89.我が家の元愛犬は侍従に報告する
その日、フィリアナは朝からアルスの姿が見えなかった為、城内をウロウロと彷徨っていた。そんなフィリアナは、長い間解決の糸口が見つからなかった王太子ならびに第二王子の暗殺未遂が解決してから一週間経った今日まで、父フィリックスと兄ロアルドと共にリートフラム城に滞在していた。
その為、フィリアナ達ラテール一家は、城内ではもはや顔馴染みとなっている。
特にフィリアナは、近々第二王子アルフレイスの婚約者として発表される事もあり、城内の使用人や警備騎士達から好意的に声をかけられていた。
だが今日のフィリアナは、いつもべったりで自分から離れようとしないアルスの姿が朝から見えなかった為、心配になって城内を探し回っていた。すると、たまたま上司のマルコムに書類を届けようと移動していたシークが、挙動不審なフィリアナの様子に気づき、声を掛ける。
「フィー、どうした? 今日は子守も番犬も一緒じゃないのか?」
「子守りって兄様の事!? シーク様、酷い!」
「悪い悪い。フィーと言ったら、心配性の男共がいつでもセットで引っ付いているから、つい……」
「アルスはともかく、兄様は最近そうでもないからね!」
「はいはい。悪かったって。フィーは最近、兄様離れしたもんな! まぁ……その分、狂犬に付き纏われている気がするけれど……。ところで城内をウロウロしているみたいだが、どうした? もしかして迷子になったか?」
「違うよ! あのね……実は朝からアルスの姿が見えないから、探していて……」
両眉を下げながらフィリアナがそう告げると、シークが少し考える素振りをする。
「あー……もしかしたら、今日はあそこに行っているのかも」
「あそこ?」
「今からマルコム騎士団長にこの書類を渡しに行くんだが……。それが終わったら、手が空くから俺がそこへ連れて行ってやろうか?」
「私、行ってもいいのかな……。もしかしてアルス、この一ヶ月半は色々ありすぎて、一人になりたかったのかも……」
「あの狂犬王子が、そんな繊細なお心を持っているわけないだろう? むしろフィーに心配をかけたくなくて、一人で行ったんじゃないか? だからフィーが現れたら、きっと喜ぶと思うぞ?」
「本当? じゃあ、連れて行ってくれる?」
「おう! 任せろ! ただ……勝手に連れて行くとフィーの過保護な保護者二名がパニックを起こすから一応、声を掛けてから外出しような?」
「うん!」
その後、フィリアナは兄ロアルドにシークと少し外出する事を伝え、アルスがいると思われる場所まで、馬でシークに連れて行ってもらう事となった。
ちなみに兄のロアルドも誘おうと思っていたフィリアナだが……。
今回の王家のお家騒動に巻き込まれたせいで、ロアルドは一ヶ月半もあった王立アカデミーの長期夏季休暇が潰されただけでなく、全く課題をこなす時間が得られなかった為、現在必死でこなしている。そんな兄の姿を見てしまったフィリアナは、今回は誘う事を遠慮した。
そのような経緯でシークと二人で外出したフィリアナは、城の敷地外に出てから15分ほどシークの馬に揺られる。すると、周りの風景が、自身の予想していたイメージとかけ離れた場所に向かっている事にフィリアナが気づき始める。
「ここは……墓地?」
「ああ、そうだ。恐らく殿下は、ここに埋葬されたある人物の墓の前にいると思うぞ?」
「それって……」
「ほら、いた!」
そう言ってシークが指をさした方向に目を向けると、少し遠くの方でポツンと一人佇むアルスらしき人物の姿が目に入る。すると、シークが出来るだけ近づけるところまで馬を進めてくれた。
「馬で入れるのは、ここまでだな……。フィー、あとは徒歩になるが、あそこまで一人で行けるか?」
「うん」
「じゃあ、俺の案内はここまでだ。帰りは殿下の馬に乗せて貰え」
「分かった。シーク様、連れてきてくれて、どうもありがとう!」
「どういたしまして。フィー。殿下の事、頼んだぞ」
シークからよくわからない頼み事をされたフィリアナは、不思議に思いながらもアルスらしき人物が佇んでいる場所まで歩き出した。すると、アルスがいる墓石から三列前辺りに差し掛かったところで、アルスがフィリアナの存在に気づき、駆け寄ってくる。
「フィー!? 何故、ここに?」
「城内でアルスの姿が見えないから探していたら、シーク様がここじゃないかって連れてきてくれたの」
すると、何故かアルスの顔が不機嫌な表情へと変化していく。
「シークの馬でここまで来たのか……?」
「え? そ、そうだよ。私、補佐がないと一人では騎乗は出来ないし……」
「そうか……。でも帰りは絶対に俺と一緒の馬に乗って帰ろうな!」
「うん。そのつもりでシーク様には帰ってもらったから……」
「そうか!」
今度は途端に上機嫌になったアルスにフィリアナが首を傾げる。
同時に先程までアルスが佇んでいた墓石の方に目を向けた。すると、アルスが困ったような笑みをフィリアナに向けてきた。
「あそこにある墓は……ルインのものだ」
その瞬間、フィリアナの中に会った事もない勝手に想像したルインのイメージ像が浮き上がる。第二王子を暗殺する為に城に潜入し、アルスの侍従となった当時14歳のルイン。その後、暗殺する機会は多々あったが、何故か4年間も侍従としてアルスに仕え、最後は守る為に高度な魔術でアルスを犬の姿に変え、その後すぐに自ら命を絶ったルイン。だが、今思うとそのルインの死因も自害ではなく、口封じのために暗殺組織に消された可能性もある……。
だが、何故このタイミングでアルスがルインの墓にきたのかが、少し不思議だった。現状、隣国の一部の貴族達と手を組み、リートフラム王家の転覆を謀った国内の前王派だった貴族達の自供からは、彼らが利用した暗殺組織の情報や足取りは、一部しか確認が取れていない。
もちろん、ルインが所属していた暗殺組織についても新たな情報は出てきていない。その為、もしアルスがルインの墓を訪れるのであれば、それらの調べが全てついてからだと思っていたフィリアナは、今日アルスがルインの墓を訪れている事を不思議に思ったのだ。
すると、アルスがフィリアナの手を取り、ルインの墓の前まで誘導する。
そこには第二王子を暗殺しようとした罪人の墓とは思えないほど、立派な墓石が建てられており、その前にはカモミールの花が供えられていた。
「これがルインの墓だ……。まぁ、名前はなりすましていた男爵令息のものだから、後で本当の名前に直さなければならないのだが……」
そのアルスの言い方にフィリアナは驚く。
「ルインさんが一体、誰だったか分かったの!?」
「ああ……。今日、朝一番で報告があった」
そう答えたアルスは、今朝方報告を受けたルインの詳細をフィリアナに語り始める。ルインの本名は、リカルド・グレンフィードという名で、隣国グランフロイデでは、やはり爵位持ちの生まれだった。しかも高位貴族で侯爵家の四男だったのだが……。ちょうどリートフラムが前王オルストの圧政で苦しんでいた時代に隣国グランフロイデも統率力がない人間が王位についてしまった為、内乱が続いていた。
その内乱を鎮めたのが旧王家とは分家となる現グランフロイデ王家なのだが、ルインのグレンフィード侯爵家というのが、旧王家時代に内乱に乗じて隣接した領地を武力で制圧し侵略に近い状態で領地を奪い、領民にも重税を掛けるなど、かなりの悪政を行う家だったのだ……。
結果、現在の新王家に王権が移った際、粛清対象になってしまい、ルインの両親は処刑。兄三人と姉が一人いたようだが、長男は新王家に対して謀反を起こそうとした旧王家派に加担し粛清され、次男は弟と妹を見捨て他国に逃げたようだが、そのまま行方不明。
そんな中、13歳の三男だけが10歳の妹と当時4歳だったルインを守ろうと、二人を連れてリートフラム国へ亡命したのだが……。道中、賊に襲われ死亡。そしてルインの姉である長女は、その賊達によってルインと引き離され、こちらも行方不明となっていた……。しかし、ここ最近の調査でグランフロイデの隣国にあたる国の貴族に保護されていた事が分かり、現在は子爵夫人として幸せな生活を送っている事が判明する。
今回ルインの本名や詳細が判明したのも、このすぐ上の子爵夫人となった姉から得た情報である。何でも王家の影がルインの所属していた暗殺組織を突き止める為、ルインの姿絵を見せながらグランフロイデで聞き込みをしていた際、たまたま入った酒場に夫とお忍びで来ていた姉の目に留まり、ルインの姿が亡くなった三男と瓜二つだった事で、素性が判明したそうだ。
「ルインが俺を犬の姿にした魔術の術式もそのグレンフィード侯爵家に代々伝わる術式だそうだ……。だが、それは対象者に害をなすものではなく、対象者の姿を変えて身を隠す為の魔術だったらしい。亡命中、三男がその術で自身とルイン達の姿を変え、追っ手の目をくらませる為に使っていたそうだ。だが、姉と引き離されたルインは、そのままリートフラム国に取り残され、孤児になったのだろうな……。その後、貴族特有の育ちの良い振る舞いに目をつけられ、暗殺組織に拾われた可能性が高い」
そのアルスの推察にフィリアナが首を傾げる。
「暗殺組織に入るのに育ちの良さなんて関係あるの?」
「暗殺対象者の殆どは身分が高い人間だから、夜会になどに潜り込む際、貴族的な振る舞いが必須となる。その際、一から貴族のマナーを教え込むより、元々そのマナーが身についている人間を暗殺者に仕立て上げた方が、効率がいいだろう?」
「な、なるほど……」
そう説明したアルスは視線を落とし、忠実で几帳面だった口うるさい侍従が眠る墓石にゆっくりと手を伸ばし、優しく撫でる。
「今日は、やっと俺や兄上を殺そうとしていたルインの雇い主を捕らえた事を報告しに来た。恐らく、ルインが死に際に一番気にしていた事は、俺が無事に成人するまで生き残れるかどうかだったと思うからな……」
そんな苦笑しながら話すアルスの様子にフィリアナの悪戯心が急に刺激される。
「そうかなぁー。私は、もっと別の事をルインさんは心配していたと思うよ? 例えば……アルスが、ちゃんと真っ当な大人になれるかどうかとか!」
そのフィリアナの冗談にアルスが一瞬呆けた表情をした後、顔をクシャリとさせて吹き出す。
「確かに! 俺はあの当時、ルインに犬にされた事でラテール伯爵邸に連れ帰って貰えたから、性格を歪ませる事もなく、あのクズカス暴君のようにならずに済んだのだと思う……。俺よりも弱いのに必死で俺を守ろうとしてくれるフィーや、俺が我が儘な態度や悪戯をする度にめげずに何度も注意してくれるロアに毎日これでもかというくらい構ってもらえたから……。俺は7年間、犬の姿を強いられていても全く孤独なんて感じなかった……」
「アルス……」
「むしろ犬でなくなった事で、フィーとの接し方に制限をつけられる今の方が辛い……」
「アルス……」
途中までは、とてもしんみりする良い事を口にしていたアルスだが……最後は本音がダダ洩れとなって全てが台無しになり、フィリアナが呆れるような反応を見せる。
するとアルスは、突然一歩下がったかと思うと、フィリアナの背後に回り、その両肩に手を掛けた。そんなアルスの行動にフィリアナが不思議そうに首を傾げる。
「アルス?」
「だが、どちらにせよ、現状の俺は無事成人を迎え、真っ当な人間として生きていける事は確かだと思うぞ?」
そう言って、そのままフィリアナをグイっと一歩前に押し出す。
「見ろ! ルイン! 俺は、お前に犬にされてもしっかり生き残り、俺にとって最高の婚約者を手に入れたぞ!」
その瞬間、フィリアナが驚くようにゆっくりと目を見開いた後、自分の後ろに回ったアルスの顔を見上げる。すると、アルスが珍しくニカッと歯を見せながら子供っぽい笑みを浮かべた。
「本当はもっと色々な事を片付け、落ち着いてからフィーをここに連れて来るつもりだったのだが……。こういう事はタイミングが大切だと思う! だからフィーの事は、今日ルインに紹介する事にした!」
まるで小さな子供のようなあどけない笑顔をうかべながら、そう言い切って来たアルスにフィリアナが思わず吹き出す。
「どうした? フィー。何かおかしかったか?」
「う、ううん。おかしくないよ? ただ……アルスらしいなって!」
「俺らしい? どういう事だ?」
そう口にしながら、フィリアナは普段は忘れがちになってしまうある事を思い出す。たとえ、どんなに大人顔負けの臨機応変な対応が出来たとしても、アルスはフィリアナと大して年齢が変わらない普通の少年なのだ。その事を今のアルスの状態から改めて感じたフィリアナは、ルインの墓石に一歩近づき、姿勢を正す。
「初めまして、ルインさん。私はアルスの元飼い主で、今は婚約者となったラテール伯爵家長女のフィリアナと申します。今までアルスの事を守ってくれて……本当にありがとうございました」
そう言ってフィリアナは、深々とその墓石に頭を下げる。その様子を後ろから見ていたアルスが、切なそうな表情をしながら声を掛けてくる。
「フィー……」
「折角、アルスが紹介してくれたのだから、私もちゃんと名乗らないとね!」
そう言ってフィリアナも先程のアルスのようにニッコリとあどけない笑みを返した。すると、アルスが何故か悲しそうな表情である事を指摘してきた。
「今のくだりで『元飼い主』と口にする必要性は……あったか?」
「あったよ! だってルインさんが一番心配していたところは、この先自分がいなくなったら、一体誰がアルスの暴走を止めるのだろうかって部分だったと思うもの! でもアルスの元飼い主でもある私が婚約者になったのだから、ルインさんも安心して眠りにつけるでしょう?」
腰に手を当てながらそう主張してきたフィリアナにアルスが盛大なため息をつきながら、その手をそっと取る。
「俺は……もう幼少期の頃のような幼稚な事はしない……」
「そんな事分からないでしょう? だってアルスなのだから!」
「先程もそうだが……。俺らしいというその抽象的過ぎる表現は、一体どういう意味なんだ……」
フィリアナの返答にガックリと肩を落としたアルスは嘆くように小言をこぼし、先程フィリアナが歩いてきた方向に手を繋いだまま歩き出す。
「だって……そういう言い方しか出来ないのだもの」
「俺は一生、フィーの飼い犬として生きるしかないのか……?」
「そうだね……。今は飼い犬兼婚約者? それで将来は飼い犬兼旦那様?」
「旦那様! いいな! その響き! フィー! 今から練習――――」
「嫌だよ……」
「………………」
そんな会話をしながら仲良く手を繋ぎ去っていく二人を、墓石に備えられたカモミールが温かく見守るようにサワサワと揺れていた。
【カモミールの花言葉】
・仲直り
・あなたを癒す
・逆境に耐える力
・苦難の中の力




