第9話 小柄な体とピンクのシャーペン
2人の関係に変化があったのは、高校2年生の時だ。
体育の授業終わりに、築島亮太と廊下を歩いていた。
「次の世界史、絶対寝る自信あるわ〜」
「世界史は寝る授業だから」
「それな。体育の後に世界史組んだ奴、マジ天才だわー」
「寝るなって方がおかしいよな」
――タッタッタッタ……。
曲がり角に差しかかると、足音が近づいてくる。
大声で話していたせいか気づかなかった。
――ドン。
気づいた時にはもう遅かった。
小柄な体が胸板にぶつかって来て、大洋はよろめく。
「ごめんなさい」ぶつかってきた相手と目が合う。
ショートヘアーの可愛らしい女の子。
これが梅崎だった。
久しぶりに近くで見た彼女は、目が離せなかった。
彼女は謝ると、走り去っていった。
「ったく。廊下は走るなよ」大洋は呟く。
「――?」その場には、ピンクのシャーペンが落ちていた。
おそらく、さっきぶつかった拍子に梅崎が落としたのだろう。
叫ぼうと思ったが、梅崎の姿は疾うに見えなくなっていた。
「おーい、行こうぜ」先に歩き出していた亮太が、後ろを振り向きながら声を掛けた。
「おう」梅崎のシャーペンをポケットに入れ、亮太の後を追いかける。
「あいつって2組だったよな」亮太に確認する。
「確かそうだったと思うけど」
「よし!」
「よく覚えてるな」
「可愛い子のことは忘れねーよ」廊下に2人の笑い声が響く。
大洋は放課後、2組の教室に行く。
まだホームルームは終わっていなかった。
教室の中を探すと、窓際の一番後ろの席に座っていた。
「気をつけ、礼。さようなら」教室の戸が開くと、大洋は手を振りながら、叫ぶ。
「梅崎さーん!」まだ中にいた2組の生徒たちは振り返り、注目の的となった。
「あ、やべ」ただシャーペンを渡すだけなのに、変な仲を疑われそうだ。
梅崎は恥ずかしそうに駆け足でこっちに向かってくる。
「何?」
「これ!」大洋はポケットからシャーペンを取り出した。
「あ! それ、私の! やっぱりあの時、落としたのか」
「そう! だからわざわざ届けにやってきたってわけだ」
「どうも、ありがとう」梅崎はシャーペンを受け取る。
「このあと、時間ある? 良かったら……」
「ごめん、予定あるから」梅崎は大洋の声を遮るように被せて答えた。
早足で逃げるように、廊下を歩いていく。
「そっか……」大洋には衝撃的で、その場からすぐに動けなかった。
今まで、誘いを断られたことは無かったからだ。
彼女ことが気になりだしたのは、それからだった。
子供の頃から、欲しいものは何でも手に入ってきた。
自分の物にならないと思うと、ますます彼女のことばかり考えるようになった。
高校3年生になり、2人は同じクラスになった。
それを知った時、心の中でガッツポーズをした。
絶対、自分の物にしてやろうと奮起した。
次の日、大洋は梅崎を体育館裏に呼び出した。
「好きです、俺と付き合ってください」梅崎の冷たい目を見つめて、告白した。
緊張感が走る。
梅崎は少し沈黙して返事する。
「ごめん、無理」梅崎は拒絶した。
大洋は、キュッと締め付けられた喉から言葉を捻り出す。
「どうして?」
「よく知らない人とは付き合えないから」訳を聞くと、まだチャンスがある気がした。
大洋は歯を見せて笑う。
「じゃあ、友達からだったらいいの?」
「ごめん。興味無いから」梅崎は言葉を残して、1人でその場を離れる。
去っていく足音がスタスタと軽く、後悔は感じられなかった。
首の皮一枚繋がってたと思ったら、突風が吹き、千切れたようだった。
「嘘だろ……なんで……」大洋はガックリと項垂れる。
興味が無いと言われたのが辛かった。
まだ嫌いだと言われる方がよかった。
――遠くから人の話し声が聞こえる。
大洋は頬を叩き、静かに体育館裏から離れた。
「おーい、サニー。どこ行ってたんだよ」すれ違う人々にフラれた男だと悟られないように歩いていると、亮太が走ってやってきた。
「あー、わりぃわりぃ」
「まったく、早く行こうぜ」
「行くって、どこに?」
「は? 美優と芽衣と一緒にカラオケに行くって約束したじゃねーかよ」
「あーそうだったっけ」そんな約束した覚えはなかった。
行くとも言っていないのに、亮太が清水大洋という名前を使って、勝手に約束しているのだろう。
この頃、そういうことが増えていた。
――一人じゃ約束することすらままならないくせに。
大洋は腹が立った。
「ごめん、今日は行かない」大洋がそう言うと、亮太は明らかに不満気だった。
大洋が欲しかったのは優しい言葉だ。
薄っぺらい付き合いなんていらなかった。
「ごめん」大洋は謝って校門を出た。
背後から微かに舌打ちが聞こえて、後ろを振り返る。
しかし、もうそこには亮太の姿はなかった。あいつはそうゆうやつだ。
フラれたことを相談できるような友達はいない。
どいつもこいつも、名前と金に群がってくるような奴らばかりだ。
嫌気がさす。
誰も知らない世界に行きたい。日常を忘れられる世界に。