吾輩は動けない、頼んだ子孫たち
吾輩は動けない。
これは比喩ではない。ほんとうに動けないのである。
世の中には旅を語る者が多い。北へ向かっただの、群れを離れただの、番を探しただの、ずいぶん景気のいい話ばかり聞こえてくる。実にけっこう。できるものなら吾輩だってやってみたい。風に吹かれて野を越え、川を渡り、見知らぬ土地で新しい生を始める。そういう壮大な旅路には、誰しも少しは憧れるものだ。
だが吾輩はタンポポである。
根を下ろしたら最後、そこが勤務地であり終の棲家であり、通勤も転勤もない。朝になったからといって一歩前に出ることもできず、夕方になったからといって軒下へ避難することもできぬ。ただそこにいて、陽を受け、雨に打たれ、時折子どもに踏まれそうになりながら、生涯を送るほかないのである。植物とは、なかなかに不自由な生き物だ。
もっとも、まったく希望がないわけではない。
旅に出るのは、吾輩ではなく子孫たちだからである。
花の盛りを過ぎると、吾輩の頭はやがて白くなる。老いたわけではない。綿毛である。あれは見た目こそふわふわして愛らしいが、中身はれっきとした未来だ。一本一本の先に、小さな果実がぶら下がっている。言うなれば、希望の大隊である。札幌市の解説でも、タンポポは花のあとに綿毛を開き、種子散布へ進む身近な植物として紹介されている。
吾輩はその白い頭をいただいた日、少し誇らしかった。
見よ。
これが吾輩の軍勢である。
もちろん軍勢といっても、本人たちはたいへん軽い。ひと吹きで飛ぶ。いや、ひと吹きどころか、ちょっと強めのくしゃみでも危うい。だが軽いというのは悪いことではない。旅に必要なのは筋肉ではなく、風に乗るためのつくりである。綿毛はそのためにある。風散布する植物にとって、こうした構造はまさに旅装束なのだろう。
吾輩は子孫たちに語りかけた。
「よいか、おぬしたちは選ばれし者たちである」
返事はない。
当然である。まだ綿毛だからである。
「吾輩はここを動けぬ。だが、おぬしたちは違う。風に乗り、道ばたを越え、塀を越え、運が良ければ誰かの庭先まで行ける。そこで芽を出し、葉を広げ、新たな一族の礎となるのだ。頼んだぞ、子孫たち」
返事はない。
当然である。まだ綿毛だからである。
しかし、言わずにはいられぬのだ。
親というものは、概してそういうものである。
実際のところ、旅立ちは優雅なものばかりではない。風は気まぐれだ。穏やかな日には誰も飛ばず、妙に張り切った突風の日には、まだ心の準備もできていない者までまとめて持っていかれる。植物の種子散布は、固着した親個体にとって唯一の移動機会だと説明されることがあるが、その大事な機会が、だいたい天気任せというのはなかなか心細い。
ある朝、最初の一人が飛んだ。
それは見事な飛び立ちだった。
朝の風を受け、ふわりと持ち上がり、光の中へすっと消えていった。吾輩は胸が熱くなった。行け。我が子よ。おぬしこそ一族の先駆けである。どうか肥えた土と適度な日当たりと、あまり草刈り機の来ない場所を見つけるのだ。
次の一人は、飛んですぐ、近くの低木に引っかかった。
吾輩は見なかったことにした。
旅には失敗もある。
そういうこともある。
重要なのは全体としての前進であり、個々の不運にいちいち動揺していては親は務まらぬ。
さらにもう一人は、三歩ほど向こうの水たまりに落ちた。
また一人は、通りすがりの犬の鼻先にくっついて、妙な方向へ去っていった。
希望の大隊と呼んだが、統率はまるで取れていない。
吾輩は少し考えた。
もしやこれは、吾輩が思っていたほど栄光ある出立ではないのではあるまいか。
いや、しかし、親がそこで弱気になってどうする。
旅というものは、計画通りにはいかぬものだ。たぶん。吾輩は旅をしたことがないので詳しくは知らぬが、きっとそうに違いない。少なくとも、まっすぐ遠くへ飛ぶ者がいれば、すぐそばに落ちる者もいるのだろう。それでも、飛ばねば始まらない。
風が少し強くなった。
頭の上が軽くなる。
一人、また一人と離れていく。
白い子らは空へ散り、陽に透け、小さく揺れながら遠ざかっていった。
吾輩は見送った。
頼んだぞ。
どこへ行っても、できれば人の靴底の下だけは避けるのだ。
できれば舗装の割れ目より少し柔らかい土へ。
できれば日当たりもそこそこに。
できれば、できればでよいから、吾輩より少しだけ楽に生きてほしい。
その願いが届くかは分からない。
風は気まぐれだし、世界は親が思うほど親切ではない。
それでも、託すほかないのである。
やがて吾輩の頭は、ほとんど空になった。
さっきまで大軍勢に見えたものが、今や数えるほどしか残っていない。寂しい。たいへん寂しい。だが同時に、どこか誇らしくもあった。吾輩は動けなかった。最後まで一歩も進めなかった。けれど、子らは行った。風に乗って、この場の外へ出ていった。それで十分ではないか。
そのとき、最後に残っていた一つが、なかなか飛ばなかった。
しぶとく軸にしがみつき、風が吹いても揺れるばかりである。
吾輩は少し親近感を覚えた。
おぬし、もしかして怖いのか。
分かる。実によく分かる。
知らぬ場所へ行くのは不安だろう。ここにいれば少なくとも見慣れた景色がある。もっとも、ここにいても先はないのだが、それでも離れる決心は簡単ではない。
しばらくして、少しやわらかな風が吹いた。
その子は、今度こそふわりと浮いた。
高くはなかった。
だが、まっすぐだった。
行ったか。
吾輩は空を見上げた。
白い点はすぐに見えなくなった。
見えなくなってしまえば、あとは祈るしかない。
吾輩は動けない。
だから、頼むしかないのである。
頼んだぞ、子孫たち。
願わくは、どこかで根づき、花を咲かせ、また同じように空を見上げてくれ。
そのとき少しくらい、親のことを思い出してくれてもよい。
いや、やはりそれは望みすぎか。芽を出すので精いっぱいだろう。うむ。それでよい。
それでも吾輩は、しばらく空を見ていた。
旅に出たことは一度もない。
けれど、見送ることで知る旅もあるのかもしれぬ。




