死神との再会
時計を返してもらいに……?
「どういうことですかっ!?」
やっとここまでたどり着けたのに、時計を返してしまったら……もう過去には戻れない。純くんを助けることができなくなる。
「以前、お話したとおりです。時計があなたを過去に戻す意志がなくなりましたので、私は時計を回収しにやってきたのです」
「そんな……そんなのおかしいじゃないですかっ! 私はまだ、純くんの命を救えてない! 何かの間違いですよね……?」
感情のままに死神さんへと詰め寄り、真っ直ぐにその瞳を見つめた。
「いいえ、事実です」
淡々と発せられた死神さんの無機質な言葉に、まるで世界が音を失い、色を失い、すべてが遠ざかっていくような感覚に襲われた。
「あなたにとっては残念な結果となってしまいましたが、時計の意志は、志和純輝さんの命を救うことではなかったということでしょう」
その言葉が耳に届いた瞬間、意識がかろうじて繋がり、胸を締め付けるような焦燥感が心を支配し始めた。
「そんなはずない……。そんなの嘘だ……嘘だ噓だ嘘だっ!」
勉強机に駆け寄り、玄関から握りしめたままだったキーホルダーから小さい鍵を選び、そのまま引き出しの鍵穴へ向ける。しかし、手が震えてなかなか入らない。ようやく鍵が回った瞬間、引き出しを乱暴に開け、骸骨の時計を掴み取った。そして、即座にボタンを押す。
「嘘……なんで……。骸骨さん、お願い……。お願い、お願い、お願い……」
何度ボタンを押そうとも、あの日の図書室へ戻ることはできなかった。目の前が霞んでいき、胸が締めつけられる。手に持った時計を強く握りしめたまま、無力にその場にへたり込み、微動だにすることができなくなった。
そんな私の代わりに東堂先輩が、恐怖で震える足を必死に抑え込みながら、涙を浮かべて抗議の声を上げる。
「こんなの……こんなのあんまりよっ! 志和くんの命を救うことができないなら、なぜ優奈が過去を繰り返さなければならなかったというの?」
「それに関しては時計の意志ですので、申し訳ありませんが私にも正確なところはわかりかねます」
それ以上は誰も何も言えなくなった。そんな重たい沈黙の中、死神さんはゆっくりと私に歩み寄ってくる。
「それでは倉住優奈さん、時計を返していただきましょうか」
この瞬間に私はもう、過去に戻ることを諦めた。しかし──
「ちょっと待ちな! その時計はあたしが使う」
振り返った死神さんと、瀬名さんの射貫くような視線が交錯する。
そうだ……突然のことで混乱してたけど、まだ純くんを救える可能性はゼロじゃない。私が無理でも、瀬名さんなら過去に戻れる可能性がある。凄腕霊能者の瀬名さんなら、舞ちゃんを助けるついでに、メダカちゃんの呪いをどうにかしてくれるかもしれない。
しかし、そんな私の淡い期待は、次に続く死神さんの言葉であっけなく打ち砕かれることになる。
「残念ですが、それは認められません。今回のあなたとは時計を使う取引をしておりませんので」
完全に終わった……。時計を使わせてすらもらえないなら、もうどうすることもできない。
そんな私の心情とは裏腹に、瀬名さんは一歩も引かず、鋭い眼差しで言葉を重ねる。
「へぇー、死神はいつから世界を変える存在になったんだい?」
それを聞いた死神さんの眉がわずかに動いた。
「あたしが今回、霊力を封印する取引をしたのはさ、優奈ちゃんが過去を繰り返す前に、あたしがその時計を使ったからだ。それなら今回のあたしが時計を使えない道理はないじゃないか。それとも、それが霊界のルールとやらに抵触するとでもいうのかい?」
死神さんは数秒間、思案の色を浮かべながらじっと黙り込む。そして、張り詰めた空気の中、ゆっくりと口を開いた。
「たしかに、あなたの言われることが正しいかもしれません。霊界のルールに抵触することはないと判断し、あなたが時計を使うことを認めましょう」
私は思わず時計を強く握りしめる。もう駄目だと思っていたのに、希望の糸はまだ繋がっていた。
「ただし、『時計の意志でない場合、あなたたち人間が過去に戻れるのは一度限り』というのが霊界のルールです。過去に戻った瞬間に、時計は私のもとへと戻ってくるでしょう。その瞬間をもって、回収を完了とさせていただきます」
次が最後……。その一回で、瀬名さんは純くんの命を救ってくれるだろうか……。難しいかもしれない。でも、もうそれに賭けるしか私に道は残されていない。
「そうかい。じゃあ、空、梨々花、さっさと力を貸しな。こいつに聞きたいことはいろいろとあるけど、戻れるうちに戻っとかなきゃ何が起こるかわかったもんじゃないからね」
先輩たちはその判断に迷うことなく頷いた。そして私は、最後の望みを託すように骸骨の時計を瀬名さんに差し出し、祈りを込めた眼差しを向ける。
「瀬名さん、舞ちゃんを救うことができたら、どうか純くんのことをよろしくお願いします」
そんな私の願いを聞いた瀬名さんは、にやりと口角を釣り上げる。
「何言ってるのさ。過去に戻るのは優奈ちゃんだよ」
「へっ?」
突然のことに思考が追いつかず、声が裏返った。
「あたしがこの時計を使って、優奈ちゃんを過去へ戻すのさ」
すぐさま死神さんから制止の声が掛かる。
「それを認めることはできません。それではあなたではなく、倉住優奈さんが時計を使用することになってしまいます」
「どうしてだい? あたしの霊力をメインに使って時計を動かすんだから、あたしが時計を使ったようなもんじゃないか」
勝ち誇った顔つきをする瀬名さん。死神さんは下を向いて肩を震わせる。完全な屁理屈でしかない暴論に、怒りを抑えているのかもしれない。しかし──瀬名さんの屁理屈は、どうやら死神さんの笑いのツボにハマっただけのようだった。
「くっ……ハッハッハ! 古海瀬名さん、あなたは本当に面白い方ですね。いいでしょう。ギリギリアウトかもしれないラインですが認めましょう」
「だめですよ! 私は霊力の使い方なんてわかりません。失敗するかもしれませんし、上手くいったとしても霊界のルールを破ってしまったら、死神さんは消滅してしまうじゃないですか」
必死に止めようとする私に、死神さんは優しく微笑みかける。
「ご心配には及びません。この件が問題になったとしても、私が消滅させられることはないでしょう。それに正直なところ、私もこの結末には納得しておりません。ですから続きを見てみたくなったのですよ」
「あっはっは。あんたたち死神にも人間らしいところがあるんだね」
「ええ、まあ私はもともと人間でしたから……」
そうつぶやいたあと、死神さんは遠い過去を思い出すかのように目を細めた。
「その話に興味はあるけどさ、今は聞いてる場合じゃないね。さあ、こいつの気が変わらないうちにさっさと始めるとしようか」
「やっぱり、瀬名さんが過去に戻ったほうが……」
不安の色を隠せない表情でそう言った私に、瀬名さんは優しく笑いかける。
「いいんだよ。優奈ちゃんがいなかったら舞のことは諦めるしかなかったしね。それに舞がここにいたらきっと、優奈ちゃんを過去に戻せって言うはずさ」
「……わかりました」
これ以上はもう……何も言うべきではない。素直に感謝するべきだ。
そう考えて頭を深く下げる。
「瀬名さん、本当にありがとうございました。舞ちゃんのことも絶対に救ってみせます」
「ああ、頼んだよ」
心からの感謝と決意を伝えて頭を上げた私は、先輩たちのほうへと向き直る。
「先輩たちも本当にありがとうございました。昨日、先輩たちに会えなかったら、私はまだまだタイムリープを続けていたのかもしれません」
そう言って頭を下げた私に先輩たちも、瀬名さんと同じように優しく微笑みかけてくれる。
「そんなにたいしたことをしたわけじゃないわ。志和くんのこと、絶対に助けてあげてね」
「舞のこともよろしくな」
「はい、必ず」
それから、くじらちゃんを思い切り抱き締めた。
「くじらちゃん。長い間、本当にありがとう」
「痛い痛い。優奈ちゃん、愛情表現が激しいってば。今回の私が優奈ちゃんに協力したのは一年くらいだよ」
「わかってる。でも次で終わりだから……。ちゃんと言っておきたかったの」
背中に回していた手を緩めて距離を取り、視線を合わせると、くじらちゃんは満面の笑みを私に向けてくれた。
「そっか。じゃあ、次回の私によろしくね」
「うん」
最後に、死神さんに向かって頭を下げる。
「死神さんも、ありがとうございました」
「礼を述べられるようなことは何もしておりませんが……」
私にお礼を言われるとは思っていなかったからか、今回の結果からか、死神さんは申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「いえ。もし違う死神さんだったらきっと、この最後のチャンスもなかったと思います」
しかし、私が本当に感謝をしているのが伝わったようで、まぶたをゆっくりと閉じ、口元を少し緩ませて言葉を繋げる。
「そうですか……。では、幸運を祈ります」
「はい」
全員に感謝の気持ちを伝え終わると、過去に戻るための準備を始めることとなった。私が部屋の中心あたりの広いスペースに立ち、三人が背中から霊力を送ってくれるそうだ。
くじらちゃんは邪魔にならないよう、部屋の入口近くに立って、じっとこちらを見守っている。死神さんはくじらちゃんに気を遣ってか、入口とは正反対にある窓際から静かに様子を窺っていた。
「どうしたらいいんでしょうか?」
「あたしたちが霊力を送るから、それを優奈ちゃんの白いオーラに変えて、白いオーラが時計に流れ込んでいくようにイメージするのさ。最初は一応ゆっくり送るけど、大丈夫そうだったら全力で送るからね」
「わかりました」
私が骸骨の時計を両手で包み込むように持つと、左肩に東堂先輩、右肩に古海先輩がそっと手のひらを当て、瀬名さんが背中に静かに両手を置いた。
「じゃあ、いくよ!」
瀬名さんの合図で、三人の霊力が私の体の中にゆっくりと流れ込んでくる。ほんのり冷たいのは東堂先輩、ほんのり暖かいのが古海先輩、熱いのが瀬名さんの霊力だろう。
流れ込んできた三色の霊力を白い色に変え、骸骨の時計に流れ込んでいくようにイメージすると、その通りに霊力が動いていくのがわかった。
「どうだい?」
「はい、問題ありません。でも時計に流し込んでいるというよりは、なんだか時計に霊力を吸われているような感じがします」
そう伝えると、死神さんが静かに口を開き、穏やかな声で答えてくれる。
「それで問題ありませんよ。最初に霊力を流し込めば、そのあとは時計が勝手に霊力を吸い取ろうとしてきます。その結果、霊力が足りなければすべての霊力を吸い取られ、霊能力を失ってしまうというわけです」
「そうなんですね、わかりました。ありがとうございます」
「よし、じゃあ、全力でいくよっ!」
「はい!」
先ほどまで緩やかだった霊力の流れが、一気に加速していく。私が白にしようと考えていれば、流れ込んできた瞬間に自動的に白に変わってくれるので、色の変換はまったく問題ない。白に変わった霊力は、私が意識しなくても次々と時計に吸い取られていく。
これなら何も問題はない。
そう考えた瞬間、時計に集中して狭まっていた視界がふっと広がった。そして、広がった視界の隅に何か違和感を感じた。その方向に目線を少し動かすと、くじらちゃんの隣に──
「純くんっ! いつから……」
その疑問に、先輩たちが申し訳なさそうに答える。
「気がついたのね……。この部屋に入ったときからいたわよ。だけど、優奈には言うべきではないと思って黙っていたの」
「言うタイミングもなかったしな」
そっか……。そうだよね。最初のときも純くんは私のそばにいてくれた。それなら今回も近くにいて当然だよね。いや、今までは気づけなかったけど、私がすぐに過去に戻らなかったときはきっと……。
私が認識したことに純くんはすぐに気がつく。だけど邪魔をしないようにしているのか、何も言葉を発することはなかった。その場に立って、静かに私を見守ってくれていた。
「純くん、もう大丈夫だよ。次は絶対に助けてあげられる」
それから、今までありがとう。愛してる。これからもずっと……。
このことは今回の純くんに言うべきではない。そう考えて、自分の心の中だけで思いを伝えた。その瞬間──
風が耳を打つような速さで吹き、目の前の景色が急速に後退していく──
景色が光の帯となって流れ、すぐに消え去る──
「上手くいった……?」
だけど、今回はまだ時計のボタンを押していなかったはずだ。
それに、いつもと同じ空間なのに何かがおかしい……。
いつも響いているはずの轟音がまったく聞こえない。
空気の震えさえ感じられない静けさの中で、徐々に浮遊感が広がり、意識がふわりと遠くへ漂っていく──
思考が途切れ途切れになり、何もかもが手の届かない場所に感じられる──
「まるで夢の中に引き込まれているような感覚……」
だんだんと心地よくなっていくその感覚に抗えず、私は意識を手放した──




