最終話 真っ赤な血の涙
「『聡とナナは一緒にいるべきだから』彼女は独り言のように呟いた」
「その時、雅がまともじゃないとはっきりと認識した」
「だが、気が狂い冷静な判断ができなくなっていた俺は殺るしか無かったんだ」
「本気であの時は救われると思ったんだ。だから俺は……俺は……」渉は涙に声を詰まらせる。
それは苦悩や後悔が滲んでいた。
一方で隣からただならぬ気配を感じる。
孝典が渉を睨みつけ、握り拳を震わせていたからだ。
泣きたいのはこっちの方だと言わんばかりで、今にも殴りかかりそうだ。
楓はその拳を上から包み込むように握った。
だが、その感情は収まりそうに無かった。
「俺が、七海唯月を殺しました」
孝典は表情を緩めないままに涙を流す。
その涙は黒かった。
怒りや憎しみ、後悔などが混ざってドス黒かった。
「彼女をスーツケースに詰め込み、雅が案内するように箱根山に連れられた。そして、ここを掘れと、彼女に言われるがままにしてシャベルで穴を掘らされ進めていく」
「その途中でガツンと硬いものが当たったんだ。石ころかと思いきや、よく見れば人の頭蓋骨だった」
「『それは私の継父だよ』彼女はそう言った。もう俺には感情を失われてしまったのか、驚きや恐怖など感じなかった」
「ただ黙々と目の前を真っ直ぐに突き進むだけ。倫理的に間違っていようと雅の命令に従うことしか考えられなかった」
「雅は継父を殺すことで救われた。殺害は彼女にとって救済する唯一の手段だったんだ。だから何度も殺人を企てた」
「『これで最後』遺体を穴に落とし、彼女はまた呟いた。続けてバッグから何かを取り出し、投げ捨てる。それは、俺と雅の身分証だった。彼女は本気で生まれ変わるつもりのようだった」
「それから俺たちは高村聡、七海唯月と名乗り、成り済ますようになった。聡とナナは一緒にいるべきだから。俺たちは一層絆が深まり、愛し合った」
「しかし、生活する中で異常に執着してくる奴がいたんだ」
「浦原菜々子、唯月の親友だと言った。毎日のようにインターホンを鳴らし、玄関で待ち伏せしたりしていた」
「『唯月を殺したのね』彼女も薄々勘付いていたようだ。生活が脅かされるかもしれないと警戒するも、彼女は唯月の死を笑っていた」
「だから、菜々子は知っていたのか」孝典が納得したかのように小さく頷いた。
「ああ。彼女は狂気じみた大声で笑い、立ち去っていった。雅も俺も、浦原を殺そうとはしなかった。不用意に近づくべきじゃないとお互いが感じていたからだ」
「もう彼女とは会うことは無いだろうと思っていた」
「だが、6年ぶりに連絡をしてきた。脅されるのではないかと思った俺たちは一筋縄でいかないだろうと念入りに準備した」
「まさか、やって来るのが楓だなんて1ミリも思わなかった。楓はどこまで知っているのか、考える余裕もなかった」
「ただ雅が無視して、俺の名前を呼んだ時、楓の事も殺すだろうと感じ取れた」
「あいつは自分のためなら容赦しない。でも俺には楓を、楓だけは殺せなかった。だから俺は雅を殺した。
「こんなことはしたくなかった。けれど自分の手を汚してでも、負の連鎖を止めたかった」
「俺たちは他人だ。信じろとは言わないよ。ただ俺が嘘をつくメリットがない。もうどちらにせよ、外の空気は吸えそうにないからな」渉は哀愁漂う表情で語った。
楓は複雑な想いだった。彼の話が本当だとして、殺人犯に守られたと思うと責められなかった。
「もうそろそろ終わりみたいだ」立ち会っていた警官が15分を知らせた。
「最後に聞く。他人の人生、高村聡の人生は楽しかったか?」孝典は、渉に問いかけた。
渉は息を吐くように首を横に振った。
警官に促され、渉は立ち上がる。
そして、彼は扉の向こう側へ消えていく。
その瞬間、楓は何かを言い返そうとした。
しかし言葉は出なかった。
渉の背中は小さく丸くなって、どこか遠い存在だと感じさせられた。
「楽しくなかったんだ……」楓は気が抜け殻のようでしばらく椅子から動けなかった。
一方で隣の彼は躊躇いもなく、立ち上がった。
一度は愛した元恋人の死の真相を聞かされていたとは思えないほどに、落ち着いていた。
先ほどまでの怒りはどこに消えてしまったのか。
違和感を感じるくらいに、彼の切り替えは早かった。
「はあ」動けない楓の事をしばらく見て、早く帰ろうぜと言わんばかりに、孝典はため息をつく。
彼は楓を置いて面会室を後にする。
楓も程なくしてゆっくりと後に続いた。
「まだ居たんだ」彼は廊下で待っていた。
「一緒に出なきゃまずいと思って」
「ふーん」楓は孝典の顔をじっと見つめ、笑う。
彼の姿を見るとぐちゃぐちゃになった感情が洗われた。
真っ赤な目をし、袖口は濡れて黒くなっていた。
見ず知らずの人間に自分の名前を勝手に使われ、恋人を殺した犯人として世に広まる苦しみは計り知れないだろう。
それでもなお人前では、妻帯者としての体裁を守り、強がった。
「なんだよ」
「なんでもない」成長した姿を見ると、寂しい気持ちになる。
それを癒すのは、梅崎果穂。ただ一人だけ。
拘置所を出ると、太陽の日差しが二人を照りつける。
それは、出会った時のあの日のように快晴で雲一つない。
「最後に一つだけ聞いてもいい?」
「何?」
「あなたは誰なの?」
「僕は結城孝典です」彼は涙を流した。
真っ赤な血の涙。
過去の自分と理不尽に決別させられる怒りの涙。




