樹の周りに漂った。
「この鴻上支店では、行方調査専門にしています。それ以外の調査でしたら、本社扱いになりますが・・・」
「それなら問題ないわ。人を捜してほしいのよ。男の人」
「そうですか」
言いながらも春樹は、断る理由をどこかで探している自分に気付き、戸惑った。
「わかりました。・・・お急ぎで無いと言うことでしたら、所長の戸倉が戻りましたら、改めてご連絡させていただきます」
「あんたが居るじゃない」
「え?」
「あんたは何にもできないお人形じゃないんでしょ? 探偵さんなのよね? それともやっぱりこの事務所の、ただのお飾りなの?」
女の目が少しばかり凶暴に鋭く光った気がして、春樹はゾクリとした。
けれども、よくよく考えれば女の言葉はどれも間違ってなどいない。
名刺を出し、用件を聞いておきながら、支店へ行けだの、所長が戻るまで待てだのと言った自分の対応は正しいとは言えない。
しかし実際問題、自分一人での契約や調査は経験が無く、自信も無かった。
きっと美沙も快く思わないだろう。
「受けてよ。別に急がないしさ」
春樹の戸惑いを察したのか、女は少し口調を和らげて再びそう言った。
「では、所長に連絡しますので、明日まで待って頂けるでしょうか」
「その必要はないよ。あんたに依頼するから」
「・・・え?」
「立花探偵事務所でも、戸倉って人でもなくて、あんた個人と契約を交わすよ。あんたが探して頂戴、あの男を。金は全額あんたに直で払うからさ」
春樹はとっさにその意味が理解できず、答えに窮して女を呆けたように見つめた。
仕事としてやることと、個人としてやることと、この女にとって何か意味合いが違うのだろうか。
「ポケッとしてないで書き留めてよ。今から捜す男の事、言うから。名前は町田健一郎、43歳・・・」
春樹は慌ててメモパッドに女の口から流れ出る情報を書き留めた。
けれどそれは名前と年齢、風貌、以前の勤め先以外に参考となるものは何もなく、“ただの知り合い“程度の、漠然とした情報だった。
「別に逃げ回ったり、やばい感じの男じゃないから、すぐに見つかると思うよ。見つけたらすぐに教えてよ。金はあんたの言い値でいい。あ、そうだ、あたしのケイタイの番号言うから、あんたも教えてくれる? 名刺には事務所の電話番号しか書いてないもん」
「・・・はい。番号は教えますが、契約書は一応書いて貰ってもいいですか?」
なぜ僕個人にこだわるのだろう。
いぶかりながらも春樹は自分の携帯番号をメモに書いて渡し、女に調査依頼書の記入を促した。
実際、個人的に仕事を請け負うなど有り得ない。春樹は当然、事務所の仕事として依頼を受けるつもりでいた。
女は「面倒くさいね」といいながらもペンを取った。
名前・・・藤川咲子。年齢・・・39歳。
そのあと現住所、電話番号、勤め先。
春樹はじっとそれを静かに目で追った。
女、藤川咲子の香水は少しばかり強すぎて、頭がクラクラする。
39歳か。もう少し上かと思っていた。
そんなことを思いながら咲子の手元を見ていると、その動きが一瞬止まった。
『【調査対象者とのご関係】-(任意)』の項目だ。
再びサラサラと動き出した手が記した文字を見て、春樹は戸惑った。
--- 愛した男、憎い男 。探し出して殺してやる。---
春樹の表情を感じ取ったのか、藤川咲子はニヤリと笑い、わざとらしくその文字にゆっくり二本線を引いて消した。
からかわれた!
春樹がそう気付いて咲子に視線を合わせると、咲子はもう興味も無さそうに「こんなもんでいいでしょ?」と言い捨て、ボールペンを書類の上に転がした。
◇
「あの子、可愛いですよね。毎日面会に来る、色白の草食系男子くん。最初見たとき高校生かと思いました。まさか戸倉さんの部下とはねえ」
点滴の準備をしながら、美沙の担当の若い看護師、北村が言った。
ほんの少しぽっちゃりしたその看護師は、春樹を気に入ったらしい。
「ああ、春樹ね。かわいいでしょ? でも手を出しちゃだめよ。見た目と一緒で、まだほんの子供なんだから」
「あら~、ダメですか。ざーんねん。でもあんな部下がいたら仕事も楽しいでしょうね。いいなー、戸倉さんが羨ましい」
たぶん本気でそう思っているだろう北村をちらりと見ながら、美沙はやんわりと口元を緩めた。
外見にしろ何にしろ、春樹のことを褒められると自分のことのように面はゆく、つい嬉しくなってしまう。
離れていればいるほど、愛おしさを痛感する。
距離を保たなければと思い、『見舞いにはあまり来なくていい』という旨の手紙を書いたのだが、当の美沙が、早くも春樹のいない時間の寂しさに参りつつあった。
手紙を受け取ったにもかかわらず、この5日間、春樹は一日一回、必ず病院に顔を出してくれた。
最初の日は、あまりに心配そうな顔をするので、『絶食と点滴と投薬だけで、ちゃんと治るから』と、懇々と説明してやらねばならなかった。
次の日も、その次の日も、顔を出してはくれたが、食べ物の差し入れも出来ず、他の患者の手前仕事の話も出来ず、春樹はいつもほんの半時間でソワソワし始める。
そして結局最後はぎこちなく「お大事にね。また来ます」と、小さく言って、帰って行くのだ。
ねえ、もう少し居てよ。何も話さなくていいから。
喉まで出かかった情けない言葉を飲み込んで、美沙はいつも自嘲する。
少年に触れられず、苦しいとき助けることも出来ず、誤解を与えて傷つけるだけならばいっそ、手放す方がいい。
いつか離れなければならないならば、お互いにとって早いほうがいい。
答えは出ているのに、いつもそれを先送りにする。
まだいい。もう少しこのままで、と。
・・・春樹、明日も見舞いに来てくれるかな。
今まで仕事で飽きるほど毎日顔を合わせて来たというのに、少しでも離れたらこれだ。
自分のこらえ性の無さに心底呆れ、美沙は苦い笑みを浮かべた。




