第19話 勝手に出る涙
「え? なんで?」
「だって、6年生になる前に事故で亡くなっちゃったから」
「そうだったのか」孝典は亡くなっていた事は分かっていたが、時期までは覚えていなかった。思惑通りにならず、溜め息をつく。
「菜々子さんは、何組?」
「私は3組だったよ」6年3組のページを開く。
浦原菜々子、幼い彼女が個人写真の中にいた。
彼女の姿は、記憶の彼女と一致する。
やはり、彼女が言っている事は本当なのだろうか。
しかし、3組を見ても、他の組を見ても菜々子以外の子に見覚えはなかった。
「なんでなんだよ」孝典はもう諦め、ページをめくった。
「あ!」菜々子が声を上げる。
「どうしたの?」
「聡くん、ここにいるじゃん!」それは林間学校の時、5年生の写真だった。孝典は目を見開いた。
「……僕だ」菜々子が指差した彼は孝典に似ている。紛れもなく彼は孝典で、孝典は聡だ。
「嬉しいの? 悲しいの?」記憶を無くしたあの日から6年、やっと辿り着いた過去に孝典は安堵し涙する。
「分からない。勝手に涙が出るんだ」孝典は菜々子の問いに返事した。
菜々子は孝典を抱きしめ、手に指を絡ませた。
彼女の手はは細くて柔らかい。
そして、温かい。
「良かったじゃん」
「うん」孝典は泣きじゃくる。菜々子は身体をモゾモゾと動かし、孝典のほっぺにキスをした。
「え……急に何してるの」孝典は身体をビクッとさせる。
「ごめん、懐かしくて」菜々子は身体を解いた。
「懐かしい?」
「聡くんとは、色々したんだよ」彼女は言った。
孝典は色々の意味をすぐに理解したが、ある事に気づいて思考が停止する。
「記憶が戻らない」真実に触れたはずなのに、聡の記憶が戻らなかった。
孝典は不安が押し寄せる。
今までのきっかけは、いつも過去に触れた時だったからだ。
「え? 思い出せない?」菜々子も戸惑っている。
どうすれば、記憶が戻るというのか。
孝典は何かを話す気力がなくなった。
「大丈夫、きっと戻るよ」再び菜々子は孝典に抱きつく。
「うん」孝典は頷いた。
「私がいるから、焦らずちょっとずつ思い出していこうね」菜々子が上目遣いで見てくる。
孝典は自然と彼女の背中に手を回していた。
二人ともしばらくこのまま動かなくなった。
鼓動が高まり、背中にじんわり汗が滲む。
部屋の時計の秒針がチッチッと鳴り響く。
時計の針は17時半を示していた。
孝典は正気を取り戻す。
「菜々子さん、そろそろ帰らないと」
「え? もう?」菜々子はは寂しそうな表情をしている。
「夕飯までには、戻らないと」
「いやだ、いやだ」彼女は身体を離さない。
「でも、しょうがないよ」
「ねぇ、お願い。夕飯作るから、もう少しだけ」菜々子は言うことを聞いてくれなかった。
孝典は、どうしようか迷った。
もっと話したいし、一緒にいたいのが本音だ。
彼女の傷ついたハートをこれ以上抉る勇気はなかった。
「分かった、夕飯は食べて帰るよ」
「本当? 嬉しい!」菜々子の笑顔は、孝典の心を癒した。
彼女の悲しそうな顔は、見てるだけで悲しくなる。
彼女が笑ってくれるなら偽りでもいい、笑わせたい。
菜々子はキッチンに行き、料理を始める。
その間、孝典は果穂に謝罪のメッセージを送る。
「ごめん、夕飯食べて帰る」孝典は、文字を打って送信を躊躇う。
彼女が怒らないか心配になる。
孝典は一息ついてから、送信ボタンを押した。
メッセージはすぐに既読になり、返信が返ってきた。
――せっかく準備したのに。
孝典はすぐ返信が返ってきてホッとする。
「明日食べるから。置いといて」
――はーい。早く帰ってくるんだよ。
「できるだけ早く帰ります」
――待ってるよ。
数回やりとりして、画面を消した。
菜々子はトントンと、野菜を切る。
「いつも通り買い物すると、買いすぎちゃって余るんだよね」
「そうなんだ」
「だから、食べてくれるって言ってくれてすごく助かるよ」
「何か手伝おうか?」
「いいよ、お客さんなんだから。座って待ってて」
「うん。楽しみに待っとくよ」菜々子は切った野菜と牛肉を鍋に入れ、炒める。
美味しそうな匂いが漂ってきた。匂いが余計に空腹感を刺激する。
「もうちょっと待っててね」菜々子は味見をして火を止めた。
先に皿に白ご飯をよそい、鍋の物を皿に移す。
テーブルに運び、スプーンと共に並べる。
料理はカレーだった。
「いただきます」孝典は一口食べる。
「美味い!」辛すぎず、コクがあってスプーンを持った右手が止まらない。
「良かった」菜々子は孝典の表情を見て、安心してから食べ始める。
「菜々子さんって料理得意?」
「うーん。得意かどうか分からないけど、作るのは好きだよ」
「へー。果穂は料理下手だから、羨ましいな」
「果穂さん、料理下手なんだ。ふーん」孝典はあっと言う間に平らげた。
「おかわりする?」
「まだ残ってるの?」
「ちょっとだけあるよ」
「じゃあ貰おうかな」菜々子は席を立ち上がる。
「自分で入れるよ。菜々子さんは座ってて」
「ありがとう」孝典は台所に行き、鍋に少し残っていたカレーを全部入れた。
席に戻ると、菜々子が幸せそうな表情をしていた。
孝典はそれを見ると嬉しくなった。
「聡くんって美味しそうに食べるね」
「だって美味しいもん」
「フフッ、嬉しい。大洋くんは、こんな風に食べてくれなかったよ。おかわりもしなかったし」
「あいつは育ちがいいからな」
「作ってる方は、聡くんみたいに食べてくれた方が嬉しいな」
「そうかもね」二人は食べ終わり、ごちそうさまをする。