念願が叶った日
前回は前々回と同じで、まったく違う場所に風景が変わったからすぐに状況が整理できた。だけど今回は同じ図書室内だったから、一瞬何が起こったのかわからなかった。
こういうパターンもあるのか……。
最初の図書委員会よりもあとの出来事で、優奈との間に起こった印象的な出来事といえば……初めて優奈と普通に会話をしたことしか思い出せない。
備え付けのデジタル時計で日付を確認すると、やっぱり5月27日。
委員会の当番表を確認してからの約一週間、毎日何度もカレンダーと睨めっこをしていたから、この日の出来事を忘れることはない。
この日を手にするために図書委員会の仕事をがむしゃらに頑張っていた当時の記憶が、頭の中に鮮明に蘇ってくる――
うちの学校の図書委員会では、本の貸し出し・返却の受付などの活動を各学年六クラスの計十八クラス、男女合計三十六人の中から昼休みと放課後にそれぞれ二人ずつ、毎日四人の持ち回りで行っていた。
当番の日取りや人員の組み合わせは委員長と副委員長が相談して決めて、顧問の先生が確認して問題がなさそうであれば確定となる。
だけどこの年の図書委員会には、上級生の経験者が全体の半数以下である十二人しかいないという問題があった。
活動に慣れるまでの間は当然経験者とペアになるから、二十四人の未経験者に仕事を教える経験者の負担が大きいのは目に見えて明らかだった。
『彼女と当番でペアになりたい』という野望があった入学当初の僕はここに目をつけた。
経験者と組む必要がないと委員長に認められれば、必然的に未経験者の優奈とペアになる可能性が高くなると目論み、仕事を早く覚えられるようにとにかく頑張った。当番ではないときに図書室に通うほどに。
そして未経験者の中でも優秀だと認められた僕は、彼女とペアで当番になるというこの日を掴み取った。
さらに幸運なことに、同じく優秀だと認められた優奈と”一学期の間ずっとペアになる”という奇跡まで掴み取ることができた。この奇跡に関しては、実は先輩たちの策略だったんだけど。
「……くん、志和くん」
過去の回想に夢中になっていた僕のすぐ後ろに、いつの間にか優奈が立っていた。
「あ……優奈……」
優奈とのことを考えていたこともあって無意識にいつも通りに呼んでしまったけど、まあ夢だし別にいいか。
「ぇ……優奈……?」
そう考える僕の気持ちとは裏腹に、いきなり名前を呼び捨てにされた優奈は少し戸惑っていた。
「あ……呼び捨てしたみたいになっちゃってごめん。下の名前は覚えてたんだけど名字をど忘れしてしまって……」
実際の過去では、もちろんフルネームをちゃんと覚えていた。だけど今は優奈の機嫌を損ねないよう、言い訳をしておくことにした。
「そっか……。倉住です」
「そうそう、倉住さんだった。よろしく、倉住さん」
「うん。こちらこそよろしくね」
昼休みが始まったばかりの図書室には生徒がいないけど、時間が経つにつれて増えてくる。だから普段であれば二人で急いで昼食を済ませるところだ。でも今の僕の状況では、とても食事をする気分にはなれない。
「今日はちょっと食欲がないから、僕は先に返却された本の整理とかをしてくるよ。倉住さんはカウンターの方をよろしく」
「わかった。でも、お昼食べなくて大丈夫?」
「大丈夫。お腹が空いたら授業中にでも食べるよ」
授業中に食べるという発言が面白かったのか、クスッと笑う優奈に「じゃあ、よろしく」と言い残して本の整理に取り掛かることにした。
返却された本を指定の場所に戻しながら、パラパラめくって中身を確認してみる。
本のタイトルだけじゃなく、ページ番号や文章の一字一句まできちんと読めるな。本当にこれは夢なんだろうか? だけど夢にしてはあまりにもリアル過ぎる。これは夢とは違う何かなんじゃないか……。だとしたら何なのか。
もしかしてタイムリープってやつなのでは? いや、だけどアニメなんかで見たことがあるそれとはなんか違う。優奈との印象的な体験が蘇り、一区切りついたところで別の場所へワープする。タイムリープというよりは、まるでリアルな走馬灯……。
目の前のことに夢中になって忘れそうになるけど、僕は事故に遭ったんだよな。現実世界の僕は今どうなっているんだろう……。
事故に遭ったあとから現在の状況を考えると、やっぱり走馬灯というのがしっくりくる。だけど実際の走馬灯ってこんなにリアルなのかな。
本棚の隙間から、カウンター業務をしている優奈の姿を眺める。
もしもこれが走馬灯なら、僕はこのまま死んでしまうんだろうか。そうだとしたら、現実世界の優奈には二度と会えないのか……。
死の恐怖よりも、優奈に二度と会えないという悲しみが胸を締め付け、無意識のうちに涙が頬を伝っていた。
「志和く~ん! ちょっとこっち手伝って~」
貸し出しカウンターのほうから、優奈が僕を呼ぶ声が聞こえた。本を貸し借りする生徒が増えてきたから、カウンター業務の方が忙しくなってきたみたいだ。
僕は慌てて涙を拭いて手伝いに駆けつけた。
「どうしたの? 大丈夫?」
優奈は僕の瞳に薄っすらと残る涙に気づいて、心配そうな表情を見せる。
「うん、ちょっと気分が悪くなって……」
涙を流した理由を話すわけにもいかないので咄嗟に言い訳をすると、別の人物が会話に割り込んできた。
「大丈夫か? 体調が悪いのなら保健室に行ってこい。代わりは私たちがやっておくから」
僕たちを心配して様子を見にきていた、当時の図書委員長の古海先輩だ。隣には当時の副委員長の東堂先輩。
「もう大丈夫です」と言って仕事を続けようとしたけど、責任感の強い古海先輩はそれを許してはくれなかった。
「私がこの場にいる以上は放っておけないんだ。志和、何も心配するな。すべて私たちに任せておけば問題ない」
そう言いながら古海先輩はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、片目を不器用に閉じながらサムズアップする。
実際の過去とは違うけど、古海先輩のこの言葉には裏がある。当時の僕なら気づかないだろうけど、今の僕にはハッキリとわかる。
「空ちゃんの言う通りよ。それとも倉住さんの付き添いが必要かしら?」
おまけに東堂先輩まで、したり顔でおかしなことを言いだす始末だ。
その提案にはぜひとも乗りたいところだけど、この世界が何なのかがわからない以上、過去を不用意に変えるのはやめておいたほうがいいだろう。
「大丈夫です。じゃあ、あとのことはよろしくお願いします」
だから、ここは大人しく保健室に行くことにした。でも僕の予想が正しければ、きっとすぐに次の場所に移動するはずだ。
それにしても、実際の過去とはずいぶん変わってしまったけど、この委員長二人は相変わらずだな。
と、内心で苦笑しつつ、この場を離れるために三人に背を向けた。その瞬間――
僕はまた貸し出しカウンター内に座っていた。