第15話 忘れてしまった呼吸
――キャーー!!
会場に戻ると、突然悲鳴が聞こえてくる。
背筋には冷たいものが走った。
会場内は騒然とし、招待客の視線は一点に集中していた。
そこには大洋がいた。
菜々子の横で苦しそうに倒れている。
――大丈夫ですか?
式場のスタッフが大洋の頬を叩きながら、声を掛ける。
しかし、反応はない。
「ど、どうしたんですか?」
「突然苦しみ出して、倒れたんだ」近くにいた男性はそう答えた。
嘔吐したのか、口元から吐瀉物が垂れていた。
――おい! 誰か! 早く救急車を!
――今、呼んでいます!
別のスタッフが受話器を手に話していた。
「大洋……しっかりしてよ」菜々子は泣き崩れていた。
「大丈夫だから、席に座って落ち着こう」孝典は、近くにあった椅子を彼女の側に置く。
「絶対大丈夫だから」目線の高さを合わせ、彼女を励ます。
そうすることで自分も落ち着いていられた。
「うん……ありがとう……」何度も頷き、そして静かに、椅子に腰掛けた。
スタッフが何度も呼びかけるが、ピクリとも動かない。
苦しそうだった表情は力が抜け、眠ってるようにも見えた。
「嘘だよな?」孝典が大洋に近づこうとすると、菜々子が腕を掴んだ。
――え?
彼女は寂しそうな目で見つめる。
行かないでと言っているようだった。
目で問うと、菜々子は首を小さく横に振った。
少しすると、救急隊がストレッチャーを運んでやってくる。
「お酒は結構飲まれていたんですか?」救急隊員の1人が状況を尋ねた。
「倒れるほどは、飲んでないはずですけど」
「それでは、朝から調子が悪かったなどの心当たりはありますか?」
「……ないです」菜々子は、か細い声で答えた。
「そうですか」
――清水大洋さん! 聞こえますか?
もう1人の救急隊員が大声で叫ぶ。
やはり、反応はない。
「まずいな、急ごう」大洋はストレッチャーに乗せられ、運ばれていく。
大洋の母親が付き添いで救急車に同乗した。
大洋の父親と菜々子は後からタクシーで追いかける。
孝典は彼らを見送った後、披露宴の会場に戻る。
先ほどまでざわついていた会場は静まり返っていた。
「どうだった?」果穂が心配そうに声を掛けて来た。
孝典はゆっくりと首を横に振る。
「そっか……」果穂は肩を落とした。孝典の心臓が激しく鼓動を始める。
嫌な予感がしていた。
しかし、孝典たちにはできることは何もなく、ただただ菜々子たちからの連絡を待つしかできなかった。
――帰ろうか。
――そうだね。
会場にいた招待客からそんな会話が聞こえ始めた。
「待ってください!」大声で叫ぶ男が現れる。
彼は左右に大きく手を振り、警察手帳を見せつける。
どうやら刑事のようだ。
「皆様、動かないでください!」彼は再び大声で叫ぶ。
一同は何が起こったのか分からず唖然としていた。
「新郎様は何者かによって、毒を盛られた可能性があります」現場に駆けつけた救急隊が異変に気付き、事件性があると警察に通報したらしい。
――毒⁉︎
招待客たちはざわつき始める。
当然だ、犯人がこの場にいるのだとしたら考えるだけで恐ろしい。
そして、自分たちが疑われているのだから。
孝典は真横にいた果穂の手を握る。
彼女も握り返す。
それから大丈夫だよとアイコンタクトを取った。
「今から全員の所持品検査を行います。1人ずつ行いますので、その場を動かないでください」中には納得いかない者もいた。
それでも容赦なく、検査は始まる。
――えーんえーん。
――こら、静かにしなさい。
小さな子どもの泣き声とそれを叱る母親の声が響く。
検査は子連れの家族から行われた。
ほとんどの参加客たちは列になって、一人ひとり検査を受けていた。
そしていよいよ孝典と果穂の番になった。
何か不審物がないかを調べられたが、異常はなくすぐに解放された。
「本当にいるのかな」半信半疑だった。
結婚式で新郎を殺そうとする人がいるなど、孝典には到底考えられなかった。
「もしそうなら、あたしはそいつを許さない」果穂は強く言った。
「ああ……もし本当なら1発ぶん殴ってやりたいさ」孝典もそれには同意だった。
しかし誰にも気づかれず、サニーだけに毒を盛ることが可能なのか。
容易なことではないのは確かだ。
相当緻密に練られた計画なんだろうと思うと余計に腹が立つ。
廊下を走るスタッフとすれ違う。
走りから異常な焦りと、不安感が感じられた。
「どうかしたの?」彼の後ろ姿を目で追い、気がつけば背中を追いかけていた。
彼はスタッフルームに入っていく。
「ねぇってば」果穂も孝典の後ろを追ってきた。
「しーっ」孝典は慌てて声を出す果穂の口を塞いだ。
――清水さん、亡くなったみたいです。
扉越しに聞こえるスタッフの声は、確かにそう言っていた。
果穂の口を塞いだ手は力が抜け、ダランと地面に向かって垂れ下がる。
言葉を理解するのに時間がかかった。
――嘘だろ?
それが頭の中に浮かんだ言葉。
信じられなかった。
いや、信じたくなかった。
もう2度と会えないなんて。
呼吸の仕方がわからなくなるほどに緊張が走り、正気を失いそうだった。
「なんで……? なんで!?」果穂が膝から崩れ落ちる。
何も掛ける言葉が見つからない。
「だってサニーは結婚したばかりなんだよ? ねぇ! そうでしょ?!」涙をボロボロ流しながら、彼女は叫んだ。
孝典は泣き喚く果穂を抱きしめることしかできなかった。