第11話 触
翌日、いつも通りに出社した春樹は、町田の実家があった別府市桜ヶ丘の不動産会社を検索し、片っ端から電話を入れた。
ダメ元で、“数年前までその番地に空き家があったが、今はどうなっているか分かりませんか?” と訊いたところ、思わぬ成果があった。
その物件を扱っていたと言う不動産会社に当たったのだ。
町田の実家の売買は、7~8か月前に契約が成立していた。
電話の相手がその時の担当者だったのは幸運だったが、手続きはすべて完了しており、その契約者、つまり町田本人の今現在については、全く分からないと言う。
電話で訊けるのはそこまでであり、そして春樹の手元に残ったのは、また振り出しに戻ったという厳しい事実だけだった。
咲子は、町田の実家がもう無いということを知っていた。
聡美に語ったことは“事実”だった。
と、いうことは、“その近くに借家を借りて住んでいる”というのも、事実なのではないだろうか。
では、なぜあの女は自分にこんな調査を依頼したのだろう。
全て知っていたのなら、なぜ。
疑問はジワジワと胃に溜まり、少しずつ不快感に変わり、嫌な熱を帯び始めた。
コンコン、と昨日と同じノックの音が響くと、春樹は堪らずに自分から走り寄り、その女の為にドアを開けた。
生成のセーターと濃紺のロングスカートの咲子は、今までとは別人のように若々しく、春樹を驚かせたが、それでもここ1時間ほどの春樹の鬱々とした気持ちは収まらなかった。
「どうしたの? 今日は機嫌悪そうじゃない」
咲子はサッサと応接用のソファにドカリと座り、酒に酔ってでもいるのか、どこかトロンとした目で見上げてきた。
「どうして嘘をつくんですか」
春樹は怒りを抑えて静かにそう言い、自分も咲子の向かい側のソファに腰を下ろした。
「嘘?」
「あなたは町田さんの居場所を知ってるんでしょ?」
春樹がそう言うと、咲子はゆっくりと口角を上げ、奇妙な笑みを作った。
「へえ。そうか。ばれちゃったか。それで?」
「それでって・・・何ですか」
「それで、町田は見つかったの?」
「いえ・・・。でも、現住所をあなたは知ってるんでしょ? どうしてそんな回りくどいことをするんですか。居場所を知ってるなら、教えてくれればいい。いえ、そもそも、自分で行けばいいんだ。どうして僕なんです。僕をからかってるんですか? こんな頼りない癖に探偵なんかやってるから、からかってやろうと思ったんですか?」
「違うわ」
「じゃあ、どうして!」
「・・・」
「ちゃんと答えてください!」
「やめて・・・大きな声出さないで」
その弱々しく掠れた声に、ようやく春樹はハッとして我に返り、咲子が小刻みに震えているのに気が付いた。
「咲子さん?」
「なんでもない。平気」
けれどその言葉とは裏腹にその肩は尋常じゃないほど震え、呼吸の音が大きく響く。
何かの発作なのだろうか。
どうしていいのか分からず、春樹はただ慌てて咲子に駆け寄り、行き場のない手を宙に彷徨わせた。
「平気だって言ってるでしょ!」
その時とっさに振り払おうとした咲子の手が、春樹の手をピシャリと打った。
春樹は瞬間、雷に打たれたように凍り付き、ただ青ざめてその場に立ちつくした。
咲子は咲子で必死に呼吸を整え、震えが収まると血の気が戻った頬に手をやった。
「ごめんなさいね。前の男が乱暴な奴で。・・・大声を出されるとダメなのよ。トラウマで。無様な所みせちゃったね」
---“ 死の馬 ”だ。
咲子がゆっくりと見上げてきた目を、春樹はただ呆然と立ちつくしたまま見下ろした。
---それから何? 孤独、絶望、そんなことで言い表せない、黒い波のうねり。
これは何だろう。見えない。一番見たい水底が見えない。
触れた刹那、ぱっくりと傷口のように開いて見せた咲子の内側。
けれどそれは映像でもなく痛みでも感情でもなく、ただ、真っ逆さまに落ちてゆく重力。
「春樹君。あんたをからかったわけじゃないの。ただゼロから探して欲しかっただけ。ただの、私のわがまま。でも、あんたを傷つけたんなら、謝るよ。ごめんね。町田を捜すのが嫌だって言うのなら、ここまでで良いよ。もう、充分やってくれた。ここまでの調査料は、ちゃんと払うから」
「そしてあなたはどうするんですか?」
「・・・え?」
「仕事を辞めて、住むところも飛び出して、決して安くない調査料払って。酒とクスリだけ抱いて。あなたはどうするんですか?」
「・・・」
「死ぬ気ですか?」
「・・・なんとまあ」
咲子は少しばかり目を細めたあと、再び口角をクイと上げ、乾いた笑い声を立てた。
「唐突だね、あんたは。ビックリするよ」
「違うんですか?」
咲子はまっすぐ見つめてくる春樹の視線を受け止めながら、ゆっくりと口を開いた。
「だったらどうする? あんたが止めてくれる? この手を掴んで、馬鹿なことをするなって、引き留めてくれる?」
咲子は冗談のように、右手をヒラヒラと振って見せたが、けれどそれに食いつくように春樹の鋭い視線と声が飛んだ。
「町田さんを捜します。全力で探します。だから、咲子さんの持っている情報を全部下さい。もう、僕の力量を測る必要もないでしょう? 最初の契約通り、町田さんを見つけて、そしてあなたの前に連れてきます。それでいいでしょ? そしたら・・・そしたら・・・全部うまく行くでしょ? クスリもやめて、お酒もやめて、ちゃんと仕事見つけて、変な考えも捨てて・・・」
春樹の微かに震える声を聞きながら、咲子は鼻に皺を寄せ、目尻に皺を寄せ、これ以上ない笑みを浮かべた。
「うん。そうだね。・・・待ってるよ、春樹。町田を連れてきてよ。本当に・・・待ってるから」
--- 全部ウソだ。
春樹の中で、何かがそう叫ぶ。
咲子に触れた一瞬で春樹が掴み取ったものは、輪郭さえ持たぬ陽炎だった。
まるで得たいの知れないガスのようにジワリと春樹の肺の中に入り込み、痛みを伴って春樹を蹂躙しようと蠢く。
まだ正体の分からぬそれは、少しずつ、少しずつ、確実に春樹の足元を崩し始めていた。




