第18話 口元のホクロ
日曜日、最寄り駅で待ち合わせをした。孝典は朝から緊張してガチガチだった。
「いらっしゃい」大洋の死から少し時間が経ち、以前のような輝きを取り戻しつつあった。
「体調大丈夫?」
「気遣ってくれて、ありがとう。大丈夫だよ」
「そう、良かった」
「何か、デートみたいだね」彼女は歩きながら言った。
「そうだね」苦笑いをして返事した。
「今日の事、果穂ちゃんには話した?」
「ううん、話してない」果穂にはちょっと出かけてくると言って、菜々子と会うことは知らせずに家を出た。
彼女は夕飯までに戻って来なさいと、母親のように送り出してくれた。
浦原菜々子が幼馴染であるかもしれない事は言わなかった。
今はまだ、僅かな記憶と菜々子の話が一致するだけで、まだ確証が得られた訳では無いからだ。
孝典はその真実を確かめたかった。
「じゃあ、浮気だね?」
「まだ浮気じゃないっしょ」
「でも、疾しい気持ちはあるんでしょ?」
「んーどうでしょうね」孝典は誤魔化した。
彼女の事は好きだった。
それも今も変わらない過去の事実。
でも否定すれば、気分を損ねる気がした。
「ここか」少し歩けば、菜々子の自宅に着く。
白い高層マンションだった。
エレベーターに乗り、12階まで上がっていく。
このマンションは15階建だそうだ。
今頃、大洋と新生活を始めているはずだった。
しかし、彼はそこには居ない。
菜々子が一人で寂しく住む部屋に二人きり。
孝典は良からぬことを考えた。
首を振って秘めた想いを消す。
彼女はまだ大洋の恋人だ。
部屋は、2人で住むには十分で、1人で住むには広すぎるくらいだった。
「座ってていいよ」
「じゃあ、遠慮無く」孝典はダイニングテーブルと共に並ぶ椅子に腰掛ける。
菜々子はコップにお茶を入れ、出してくれた。
孝典は一口飲む。
「あれから、どう?」孝典は、大洋殺しの犯人の事が気になって聞く。
「まだ、何も」
「そっか。竹岡が言ってた事も?」
「うん。何の事か、さっぱり」数日経っていたが、事件は進展していなかった。
「そう。残念だね」しばらく、菜々子と見つめ合う。
彼女は、口元にホクロがあって印象的だ。
間違いない、目も鼻も面影がある。
菜々子は、白い歯を見せて笑う。
「聡くんって、本当に記憶喪失なんだね」
「うん、何にも覚えてないんだ。名前も生まれも、親の顔だって」
「よく生きてられたね」
「果穂が助けてくれて、だから今の自分がある」
「ふーん。それで彼女のこと、大事なんだ?」
「別にあいつだけじゃないけど、でも一番助けてもらったのは、やっぱり果穂かな」
「そうなんだ」再び彼女と目が合い、見つめ合う。菜々子の表情は突然曇った。
「亡くなったよ」彼女は衝撃の一言を発する。
「え?」
「聡くんの両親は亡くなったよ。小学生の頃に」
「え、そうなんだ……」孝典は深く息を吸う。
「生まれは……多分東京だと思う。母親か父親かどっちか忘れちゃったけど、おばあちゃんが、大阪にいたはず。だから両親が亡くなった後、大阪に転校した」
「へー、詳しいね」
「そりゃあね。付き合ってたもの」孝典はそんな気がしていた。
この胸の高鳴り、それ以外言い訳できなかった。
「でも10年以上の前のことよく覚えてるね」
「忘れないよ! だって私の初恋。あんな終わり方して」
「初恋か……忘れられないよね。ごめん、怒ってる?」
「怒ってる」
「本当にごめん」孝典は頭を下げた。
「嘘、今のは冗談。全然怒ってないよ、だってしょうがないじゃない。東京と大阪だもの、遠くてなかなか会えないし。聡くんが謝ることじゃないよ」
「そうだよね」孝典は菜々子の目を見られなくなった。
「本当に何も覚えてないんだね」
「うん」
「もしかして、私が嘘ついてると思ってたりする?」
「いや、それはない。だったらここには来てない」
「本当かな?」
「本当だって」
「えー? 何か疑われてる気がするよー」
「ごめん、疑いがゼロとは言えない。俺は菜々子さんの事は信じてる。でも確証が欲しい」
「そうだよね。いきなり全部本当の話だなんて言われたって信用できないよね」
「うん、ごめん」孝典は謝ることしかできなかった。
「昔の写真で思い出せそうなのあるかな」菜々子はスマホを取り出し、画面をスクロールしてフォルダを漁る。
あれどこだろう、ここじゃないなと言いながら。
「ねえ、この子覚えてる? 小沢沙耶。小学生の頃、確か同じクラスだったと思うんだけど」菜々子はある写真を見せてきた。
制服を着た彼女と菜々子がピースしている写真だ。
おそらく高校生の頃だろう。
顔立ちが現在に近い。
孝典は小沢沙耶のことを思い出そうとする。
「ごめん、分からない」小沢沙耶は初めて聞く名前だ。
思い出そうにも何も思い浮かばなかった。
「そっか……」菜々子は残念そうだった。
「小学校の卒業アルバムってあったりする?」孝典は何かを思いつく。
「あるけど」菜々子は本棚からずっしりとした物を取り出した。
「聡くんは居ないよ」
「それは分かってるよ。奥仲優希って子がいるのか見たいんだ」
「優希ちゃんは、居ないよ」菜々子はボソリと呟いた。