第3話 気持ちの変化
――いってきます。
孝典は17時過ぎに家を出て、待ち合わせ場所に向かう。
5分前に着くと、サニーはもう既に来ていた。
「相変わらず、早いな」
「まあな」サニーの遅刻癖は、あの日を境にすっかり鳴りを潜めていた。
「ああ、ちょっと待って」行こうかと、孝典は先に歩き出すとサニーに引き留められる。
「どうした?」
「彼女が来るんだ」
「え? 聞いてないけど」
「まあ、いいじゃねーかよ」サニーの様子はいつもと違っていた。
今までも彼女を連れてきたことはあったが、いつもだと事前に話していた。
どういう訳か疑問に思ったが、彼の表情を見て、孝典は聞くのをやめた。
彼の表情は強張っていた。
「絵梨花ちゃんだっけ?」孝典はわざと元カノの名前を出して、笑わしてみる。
「それ、いつの話だよ」彼の顔は緩んだが、すぐに元に戻った。
絵梨花は2年ほど前に付き合い、別れた子だ。
それからのサニーの恋愛事情は、よく知らない。
まさか、知らないうちに彼女がいたなんて。
おそらく初めて会うので、どんな子かドキドキして待った。
「お待たせ」すぐに彼女は待ち合わせ場所に来た。可愛らしい落ち着いた女の子だった。
彼女とは、1年前ぐらいから付き合っているらしい。
いつもサニーが付き合うタイプとは違っていた。
これはもしかしてと、孝典は思った。
「はじめまして、浦原菜々子です」
「えっと、結城孝典です」孝典が目を合わせると、菜々子はあからさまに目を逸らした。
孝典の胸がグッと引き締まる。
「行こうか」サニーは、二人を引き連れ、近くの居酒屋に向かう。
そこは、孝典が以前働いていた居酒屋、赤月だった。
サニーと菜々子は奥に座り、孝典は向かい合わせで一人で座った。
何も変わってない座敷の個室。
店内を見渡し、懐かしさを感じていると、店員がやってきた。
「ご注文お伺いします」
「孝典、何飲む?」
「じゃあ……生で」酒が強いタイプではないが、サニーと会うと気分的に飲みたくなる。
「俺は……ウーロン茶で」サニーは言った。
――え?
サニーと言えば、必ず最初の一杯目は生ビールなのに、珍しいことがあるもんだと思った。
「今日は飲んでもいいよ」菜々子はこっそりと話す。
「いいの?」
「うん」
「じゃあ、やっぱり俺も生で」
「かしこまりました、生二つ」菜々子はオレンジジュースを頼む。
そして料理は、とりあえず枝豆、サラダ、唐揚げ、フライドポテトを頼んだ。
「二人はどこで知り合ったの?」孝典は飲み物が来るまでの間、当たり障りのない会話を始める。
まず二人の馴れ初めを聞いた。
「会社の一つ上の先輩でさ」サニーの説明によると、研修が終わり配属された部署で一緒になったそうだ。
「へー、そうなんだぁ」なんだか急に現実味が増してきた気がする。
「サニーの一つ上ってことは、俺と同い年か」
「ああ、そうなるね」
「俺たちさ、今度結婚するんだ」サニーは照れたように告白する。
「……やっぱり」思わず声に出てしまった。
サニーとは、出会ってもうかれこれ6年。彼のことはよく分かっているつもりだ。
いつもと様子が違って、ガッチガチに緊張していて、おかしいと思っていたのだ。
「気づいてたのか」
「まあ、何となくな」
「俺もまだまだだな」彼は恥ずかしげに頭を掻く。
「良かったじゃん、おめでとう」孝典は手を3回叩いた。
「お前には一番最初に報告しようと思ってたんだ」サニーは言った。
――どうしてだろう。
サニーには、他にも仲の良い友人がたくさんいるはずだ。
その友人たちを差し置いて、真っ先に自分に教えてくれたことは嬉しかったが、何かが引っ掛かる。
でもそれが何か分からなかった。
考えているうちに、店員が入ってきて、テーブルにビールや料理を並べた。
「二人の結婚を祝して、乾杯」3つのグラスがカンとぶつかり、個室に響く。サニーは、グイっとビールを飲み干す。
「あー……やっぱ、うめーな」それは何日も禁じられていたようだった。
まるで砂漠の中でオアシスを見つけたかのように、ゴクゴクと喉が鳴る。
「まさか、あのサニーがこんなに早く結婚するとは思わなかったな」
「あのってなんだよ」
「だってそうだろ? 今まで付き合った子と1年以上続いた事ないんだし」
「まあ、確かにそうだけど。1年続いたからこそ、これからも上手く行ける気がするんだよ」
「そうとも捉えられるか」孝典は、何気なく菜々子の顔を見る。彼女は白い歯を見せて笑った。
「あ、唐揚げ食べますか?」
「うん」彼女は添えてあったレモンを手に取り、唐揚げに上からかけた。
果肉一つひとつが潰れ、勢いよく果汁が噴き出る。
その光景が孝典にはスローモーションに見えた。
「ありがとう」菜々子に礼を言い、再び彼女を見ると、不自然に目を逸らされた。
やはり、彼女に嫌われているのかもしれない。
「孝典もそろそろ結婚したらどうだ」サニーが突然、切り出した。
「え、まだちょっと……」
「もう付き合って何年になる?」
「5年だけど」
「5年か、もうそろそろいいだろ。果穂だってずっと待ってるんじゃないか?」
「うーん……分かってるけど」サニーに言われなくても、本当は結婚したいと思っている。
同棲もして、良いところも悪いところもお互いに見せ合ってきた。
喧嘩したこともあったけれど、別れたいと思ったことは一度もない。
普通なら、このまま結婚しても大丈夫だと思う。
そう、普通ならば。
「5年も一緒にいて、記憶が戻ったところで自分の気持ちが変わるかよ」
「分からないよ、どうなるかなんて」
あの時みたいに、楓の時みたいに。
少し記憶を思い出しただけで、気持ちが変わってしまったら。
自分が自分じゃ無くなるようで、怖い。
どうせなら、もう二度と記憶が戻らなくてもいい。
「記憶が戻る?」菜々子がサニーが発した言葉に疑問を持ったようで、聞き返す。
「うん。孝典は6年前に事件に巻き込まれて、それ以前の記憶を無くしてんだ」それを聞いた菜々子は絵に描いたような驚いた顔をした。
「そうだったんだ……」菜々子は絵に描いたような驚いた顔をした。
「まあ、とりあえずいつ戻るか分からない記憶をずっと待っててもしょうがないだろ」
「そうだよな……」自分でも分かってるつもりだった。
彼女がいつまでも待っててくれるなんて甘えた事を言っててはいけないと。
あと少し、あと少しとズルズル先延ばしにしているだけで、一歩も進歩していない。
いつか、後悔するかもしれない。
「分かった、今度ちゃんと蹴りつけるよ」
「よし! 頑張れよ」サニーは拳を前に突き出し、グータッチを求めた。
拳と拳がぶつかった時、何だか勇気がもらえた気がした。