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月来香  作者: 金平糖
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春、再来

夏が過ぎて、秋の空。

 

白衣のポケットに手を突っ込んで、開け放たれた窓から高く遠い空を見る。

夏よりも少し色の褪せた青と風。


小さい頃よくこの病院に来てた。

昔とは随分雰囲気が違うけど。

3階の小さめの個室。


その部屋の前に立つ度に色んな事を思い出す。

後悔も、懐かしさも、自分に対する苛立ちも。


あの頃、僕はまだ幼くて。


ずっと隣に住んでた優しいお姉ちゃん。

大好きだった。

いつも付いて回って、学校から帰ってくるのを毎日門の外で待っていた。

病気がちだったその人は年の3分の1はおうちに居なかったけど、その分病院に会いに行った。


どんな仲のいい同級生より一緒に居たかった。


“大人のやさしさ”


そう言えば聞こえはいいけど、結局何もわからないまま年月が経って。

僕はその病院に務めるようになった。


今思えば、あの日、様子がおかしかった。


熱のせいで息の荒いその人のベッド横に座って、汗ばんだ左手を両手で握る。

暑そうなのに、熱いのに、指先だけは冷えきっていた。


「楓ちゃん…」


小さい声で聞こえないように呼んだつもりだったけど、薄く開いた瞼から大きな瞳がこちらを見て。


「おかえり」

 

掠れた声で、苦しそうに。

なのに、いつもの笑顔を向けてくれる。

どんなに辛くても、そう。

何も出来ない自分が嫌で、涙が溢れて視界を揺らす。



「楓ちゃんっ」



「どーしたの、おいで」


重そうに腕をこちらに伸ばして僕を抱き締める。


「大丈夫…?」

「大丈夫大丈夫。…昨日より良くなったよ」

「ほんと?」

「ほんとほんと」


その言葉を1ミリも疑わなかった。

いつもみたいに熱が下がったら隣の家に帰ってくると思ってた。


だから僕は背中を規則的に叩く手に呑気に安心して、目を閉じた。


「桜詩、看護師さんに用事あるの忘れてた、代わりに呼んできてもらえる?」

「わかった!」

「ここ出たらずーっと右に行って、廊下に沿って進むんだよ。走らないで、ゆっくりね」


頼られたことが、役に立てることが嬉しくて部屋を飛び出す。

言われたとおり右に進んで、思わず速くなる足を何度もゆっくりに戻しながら。

なかなかナースステーションに着かないのも、コールを使わないのも不思議に思わずに

“この病院は広いから大変だなあ”なんて。

ほんと、ばかだ。


少しでも一緒にいれば良かったのに。

離れちゃいけなかった。

その後やっと辿り着いたナースステーションはいつもより人が少なくて、慌ただしそうに看護師さんたちが走り回っていた。


「ねえ、楓ちゃんが呼んでたよ」


よく話し掛けてくれる看護師さんを見つけて声を掛ける。

 

「あ、わかった、担当の人に伝えるね」

「ありがとうございまーす」


そのまま来た道を引き返そうとすると、呼び止められて。


「あっ桜詩くん、今楓ちゃん回診来てるからここで少し一緒に待ってよっか」

「んー、わかったあ」

「っていうか桜詩くん、もう帰らないとでしょ?伝えとくから、暗くなる前に帰らないと」


門限は18時。

思ったよりも時間が迫っていた。


門限破って明日から来られなくなったら嫌だし、渋々従うことにした。


次の日も荷物を置いて、すぐ病院に行った。

それなのに、いつもの病室に楓ちゃんの名札が無くて。


「ね、楓ちゃんは?」

「え、あー……」


気まずそうに言葉を濁す看護師さんにやな予感がした。

病室の扉を勢いよく開けると昨日まで楓ちゃんがいたはずのベッドはもぬけの殻。

枕元のチェストに置いてあったふたりの写真も、楓ちゃんの好きだった花を生けた薄紫のガラスの花瓶も。

楓ちゃんのやさしい匂いまで全部。

何もかも、無くなっていた。

代わりに残ったのは真っ白な無機質な空間と、エタノールの寂しい匂い。


「ごめんね桜詩(おうし)くん、楓ちゃん転院することになって…」

「なんで…?」

「お引っ越し、するんだって。」

「引っ越し…?」


聞いてない、そんなの。

病院を飛び出して、楓ちゃんの家まで夢中で走る。

隣の家。

ずっと隣で、これからも隣にいてくれると思ってたのに。


「…なに、これ…」


息を切らせて見上げた楓ちゃんの家も空っぽになっていた。

外されて凹んだ表札。

2階の楓ちゃんの部屋のカーテン。

庭に植わってた、あの花すら。


全部が最初からなかったみたいに。

誰に聞いても転院先は教えてくれないし、お母さんもなにも教えてくれない。

それどころか「病院行きすぎだったから」なんて、ちょっとほっとしたような声で。


自分の生活から楓ちゃんが居なくなるのが信じられなかった。

それからは楓ちゃんだけのための笑顔も、必要なくなった。

ただ24時間を繋げていくだけの毎日。

 

“医者になればいつか会えるかもしれない”


そんな根拠も筋も通らない理由で医学部に入って、医者になった。

意外にも向いてたのか、苦労することなく卒業してあっという間に研修期間も過ぎていった。

気付いたら一緒に入ったはずの同期が半分以下に減っていたけど、僕にはどうでもいいこと。

未だに捨てられない感情が時々僕を暗闇に突き落とした。

 

転院なんて、してなかったんじゃないか

そんなことを何度も考えた。

でもそれを確かめることは出来ない。

もう会えないかもしれないことを何度も頭に浮かべては追い出した。

胸ポケットで鳴ったピッチを取って、その部屋に背をむける。


「…はい」

「先生、伝言です。明日朝から新患入るのでシフト繰り上げてください」

「え、担当僕でしたっけ?」

「教授が学会に出ることになったので変わってほしいそうです」

「んー、わかった、ありがとう」

「お疲れ様です」



仕方ないから医局に戻って白衣を脱いで病院を後にする。

大嫌いな独りの時間が始まった。




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