第17話 この体に刻む
この子も自分と同じ、幸の薄い子なのかもしれない。
咲子は少年を抱きながら、そう思った。
その並はずれた色素の薄さ故だろうか。
ベッドに横たわる その裸の胸は白磁のように滑らかで、しなやかに細く美しく、自分が今、犯そうとしている罪の深さに、鳥肌が立ってくる。
嫉妬に狂い、クスリを乱用し、半ば意識を混濁させながら愛おしい人を崖下に突き落とした。
そんな自分が今さら、この少年を抱くことに、これほどまで罪の意識を感じることが滑稽だった。
けれど同じくらい、残酷な愉悦が体中にたぎる。
触れる毎に反応し震える、この小鳥のような清い生き物を、今だけこの熱で溶かし、余すことなく自分の中に取り込みたいと咲子は思った。
初めて花屋でこの少年を見たとき、その余りに自分と対局な清らかな美しさに心惹かれ、そして嫉妬した。
自分の人生の中に、ひとかけらも無かった光が、そこに溢れていた。
可憐な花を見つめるその目は、恋する目だ。
その花の向こうに浮かぶ、恋しい女を想う目だ。きっとその女もこの少年を愛し、そして結ばれるのだ。
それを見つめている自分は、ただ、死に場所を探して彷徨うバカな女。
咲子の頭の隅で、高笑いして自らを嘲るもう一人の自分を感じた。
そのもう一人の咲子が呟く。
“あの少年、探偵事務所に入っていったよ。ほら、3階の窓から顔を出した”
探偵・・・。
咲子の中でザワザワと、その体が最後の足掻きを始めるのを感じた。
実のところ、町田が本当に死んでしまったかどうか、確認してはいないのだ。
吊り橋から落ちても、もしかして、無事だったのかも知れない。
いや、そもそも、突き落としたというのはクスリの後遺症が抜けない自分の妄想で、本当は何も無かったのかも知れない。
調べさせてみよう。
その時はただ、それだけだった。
けれど実際、事務所でこの若き探偵と向き合ったとき、ある欲望が咲子の中に沸き立ったのだ。
死は、咲子の中ではいつも甘く優しくそこに有り、常に不幸を身に纏ってきた自分に残された、最後の希望だった。
けれどただひとつ。
余りにも孤独で惨めな自分の人生が悲しく、哀れだった。
自分の人生に決して関わることのなかった、光、純真、幸福、喜び。
それらを一塊りにした宝石がここにある。この目の前にいる少年だ。
この少年に、町田を・・・そして、咲子自身を捜させよう。
町田を捜すこで、きっと咲子の某かにも触れてくるだろう。
咲子自身の軌跡を辿ることになるかもしれない。
この少年の中に、自分をほんの少しでも、刻むことが出来るかも知れない。
・・・あのとき確かに自分はそんな馬鹿なことを思ったのだ。
そこまで思いを巡らし、そして我に返った咲子は、狂ったようにどす黒い嗤いが込み上げて来るのを堪えきれず、少年の柔らかな腹の上で、体を震わせて笑った。
そして泣いた。
何度死んでも業火で焼かれても、償いきれない。
何て馬鹿な女。なんて醜い女。
ついにはこの少年を、その同じ火で焼こうとしている。
同じ死の馬に乗せようとしている。
ごめんね。ごめんね。
そう呟きながら、体温の低い少年の体を抱き寄せ、爪を立て、その胸に下腹に、何度も何度もキスをする。
まるで咲子の悲しみや嘆きや孤独が伝わってでもいるかのように少年は震え、それでも尚、まるで幼い子供のように咲子にその手を差しのべてくる。
官能などとは程遠い、業のような愛撫。
肌が触れるたびに共鳴する悲しみ。
この少年はいったい何者なんだろう。
交わる女の苦悩をすべて溶かし、自分の中に取り込んででもいるのだろうか。
なぜ抱きしめるたびに咲子の体が軽く、開放されてゆくのか。
なぜこの少年は、咲子が見つめる度に、その琥珀の瞳を潤ませるのか。
「泣かないで。いい子だから。お願い」
咲子がそう言うと、少年は懸命に声を殺し、唇を噛み、堪えようとする。
慣れない手つきで腕を伸ばし、必死に咲子の熱を求めようとする。
愛おしくて、愛おしくて、堪らなかった。
もう、誰のものにもしたくない。
この胸の中に小さく強く押し込めて、自分がこれから向かう闇の世界に連れて行きたくなる。
“ ねえ、春樹。私の中の死の馬は見れた? あなたが見たかったモノは、それなの?
ねえ、春樹。私と一緒に行く? 静かで甘くて優しい、生まれる前の、あたたかな場所よ ”
白く滑らかな少年の首筋に口づけしながら、心の中でそう問いかけると、
少年はまるで微笑んだかのように、ふっと、柔らかな吐息を漏らした。
◇
「喧嘩でもしたんですか? 春樹くんと」
「え?」
その夜、就寝前の検温に来た美沙の担当看護師、北村が、カーテンを閉めながらイタズラっぽくそう言った。
「どうして?」
「いえ、何となく」
「喧嘩しようにも、顔も見せやしないし」
「ああ・・・うん。そうですよね」
北村は少しばかりぎこちなく笑うと、お休みなさいと言って、部屋を出ていこうとした。
「ねえ、北村さん?」
「はい?」
「もし、春樹が来て、それで、病室に入りにくそうにしてたら・・・」
「してたら?」
「・・・いえ、いい。何でもない」
何とも、自分の言おうとしていることがバカバカしくなって、美沙は口をつぐんだ。
春樹に執着して、他のことが考えられなくなっている自分が愚かしくて、情けなくなってくる。
いったい自分は、何をこんなに不安がっているのだろう、と。
「大丈夫ですよ。そんな時はちゃんと、ここに連れてきますから。無理やりひっぱってでも、ね」
北村が力強くそう言ってくれた。
ふいに涙が溢れそうになり、美沙は微笑み返した後、さりげなく窓の方に顔を逸らした。




