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だって、甘い毒なんて好みじゃありませんもの

作者: 馬之群
掲載日:2026/08/16

【登場人物】

イライザ

 公爵令嬢。第一王子であるヘンリー王子の婚約者。黒髪黒目の女性。

ヘンリー

 第一王子。イライザの婚約者。金髪に青い目の男性。リリーに好意を寄せている。

リリー

 男爵令嬢。亜麻色の髪に水色の目の女性。ヘンリー王子に好意を寄せている。

ロジャー

 第二王子。茶髪に茶色い目の男性。

「お前がリリーを殺したのだろう、イライザ!」


 第一王子、ヘンリーがイライザに指を突き付けると、舞踏会の参加客の視線はイライザに注がれた。イライザは扇子で口元を隠しているが、涼やかな表情に見える。艶やかな黒髪と深緑のドレスや手袋が落ち着いて見せているのかもしれない。


「落ち着いて下さいまし、ヘンリー殿下。まだリリー様が殺されたとも限りませんわ。それに——」

「どう見てもあの苦しみ方は毒を盛られたに違いない!お前がリリーに散々嫌がらせをしていたことは知っている。リリーに嫉妬して、彼女を殺したんだろう」


 ヘンリーの青い目がキッとイライザを睨みつける。金髪に青い目で、端正な顔立ちのヘンリーに怒りを向けられると、高官でさえ身震いするものだ。しかし、イライザは元々キリッとした黒い目を更に吊り上げて、悠然とヘンリーを睨み返していた。


「仮にそうだとして、婚約者を差し置いて、別のレディと踊る男性の方が問題ではありませんかね」

「私を愚弄する気か、ロジャー」

「これは失礼、兄上。酒が入ると舌が滑りやすくなっていけませんね」


 皮肉を口にしたのは、第二王子、ロジャーだ。茶色の髪と目は真面目で誠実そうな印象を与えるが、ヘンリーに対しては辛辣な言動が目立つ。


「第一、リリー様が最後に口にしたのは、ヘンリー殿下が差し出したブランデーですわよね」

「気付けに飲ませただけだ!その前からリリーの様子はおかしかった!それに、本日の舞踏会を取り仕切っていたのはお前だろう、イライザ。ブランデーに毒を入れたんじゃないか?」

「どのグラスを誰が飲むかも分かりませんのに?」


 イライザの言葉に、ヘンリーが青筋を立てた。イライザに殴りかかりそうなほどの剣幕を見せるヘンリーの前に、ロジャーが立ち塞がった。


「取り敢えず毒を持っている者や、毒が含まれた食べ物や飲み物がないか、調べてみてはどうですか、兄上?」

「……隅々まで調べろ」


 警備兵が招待客の持ち物検査を行い、医者がビスケットやアイスクリーム、ワインなどを調べ始めた。

 給仕係の長がイライザの帽子を指して警備兵に何か言った。給仕長は帽子を手に取ると、飾りの中から小瓶を取り出した。中には真っ白な粉末が入っている。


「イライザ様、この小瓶は何ですか?」

「身に覚えがありませんわ」

「毒だろう。すぐに調べろ!」


 警備兵は小走りで医者のもとに向かった。ヘンリーだけでなく、参加客の中にもイライザに不信の目を向けるものが現れた。扇子で口元を覆ってひそひそと噂している。

 医者がおずおずとやってきた。ヘンリーの顔色を窺いながら、口を開いた。


「リリー様の死因が判明しました。微量の神経毒と強い酒を摂取したことによる呼吸不全です。毒を摂取したのが三十分以内であることは間違いありません」


 ヘンリーは蒼白な顔で座り込んだ。流石に気付けのブランデーを勧めるものはいなかった。


「イライザ様の帽子から出てきた小瓶には、神経毒が入っておりました」


 一同の視線がイライザに集中した。イライザは驚いたような表情を浮かべている。


「この女を捕らえよ!」

「お待ちください、殿下。その小瓶に毒が入っていたとして、どうやってわたくしが彼女にその毒を飲ませたというのですか?リリー様が先ほどわたくしにぶつかってきた時以外、わたくしは彼女に近付いてもおりませんのに」


 イライザが言うと、舞踏会の参加者の何人かが頷いた。ヘンリーとイライザは婚約しているのに、ヘンリーがリリーに血道を上げていることは周知の事実である。本日もイライザとリリーの仲は険悪で、互いに近付くこともなかった。


「そんなもの、リリーが口にするものに事前に仕込んだのだろう」

「それならば、リリー様は何をお召し上がりになったのです?どなたかお分かりになりますか?」


 何人かが首を横に振った。一人の女性が、おずおずと手を挙げた。


「あの、リリー様は何も口にしていらっしゃいませんでしたわ」

「そんな馬鹿な。舞踏会が始まって一時間は経つ。何も口にしないなんてことがあるものか」

「慎み深い淑女は無闇に食事を頂いたりしませんのよ」


 コルセットが苦しくて喉を通りませんわ、とは言わなかった。女性陣は深々と頷いている。そもそも、イライザの帽子から見つかった小瓶を除いては、舞踏会の会場から一切毒の痕跡が発見されなかったのだ。既に下げられたグラスや食器も含めて。ヘンリーは怪訝な表情を浮かべて、吐き捨てるように言った。


「だとしたら、リリーはどうやって毒を飲んだというんだ」




 舞踏会は二十一時に始まった。


「ご覧になって、例の男爵家の御令嬢よ」

「まあ、はしたない。どこぞの殿方がままごと遊びをなさっておるのやら」


 女性たちの視線の先には、亜麻色の髪を優雅にまとめ、男爵家の令嬢にしては豪華すぎる宝石を身に着けた女性が困ったようにぽつりと立っていた。リリーだ。胸元が大きく開いた水色のドレスと手袋は、彼女の瞳と同じ色だ。美しくはあるが、聡明そうには見えない。

 彼女が第一王子の火遊びの相手であり、公爵令嬢であるイライザの目の上のたんこぶであることは周知の事実なので、皆から煙たがられていた。


「ロジャー殿下もいらしてるのね」

「あら、そうと知っていれば一番いいドレスを着てきましたのに」


 ロジャーはどんな名家の御令嬢からの求婚も断り続けている。今日こそはと意気込む独身の令嬢たちは、最初に女性にダンスを申し込む決まりである二人の王子のうち、ロジャー王子が誰を選ぶのか、胸を高鳴らせながら待っていた。

 ヘンリーは婚約者であるイライザの前を素通りして、扇子で口元を隠しているリリーの前に進み出た。


「美しいお嬢さん、私と一曲踊って頂けますか?」


 婚約者のイライザを無視する愚行に、会場がどよめきに包まれた。リリーは頬を赤らめながら、ヘンリーの手を取ろうとした。


「ダメですよ、リリー様」


 ロジャーの右手がリリーの扇子をグイっと掴んで引き下げ、リリーを見下ろした。あちこちからキャーッと黄色い悲鳴が上がっている。

 ヘンリーがロジャーの肩を乱暴に掴んでリリーから引き剥がす。


「兄上、イライザ様はあちらにおいでですよ」

「邪魔をするな、ロジャー」

「恥の上塗りはおやめください、兄上」


 ヘンリーはリリーの手を取り、ダンスホールに去ってしまった。ロジャーは溜息を吐くと、給仕から赤ワインを受け取った。


 一連の騒動を柳眉倒豎で見つめていたのは、イライザだった。周囲の人々がイライザを慰めようとすると、イライザはニコリと微笑んで、ロジャーのもとに歩いて行った。


「ダンスはなさらないのですか?」

「え?あ!」


 ロジャーは慌てて、口をつけてもいない赤ワインを零してしまった。白い手袋に赤い染みが広がる。


「まあ、失礼しました」


 イライザが自分のハンカチを取り出そうとしたが、ロジャーは首を横に振った。手袋を取って丸めて手に持つ。


「こちらこそ申し訳ありません」

「いえ、わたくしが不用意にお声掛けしなければ——」

「その件もそうですが……」


 ロジャーはこちらを見ながら噂している人々を横目で見ながら呟いた。イライザは扇子の下でニヤリと笑った。


「残念ですわ。わたくし、殿下のためにダンスの練習をがんばりましたのに」

「兄上のために練習を?」

「ええ。相手役の侍女が、みんな足を痛めて数日暇が必要になるくらい熱心に取り組みましたのよ。殿下を相手に披露できないと彼女たちに悪いわ。みんな心から応援してくれたのに」


 ロジャーはヘンリーがダンスの間中、イライザに足を踏みつけられているところを想像してクスクス笑った。


「それは是非拝見したかったですね」

「でも、きっと殿下はわたくしとダンスをしてくださいませんわ。ずっとお花畑でユリと戯れていらっしゃるもの」

「何もダンスだけが舞踏会の魅力ではありませんよ。良質な美酒に酔いしれて、機知に富む人物との会話に花を咲かせるのも一興でしょう。ご友人にお声掛けしてはいかがです?」


 イライザは露骨に話を切り上げられたと感じて、扇子を閉じて左耳に持っていきかけたが、ロジャーの手に握られた手袋を見て思い止まった。閉じた扇子を右頬に当てる。


「そうですわね。ではまた後ほど、ロジャー殿下」

「はい。イライザ様」


 二十一時半まで、ヘンリーとリリーはダンスホールでずっと踊っていた。ロジャーはダンスホールにも控えの間にも姿を見せなかった。イライザは熱心に参加者に声を掛けては、会を盛り上げようと努めていた。


 二十一時半、ダンスを中断して控えの間に移動したヘンリーは、貴族の令息と話しながらワインやビスケットを口にしていた。リリーは誰からも声を掛けられず、扇子で口元を隠しながら壁際に立っていた。十分ほどでヘンリーは会話を切り上げ、リリーに話し掛けた。


「誰かと話さないのか、リリー」

「わたしのような身分の低い女から話し掛けることはできませんわ、殿下」

「では、私も一緒に話し掛けよう。多くの人とお近づきになった方がいい」


 ヘンリーは辺りを見渡して話しかけやすそうな人を探した。リリーは頬を赤らめてヘンリーの裾を引いた。その唇には半開きの扇子が押し当てられている。『私にキスしていいわよ』という扇言葉だ。ヘンリーはリリーに顔を寄せた。リリーは水色の目を閉じた。バラの花びらのような可憐な唇はヘンリーの口づけを待っている。


「ご挨拶するなら、本日の会を取り仕切っておられるイライザ様のもとに真っ先に参りましょう!私も御一緒しましょうか?」


 ムードを壊す大声を浴びせたのは、どこからともなく現れたロジャーだった。ヘンリーはキスしかけていたのを邪魔されて、ロジャーの胸ぐらに掴みかかった。


「余計なお世話だ、消えろ!」

「失敬。かなり酔っておいでのようですよ、兄上。酔い覚ましに一曲踊ってきてはいかがです?」


 ヘンリーはリリーの手を掴み、ダンスホールに向かって足を踏み鳴らしながら去っていった。ロジャーは堂々とした足取りでテラスに出て行った。イライザと談笑していた令嬢が眉を吊り上げながら息巻いた。


「何ですの、あの小娘は!ヘンリー殿下の婚約者であらせられるイライザ様がおられる場で、殿下に口づけをせがむなんて!」

「そんなに責めてはお可哀想ですわ。男爵令嬢は扇言葉など学ぶ機会がなかったのでしょうから」


 イライザの言葉に、令嬢たちは上品な笑い声を漏らした。


「それならば、わたくしがお教えして差し上げますわ、イライザ様」

「まあ、お優しいこと」

「ロジャー殿下並みの御心の広さですわね」

「滅相もないですわ。ロジャー殿下の御心が海ならば、わたくしなど水たまりのようなもの。比べることすら烏滸がましいですわ」


 令嬢たちはうっとりと溜息を吐いた。


「そう言えば、『運命の赤い糸』ってご存知ですか?」


 令嬢の一人がひそひそと言った。


「聞いたことがありますわ。結ばれる運命の二人には、生まれた時から左手の小指に赤い糸が結び付けられているのだとか」

「ええ。先ほど、ロジャー様が赤ワインを零してしまわれたでしょう?左手から滴る赤ワインが『運命の赤い糸』のようでしたわ。もしかしたら、本日、ロジャー様の運命のお相手が、この中に……」


 令嬢たちは黄色い声でさえずっている。その後はロジャーの噂話に花が咲いた。


 二十一時五十分、イライザが仲の良い令嬢と歓談していると、ダンスホールから飛び出してきたリリーがぶつかってきた。イライザの帽子が床に落ちる。リリーは謝りもせずによろよろと立ち去って、椅子に倒れ込んだ。


「まあ、何です、無礼な」

「謝らせましょう、イライザ様」


 一緒にいた令嬢たちはリリーを睨みつけた。イライザはリリーにぶつかられた部分を悠然とはたく。


「リリー!大丈夫か?」


 バタバタと駆けていったのはヘンリーだ。椅子に倒れているリリーの背中を擦っている。リリーの顔は蒼白で、息は乱れている。ヘンリーの気を引くための仮病には到底見えない。


「おや、舞踏会に来たつもりが、馬場に来てしまいましたかね?野生馬が通ったようですが」


 テラス側からロジャーがやってきた。イライザは振り向くと、落ちた帽子に目を留め、拾い上げて丹念にはたいて被る。イライザと周りの令嬢はロジャーに挨拶した。


「調教ができたら楽だったのですけれども。生憎と手綱を握れずにおりますわ」

「いかなる名調教師も、同じ失敗を繰り返す駄馬が相手では、手の施しようもありますまい」

「まあ、ロジャー殿下」


 イライザと周りの令嬢は上品に笑った。


「リリー!リリー!しっかりしろ!!!」


 ヘンリーの言葉は必死さを増している。リリーは荒い息をしながら苦悶の表情で呻いていたが、何度か痙攣した後、動かなくなった。




 現在の時刻は二十二時半。『リリーはどのようにして毒を飲んだのか』とヘンリーが問い掛けたことで、周囲はざわついている。


「リリー様が倒れてしまわれたのが、二十一時五十分。毒は三十分以内に飲んだということでしたから、二十一時二十分から二十一時五十分の間にリリー様は毒を飲んだはずですわ。でも、その間、リリー様はほとんどダンスホールでダンスをしていらしたでしょう?ヘンリー殿下が証人になってくださるはずですわ」


 イライザの言葉に、ヘンリーは渋々頷いた。


「しかし、リリーは控えの間に一度戻った」

「二十一時半から二十一時四十分ごろですわね。その時、リリー様は壁際に一人で立っていらしたはずですわ。何も口になさらず、誰ともお話しせず。嗚呼、確か、ヘンリー殿下はリリー様に近付いて口づけなさったのでしたか」

「未遂ですよ、イライザ様。無粋な男が邪魔をしたもので」


 ロジャーが口を挟んだ。周りからクスクスと忍び笑いが聞こえる。


「あら、そうでしたわね。でも、ヘンリー殿下がロジャー殿下に掴みかかっただけで、ロジャー殿下はリリー様には指一本触れていらっしゃらなかったと思いましたけど、違いまして?」

「そうですね。そうなると、その三十分の間にリリー様に毒を飲ませられたのは、兄上だけということになってしまうのでは?」


 ロジャーの発言に、一同がざわついた。第一王子に殺人の嫌疑をかけるなど、とんでもないことだ。


「私がリリーを殺すはずがない!毒を持っていたのはお前だろう、イライザ!」

「そんなもの、いつでも仕込めるではありませんか。帽子を落として目を離したこともありましたわ。ちょうど二十一時五十分ごろに」


 イライザの周りにいた令嬢が頷く。


「帽子を落とした後、ヘンリー殿下も傍をお通りになったはずですけど?」

「私が仕込んだとでも言いたいのか?」

「まさか。事実を申し上げたまでですわ」


 ヘンリーは医者に向かって怒鳴った。


「リリーが毒を飲んだというのは間違いないのか?」

「正確に申し上げますと、毒を摂取したということは間違いありません。お飲みになったのか、毒に触れて皮膚から吸収されたのか、断定いたしかねます」


 医者は額の汗を拭いながら言った。


「そうか、リリーとぶつかった時に毒をかけたのだな、イライザ」

「リリー様の方からわたくしにぶつかってきた、その一瞬の隙に毒をふりかけたと?面白い意見ですわね」


 ヘンリーは青筋を立てている。


「それほど言うならばイライザ、一体誰がどうやってリリーを殺したのか、説明してもらおうではないか!」

「よろしくてよ」

「は?」

「今からわたくしの考えを説明させていただきますわ」


 イライザはぴしゃりと扇子を閉じた。


「単純なお話ですわ。どなたもリリー様に毒を盛っていないのに、リリー様は急に体調を崩され、お亡くなりになった。それならば、毒はリリー様がご自分で摂取なさったのでしょう」

「そんな馬鹿な。リリーが自殺などするはずがない!」

「わたくしも、あのリリー様に限って自殺するなんて思えませんわ」


 イライザは皮肉めいた口調で言った。


「リリー様が摂取した毒は微量で、具合が悪そうではありましたが、死ぬほどではなかったのでしょう?ヘンリー殿下が気付けに強いお酒を飲ませたことで、お亡くなりになった」

「……私がリリーを殺したと言いたいのか」


 ヘンリーの言葉には覇気がなかった。


「結果的にはそうでしょうね。でも、問題はそこではありませんわ。ヘンリー殿下が気付けにお酒を飲ませたことは、犯人にとって想定外だったということです。きっと、本来の予定はこうですわ」


 イライザは扇子でダンスホールを指し示す。


「ヘンリー殿下と踊っている時に、リリー様はこっそりと小瓶から毒を摂取したのです。皮膚からでも毒が効くのですから、人目を盗んで少し塗ることくらいできたはずですわ。毒が効いたら、具合が悪くなったと言って控えの間に戻ります。その時、わたくしにわざとぶつかって、わたくしの帽子に毒の小瓶を仕込んだのでしょう」


 イライザは淡々と述べる。ヘンリーの顔色がどんどん悪くなる。


「恐らくですが、リリー様はヘンリー殿下に体調不良を訴えて、わたくしに嫌がらせをされたのだと主張するつもりだったのでは?大勢の目の前でわたくしの帽子から毒が発見されれば、わたくしは罪を免れませんわ。婚約破棄はもちろん、相当な憂き目を見たことでしょう」


 イライザは眉根を寄せた。参加客はざわざわと話している。


「全てお前の妄想に過ぎない!死者に罪を擦り付ける気か?」

「わたくしが犯人だというのも、殿下の妄想では?毒の小瓶にしても、仮にわたくしが犯人なら、見つけてくださいと言わんばかりに帽子に突っ込むなんて真似、いたしませんわ。濡れ衣であることは明らかだと思うのですけれど」

「そう言って言い逃れするために、わざと帽子に隠したのではないか?」


 イライザは扇子で口元を隠して大笑いした。


「ごめんなさい。あまりにもおかしくて。どうしてそんな回りくどいことをする必要がございますの?その辺に投げ捨てれば、そもそもわたくしに疑いが向かないかもしれませんのに」

「そ、それは……」


 ヘンリーは言い淀んだ。イライザはつかつかとヘンリーの目の前に詰め寄ると、扇子で口元を隠しながら、ひそひそと囁いた。


「リリー様の自作自演だとお認めにならないのでしたら、殿下がリリー様を殺して、わたくしにその罪を擦り付けようとしたということになりますわよ。殿下以外にリリー様に接触した者はおりませんし、リリー様は何も口になさらなかったのですから」


 ヘンリーは言い返す力もなくしたのか、がっくりとうなだれた。


「リリーがそんな、まさか……」


 イライザは勝ち誇った笑みを浮かべると、舞踏会の参加客に向かって高らかに宣言した。


「皆様、申し訳ございませんでした!リリー様は不幸な事故でお亡くなりになりました。わたくしの管理不行き届きで、皆様に多大なるご心配とご迷惑をお掛けしましたこと、心よりお詫び申し上げます」


 イライザは深々と頭を下げた。しばしの沈黙の後、ロジャーが口を開いた。


「イライザ様こそ、被害者ではありませんか。謝罪すべきはむしろ、兄上の方では?」

「何だと?」


「根拠もないのに、公衆の面前で殺人犯呼ばわりしたのですよ?その上、この事件の目的は、リリー様がイライザ様に嫌がらせをされていたと偽装して、イライザ様に濡れ衣を着せて婚約者の座から追い出すこと。ひいてはリリー様が兄上の婚約者になりたいという思惑さえ透けて見えます。リリー様がこのような大それた事件を企てたのは、元はと言えば、婚約者がいるのに公然と他の女性に好意を示していた兄上のせいではありませんか!」


 ロジャーはヘンリーに威勢よく指を突き付けた。参加客はひそひそと噂している。


「そんな、私は……こんなことになるなんて、思っても……」


 ヘンリーは頭を抱えた。イライザは軽蔑しきった眼差しで、その様子を見下ろしていたが、長い溜息を吐いた。


「もうやめましょう。これ以上恥を晒しては、お客様に申し訳ありませんわ」


 舞踏会はお開きとなり、参加客は続々と帰っていった。イライザは館の外へと歩いて行った。参加客の見送りだろう。ロジャーは給仕長を呼び止めた。何やら話し込むと、赤ワインを二つ持ってこさせた。ロジャーは放心状態のヘンリーのもとへ向かい、グラスの片方を手渡した。


「リリーは、本当にイライザから嫌がらせを受けていたのだ。証拠を掴めずに焦っていたかもしれないが、私に相談もせずにイライザを陥れようなんてするはずがない。信じてくれ、ロジャー」


 ヘンリーがロジャーに縋りついた。ロジャーはヘンリーの手を振り解いた。


「もう手遅れですよ、兄上。何もかもね」

「嗚呼、私の愛しいリリー……」


 ヘンリーの涙はシャンデリアの明かりを反射して、一滴一滴が宝石のように煌めいていた。ロジャーはテラスに出て、パイプに火をつけて紫煙を燻らせた。テラスにゆっくりと煙が広がっていく。やがて、パイプの火が消えた。


「あら、まだいらしたのですか」


 ロジャーは横目でイライザの方を見た。イライザは帽子と手袋を取っていた。


「ええ、イライザ様にご相談したいことがございまして」

「奇遇ですわね。わたくしもロジャー殿下に確認したいことがございましたのよ」

「ここではなんですから、少し歩きましょう。お付き合い願えますか?」


 イライザはロジャーが差し伸べた手を取った。夜風で冷えてしまっている。二人は月明りを頼りに外に出て行った。周囲には誰もいない。


 時刻は零時を回った。


「それで、私に確認したいこととは?」

「ロジャー殿下が一番よくご存知でしょうに」

「いつからお気付きだったのですか?」


 イライザは悪戯っぽく微笑んだ。


「出鱈目な推理を披露する直前ですわ」

「あの場で告発しなかったのはなぜです?」

「真相を述べても、わたくしにとって何の得もなかったものですから」

「では、今お聞かせ願えますか?」


 イライザとロジャーは植え込みのベンチに腰掛けた。


「リリー様を殺したのは、貴方ですわね、ロジャー殿下」

「はい、そうです」


 ロジャーの茶色い瞳は、まっすぐイライザを見つめている。


「やはりそうでしたか。リリー様はご自分の持ち物以外には何も触れていらっしゃいませんでしたし、リリー様の持ち物に触れたのは、ヘンリー殿下とロジャー殿下だけですものね。考えましたわね。ダンスの時には触れることがない扇子に毒を塗って、毒を盛った時刻と毒を摂取した時刻をずらすとは」

「畏れ入ります、イライザ様」


 ロジャーがリリーの扇子に触れたのは二十一時過ぎ、リリーがダンスをする直前だった。その後、リリーが扇子を自らの唇に押し当てたのが二十一時四十分ごろで、毒が回ったのが二十一時五十分ごろだ。


「リリー様が毒を摂取するまでに間があったから、ロジャー殿下は悠々とご自分の毒手袋を始末できたのですね。赤ワインを零す芝居までして、誰からも不審に思われずに」

「むしろリリー様が毒に触れないのではないかと思いましたよ」

「そうですわよね。犯人が特定される危険性は低い代わりに、かなり不確実な方法でした」


 ロジャーは再びパイプに火をつけた。


 毒が塗ってあったのは、ロジャーの右手袋で、これはリリーの扇子以外には触れていない。ワイングラスを左手で受け取ってわざと零すことで、手袋を取って手を洗っても不自然ではない状況を作り出し、人目に付かない場所で手袋を焼き捨てている。


「まあ、正直どっちでもよかったのですよ。リリー様が今日毒を飲もうが飲むまいが」


 ロジャーはゆっくりと煙を吐いた。煙が夜の闇に溶けていく。


「舞踏会が始まる直前に、リリー様が給仕長と一緒に、舞踏会でイライザ様を毒殺する計画について話し合っているのを盗み聞いてしまったのです。問い詰めたところ、イライザ様への悪口を滔々と述べて、毒を盛るのが正当な行いであるかのような弁明を始めたのですよ。それを聞いて、もう黙らせるしかないなと思いまして」


 イライザはクスクス笑った。


「毒は給仕長から受け取ったのですか?」

「はい。毒さえ渡せば見逃すが、次はないと警告しました」

「でも、給仕長は予備の毒を持っていたのですわね。そして、わたくしの帽子から発見したかのように取り出してみせたのでしょう。これでわたくしの疑問が晴れましたわ」

「私が仕込んだかもしれないとは思わないのですか?」


 ロジャーは不安そうにイライザの顔色を窺った。


「ロジャー殿下がそんな愚かな真似をなさるはずがありませんわ。そのせいで犯人が誰なのか悩みましたのよ」

「他ならぬイライザ様にそう言って頂けるとは、光栄ですね」


 ロジャーはホッとしたように表情を緩めた。


「事件の真相を知る者は、私とイライザ様と給仕長だけです。どうなさいますか?」

「ロジャー殿下はどうなさるおつもりですの?」

「今度こそ、ご迷惑をお掛けしないように処理しようと思っておりましたが……」

「では、それで」


 イライザは平然と言った。ロジャーは目を瞬いた。


「えっと、私はリリー様を殺したばかりか、もう一人手にかけることになりますが、何もせずに放置なさるおつもりですか?」


 イライザは横目でロジャーを見やった。ロジャーは心底不思議そうな表情だ。


「わたくしも呑みたいですわ、それ。一口頂いてもよろしくて?」

「はあ。どうぞ」


 ロジャーがパイプを手渡すと、イライザは慣れた手付きで紫煙を燻らせた。


「ごちそうさま。確かに頂きましたわ、口止め料」


 イライザはパイプをロジャーに返した。ロジャーは驚いたような表情を浮かべた後、ニヤリと笑った。


「お気に召しましたか?」

「嫌いではございませんが、わたくしには少し甘すぎましたわ」

「では、次はもっとコクのあるものを」


 イライザは蠱惑的な笑みを浮かべた。


「期待しておりますわよ、ロジャー殿下」

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