エピローグ
王宮の片隅、家族の暮らす屋敷にある、小さな礼拝堂。式はそこで挙げたいと言いだしたのは私だった。
もっと広く豪華な場所のほうがいいんじゃないかとクヴァルに聞かれたけれど、礼拝堂なんてなかった昔の孤児院では、奥の一室がシスターの祈りのために使われていた。あの時の横顔を覚えている。いまの礼拝堂で、彼女が祈る姿も。
だから、誓うならあの場所がいいと願った。
参加者は孤児院の子達と、クヴァルが特別信用している---彼は信用ではなく利用できるというのだろうけれど、口の硬い人間だけ。
ここで結婚式を挙げさせてくれないかといったとき、家族は手を叩いて喜び、なんでも手伝うよ、と言ってくれた。その日のためにケーキや飾る砂糖菓子を作ってくれ、撒く花の花びらを1枚1枚集めてくれるという。
ウェディングドレスすらまだ決めていないのだ、とレベッカにいえば、ドレスの刺繍すらしてくれることになった。王家御用達のテーラーに流行りの形、もっとも質のいい白の一切刺繍のないドレスを用意させて、どんな刺繍がいいか2人で糸や形を選ぶ。
「私手先は器用な方だと思うけれど、間違いなくドレスを頼んだところに刺繍もしてもらった方が、素敵なものになるわ。それでも私たちが刺繍をしていいの?」
緊張した面持ちの彼女の言葉には、もちろんとうなずいた。彼女さえいいと言ってくれるなら、完成したものはこの世のどんなドレスよりも美しく、特別な一着になると知っていた。
変わらず行う公務の間に院を訪れ、子供たちの遊びに付き合ったり式についての打ち合わせをする。
そうして夜は2人の寝室に帰って、国についての会話に交じえて彼の今までの話を聞いた。
愛されず愛さなかった親と兄、長く関わっていたがついに情を抱けなかった腹違いの兄である第2王子。早々に国に見切りをつけて婚姻によって国外に出た姉や、従者一人連れて、名も地位も全て捨てて国を離れた弟もいたこと。
「国を捨てた連中を羨ましいと思ったことはないが、俺もそうすべきかと考えたことはある。わざわざ追われる身分になる必要もなかったし、国の外に出たとてしたいこともないゆえに、選ばなかったが。……選ばなくて良かったと、心から思うよ。そうでなければ、今ここにいたのは、俺じゃなかったかもしれない」
考えただけで嫉妬に狂いそうだ、と指先を絡めながらつぶやく言葉を、ライワールトを訪れる前だったら冗談だと聞き流していただろう。
かつて血のようだと考えた赤い瞳を、今はただ彼の色と思う。
式という予定が一つ増えただけで、ともにとる食事にも、夜淹れるハーブティーも、公務も変わるところはない。けれど式の日まであと何週間、と数えるようになったのは、きっと私もその日を楽しみと感じていたからなのだろう。
そうして、その日。
「さあネレイス、瞳を閉じて。……ええと、次に使うのはこれでいいのよね?大丈夫よ、ちゃんと予習してきたから……」
編み込まれた髪に花の飾り、白い布に銀糸で、思い思いに刺繍をしてくれた、真っ白なドレス。
遠目からはただのとびきり美しいウェディングドレスだけれど、ここは星、ここは花、と、白地をキャンパスのように使って刺繍した、世界に1着しかしかないものだ。
腕を通す前に椅子に座って、頬に柔らかな感触。レベッカは恐々とした手つきで、白粉を叩いてくれる。
「……今更だけど、本当に私がメイク係で大丈夫?もしあなたを変な顔にしちゃったら……。なんですって、なんて顔がいいの?!これなら私が多少変にしたって大丈夫ね!」
笑っているのか、焦っているのか。おどけた声ではしゃぎながら、レベッカは私の化粧を施してくれる。
最初はちゃんとした侍女か化粧師にやって貰えばいい、と言われたけれど、どうしても、彼女に施してほしかった。かつて何度も髪を編んで花を飾ってもらった、この親友に。
「ふふ。いつかあなたにいい人が出来て、結婚式を挙げるときは、私にこうやって化粧をさせてくださいね」
「え?もちろんいいけれど……相手なんていないわよ?」
「本当ですか?この間騎士の一人に、城下街に出かけないか、誘われたと聞きましたが」
「ど、どこでそれを……!あの悪ガキたちね!?」
もう、と頬を膨らませるけれど、その耳はほんの少し、赤く染まっていた。
ドレスに着替えて、本当にきれいと言葉をもらって。さあ行きましょう、と2人で扉の前に立ったとき、彼女の目を見て、唇を動かす。
「……ねえ、レベッカ。貴方も、シスターもあの子たちも、これから、大きく変わっていくんでしょうね。私はあなたたちの家を変え、出会う人を変えてしまった。運命すらも」
濃いグレーの瞳が、一度瞬いた。言葉を続ける。
「だから、いつか必ずあなたたちに、あの家を返します。貴女たちが帰りたいと望んだ時に、いつでもなににも邪魔されず、必ず帰れるようにします。だから少しだけ、待っていてもらえませんか」
選択肢を用意する。彼らがこの国を愛してくれたなら、とても嬉しく思う。
けれどレベッカが兵士をつけずにあの院に戻れる、ミハイルとジャックが、なにに妨げられることもなく、お互いの国を訪れることが出来る、そんな日を、必ず迎えてみせる。
私の、全てを賭けて。
ふ、とレベッカは笑った。
「大丈夫よ。だから焦らないで。……あなたが引き取られてからずっと、どうしてるかなって思っていたの。しっかりしているように見えて寂しがりだから、知らない場所で泣いてないかなって。どうにかして王城に潜り込めないかしらって考えたこともあったのよ?洗濯係でも芋の皮むきでも、なんでも出来るし。でもいま私たち、1人じゃないもの。何があっても、必ず幸せになれるわ」
ほら、あの人にも、その姿を見せてあげて。
レベッカは私の髪に、最後に飾りを付ける。目が覚めるような青紫の宝石のついたそれに目を細めて、完璧ねと呟いた。
「ありがとうございます。……約束。忘れないでくださいね」
「もちろん。私たち、約束を破ったことはないでしょう?」
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「素敵ね、ネレイス。とっても綺麗」
「ありがとうございます、シスター。あなたも、本当に素敵です」
「本当?派手すぎないか心配なんだけれど」
慣れないから肩が凝っちゃうわ、とシスターは薄い青色のドレスで肩をすくめた。そうして、行きましょうか、と微笑む。
礼拝堂までの短い廊下を、ゆっくりと歩いた。
「シスター」
「どうしたの?」
「私に、あなたのために、出来ることはありますか?」
かつての問いを繰り返す。家族だった人。一度もそう呼んだことはないけれど、母のようだと思うのは、顔を見たことの無い実母への裏切りだろうか。
この人の為に、彼女のくれたもののために、なんでもしたかった。その気持ちは今も変わらない。けれど。
顎に人差し指を当てて、彼女は首をかしげる。
「そうねえ。……やりたいことはいろいろあるのよ?兵士の人から聞いたけれど、今この国は孤児院を増やしたり貧しい人を助けたり、そういうことをし始めているんでしょう。手伝いたい、とは思うわ。私たちばかりが貰ってばっかりじゃ悪いもの。あなたの旦那さんとかに相談して、今の家でももっと子供を受け入れるとか、そういうのが出来たらとっても素敵だと思う。でも、あなたに望むのは一つだけよ―――幸せになってね、ネレイス」
暖かい手が頬に触れる。すべてを知っていて、そのうえで許されているとでもいうように。
ゆっくりと、息を吐いた。
貴女たちと出会えた人生に、不幸など一度もなかった。
母ではない。
けれどたしかに、かみさまだった人。
シスター、と呟く。
「私は、譲れないものがあったんです。それさえあれば、後は何もかもどうでもいいと思えるほど、大事なものが。彼は―――クヴァルは、そんな私を知ってなお、私がいいと、この日と場所を用意してくれたんです。だから」
この人たち以外にそんな感情を抱くなんて、かつての自分は決して信じないだろうけれど。きっともう、私は、クヴァルが好きだ。
知っているわ、とシスターは穏やかに笑った。
「彼にもその顔を見せてあげたいわね。だからほら、行きなさい。あなたの旦那様がお待ちかねよ」
扉が開く。
決して広くはない礼拝堂に、花が降る。
極彩色の向こう側、白い正装の美しい男が立っている。
ネレイス、と形のいい唇が動いた。
この人は案外白も似あうのだな、と、少しだけおかしかった。




