75.我が家の元愛犬は期待を裏切らない
エレノーラの誘いに応じ、罠に掛けられるように部屋に潜んでいた男の襲撃を受け、意識を失ってしまったフィリアナは、首元にひんやりしとした存在を感じながら目を覚ます。そこには何とこの間、アルスが魔力を注ぎ込むのを見せてくれた魔封じの首輪が付けられていた。
同時に自身が狭く薄暗い部屋の床に転がされている状態である事も認識する。
だが、先程フィリアナを庇ってくれた王家の影の女性の姿はない……。どうやら連れ去られたのは、フィリアナだけのようだ。その状況から王家の影の女性の安否が心配になったフィリアナだが、まずは自身がどういう状況で、どこに連れてこられたのか状況確認をしようと、身体を起こそうとした。
しかし両手足を縄で縛られ、思うように体が動かせない。しかも布を細く絞った物で口枷をされていた為、声も出せない状態だ……。そんな状況から自分は、確実にアルスをおびき出す為の餌として囚われたのだと察してしまう。
すると、無意識に両目からボロボロと涙がこぼれ出てきた。
自分が迂闊にエレノーラの誘いに乗ってしまったせいで、またしてもアルスの身を危険に晒してしまう事態を招いてしまった。
どうして自分は、いつも考えなしにまず先に行動を起こしてしまうのだろうか……。
そんな深い後悔の念がフィリアナの心を支配し始める。
だが、同時に先程のエレノーラの行動にも不可解な点があった事に気づき始める。あの時のエレノーラは、フィリアナを部屋に誘導する事に対して、やけに消極的な言動を多々見せていたのだ。
まずコーデリアとの面会の話を持ち出してきた際、エレノーラは「お会いになられますか?」とフィリアナの意志を尊重するような確認の仕方をしてきた。
もし罠にはめるつもりであれば、もっとコーデリアに会うよう強く勧めてくるはずだ。
次に不可解だったのが、一度フィリアナがコーデリアとの面会を辞退した時のエレノーラの反応だ。その際、エレノーラは辞退したフィリアナに対し「その方がよろしいかと思います」と口にしていたが、もしその後フィリアナが考えを変えなければ、この計画は全てが無駄になっていた。
何よりも一番引っかかったのが、エレノーラがやたらとアルスの存在を気にしていた事だ。今回5年ぶりに声を掛けるにあたって、もしアルスが隣にいた場合は控えようとしていたと口にしていた事……。そしてフィリアナがコーデリアと会う事を決断した際は、アルスからエスコートをされている状態である事を気遣うような事も口にしていた。
そんなエレノーラの先程の言動は、まるでフィリアナにこのような状態になる事への警告を発していたように今でなら思えてくる……。エレノーラは、コーデリアとの面会を餌にフィリアナをあの部屋におびき出すよう何者かに指示されていた可能性が高い。
その為、もしフィリアナの隣にアルスが、ずっと張りついていたのであれば、その事を理由にエレノーラはフィリアナをあの部屋に誘導などしなかっただろう。そして今回たまたまアルスが傍にいなかった状況でもフィリアナがもっと注意深くエレノーラの言動を観察していれば、この様な状況には陥らなかったはずだ……。
誰がエレノーラにあのような事をさせたかは不明だが、そんな状況下でエレノーラは、フィリアナがこの誘いを断るように密やかに誘導しようとしていた事を今更ながら、フィリアナは気付き始める。エレノーラはかなり控え目だったが、フィリアナに危険を知らせるような行動も何度も見せていたのだ。
特に開ける必要のなかった部屋のカーテンを勢いよく開け放ったエレノーラの行動は、完全にフィリアナに潜伏している襲撃者の男の居場所を示唆する様な動きであり、バルコニーに出られる窓の鍵をわざわざ開けた事は、窓の外からアルスが付けてくれた王家の影の女性を室内に招き入れる為のものだったのだろう。
そうでなければ退室する際にあんなにも罪悪感に満ちた表情をしながら、フィリアナに対して涙をこぼしたりはしないはずだ……。恐らくエレノーラがあの部屋にフィリアナを誘い込んだのは、そうしなければならない状況に彼女が追い込まれていた可能性が高い。
その状況にすぐ気付けなかった事をフィリアナは、床に転がった状態で後悔し始める。エレノーラはこの状況に陥ってしまう状況を回避する為の機会を何度もフィリアナに与えてくれていた。だが、コーデリアの安全を確保するという目先の目的に執着してしまったフィリアナは、あっさりとその罠に自ら落ちてしまったのだ……。
何故、あの時もっと慎重に状況を見極めようとしなかったのだろうか……。
今更後悔してもどうにもならない事だが、それでもフィリアナは自分の思慮の浅さを責めずにはいられなかった。そのやるせない思いから、先程から涙がポロポロと溢れ、横たわっている床を湿らせていく。
だがいくら涙を流しても、この状況が好転する事はない。
その事だけは理解出来ていたフィリアナは、とりあえず体勢だけでも整えようと、両手足を縛られた状態で床を這いずるように体をくねらせ、何とか起き上がろうと試みる。すると、横たわった状態で少しずつ体が後退していき、やがて壁にぶつかった。その壁を利用してフィリアナは体を起こし、更に背中を壁に預けながら、何とか立ち上がる。
だがここからは、どうすればよいか分からない……。
とりあえず拘束されている縄を断ち切る為、鋭利な物がないか目を凝らしながら、室内を見回す。すると、青白い月明りによって室内に備え付けられているロウソク立てが目に付いた。
するとフィリアナは、両足を縛られている状態のままウサギのようにピョンピョンと跳ね、そのロウソク立てに近づいた。そして刺さっているロウソクを縛られた状態の手で、器用に取り外す。するとロウソクが刺さっていた場所から、鋭利な突起が姿を現わした。その部分に何とか縄引っかけ、なるべく先端が縄に当たるよう擦りつけ始める。
少しずつだが縄が傷んできているような感覚をフィリアナは腕越しで感じとる。そのまま地道にロウソク立ての先端を縄に擦り付け、何とか縄を切ろうと奮闘し始めたフィリアナだが……。急に扉の向こうから慌ただしい様子で近づいてくる靴音が聞こえてきた為、慌ててロウソク立てから縄を外し、目覚めた時と同じような体勢で床に転がった。
すると、監禁されている部屋の扉が勢いよく開け放たれる。
その事に驚いていると、先程エレノーラに案内された部屋に潜伏していた男が物凄い勢いで部屋に入って来て、フィリアナの足を縛っている縄だけをナイフで断ち切った。そして乱暴にフィリアナの腕を縛っている縄を掴み、そのまま部屋の外に引っ張り出そうとてきた。だがフィリアナは、自由になった両足で必死に踏ん張り、抵抗する。
「おい!! 大人しく、さっさと歩け!!」
「ん~~~~~!!」
口にかまされた布越しで唸るように拒絶の声を発するも、男は更に乱暴にフィリアナの腕を縛っている縄を捩じ上げるように掴み、強引にフィリアナを室外に連れ出し始めた。そんな男の暴挙に必死で抵抗したフィリアナだが、捩じ上げられている縄が激しく腕に食い込み、その痛みで足に踏ん張りがきかず、あっけなく部屋の外に連れ出されてしまう。
男は痛みで出抵抗出来ないフィリアナを乱暴に後ろから突き押すように歩かせ、目の前に現れた階段もかなり強引に上らせる。だが、暗く視界が悪い状態で上らされたので、フィリアは何度も前につんのめりそうになった。だがその度に男が縛られた縄を捩じ上げてくるので歩くしかなかった。
そんな痛みに耐えながら階段を上らされると、目の前に月明りが差し込んでいる出口のような物が見えてくる。そこで初めてフィリアナは、城内の敷地にあるどこか別の建物の地下室に自身が閉じ込められていたのだと察する。そんな状況確認をしていると、階段を上り切ったフィリアナの視界が急に開けた。
すると天井の高い建物なのか、窓から降り注ぐ幻想的な青白い月明りの光景が真っ先に目に入り、フィリアナは一瞬だけ目を奪われる。どうやら現在、自分は城内に建てられている礼拝堂にいるらしい。
だが、そんなフィリアはある意外な人物の声で一気に現実へと引き戻される。
「フィー!!」
何とそこには、先程まで大勢の令息や令嬢達に囲まれていたはずのアルスの姿があったのだ。だが、アルスはかなり心配そうな表情を浮かべていた。
「ん~~~~!!」
そんなアルスを少しでも安心させようと口枷をされながらもフィリアナは、自身の無事を訴えるようにアルスの呼びかけに応える。すると、アルスがこちらに駆け寄ろうとしてきた。しかしそのアルスの行動は、フィリアナの事を拘束している男の一言で阻止される。
「アルフレイス殿下! 婚約者殿の安全を確保されたいのであれば、そこから動かないで頂きたい!」
「……っ!」
フィリアナを脅迫材料にするようにグイっと突き出されてしまったアルスが、声を詰まらせながらピタリと動きを止めた。すると、フィリアナ達の左側に立っていた男が、アルスの方に向かって何かを放り投げる。それは、礼拝堂内に甲高い金属音を立てて、アルスの足元に落下した。
「それは殿下よりも更に強力な魔力が注ぎ込まれた魔封じの首輪です。恐れ入りますが、ご婚約者殿の為にそれを首に装着して頂いた後、現在殿下が所持されている武器を全て捨てて頂けますか?」
丁寧な口調ではあるが、明らかに自分達の方が有利であると主張するようにフィリアナ達の左隣にいる男が、アルスに首輪を装着するよう指示を出す。その首輪に視線を落とした後、アルスは無表情のまま一瞬だけ自身の周囲の状況を確認した。それにつられ、フィリアナも小さく首を動かし、周囲の様子を確認する。
先程首輪をアルスに投げ放った男がフィリアナ達の左側に一名、更に逆の右側にもう一名、そしてアルスの背後に三名ほどの第一騎士団の制服を着用している男達が、一定の距離を保ちながらアルスを囲んでいた。
すると、アルスがお披露目式では下げていなかった長剣を腰ベルトごと外して、首輪の少し手前に投げ捨てる。すると音が反響しやすい礼拝堂にカシャンという金属音が鳴り響いた。
アルス一人に対して少なくとも相手は六人……。
しかも今アルスはフィリアナを人質に取られているうえに武器を捨てさせられ、これから魔法すら封じられる事になる。そんな理不尽過ぎる状況では、流石のアルスでもこの窮地を打破する事は難しいだろう。
その状況を自身の浅はかな判断が招いてしまったと、フィリアナが再び後悔し始めると無意識に瞳に涙が溜まり始める。そんなフィリアナの様子に気付いたアルスが、苦笑を浮かべながら声を掛けてきた。
「フィー! 大丈夫だ! だから泣くな!」
だが、誰がどう見てもフィリアナ達にとっては、絶望的な状況である……。
そんな状況にも関わらず、アルスはフィリアナを拘束している男を睨みつけながら、一歩踏み出す様に軽く腰を前方に折り曲げ、投げ放たれた魔封じの首輪を拾い上げた。
「これを身に付ければいいのだな……?」
「ええ」
「分かった……。その代わりフィーには危害を加えるな」
「もちろん」
すると、アルスは拾い上げた魔封じの首輪の留め具部分を外し、自身の首元へゆっくりと持っていく。そんなアルスに「やめて!」と訴えるようにフィリアナは、激しく首を振った。
「ん~~~!! ん~~~!! ん~~~!!」
「大丈夫だと言っているだろう? フィーは何も心配する事はない!」
そう言い切ったアルスは、首輪を全開まで開きって自身の首にあてがう。
その展開にフィリアナを拘束している男の手が、明らかに少しだけ緩んだ。それだけアルスの扱う魔法は、彼らにとって脅威なのだろう。
だが次の瞬間――――。
アルスは、その首輪を自身の火属性魔法の炎で、まるで焼き尽くすかのように一瞬で包み込んでしまった。




