第7話 魅惑の先輩
「じゃあ、そろそろ帰ろっか」菜々子先輩が言うと二人は居酒屋を出た。
駅までの道のりを並んで歩く。
20時頃で外は暗く、まだそんなに遅い時間じゃないのに人通りも少なかった。
知っているようで、知らない街。心寂しく感じる。
「ねぇ、手繋いでもいい?」彼女もそう思ったのかもしれない。
「え? 手ですか?」戸惑いながらも返事をする。
はいと言うと、彼女は抱きつくように腕を絡ませ、手を握ってきた。
腕には先輩の身体が密着して柔らかい感触が当たる。
大洋はびっくりして立ち止まり、彼女のことを見た。
菜々子先輩は上目遣いで見上げていた。
その表情は艶っぽい大人の女性のものだった。
心臓がバクバクする。
好きかもしれない。
初めて大洋は思った。
「清水君って、彼女いるの?」彼女は尋ねる。
「いないですけど……」
「ふーん、そっか」菜々子先輩は返事すると、絡まる腕の力がより強くなった気がした。
「浦原先輩は?」
「うーん、秘密」悪戯っぽく微笑む。その笑顔は反則だ。
「え、それって彼氏がいるってことですよね?」
「さあー、どうでしょう」菜々子先輩はおどけた素振りではぐらかした。
「ずるいですよー、教えてくださいよ」大洋は彼女に合わせて軽い態度で返す。
「どうしようかな~」彼女は楽しそうにクスクスと笑った。
「じゃあ、今度デートしてくれたら教えてあげる」菜々子先輩の口から出た言葉に驚く。
「絶対ですよ」
「分かってる。そっちこそ破ったら許さないんだからね」
「はい、絶対に守ります」
「フフッ、楽しみにしてる」菜々子先輩と食事に行くことになった。
2人はちょうど駅に着く。
「清水くん、今日はありがとね」
「いえ、こちらこそ楽しかったです」
「結構飲んでたけど、大丈夫? 一人で帰れそう?」
「大丈夫です、浦原先輩こそ、気をつけてくださいね」
「うん、ありがとう。じゃあ、また明日ね」
「はい、失礼します」大洋は電車に乗り込み、自宅へと帰った。
あの日から彼女は少し丸くなった気がする。
それは、先輩の事が好きと気づいてしまったからか。
「来週末なんてどうかな?」
「いいですね」先輩からのメッセージに気持ちが高ぶり、ノリノリで返信する。
店は先輩が決めてくれて、予約までしてくれたらしい。
どこに連れて行ってくれるのだろうか。
楽しみだなと思いながら、仕事を頑張った。
当日になり、待ち合わせ場所へと向かう。
着いた時にはまだ菜々子先輩は来ていなかった。
スマホを見て時間を確認する。10分前、集合時間よりまだ早い。
気長に待つことにした。待つこと5分で先輩が現れる。
「こんばんは」
「お待たせ、待った?」
「全然平気ですよ」
「良かった。行きましょうか」菜々子先輩に案内されて店へと向かった。
到着した先はイタリアンレストランだった。
店内に入ると、店員が席へ誘導する。
テーブルにはキャンドルが置かれており、雰囲気が良い。
「ここはね、前に一度来たことがあるんだけど、凄く美味しいの」
「そうなんですね。楽しみだな」料理を食べ始める。
確かにどれもこれも絶品でとても満足した。
「先輩、あの約束……彼氏、いるんですか?」
「もう清水くんったら、せっかちなんだから」菜々子先輩はいつものように笑う。
「彼氏はね……いないよ」先輩の答えは大洋が求めているものだった。その言葉に思わず、心でガッツポーズをする。
「いないけど……好きな人ならいるかな」少しモジモジしながら、彼女は言った。
「へぇー好きな人ですか。もしかして……」大洋は冗談で自分の顔を指した。
すると、先輩は顔を赤らめながら小さく頷いた。
「え、本当に?俺!?」大洋は思わず大きな声で言った。
周りの客がこちらを向く。二人はすみませんと謝りながら縮こまる仕草を見せる。
「うん……清水くんが好き」先輩は上目遣いで小さく言った。
大洋の胸の鼓動が早くなる。
まさか告白されるだなんて、誰が予想できただろう。
「俺も先輩が好きです……」緊張しながら答えた。
「ありがとう」彼女はは嬉しそうに笑っていた。
告白が終わるタイミングを見計らっていたかのように店員はデザートを運んでくる。
もう少し余韻に浸っていたかった。
「わぁ、美味しそう」菜々子先輩は目を輝かせる。
デザートはチョコレートのムースだった。
それを食べると口の中が甘美な味わいへと変わる。
とても美味しかった。
「また来ようね」会計を終えて店を出ると、ブラブラと夜の街を歩く。
「ねえ、手繋いでもいい?」
「いいですよ」手を繋ぎながら、駅までそのまま歩いていく。
駅が見え始めると先輩は突然立ち止まり、この間のように腕にしがみついてきた。
「あの、先輩……当たってます」彼女の大きな胸が腕に押しつけられている。
その感触は柔らかかった。
「当ててるの……だめ?」先輩の表情は妖艶で誘っているとしか思えなかった。
もう我慢できず、腰に手を回してしまった。
彼女はトロンとした目で見つめてくる。
そのままゆっくりと菜々子を抱き寄せ、キスをした。
唇を離すと、照れくさそうに笑っていた。
このまま離れたくない。
一夜を共に過ごしたい。
大洋の気持ちとは裏腹に、菜々子先輩は密着していた身体を離す。
「また明日!」笑顔でそう言うと、彼女は改札へと消えていった。
目の前の餌をお預けされた犬のように大洋はその場に立ち尽くした。
どうしてなんだと。
これから、肌と肌を直接重ねるつもりだった。
彼女にもその気があったはずだ。
なぜ、こうなってしまったのか、分からなかった。
帰宅して自分の部屋に入ると、菜々子先輩を抱きしめた記憶が蘇る。
思い出すだけで興奮し、また抱きたい気持ちがどんどん高まってくる。
その想いは、自分で消化するしかなかった。