78.我が家の元愛犬は父を越えられない
アルスが咄嗟に放った強力な風魔法は、リオレスがセルクレイスに放った火属性魔法をかき消すように巻き込み、会場の開け放たれた窓から炎の残骸を外へと放出した。その為、会場内では火の粉や煤が舞う事もなく、来賓達は熱波すら感じずに済んだようだ。
そんなアルスは、魔法を放ったと同時に隣に控えていたシークが腰に差している剣を素早く抜き、それをダンスフロアで茫然と立ち尽くしている兄に投げつけた。その主君の謎の暴挙に剣を勝手に奪われたシークが、唖然とする。しかし、その後の状況からアルスが何故そのような事をしたのか、シークは納得するしかなかった。
実はリオレスの方も魔法を放った直後、いつの間にか手にしていた剣でセルクレイスに剣撃を打ち込もうとしていたのだ。そんな状況下で突然、弟から投げつけられた剣をセルクレイスは見事に受け取ると、ボックス席から突っ込んで来た父親の放つ強烈な剣撃を辛うじて受け止める。
「父……上……?」
公の場で突然攻撃してきた父親にセルクレイが理由を問うように、その顔をまじまじと見つめる。だが、何故かそんな息子に対してリオレスは無表情のまま、再び重い剣撃を何度も打ち込んできた。それをセルクレイスが紙一重の状態で、いなしていく。
来賓達も何の前触れもなく突然始まった王族の謎の親子喧嘩に騒然となる。
今の状況では、どう見ても国王リオレスが突如乱心し、息子を手に掛けようとしている光景にしか周囲には映らない……。
ましてや暴君オルストの血を特に濃く受け継ぐ存在でもあるリオレスに対して、無意識に狂人の要素があるのでは……と懸念していた人間も少なからずいるはずだ。現状、その可能性を実証してしまっているような動きを目の前のリオレスは、惜しげもなく披露してしまっている状況なのだ。
初めは突然の出来事に茫然としていた来賓客達も、その異様な展開に徐々に騒ぎ始め、会場内にパニックの波紋は広がり始める。すると、その状況を瞬時に察したセルクレイスは、混乱が起こらないように咄嗟に機転を利かせた行動に出た。
「皆様! どうか落ち着いてください! どうやらこれは、父が私と最愛の婚約者であるルゼリア嬢との愛を試す試練として用意した余興のようです。これより我らリートフラム王家は、その実力をご来場の皆様に惜しみなく披露させて頂きたいと思います。是非、我ら親子による迫力ある攻防をお楽しみください!」
強力な風属性魔法で、リオレスの動きを辛うじて抑え込みながら、敢えて演技がかった言い回しをしたセルクレイスが、来賓達を安心させるようにこやかに現状を説明する。すると、会場の6割ほどの人間が安堵するように「なるほど! 余興か!」と口々にし始めた。
もちろん、かなり苦し紛れの言い逃れではある為、納得していない者も数人見受けられる。だが、このような公の場で国のトップである国王が精神系の魔法にかかり、何者かに操られている状況をリートフラム王家としては、周囲に悟られるわけにはいかなかった。
そんな苦し紛れな状況の中で、セルクレイスは自分の言葉が全く届いていない無表情の父親と、いかにも会話をしながら中庭へ移動しているような素振りを周囲に見せながら、何とか父親を城外へと誘導し始める。
そんな兄の顔に僅かな焦りが出ている事をアルスは見逃さなかった。
対してこの状況に茫然としていたシークは、そんな余興の話など一切聞かされていなかった為、狼狽え出す。
「ど、どういう事ですか!? そんな余興を行うなど、我々は全く聞いておりませんが!?」
「お前はバカか!? 余興なわけがないだろう!? 兄上がこの状況を何とか誤魔化そうとしてくれた演技だ!」
「演技って……。そ、それでは先程のリオレス陛下の攻撃は、一体……」
「恐らく城に魔獣を襲撃させていた時に使われていた闇属性魔法のせいだ! 今の父上は……完全に意識を魔法で乗っ取られている!」
そう説明したアルスは、自分達のすぐそばで唖然としている第一騎士団の制服を着た若者が腰に差している剣をまたしても、ひったくるように抜き取る。
「お前、第一騎士団の者だな? すぐマルコムに第一騎士団総出で宰相ラッセルを捕縛するように伝えろ!」
「宰相閣下を!? か、かしこまりました!」
「シークは、今すぐ義姉上の部屋に行き、義姉上の魔法剣を取って来い! 義姉上であれば兄上と共にしばらくの間、父上を抑え込む事が出来るはずだ! その間に俺はフィーを救助してから、再び兄上達と合流する! お前は剣を渡した後、マルコム達と共にラッセルを捕らえろ! どうせここにいても王族以外、父上を抑え込むことは出来ないのだから、ラッセルを捕まえた方が早い!」
「お、お待ちください! 俺がルゼリア様の剣を取りに行っている間、殿下は何を!?」
「俺は義姉上が加勢出来るようになるまでの間、兄上と共に何とかして父上を抑え込む! 正直、かなり厳しい状況だ……。だからお前は出来るだけ早く義姉上の魔法剣を持ってこい!」
そう叫んだアルスは、先程若者からひったくった剣を手にし、激しい剣撃の打ち合いをしている父と兄の方へ駆け出す。だが、それはアルスに駆け寄ってきたフィリックスとロアルドによって、引き留められる。
「殿下! お待ちください!」
「アルスっ!! 今、一体どういう状況だ!!」
ラテール親子からの質問にアルスが足を止め、眉間に皺を刻みながら答える。
「父上は今、ラッセルの闇属性魔法で操られている状態だ……」
「はぁ!? い、いくら何でもそんな……。大体リオレス陛下は、ラッセル宰相閣下よりも高魔力保持者じゃないか! そんな陛下をどうやって……」
そう言いかけたロアルドは、ある存在に気付く。
「まさか……隣国の人間が扱う魔術と併用しているのか!?」
「恐らくな。そうでなければ父上が、あんなにも容易く闇属性魔法に屈するはずがない。同時に以前、父上の中にあった光属性魔法の資質が、完全に兄上に継承されてしまった事も関係していると思う。どちらにせよ、父上を止めるにはラッセル本人に解呪させるしかない! 詳しくは、後でシークに聞け! 俺は今、忙しい!」
何やら酷く慌てている様子のアルスが会話をぶった切るように終わらせ、早々にセルクレイスの加勢に向かおうとする。それを再びロアルドが引き留めに掛かって来た。
「待て待て待て! 少し落ち着け!! ラッセル宰相閣下に解呪させると言っても、もし拒否されたらどうするつもりだ!」
すると、アルスは何故かラッセルの捕縛を命じたシークに視線を移す。
「その時は……早々にラッセルを討て」
アルスの容赦ない判断にロアルドが、驚くように目を見開く。
対してフィリックスとシークは、アルスがそのような判断を下せる事を知っているようだ。だからなのか、シークが静かに指示を了承する。
「…………かしこまりました」
「シーク! 急げ! 俺は早くフィーを助けに行きたい!」
そのアルスの言葉にフィリックスとロアルドが大きく反応した。
「殿下! それはどういう事です!?」
「そう言えばフィーはどうしたんだ!? 何故、ここにいない!?」
詰め寄るようにロアルドに腕を掴まれたアルスが、悔しそうな表情をしながら視線を落とす。
「フィーは……俺が人だかりにもみくちゃにされている間にニールバール侯爵令嬢に声を掛けられ、会場を出て行ってしまったんだ……。すまない……。しっかり守ると約束したのに……」
そのアルスの言い分に初めは責めるような雰囲気だったロアルドが、盛大に落胆する。
「いや……。アルスのせいじゃない。エレノーラ嬢について行くと決めたのは、恐らくフィーの勝手な判断からだろう? 今回の場合、危機感が低すぎたフィーの自己責任だ……。それよりも何故、お前が率先してフィーを助けようとしているんだ! そこは僕達に任せろよ!」
「ダメだ! フィーは今、どこかに連れ去られている最中なんだ! それをレイに追跡させているから、最終的にどこに監禁されるかは俺にしか分からない! それにフィーを攫った奴らは、そこに俺をおびき出す事が目的なはずだ……。その前にこちらから奇襲をかけて、フィーを奪還する!」
「だったら僕も一緒に――――」
「それもダメだ! ロア達には操られて暴走している父上が容赦なく繰り出す攻撃魔法から、会場内の人間を守る事に徹して欲しい。これはあくまでも余興という体なのだから、観戦側で怪我人が出たら大問題になる!」
「だが、いくら何でも一人でフィーの救助は――――」
「逆に同行者がいる方が、俺は全力を出せない!!」
被せてくるように放たれたアルスの言い分に何かを察したロアルドが、先程のシークと同じような憐憫の眼差しをアルスに向ける。
「そうか……。分かった。でもフィーがショックを受けるような戦い方は、出来るだけするなよ?」
「その約束は出来ない。俺が最優先する事は、フィーの安全だけだ! その為だったら……フィーに恐れられてしまうような攻撃方法でも俺は躊躇せず行う!」
そう叫んだアルスは、中庭で一方的に剣撃を兄に撃ち込んでいる父親に向って突っ込んでいく。
「兄上! 微力ながら私も加勢いたします! 日頃の父上に対する鬱憤も晴らしたいので!」
敢えてこの状況を楽しむような挑戦的な表情を浮かべたアルスだが、それはあくまでもこの状況を来賓達に余興と思わせる為のパフォーマンスである。すると、そんなアルスの目論見通り、今まで公の場にあまり姿を見せなかった第二王子の参戦に会場が大いに盛り上がりを見せる。
だが、この時のアルスは内心、かなり焦っていた……。
魔法に関しては、父リオレスよりもアルスの方が魔力は高いので問題なく対応出来る。ましてや兄セルクレイスは、公の場で光属性魔法をあからさまに使えない状態なので、魔法攻撃を防ぐ役目はアルスが主体となるだろう。
しかし物理攻撃に関しては、アルスは7年間も犬だった期間がある為、しっかりとした訓練を受けておらず、現状身に付けている体術は、ラテール家の騎士達から見様見真似で覚えたものばかりだ……。つまりアルスの物理攻撃は、父リオレスはもちろん、兄セルクレイスにも歯が立たないレベルなのだ。
だからと言って、余興と称したこの状況で兄に加勢出来る人間は、今のところ王族である自分と義姉のルゼリアしかいない。王妃である母は典型的な魔導士タイプで、扱える属性がフィリアナと同じ水属性魔法なので、攻撃には特化したタイプではない。その為、王妃が王子である息子達に出来る援護は、水の防御壁を張る事くらいだろう。現にボックス席から青白い顔色をしながら、いつでも防御魔法が放てるよう魔力を練り上げてくれている様子が、アルスの視界にチラリと入る。
しかも今のアルスはフィリアナの安否も気になっているので、父親の容赦のない攻撃に集中出来ない状態でもあった。だが、その攻撃は一瞬でも回避の判断を誤れば、一気に命を狩り取られるもので……。そんな恐ろしい攻撃を父リオレスは、無慈悲な程の無表情で繰り出してくる。
しかも今の父親の瞳は、操られて城を襲撃してきた魔獣達と同じ、禍々しい赤い瞳だ……。その瞳の色は、リオレスが闇属性魔法に操られている事を物語っていた。
そんな一撃の威力が恐ろしい攻撃を必死で避けている最中も、アルスは城から離れた場所へ連れ去られているフィリアナの気配をレイ越しに感じ取ってしまい、一刻も早くシークの戻りを確認しようと、現状何も出来ずに歯がゆそうな表情で祈るように手を組んで見守っている義姉ルゼリアの方を何度も見てしまう。
だが、そんな集中力を欠いたアルスに父リオレスは、思わぬ方向から確実に致命傷を与えるような位置を狙って、刃を突き上げてきた。その瞬間、思わず死を覚悟してしまったアルスの全身にブワリと冷や汗が吹き出す。だが、その刃は兄セルクレイスが間に割り込むように受け流してくれたお陰で、事なきを得る。しかし、安堵から気の緩みが出てしまったアルスは、セルクレイスから叱責を受けてしまう。
「アルス!! 父上の攻撃にもっと集中しろ!!」
珍しく強めの口調で自分を窘めてきた兄は、鍔迫り合いをしていたリオレスに弾かれ、後方に軽く飛び退きながら、再度間合いを取り直す。そして再び隙を探し合うように二人は牽制し始めた。そんな兄と同じように父親との距離をじりじりと詰め始めたアルスは、攻撃に集中出来ない理由を兄に伝えた。
「兄上……。フィーが何者かに連れ去られました」
「なっ……!」
セルクレイスが思わず驚きの声をあげると、それを隙と捉えたリオレスが無表情で突っ込んで来た。
すると、今度はアルスが二人の間に割り込むようにその打撃を受ける。
「どういう事だ……? アルス、君はフィーと常に一緒にいたのではないのか!?」
そう言いながら、アルスに剣をはじき返されて露わになったリオレスの腹部にセルクレイスは、風圧の高い風属性魔法を打ち込む。すると、その威力でリオレスが中庭の植木を何本か巻き込みながら後方へと吹き飛んだ。しかし、着地はしっかりされてしまった為、大したダメージにはなっていない様子だ。
だが、二人が情報共有する為の時間は十分に確保出来た。
「申し訳ございません……。来賓達に取り囲まれている間にフィーが、ニールバール侯爵令嬢と共に会場を出て行ってしまって……」
「エレノーラ嬢と? そうなると……マークレン伯爵家が今回の件に関与しているという事か?」
すぐにその可能性を見出したセルクレイスだが、先程吹き飛ばしたリオレスが体勢を立て直し、火属性魔法を放ちながら、こちらに突っ込んでくる姿を確認した為、すぐに剣を構えた。対してアルスは父親が放ってきた火属性魔法を風属性魔法で相殺する。
「兄上……。連れ去られたフィーの居場所はレイに追跡させているので、俺であれば分かります。そして現在シークに義姉上の魔法剣を取りに行かせております……」
アルスが反応を窺うように控え目にある要望を主張すると、セルクレイスが盛大にため息をついた。
「一人でフィーの救助に行くつもりか?」
「はい。どうやら向こうは俺をおびき出そうとしているので。それに……今回、俺はフィーを拉致した奴らに手心を加える気はありません」
「分かった……。シークが戻り次第、私の加勢役をルゼと代わった後、アルスはフィーの救助に向かってくれて構わない。ただし……」
そこで一度言葉を切ったセルクレイスは、父親に向って何重もの水の防御壁を展開させた。それをリオレスは、火属性魔法で蒸発させるように容易く消し飛ばしながら、突っ込んでくる。
「二人で無事に戻ってくる事が絶対条件だ!」
「分かりました。必ず二人揃って無事な状態で戻る事をお約束いたします!」
そんな約束を交わした兄弟は、自我を失い操り人形と化している父親の重い剣撃を何度も受け止める。
その後、やっとシークがルゼリアの武器を持って戻ってきたので、アルスはすぐにフィリアナの救助に向ったのだが……。もうその時点で、リオレスが闇属性魔法を受けてから20分は経っていた。




