第17話 泣いている姿を見ると
「俺、何かまずいこと言った?」
「いえ、ちょっと昔のことを思い出しただけです」
「昔のこと?」
「友だちにまったく同じことを言った覚えがあるんです」菜々子は表情を変え、嬉しそうに語った。
「奇遇だね、俺も同じようなことを言われたことがあって」
――泣いている姿見ると、きっと喜んでくれるよ。
遠い昔、泣いてる自分にそばにいた誰かが言ってくれた。
その時は、ものすごく励まされた。
「誰だったっけ?」いつ、誰に言われたかすぐに思い出せない。
なんであんなに悲しかったのか、分からないけど泣いていた。
その時、彼女は温かい手で包み込んでくれた。掴んで離そうとしなかった。
――ああ、そうだった。
あれは確か、小学生の頃だった。
同級生が亡くなって、葬式に出ていたんだ。
微かな記憶が鮮明に蘇る。だんだん脈拍が上がり、息も上がってくる。
頭の中にぼんやりと人の姿が見える。
よく知っているようで知らない、いつも近くにいるのに遠くばかりを見て、寝ていると思いきや起きている男だ。
「目覚めたのか?」彼に問いかける。
しかし、彼は話そうとしない。
黙ったまま近づき、孝典の頭に触れた。
その瞬間、激しい耳鳴りと頭痛が襲う。
それは何かを呼び起こすようだった。
余りの苦痛に、孝典は叫んだ。
叫ぶと痛みが嘘のように消えた。
――知りたければ、我慢しろ。
彼はそう言い残してベッドに横になった。
「――大丈夫?」聞き覚えのある声は、現実へと引き戻した。
「浦原さん」あの時の少女がオーバーラップし、横にいた彼女を名前をそう呼んだ。
――浦原菜々子は、僕の同級生だった。
彼女は奥仲優希の葬儀の時に、隣に座っていた。
「浦原さん……だったんだ」孝典は息を整え、もう一度菜々子を見る。
そこには大洋の婚約者の浦原菜々子ではなく、同級生としての浦原菜々子がいた。
「あなたは、高村くんなの?」孝典は少し沈黙する。
「……分からないんだ。僕は自分の名前が」冷静になっても思い出せるのは、彼女が浦原菜々子であるということだけだった。
まるで苦痛と対価が見合っていなかった。
「そういえば……記憶喪失だったね。どうしてもっと早く気づけなかったんだろう」
「僕も今気づいたばかりだったから」おそらく、大洋の彼女と言う先入観が邪魔していたせいだ。
それが無ければ、出会った時に思い出していたはずだ。
「あなたの名前は高村聡よ、分かる?」
「僕が高村聡?」孝典はどうしてもしっくり来なかった。
「……ごめん、分かんないや」孝典がそう言うと、菜々子は、残念そうに俯いた。
「孝典―? そろそろ準備しないと……」果穂の声が視界の外から聞こえてくる。
「うん、今行くよ!」孝典は大きめな声で返事する。
「ありがとう、また後で」菜々子は孝典の目を見て頷く。
孝典は、果穂の元に小走りで向かう。
一度後ろを振り返ると、菜々子は微笑んでいた。
「ごめん、ちょっと話しすぎちゃった」
「何話してたの?」
「内緒」果穂に言えなかった。
言える訳がなかった。
浦原菜々子が好きだったなんて。
二人は、受付の席に座る。
葬儀の1時間前になると弔問客が次々と訪れ始める。
「この度はご愁傷様でございます」弔問客がお悔やみの言葉とともに香典と芳名カードを差し出す。
「本日はお忙しい中をお越しいただきまして、誠にありがとうございます。お預かりします」香典を両手で受け取り、一礼する。
「こちらお礼の品でございます」弔問客に返礼品をお渡しし、式場の案内をする。
葬儀は結婚式と同じく、弔問客が多く途切れなかった。
弔問客は結婚式では見なかった顔がちらほらといた。
葬儀の30分前になると、受付の仕事は落ち着いた。
葬儀が始まろうかとする時に、一人の男が遅れてやってくる。
「どうしてお前が……」目の前には、竹岡匠海がいた。
彼は警察に逮捕されたはずだった。
「証拠不十分で、釈放された。俺は無実だ、何もやっていない!」彼は事情を明らかにした。
結婚式で大洋にワインを注いだのは事実であったが、それだけでは証拠としては弱かったようだ。
第一、彼には動機がなかった。
普段から大洋との関係は良好で、大学時代から交際している彼女がいて、菜々子に対して密かに想いを寄せていた訳でも無く、パワハラを受けていた訳でもなかった。
「俺はただ利用されただけなんだ!」竹岡は必死に訴えかける。
とても嘘をついてるとは思えなかった。
「信じろとは言わないよ。だけど奴はここにいるはずだ。だからその犯人の面を拝んでやろうと」竹岡は会場に入ろうとする。
孝典は竹岡を羽交締めにした。
「何をする。俺を止めるな!」
「待て、お前が入ったら会場が騒ぎになる。見つかる前に帰るんだ」孝典は抵抗する竹岡必死に抑える。
「分かった、分かったから離してくれ」孝典は腕を解く。
「代わりに浦原先輩に伝えてくれ。俺はあの事を忘れてないからなと言えば分かるはずだ」彼は、観念すると伝言を頼んできた。
「あの事? 何だよそれ」
「それはお前にいう義理はない」竹岡は言葉を言い残して式場を後にする。
何だか彼が無罪だとしても、とてもいい気分になれなかった。
「大丈夫?」果穂が駆け寄ってくる。
「うん」孝典は乱れた喪服を直した。
「ネクタイ歪んでるよ」果穂が近づいて、孝典の襟元を直す。
「あ、ありがとう……」孝典は彼女に触れられて、なぜか否定的な感情が湧いてきた。
――俺には、ナナがいるのに。
それは孝典が一番危惧していた事だった。
「どうかした?」果穂が心配そうに、聞いてくる。
「ううん。何でもない」
「そう。早く戻ろう」
「うん」孝典は返事をして、受付の席に戻る。
席に戻ってから、自分が結城孝典であると心に言い聞かせた。
無事、葬儀が始まり、粛々と進む。
故人との別れの儀式が終わると、棺が火葬場へ運ばれていく。
「大洋、許してくれ」孝典は小さく呟く。
「サニー……」隣にいる果穂の目には涙が浮かぶ。
「じゃあな、また会おうぜ」火葬場の点火ボタンが押される。
ゴーッと音が響く。
大洋の遺体は、遺骨となり、骨壷に納められた。
その晩、孝典は菜々子に電話する。
「もしもし?」菜々子はすぐに電話に出る。
「もしもし、夜遅くごめん」
「いいよ。寝られないし」彼女は鼻を啜った。
「そっか」孝典は泣いていただろう菜々子に話すのを躊躇して少し黙る。
「それで、何の用?」
「今日、葬式に竹岡匠海が来てたよ」
「え? なんで?」彼女は泣いていたのが嘘みたいに驚く。
「証拠不十分で釈放されたらしい。彼はやってないんだって」
「え? 聞いてない! そうだったんだ……」菜々子はしばらく黙る。
「大丈夫?」
「うん」
「それでさ、彼から伝言があって」
「伝言?」
「そう。俺はあの事を忘れてないからなって伝えてくれって」
「あの事?」
「言えば分かるって。何か心当たりあるの?」
「ごめん。分かんない」
「そっかー」
「伝えてくれてありがとう」
「うん。じゃあまたね」
「聡くん、待って!」孝典が電話を切ろうとした時、菜々子から呼び止められた。
「うん? どうしたの?」
「今週の休み、会えないかなって思ってね」
「今週か……」今週の土日は、久しぶりに果穂とデートする予定が入っていた。
孝典は彼女の誘いに迷いが出る。
「昔の話とかもしたいし。聡くんも知りたいでしょ?」
「うん、知りたいよ。来週の日曜日でもいい?」
「うん、いいよ。じゃあうちに来てね」
「うち? 菜々子さんの家に……?」孝典は近くに果穂が居ないか確かめ、声が次第に小さくなる。
「うん、だって二人きりで話したいし。別に何もしないよ」
「分かってる。けど……いいの?」
「うん。じゃあ待ってるね」菜々子は電話を切った。
「あ……」吐息が漏れる。メッセージアプリの通知が来る。
菜々子が住所を送ってきた。
もう今更、後戻りできない。
孝典は覚悟を決め、唾を飲み込んだ。