第6話 厳しい先輩の秘密
――おーい。清水! ちょっとこっちこい!
遠くから、上司の森尾課長から怒鳴られる。
嫌な予感しかしない。
大洋は、小走りで課長の元に向かう。
「お前、最近弛んでるじゃないのか?」
「いえ、そんなことは……」
「どうせ、彼女のことばかり考えて」
「違います!」
「違うなら、仕事に集中しろ!」森尾課長に書類を投げつけられる。
森尾課長に叱られると、社会人になりたての頃を思い出す。
大洋は、桜成大学を卒業後、総合商社に就職した。研修が終わると、菜々子の下で働くことになった。
あの頃は、怒られてばかりだった。
「おーい清水くん! 私の話ちゃんと聞いてる?」
「すみません、菜々子……先輩。ボーッとしてました」
「今、菜々子って呼んだ?」
「あ、すみません」思わず下の名前で呼んでしまったことを慌てて謝る。
菜々子先輩は美人でスタイルも良くて頭も良く、会社では一目置かれていた。
大洋も同じく尊敬していた。
しかし、彼女に対して一つだけ不満があった。
「あーあ、本当使えないなー」
「すみません」
「これが、桜大卒かー。聞いて呆れる」なぜか、大洋には厳しく当たってきた。
正直、気に食わなかった。
でも逆らえない。
「今日中にこれ終わらせてね」
「はい……」毎日仕事に追われ、厳しい菜々子先輩に扱かれていた。
「じゃ、よろしくね」そう言って菜々子は自分のデスクに戻った。
「普通にしてれば、可愛いのになあ」大洋はポツリと独り言が漏れる。
すると、隣の席の同僚の竹岡匠海が話しかけてきた。
「お前、よくあの人の下で働けるよな」
「え? なんでだよ?」
「だってさ、いつも怒られてんじゃん。俺だったら耐えられない」
「まあ、仕方ないよ。年上だしね」
「ふーん。俺には理解できねぇな」話していると後ろから気配を感じ、振り返ると、案の定菜々子先輩が鋭い目つきで睨め付けていた。
「すげー目つき」竹岡は思わず、そう口にした。
「は、早く仕事しようぜ。な」慌ててパソコンに向き直し、頼まれた仕事をセコセコと取り掛かった。
そして、定時の時間になると同僚の竹岡は帰宅し、他の社員たちもぞろぞろと帰り始めた。
「俺もそろそろ帰るか」仕事を済ませた大洋は、帰宅の準備をする。
ふと菜々子先輩の姿を確認した。
先輩は残業するようだ。
大洋は鞄を持った手が止まった。
「浦原先輩、手伝いますよ」大洋は、菜々子先輩の机に歩み寄る。
「清水くん、さっきの書類はもう済んだの?」
「はい、終わりました」そう言うと、菜々子先輩の表情が綻んだ。とても可愛らしい。先輩の珍しい笑顔に見惚れてしまう。
「じゃあ、これやっといてくれるかな?」
「……あ、はい」
「何、ぼーっとしてるの?」また、鋭い目つきで睨まれた。
「あ……すみません」大洋は書類を受け取ると自分のデスクに戻った。
そして、仕事に取り掛かる。パソコンの画面を見ながら、手を動かす。
「出来ました」1時間ほど残業すると、仕事は終わった。
「ありがとう、助かったよ」菜々子先輩に書類を渡すと、嬉しそうに受け取った。
その表情を見てほっとする。
「帰ろっか」
「はい」大洋は帰り支度を済ませ、会社を出た。
エレベーターの狭い空間に二人きりになる。
「ねぇ、これから暇?」菜々子先輩は、悪戯っぽい笑みを浮かべながら、聞いてきた。
「え?……暇ですけど」
「じゃあさ、飲みに行かない?」突然の誘いに驚く。
先輩と二人で食事に行くのは初めてである。
断る理由などないが、緊張する。
「い、いいですよ」大洋はドキドキしながら答えた。
菜々子は嬉しそうに微笑んだ。
「よしっ決まり! じゃあ駅前にある居酒屋でいい?」
「はい、構いません」大洋は緊張しながらも、笑顔になる。
エレベーターが一階に着くと菜々子先輩は先に降りて歩きだした。
後を追うようについていくと、すぐに居酒屋についた。
「ここだよ」着いた先は小洒落た感じのお店だった。
店内に入ると座敷席に案内された。向かい合わせに座る。
「清水くん、生でいいよね?」
「はい」菜々子先輩は手を挙げて、生二つ注文した。
店内は少し薄暗い感じで、静かな雰囲気だ。
「じゃあ、お疲れさま」グラスを合わせ乾杯すると一口飲む。
生ビールが喉を通る感じはたまらない。
仕事終わりの一杯は特に美味しい。
ゴクゴクと一気に飲み干すと喉が潤った感じがした。
「それにしても今日は何で誘ってくれたんですか?」
「さっき、厳しく言い過ぎたかなって思ってね」菜々子先輩は沈んだ低い声で呟いた。
「もしかして、気にしてくれてたんですか?」
「うーん、ちょっとだけ?」
「ありがとうございます。俺、全然大丈夫なんで気にしないで下さい」
「本当に? それなら良かった」菜々子先輩は気が晴れたのか、生ビールをグイッと飲んだ。そして、お通しの枝豆に手を伸ばす。
「私ね、清水くんには期待してるの。だからついつい厳しくしちゃうんだ」そう言って微笑む。
「そうだったんですか」
「清水くんは私より頭も良いし、これからもっと伸びると思うんだ」菜々子は大洋を褒め、悪い気はしなかった、
「清水くんってさ、すぐ顔に出るよね」
「そうですか?」
「良いと思うよ、素直で」
「ありがとうございます」
「私も素直に生きなきゃね」菜々子先輩の目がうっすら潤んだ気がした。
「先輩、何かあったんですか?」
「ううん、何でもないよ」彼女は瞼をすっと擦る。
「俺じゃ、頼りないですか?」
「そうじゃないけど、何でもかんでも話せない」
「分かりました。じゃあ、話せる時が来たら話してください」
「うん、ありがとう」
それから二人は仕事の愚痴や学生時代の話で盛り上がった。1時間ぐらい飲んだだろうか。すっかり話し込んでしまった。