覚めない夢
貸し出しカウンターのほうから聞こえる声は、二年前に卒業したはずの古海先輩の声によく似ている。
骸骨の時計を胸ポケットにしまい、古海先輩らしき声がするほうへ本棚を抜けていくと……いた!
制服姿の古海先輩、そして一年前に卒業した東堂先輩、それから……純くんがいるっ!
三人の姿が視界に入った瞬間、私は驚きと戸惑いで動けなくなった。
『これは……夢?』と考えたところで、それまでの興奮状態だった思考が急速に冷めていく感覚に襲われた。
そうだ、これは夢なんだ。冷静に考えてみるとありえない。現実的に考えて、過去に戻るなんてことができるわけがない。どこから夢を見ていたんだろう……。骸骨の時計を見つけたところが、既に夢だったんだろうな……。
「お~い。倉住、何してんだ? 早くこっちに来いよ~」
古海先輩の呼びかけに応えることもせず、とぼとぼと三人がいるほうへ歩を進める。
「どうした? 腹でも痛いのか?」
「いえ、夢の中なので」
私の言っていることが理解できていないであろう古海先輩は、首をかしげて数秒考え、ポンっと手を打つ。
「なんだ、寝不足ってことか」
「あら、倉住さん。寝不足は美容に大敵よ」
夢の中の住人たちは勝手に解釈して勝手に納得しているようなので、私も「はい、気をつけます」と、適当に返事をしておくことにした。
もうどうでもいいや。それよりも、夢だと気づいたのにまだこの夢は覚めない。いつもだったら、夢だと気づいた瞬間に目が覚めるのに。
なんてことを考えている間に、夢の住人たちは話を進める。
「先週、うちの父さんが映画のチケットを四枚くれてな、この間の休みに梨々花と二人で観に行ってきたんだ」
「とっても面白い映画だったわよ」
あ、わかった。この会話は、純くんと付き合うようになった日の会話だ。
「梨々花ったらもう、わんわん泣いちゃってさ」
「わんわん泣いていたのは空ちゃんでしょ。私は静かに涙を流していたわ」
そうそう。墓穴を掘った古海先輩が顔を赤くしてたんだった。それにしても、私が覚えてない細かいところまで再現されている。人間の脳って凄いな。
「まあ、と・に・か・く! それだけ面白くて泣ける映画だったってことだ!」
「ジャジャジャジャーン! ここで二人にいいお知らせで~す」
貸し出しカウンターの中に座って微笑んでいる純くんだって、夢の住人とは思えない。この純くんの優しい笑顔が私は大好きなんだ。
「未経験者の中でも図書委員会の仕事をいち早く覚え、私たちに多大な貢献をしてくれたお主らに、二枚余ったこの映画のチケットを一枚ずつ進呈してたもろう~!」
「わ~パチパチ~」
可愛いなと思いながら、ポカーンとしている純くんの顔を眺めていると、夢の住人からチケットを渡された。そして、受け取ったチケットの手触りに私は驚愕した。夢だというのに、まるで本物のような紙の質感だったからだ。
「一人で観に行くも、二人で観に行くも主らの自由であるからにして」
「イヤーン! 二人で観に行ったらまるでデートみたいじゃな~い! 映画の後は二人で近くの公園に行っ――」
変なスイッチが入ってしまった東堂先輩の頭を、古海先輩がぺしっと叩く。
あ、こんなやり取りあったな~。懐かしい。何から何まで当時のことが再現されているみたい。
「じゃあ、用件も済んだし私たちは先に帰るぞ」
「戸締り忘れないでね~」
そう言い残し、夢の中の先輩たちは図書室の入り口へと向かって歩いていく。そして、廊下に足を踏み出してからこちらを振り向いた。
「志和~、ちょっとこい」
純くんはすぐに貸し出しカウンターの外に出て、先輩たちのもとへと駆け寄っていく。
先輩たちに純くんが呼ばれている間、暇になってしまったのでチケットをもう一度よく観察してみる。
触った質感はもちろんのこと、印刷されている画像やバーコードなど、何から何まで本物としか思えない。
「もしかして……これは夢ではないのでは……?」
もし本当に過去に戻っていると仮定した場合、純くんと恋人関係でいられなくなるような事態だけは絶対に避けないといけない。
万が一を考えて、ここから先は思い出せる限り、過去と同じように振る舞うことにしよう。