第37話 狂気が宿った瞳
高校卒業後、2人は大学進学を機に上京する。
一生、一緒にいるものだと思っていた。
喧嘩さえしなければ、菜々子に会わなければ、こうはならなかったのに。
あの日、どうして菜々子に会おうと思ったのか。
自分でも分からない。傷つくことは分かってるのに、愚かなことをしたと思っている。
一言でいいから謝罪の言葉を聞きたかった。
自供し、懺悔する姿を見たかった。
彼女自身も後悔しているはずだと。
だが現実は甘くなく、彼女はちっとも変わらず、狂ったままだった。
「大学の友達と遊んできた」唯月が嬉しそうに写真を見せた。そこに写る浦原菜々子の姿があった。
聡は背筋が凍った。
うっかり彼女のことを漏らしてしまったことを思い出す。
彼女は分かってて、近づいてきたのだろう。
このままでは優希と同じように殺されてしまうかもしれない。
「ナナ、その子と仲良くするのはやめろ」唯月に促すが、聡の言葉は届かない。
「何? 知り合いなん?」それどころか浮気を疑れ、喧嘩に発展する。
彼女は菜々子と会うのをやめなかった。
菜々子が人殺しだと言うわけにもいかず、説得させられなかった。
2人の関係は次第にギクシャクし始めた。
それでもナナが好きだった。
彼女が殺されるくらいなら、不本意だけども別れた方がマシだった。
そうすれば、菜々子も離れていくだろう。
「彼女とは別れたよ」菜々子に再び連絡を入れる。
知らせを聞くと一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに笑みを浮かべた。
「これでまた、一つになれるね」彼女は腕に抱きついてくる。
「やめろよ」
「いいじゃん」
「人が見てるだろ」聡が気まずそうに腕を払うと、菜々子は案外素直に聞き入れた。
――優希を殺したなんて嘘なんじゃ?
菜々子の笑顔を見ると、心が揺らぎそうになる。
根拠のない池山の証言を、直感で信じてしまったから。
きっと彼女がついた嘘なんだ。そうに違いない。
菜々子は、道端に転がっていた蝉の死骸をグシャリと踏みつける。
その瞳には狂気が宿っていた。
このまま菜々子についていけば、殺される。
聡は足を止めた。止めさせられた。
全身がガタガタと震え、力が入らない。
――やめろよ、菜々子。
彼女が馬乗りになり、首を絞められているみたいだ。
菜々子の力は驚くほど強い。
聡も負けじと力を振り絞って、抵抗する。
彼女は笑っていた。
人を殺すのは、怖くないみたいだ。
彼女の不気味な表情に戦意喪失し、腕をぶらんと下ろした。
「大丈夫?」一瞬でも菜々子がまともだなんて思った自分が馬鹿だった。
彼女には敵わない。
聡はその場を逃げ出した。
自宅に帰っても、菜々子がやってくるのではと恐怖で落ち着かなかった。
一睡もできなかった次の日の朝、不幸な知らせが届き、聡は福井に向かった。
*
「安心して。私はあなたには何もしないから」菜々子は笑顔で答える。
「本当?」
「うん。だけど……」彼女は何かを言いかけてやめた。
「だけど、何?」菜々子は再び笑い出す。
「最後まで言わなきゃ分からないの? あなたの彼女、今家で一人でしょ?」
「まさか、おい……」
「もうそろそろじゃないかな?」菜々子は時計を確認していた。時計は午前7時を指そうとしている。
「ボーッとしてないでさ、早く行かないと死んじゃうかもしれないよ」
「果穂に何したんだよ!」
「さあ? 知らないよ」菜々子は人差し指を左右に振った。
「お前……」聡は菜々子の家を飛び出した。
果穂に電話を掛ける。
しかし、彼女は出なかった。
「くそっ」聡は急いで自宅に向かう。
電車に乗っても、彼女のことが心配でじっとしてられない。
走って、走って、やっと着いた。
玄関の扉を開ける。
「果穂!」聡は叫び、慌てて部屋の中に入っていく。
彼女は起きて待っていた。
果穂の姿を見ると一安心した。
「良かった」聡は、彼女に抱きついた。
「痛いよ」果穂は嫌がり、振り解く。
二人は見つめ合った。
彼女の顔には憤りが滲んでおり、気持ちを抑えることができない様子だった。
――ペシッ。
果穂は突然、聡の頬を平手打ちした。
その痛みと共に、彼女からの怒りが伝わってきた。
聡はその瞬間、自分がしたことを悔いた。
「遅くなってごめん」聡は謝罪の言葉を声にする。
「言ったよね? 僕の事信じてって、絶対帰ってくるって」
「言いました」
「だから、私はずっと待ってたんだよ?」果穂は涙ながらに怒りをぶつけた。
彼女の言葉はまるで鋭い矢のように聡の心を突き刺した。
「違うんだ! 聞いてくれ!」聡は、今までの経緯を全て話した。
彼女は黙って聞いていたが、表情から怒りが消えていなかった。
「ごめん、果穂」聡は何度も謝る。
もう後戻りできない所まで来てしまったことは分かっている。
しかしそれでも、自分の口から全てを話さなければならないと思ったのだ。
「それ、なんで昨日言わなかったの? 言ってくれれば良かったじゃん?」
「いや、それは……」
「どうして? 話せない仲だったの?」果穂は悲しげに聞いてきた。
その目には涙が浮かんでいる。
聡はその顔を見て、自分がしたことを改めて後悔した。
彼女を泣かせたことに罪悪感を覚えずにはいられなかった。
「今までの私たちは嘘だったの? 違うよね?」
「違うよ……」聡は、必死になって首を横に振った。
「私とサニーのことが気になったのなら、聞いてくれれば良かったじゃん。そしたら、私だってちゃんと話したよ」
「ごめん、そうすればよかった。でも怖かったんだ、果穂を失うのが」
「私の事、そんなに信用できなかった?」
「違うんだ。僕が弱かっただけ」聡は必死になって弁明した。
果穂の態度が変わらないことを知りながら、聡は謝罪の言葉を繰り返した。
「出てって。もう顔も見たくない」彼女の言葉を聞き、どう足掻いても関係は修復できないと悟った。
「うん、分かった」聡は部屋を後にした。
聡はすでに菜々子が仕掛けた時限爆弾のスイッチを自分で押していた。
赤や青の線を切ってもそれは止められなかった。
いや、切ること自体間違いだったのかもしれない。
――一体、これからどうすれば……。
聡は生きる希望を失い、途方に暮れた。
当てもなく、ぶらぶらと歩き回る。
東京の街は一人でいると寂しかった。
特に今は尚更そう感じられた。
街行く人々が皆賑やかなように見え、一人だけ違う世界に迷い込んだような孤独感に襲われたからだ。
たった一回だけの快楽の為に、彼女を裏切った罰なのだろう。
そう考えるしか他に方法はなかった。
ただ何もすることがなく過ぎていく時間の流れは、不断とは比べ物にならなかった速さを感じただけでなく、冷たく冷酷なものでもあった。
そして時は容赦なく流れていった。
次第に日は昇り、聡を照らした。
太陽は平等だ。
雲さえ無ければ、誰でも輝かせてくれる。
幼稚園児くらいの男の子とすれ違う。男児は楽しそうに走っていた。
――こら、待ちなさい。
彼の母は、走る彼を追いかけた。
自分にもあんな頃があったんだろうなって思うと微笑ましかった。
あの頃に戻りたい、男児のように思うがままに走りたいと思った。
母のように懐かしさを追いかけた。
そこは、聡の生まれ故郷だった。
彼に残ったのは、やっと戻った若かりし頃の記憶だけだ。
目に映る景色は微妙に記憶と違っていた。昔あったはずの建物がなかったりと違和感があったにもかかわらず懐しさを感じた。
いつも隣には両親がいて、優希がいて、唯月がいた。
浮かぶ顔は、唯月だけが妙にリアルだった。
「聡!」突然名前を呼ばれて振り返る。
そこには女性が立っていた。
聞き覚えるのある、懐かしい女性の声だ。
こっちを見て手を振っている。
「ナナ⁈」気づけば彼女の名を呼んでいた。
そこにはナナがいた。確かに彼女だ。
彼女は生きていた。
菜々子が殺したとなぜ嘘をついたのか分からないが、聡は一歩また一歩近づく。
すると、後ろから誰かにぶつかられ、聡はよろけた。
ぶつかった誰かは気にする素振りを見せず、ナナの元へ走って行った。
――え?
その男は、ナナと楽しそうに話していた。
二人はカップルに見えた。
聡と呼ばれたのは、聞き間違えだったようだ。
二人は手を繋ぎ、どこかに行ってしまった。
――ナナに恋人がいた。
その事実に愕然とする。
「そうだよな」音信不通になってから、6年ほど経つ。
彼氏の一人や二人できていても不思議じゃない。
自分がそうであったように。
彼女がずっと一人で待っているはずがない。
聡は大きく息を吸った。
これは強がりでもいい、彼女が幸せならそれでいい。




