Case29813:エンゼルプラン公表時の会話
応援:蒼風雨静(3話~) 作;碧銀魚
1994年12月24日
『政府が先日発表した「エンゼルプラン」ですが、その内容や実施方針には、様々な意見が寄せられています。
現在、日本では急速に少子化が進んでおり、平成5年の出生数は約118万人となっています。これは、最も出生数が多かった昭和22年268万人の半分以下であり、合計特殊出生率も1.46と史上最低を更新しています。
このまま少子化が進めば、子供同士が触れ合うことができる健全な成育環境が失われ、年金などの社会保障費の現役世代への負担増、若年労働力の現象による社会活動の衰退など、様々な悪影響が考えられるとされています。
そこで、村山富市総理大臣の元、与謝野文部大臣、井出厚生大臣、浜本労働大臣、野坂建設大臣の合意により、この「子育て支援のための総合計画」通称「エンゼルプラン」が策定されることとなりました。
この計画では、家庭の問題とされがちな子育ての諸問題に、国や地方自治体は元より、企業、職場や地域社会が一体となって取り組み、子育て支援社会の構築を目指すとされています。
政府は―』
古色蒼然とした大きな日本家屋の一室で、部屋には不似合いな大きなブラウン管テレビからニュースが流れている。
そのニュースを一人の青年が眺めていた。
家屋宜しく、蒼の着流しを来た黒髪長身の優男で、ひょろっとした体躯は、冬の広葉樹を思わせる。
「事実は小説より奇なり、だねぇ。」
青年は画面を見て、ニヤっと笑った。
「お兄ちゃん、面白い番組やってた?」
そこへ、一人の少女がやってきた。
年の頃は小学校高学年くらいで、青年とは違い、ANGEL BLUEのトレーナーとスカートという洋服姿だ。手首には今流行のミサンガをつけており、愛嬌のある顔立ちで、背中まである黒髪をポニーテールにしてまとめている。
「ああ、司。」
青年は少女を見て言った。
司と呼ばれた少女は、テレビに目を遣ると、途端に詰まらなさそうな顔になった。
「なーんだ、ニュースじゃん。全然面白くなーい。」
お兄ちゃんと呼ばれた青年は、その様子を微笑ましく見ている。
「そりゃあ、司は面白くないだろうな。でも、僕にはこの退屈なニュースが、途轍もなく面白く見えたんだ。」
お兄ちゃんがそう言うと、司は不思議そうな顔をしながら、横に座った。
「何がそんなに面白いの?」
お兄ちゃんは、司を一瞥すると、テレビの画面の方に顔を向けた。
「今ニュースでやってる、“エンゼルプラン”って、何かわかる?」
「何となく……」
司の年齢の少女には、確かに小難しい話だ。
「簡単に言うと、最近子供の数が減ってきているから、政府のお偉い人達で、子育てを支援する計画を立てました、という話だね。」
「その計画が、エンゼルプランっていうの?」
司は可愛らしく小首を傾げた。
「そういうこと。」
「でも、何で子供の数が減ってるの?」
この質問が出てくる辺り、司は話を理解しているようだ。
「今から40年以上前に、子供が物凄くたくさん産まれた時期があったんだ。第一次ベビーブームっていうんだけどね。1947年から1949年の3年間だったかな。その時に、これ以上子供がこれ以上増えるとまずいということで、当時の政府は子供が産まれにくくなる政策をとったんだ。」
「子供が産まれにくくなる政策?」
お兄ちゃんは頷いた。
「ああ。それまで中絶、避妊、不妊処置は法律で禁じられていて、犯せば堕胎罪という罪に問われたんだ。だが、それでは子供の数が増えすぎるから、これらを全てOKにしたんだ。それで1950年以降、急激に出生数は減ることとなった。」
「でも、何で子供がたくさん産まれたら、まずいの?」
司は首を傾げた。
「一番は食料問題かな。当時の日本は第二次世界大戦で敗戦した直後だったから、経済は無茶苦茶だし、食料は圧倒的に不足してたんだよ。ただでさえ、そんな状態なのに、子供の数が一気に増えたら、大量の餓死者を出しかねない。そうなると、遺体の処理や墓地の不足、その他法的な諸問題や事務作業などが大量に発生し、経済的に悪影響が生じるだけでなく、治安が悪化し、国そのものが大混乱になりかねない。だったら、中絶や避妊を合法化することで、初めから産まれないようにしたほうが、遥かに安全だし、合理的だ。」
「そっかー。同級生がたくさんいたら、楽しいかなーって思ったけど、そうはいかないんだね。」
「そういうこと。その後、47年~49年生まれの世代が大人になり、子供を産んだことで、もう一度子供の数は増えたものの、それ以外は一貫して子供は減り続けていて、ちょっとやばいな、ってなったから、このエンゼルプランというのが、発表されたんだ。」
「え?予定通り子供が減ったから、よかったんじゃないの?」
司は首を傾げた。
「まぁ、思ったより減り過ぎたんだよ。少子化っていうんだけどね。今はもう飽食の時代だし、高度経済成長と科学技術の進歩により、人々の生活も安定した。だから、子供が増えても大丈夫な時代になったんだけど、そうなったらなぜか子供の現象に拍車がかかったんだよ。うまくいかないねぇ。」
お兄ちゃんはニヤっと笑った。
「どうして、今度は減り過ぎてるの?」
「理由はいくつかあると言われている。まず、結婚する人が減ってきてること。数年前まで、日本の結婚率って95パーセントくらいだったんだけど、今は90パーセントを切ってるらしい。10年もしたら、80パーセント近くまで落ちるんじゃないかな。」
「そっかー、結婚しないと子供は産めないもんね。」
「海外では、結婚しなくても子供を作るのは普通なんだけどね。でも、日本のこの文化は今後50年は変わらないんじゃないかぁ。」
「へぇ~……他には?」
「後は、娯楽が増えたことかな。さっきのベビーブームの頃は、今みたいに娯楽は多くなかったんだ。司にはまだ早い話だから、詳しくは話さないけど……子作りって、人間にとっては大きな娯楽だったんだよ。」
「子作りが娯楽……?」
「まぁ、そういうことだと思っておいて。でも、今は遊ぶものがたくさんあるでしょ?子供がたくさん生まれてた頃は、その殆どがなかったんだよ。」
「漫画はなかったの?」
「風刺漫画とかはあったけど、少なくとも“ちゃお”も“りぼん”も“なかよし”もなかったよ。」
「テトリスとかファミコンは?」
「どっちも出たのはつい最近だよ。」
「アニメは?」
「それもなかった。それどころか、テレビ放送自体が、まだ日本ではなかったね。」
「テレビがなかったの!?」
司が素っ頓狂な声を上げた。
「そう。だから、子作りくらいしか、娯楽がなかったんだ。」
「あたし、多分、生きていけない……」
司はやけに深刻な表情で言った。
「ははは。あとは、女性の社会進出が急激に進んだから、というのもある。」
「社会、しんしゅつ?」
「昔は女性は殆ど働いていなかったんだ。年頃になったら結婚して、子供を産んで専業主婦をしてというのが普通だったからね。でも、数年前に男女雇用機会均等法っていう法律ができて、男女で仕事の差異をつけることは、一応禁止された。それできちんと大学に行って、就職する女性が増えて、それで結婚しない人も増えてきたし、結婚しても子供を産まない人も増えてきてるんだ。」
「どうして、仕事をするようになったら、結婚とか子供が減るの?」
「子供を産むとなったら、しばらく仕事を休まなきゃならなくなるだろ?そうしたら、その間、誰が代わりをするのかが、問題になる。」
「代わりの人を雇ったら?」
「そうしたら、その女性が職場復帰したら、代わりに雇った人はどうする?クビにする?」
「ああ、そっか。それは、その代わりの人が困っちゃうよね。」
「だったら、女性には結婚を機に仕事を辞めてもらったほうが、会社としてはありがたいんだ。それで寿退社という文化があったんだ。でも、それが今は急速に廃れてきている。」
「女の人がお仕事を優先するなら、子供を産まないほうがいいんだ。」
「そこまでは言わないけど、子供が産む間のキャリアの断絶への対策を、企業が見いだせてないのは、事実だね。でも、これは構造的な問題だから……これまた、向こう50年は解決しないんじゃないかな。」
「へぇ~」
「ついでに言うと、女性が仕事をするようになれば、男性の収入に頼らなくても、生活していかれる。昔は結婚出来なかったら、女性は親に頼るしかなくて、その親が死んだら、終わりだったからね。」
「そう考えると、怖いね。」
「そういう意味では、今のほうが健全なのかもしれないけどね。」
「そうなんだ~……そんなにたくさん原因があるなんて、難しいね。」
「……というのが、表向きの話だ。」
お兄ちゃんは皮肉っぽく笑った。
「表向き?」
司はえっと驚いた。
「断言するけど、向こう50年はまともな少子化対策が打たれることはない。」
珍しく、お兄ちゃんが言い切った。
「偉い人達は、少子化対策をしないの?」
「ああ。そもそも、今回のエンゼルプラン自体が、明らかにおかしい。そこから推察するに、政府は……もしくは、その中枢にいる何かは、少子化対策をまともにやるつもりはないと思う。」
「おかしいって、どこが?」
「発表された対策が、子育て支援のみだったところ。そもそも、若者の結婚を増やすとか、子供を産ませる機会を増やすとかしないと、子育て支援なんて意味がないんだよ。つまり、これはあくまで、少子化対策論を言ってる有力者へのパフォーマンスで、本気で少子化対策をする気はない。それどころか、日本の人口をこれからも減少させたいんじゃないかな。」
「どういうこと?」
司の額に、わずかに汗が伝った。
「来年で戦後50年になるけど、この半世紀の間、政府はこの1億人を超えた人口をきちんと食わせ続けることに苦心し続けていたんだ。本来、日本の人口キャパシティは、せいぜい6000万人から7000万人程度と言われているが、戦後の人口爆発で1億2000万人を超えてしまった。だから、それだけの数の国民が飢えないよう、政府は必死に様々な対策を打ってきたんだ。」
「例えば?」
「さっきも言ったけど、一番は食料問題かな。国内の農業や酪農や漁業などでは、とてもじゃないが、この人口の食い扶持にならない。だから、食料自給率が下がるのを覚悟の上で、大量に食料を海外から輸入することになった。」
「うんうん。」
「それから、住居問題。これは上手くクリアできず、様々な公害問題を引き起こしてしまった。これらの解決に、政府はここ30年ほど、ずっと追われている。」
「うんうん。」
「あとは、膨れ上がった経済かな。これはもう言うまでもないけど、人口が大きく増えたことで、日本は半強制的に経済大国になった。で、最近膨れ上がり過ぎて、はじけたよね。政府は何とかコントロールしようとしてたみたいだけど、結局バブル崩壊は避けられなかった。多分、このまま不景気は30年以上続くんじゃないかな。」
「うんうん。」
「細かいことを挙げていったら、まだまだあるけど、大きなところではそんなところかな。」
「そっかー。偉い人達って、ただ汚い金を集めてるだけじゃなかったんだー。」
司の暴言に、お兄ちゃんは苦笑いした。
「みんながみんなじゃない、とだけ言っておこうか。」
「はーい。」
「とにかく、そういう状態でずっと50年もきてるんだから、政府は適正な人口になるまで、子供が少ない状態にしておきたいのは、当たり前なんだよ。ましてや、現状少子化になっているとはいえ、人口自体は増え続けている。多分、人口が減少に転じるには、まだ10年はかかると思うから、この状況で本気で少子化対策は打たないだろう。」
「でも、それだけだと、また何かの拍子に子供が増えちゃうかもしれないね。だって、2回目のベビーブームの時に産まれた人達って、あと10年くらいで結婚するでしょ?その時に、子供が増えちゃうんじゃないかな~?」
司が無邪気に尋ねると、不意にお兄ちゃんが黙った。
そして、ゆっくりと司の顔を見詰めた。
「だから、景気を悪化させたまま、アニメやゲーム、漫画文化が急激に盛り上げるように仕向けたんだろう。」
そしてニヤリと笑う。
その迫力に、司の表情は凍り付き、額に冷汗が滲んだ。
「ど、どういう、こと?」
お兄ちゃんは画面に目を戻す。
「漫画は手塚治虫が出てきた戦後まもなくから、アニメは1960年代から出始めていたが、あくまで子供が見る為のものとして作られていた。だが、少子化対策論が出始めた1980年代から、急に大人も楽しめるものが出始めた。」
「そ、そうなの?」
「アニメで言えば、1984年公開『風の谷のナウシカ』。漫画で言えば、同じく1984年連載開始の『ドラゴンボール』。そしてファミコンの発売が1983年。すごく似たような時期だと思わないかい?」
「う、うん。」
「そして、このアニメ、漫画、ゲームはいずれも親和性が高く、10年経った今となっては、一つの大きなサブカルチャー文化になりつつある。中森明夫っていう人が、こういうものに熱狂する大人を“おたく”って名付けたらしいけど、この“おたく文化”こそ、日本の人口抑制とその後の日本を再構成する為の切り札なんじゃないかと、僕は思ってるんだ。」
「切り札……」
「僕の浅はかな知識で推察するなら……この“おたく文化”は恐らく、子作りに代わる娯楽になり得るように、何者かに形作られているんだと思う。」
「……」
「ある程度、性的な部分も満たせつつ、楽しい世界に没頭できる。それでいて、人間のコレクション癖も刺激するから、とにかくお金がかかり、交際や結婚に割く費用がなくなる。おまけに、基本的に消費活動は自己完結で終わるから、特に異性との交流になりづらい。いやぁ、よく出来ている。」
「……」
「一つ課題があるとすれば、本やグッズを買うのに、いちいち外に出なければならないことかな。物理的に外に出ると、いくら“おたく文化”に染まっていても、何らかの出会いが生まれてしまう危険性がある。それを極力減らす為に、もう一押し、何か来るだろうけど……多分、インターネットとかいうものが、それを減らす一手になるんだろうな。来年あたりに、一般家庭にそれが普及する何かが、複数出てくるんじゃないかな。」
「……」
「こうして、新たなインフラが登場すれば、そこにかかる費用が恒常的にかかることになるが、恐らく政府は経済対策もそれほど真剣にはやらないだろう。そうすれば、家系は逼迫し、結婚や子育てに回すお金がなくなり、ますます少子化は進むだろう。」
「……」
「この“おたく文化”に、第二次ベビーブーム世代以降の若者をどっぷり浸からせ、尚且つ経済対策をまともに打たないことで、10年後の第三次ベビーブームを防ぐ算段なんだろうなぁ。」
「そ、そんなこと、あり得るの?」
司の表情が、若干引き攣っている。
「そう考えると、辻褄が合うっていう話だよ。しかも、この“おたく文化”はそのまま、人口減少後のアフターフォローにも使われるんじゃないかな。」
お兄ちゃんは笑ったままだ。
「アフター、フォロー……?」
「このまま少子化傾向を続ければ、第一次ベビーブームで生まれた世代が亡くなる40から50年後、日本の人口はようやく1億人を割るだろう。だが、それは経済の停滞と縮小を確実に招く。元々日本は国土が狭く、資源もない国だ。機械工業が戦後発達はしたが、それも海外にお株を奪われるのは時間の問題。となると、少人口でも、国力をアップさせる新たな産業が必要だ。」
「それが、“おたく文化”なの……?」
「そう。現状でも、日本の伝統文化って、海外に人気があるんだよ。でも、それ一本でいくのは厳しい。そこで、“おたく文化”を新たな経済の柱にし、海外に輸出できるレベルまで育て上げる。そうなれば、50年後の日本は、少人口でもとんでもない文化強国になれる。」
「でも、“おたく”の人達って、幼稚な大人って、世間では言われてるよ。そんなにうまく行くかな……?」
司はどこか慌ててそう言ったが、お兄ちゃんはまだ、笑ったままだ。
「だから、来年あたりに何かまた、日本文化そのものに影響を与えるような作品が出てくるんじゃないかな。」
「……どういうこと?」
司は固唾を飲んだ。
「さっき言ったインターネットを普及させるには、それを欲する動機づけが必要になる。それを促進するには、みんなで共有したくなるような、どでかい作品の登場が手っ取り早い。そうだな……ジャンルはアニメがいいかな。ガンダムの例があるから、ロボットもので、今の若者が共感できる主人公が出てきて、それでいて難解で考察の余地があるような作品……辺りが適当かな。」
「……」
司は何も言わない。
「いやぁ、本当に上手いこと考えられている。こういう奴がいるから、この世の中は面白いよね。たまに、こちらの予想を大きく上回ることを起こしてくれる。おかげで、永く生きていても、退屈しない。」
お兄ちゃんは、実に愉快そうに言った。
「……そうだね。」
司は、若干無理のある笑顔で、答えた。
その時だった。
廊下に置いてある、トーンダイヤル式電話が鳴った。
「あっ、友達から電話だ。お兄ちゃん、ごめんね。」
「ああ、いってらっしゃい。」
司はバタバタと部屋から出て行った。
司は廊下に出ると、すぐさま受話器を手に取った。
「司令から緊急通知。被検体3861に、人口調整とサブカル介入について勘付かれた。」
司の顔には、はっきりとした焦りが滲んでいた。
「取り敢えず、来年のウィンドウズ(仮)及びヤフー(仮)計画、エヴァ(仮)の企画は延期できない。だが、それ以降はサブカル介入を一旦押さえ、日本人の“おたく化”計画の進行速度を若干遅らせる。以上だ。」
司は端的に伝達すると、受話器を置いた。
そして、自室に戻ると、偽装の為に置いた、可愛らしいクマさん柄の椅子に腰を下ろす。
「近衛のおっさん、“産めよ殖やせよ”とか、いい加減にしろよな……」
司は溜息をついた。
そして、手首につけていたミサンガを、ベッドに放り投げた。
今回もお読み頂き、ありがとうございます。
前回まで、碧が一人で何となく書いていましたが、
思ったより好評だったので、正式に物語としての体を整え、連載していくこととなりました。
そこで、今回から蒼風に応援要請をし、
1・2話に若干の修正を加えました。
もし、少しでも面白いと思ってもらえたら、
評価やブクマをして頂けると、嬉しいです。