第21話 フードを被った男
来週末約束通り、孝典は再び菜々子の家に向かう。
先週と同じようにして、彼女の家にお邪魔する。
「待ってたよ」孝典が入室すると、菜々子は抱きついてきた。
「何かあったの?」
「ううん。一人は寂しいの」彼女は大洋の死の傷口がまだ癒えていないようだ。
「寂しいよね」孝典は菜々子の背中を撫でる。
彼女が抱き締める力が強くなった。
「中に入ろうよ」
「そうだね」菜々子が孝典の手を握る。
孝典は自然と受け入れた。
二人は廊下を歩いてリビングに入っていく。
彼女はもう一度、ハグをする。
「早く会いたかったよ」
「僕も」孝典が返事すると、菜々子はすぐに身体を離した。
彼女がキラキラとした瞳で見つめてくる。
孝典はその眩しさに直視できず、目を逸らした。
――ダメだってば……。
頭で分かっていても身体は言うことを聞かない。
孝典は、もう一度菜々子を見つめる。
それは時が止まっているような不思議な感覚だった。
少しだけ、もう少しだけ、見ていると記憶が戻りそう。
この胸の高鳴りを正当化したい、焦りのようなものもあった。
「お茶淹れるね」彼女はそばを離れた。
視線は彼女を追いかけるも、やはり戻りそうになかった。
「やっぱり無理か」孝典はため息をつくようにして椅子に座る。
菜々子はお茶の入ったコップをゆっくりと孝典の前に置き、向かいの席に座った。
「ありがとう」
「道、迷わなかった?」
「うん。迷わなかったよ」
「そう、良かった」
「ちゃんとご飯食べてる?」以前より痩せている気がした。
「実はあんまり食欲無くて……」
「ダメだよ、ちゃんと食べなきゃ」
「分かっているけど……」
「お腹の赤ちゃんにも悪いし。今って何ヶ月だったっけ?」
「あ……えーっと……」菜々子は見るからに困惑していた。
孝典はあの日のことを思い返す。
確かに彼女は妊娠していたはずだ。
「実は……あれはダメだったの」菜々子は鼻を啜り、手で目頭を抑えた。
「ダメ……?」孝典は一瞬頭がボーッとして理解ができなかったが、声にすると頭が働いて意味が分かった。
「ごめん、それは知らなかった」
「謝らないで。言ってなかった私が悪いの」彼女は泣き続ける。
孝典はそれを見続けるのが辛くて、菜々子の背後に回り後ろから抱き締めた。
彼女は手を握ってくる。
菜々子の手は冷たかった。
「ありがとう。もう大丈夫だから」彼女は強がっているだけだ。
まだ泣いているのが分かる。
孝典はギュッと力を強める。
菜々子の頭のいい匂いがする。
「あったかいね、聡くんの手」彼女も手を強く握った。
少しの間、二人は続けた。
――ピンポーン。
部屋のインターホンが鳴る。
誰だ邪魔をするのは。
孝典は手を解いた。
菜々子は立ち上がり、涙を拭いて解錠しに行く。
彼女の手は、止まった。
菜々子は孝典の方に振り返る。
「どうしたの?」
「見て」孝典はモニターを確認する。
グレーのフードを被った男が立っていた。
マスクをして、目深に被っているせいで顔は確認できない。
「最近、よく鳴らされてて。昨日も一昨日も」菜々子は言った。
「え? まさか出てないよね」彼女は首を横に振る。
「怖いもん」菜々子は怯えていた。
一体誰なんだ、傷心の菜々子を脅すのは。
もう一度、チャイムが鳴る。
恐怖感が増してくる。
「出てくれないか」
「え! なんで!?」
「僕が下に行って捕まえてくる」
「危ないよ!」
「大丈夫。菜々子さんは、開けずに呼び止めててくれればいいから」孝典は真剣だった。
それを察したのか、菜々子は分かったと言った。
孝典は急いで靴を履き、玄関を飛び出した。
エレベーターに乗る。
幸い、12階に止まっていたため、すぐに降りれた。
1階を押して、閉まるボタンを連打する。
1階に着き、エレベーターが開く。
エントランスからは、男の姿は見えなかった。
――流石に間に合わないか。
孝典は走って共同玄関を出る。
諦めかけて外に出ると、グレーのパーカーを着た男の後ろ姿が見えた。
男はフードを脱いでいて、素顔は露わになっていた。
「おい! 待て!」孝典は叫ぶ。
男は振り返った。見たことある顔だ。
「あいつは、確か……」男は逃げ出した。
孝典は必死に追いかける。
男の足は遅かった。
孝典はすぐに追いつき、捕らえた。
「お前がなぜここにいるんだ」男の名は、森尾和希。大洋と菜々子の会社の上司だ。
「それは、こっちのセリフだ」男は言った。
その間にも逃げようとする。
孝典は腕をがっしりと掴んだ。
油断すると逃げられそうだ。
「僕は昔のよしみだ」
「昔か……じゃあ今は関係無いな。俺は今だ」
「今? 今って何だよ」孝典は驚きのあまり、腕を離してしまった。
「今は、今だ。そのままだ」森尾は一歩歩いてから言った。
「今は大洋だろう?」
「そうだったな、じゃあ一つ前だ」
「一つ前!?」つまり、大洋の前に森尾は菜々子と付き合っていたということか。
「俺は菜々子を絶対に許さない」彼は怒りを露わにしていた。
「一体何があったんだ?」菜々子に何の恨みがあるのか、気になる孝典は森尾に聞いてみる。
しかし、森尾は何も答えずに立ち去る。
孝典は追いかけず、彼の背中をボーッと眺めるだけだった。
あんなに弱々しい背中を見たのは、初めてだったからだ。
哀しそうだった、本心からこんなことしてる訳じゃない感じがした。
森尾との距離は遠のいていく。