百年分の恩返し
「ありがと、スッキリした」
私の気持ちが落ち着きを取り戻したころには、メダカちゃんのことを任せた東堂先輩も戻ってきており、車はすでに私の家に向かって走り出していた。
「東堂先輩もありがとうございました」
「いいのよ。それくらいしか、今の私にできることはないから。あまり役に立てなくてごめんなさい」
力なく肩を落とす東堂先輩の言葉を、くじらちゃんが否定する。
「そんなことない。東堂先輩は十分、優奈ちゃんの役に立ってますよ。私なんて、優奈ちゃんのそばにいてあげることしかできないから……」
消え入りそうな声でそう言って、膝の上で親指をぎゅっと握りしめた。私はその上に、自分の手のひらをそっと重ねる。
「それが何よりも私にとっては心強いんだよ。たしかに先輩たちは凄いし頼りになるけど、くじらちゃんがそばにいてくれることで、今までどれだけ私の心が救われたか……」
「そうだぞ、貴船。人にはそれぞれ役割ってもんがあるんだ。お前は優奈のそばにいてやるだけでいいんだ」
その言葉が、くじらちゃんの沈んでいた気持ちをふわりと浮かび上がらせた。
「そっか。じゃあ、優奈ちゃん。次に過去に戻ったら、いくらでも私をそばに置いてていいからね」
「そんなこと言ったら、いっぱい甘えてくじらちゃんを困らせちゃうかもよ。嫌われちゃうかも」
「あはは、嫌いになんてならないよ~。好きなだけ甘えて。私は優奈ちゃんのために存在してるんだから」
いつかの過去で聞いたことがあるようなその言葉に、くじらちゃんとの今までの過去を思い出す。思えばこの長いタイムリープの中で、くじらちゃんは常に私のためだけに何かをしてくれていた。
一緒に行動方針を考えたり、愚痴を聞いてくれるだけじゃない。アルバイトだって私のために。そういえば、旅行が原因か検証してたときは、私と純くんの旅行のためにアルバイトの数を増やしてくれてたこともあったっけ。
本当に、私のためだけに存在してくれているようだった。そんなくじらちゃんのために、私は何もしてあげられていない……。だけど、次のタイムリープで純くんはきっと死なない。そうすれば、あとは舞ちゃんを救うだけだ。
すべてが終わったら、私の残りの人生はくじらちゃんのために捧げよう。百年分の恩返しにはちょっと足りないけど。
「あっ……」
隣で小さく声を上げた私に、くじらちゃんが心配そうに声をかける。
「どうしたの?」
「もし瀬名さんが一緒に過去に戻れなかったときのために、舞ちゃんに関することを聞いておかないと」
斜め後ろに座る私にちらりと視線を送った瀬名さんは、「そうだね」とつぶやき、シートに深く腰掛けて腕を組むと、前方の景色を眺めながら目を細めた。
「舞を殺したのは蛇堂朔夜っていう悪趣味なやつでさ、去年の夏にあたしが取り逃がしちまった悪霊なんだ……」
「瀬名さんが……。そんなに強力な悪霊だったんですね」
「いや、そこまでたいした悪霊じゃないよ。ただ、追いかけてる途中で人質を取られちまってさ。人質は無事に保護できたんだけど、代わりにやつを取り逃がすことになっちまったわけさ。それで、あたしに復讐するために蛇堂の野郎は……」
その声には、抑えきれない苦しみと憎しみが絡んでいた。その感情を紛らわせるように煙草を一本取り出し、苛立たし気に火を点ける。
「舞ちゃんが亡くなったのは、いつなんですか?」
「去年の秋口に、二か月遅れて花火大会が開催された日があっただろう? 舞に聞いた話だと、その日の夜、舞は遠くに上がる花火を見るためにマンションの廊下に出たらしいんだ。それで、花火を見終わって家に入るときに蛇堂の野郎が現れて……」
その瞬間──瀬名さんから殺気を感じさせるほどの強い怒りが伝わり、車内に張り詰めた空気が漂った。
「家には結界が張ってあるし、普段は蛇堂レベルの悪霊なんて寄せ付けないくらい強力な御守りを持たせてあったんだけどさ……。たまたま舞が御守りを忘れて外に出たタイミングを狙いやがったんだ」
そこまで話すと、いつもの穏やかな雰囲気に戻り、車内に張り詰めていた空気が消えてなくなる。
「あたしが過去に戻れなかったときは、それだけ伝えてくれれば大丈夫なはずだよ。事前に知らせてくれたら、絶対に蛇堂の野郎を取り逃がしたりはしない。それが無理でも、舞を守る方法はいくらでもあるからさ」
私を見つめるその瞳には、揺るぎない自信が宿っていた。
「わかりました。覚えておきます」
「それはそうと優奈ちゃん、あたしが過去に戻れなかったらさ、舞を助けることができなくても、やっぱり次で過去に戻るのをやめちゃあくれないかい?」
「それはできません」
私がここまでたどり着けたのは、最初のタイムリープで出会った瀬名さんのおかげだ。私はあのとき、瀬名さんに救われた。その恩を返さずに、このタイムリープを終わらせることなんてできるわけがない。
「頼むよ。さっきの優奈ちゃんの話を聞いてたらさ、やっぱり舞もそれを望まないって思ったんだ。優奈ちゃんだって、これでタイムリープを終わらせることができるって言ってたじゃないか」
「あのときは、その……正直、純くんのことしか頭になくて……。ごめんなさい……」
罪悪感が押し寄せ、思わず視線を落としながら深々と頭を下げた。
「いや、それはべつにいいよ。ただ、今話したとおり、舞を助けるのはそう難しいことじゃない。それでも次で助けられないってことは、別の何かが原因ってことだ。そうなると、何度も繰り返す必要がある」
「それでも私は構いません」
私の真剣な眼差しと、瀬名さんの揺るぎない視線が交錯する。
「その気持ちは嬉しいし、ありがたいとも思う。だけどあたしも舞も、優奈ちゃんにそれを望まないってことだけは覚えておいてほしい」
「……わかりました」
そこまで話したところで、私の住んでいるマンションに到着した。
お母さんは仕事で遅くなる予定なので、お母さんが契約している駐車場に車を駐めてもらい、全員そろってエレベーターに乗り込む。
そして、エレベーターがわずかに揺れながら動き出すと、古海先輩と東堂先輩が突然、何かに怯えたように身を震わせた。
「な……なんだ、この気配は……」
「せ、せ、瀬名さん、これ……」
「大丈夫。あんたたちが気配を感じないだけで、さっきまでもずっと近くにいたんだから何も怯えることはないよ。これは死神の気配さ。きっと何か用があるんだろうよ」
私には何も感じない。だけど普段は気丈な先輩たちが、私やくじらちゃんの前でこんなにも怯えているなんて……。霊力を感じ取ることができる先輩たちにとっては、死神さんの気配はとてつもなく恐ろしいものなのだろう。
「で、で、でも、この前、気配を感じたときは、こんなに大きな気配じゃなかったわ」
「そんときは顕現してない死神を霊視したんだろう? 何か用があって人前に現れるときは姿を消す必要がないからね。これが本来の、神に属する者の霊気ってやつさ」
最上階に到着したエレベーターが静かに停止する。扉が開いても、先輩たちはすぐには動くことができない様子だった。
「この部屋からだね。ここが優奈ちゃんの家かい?」
先に降りた瀬名さんがそう尋ねてきたので、私は「そうです」と答えながら、家の鍵をドアに差し込んだ。
「ほら、おいてくよ」
瀬名さんに急かされ、ようやく先輩たちは動き出す。
「やっぱり私の部屋にいるんですか?」
自分の部屋の前で立ち止まって瀬名さんに尋ねる。
「ああ、間違いない」
その返事を合図とし、意を決してドアを開く。部屋の中にはあのときと同じように、海賊のような衣装を身にまとう、片眼鏡をかけた白髪白髭の男性が佇んでいた。
「お久しぶりです、倉住優奈さん。それから、古海瀬名さんも」
開口一番、親しげに挨拶をしてきた死神さんに、瀬名さんは視線を鋭く光らせ、強い口調で問いかける。
「何の用だい?」
「はい。今日は時計を返していただきに参りました」




