73.我が家の元愛犬は動けない
「エレノーラ様……? お、お久しぶりでございます!」
5年ぶりにフィリアナの目の前に姿を現したエレノーラに驚き、茫然としていたフィリアナだが、すぐに我に返って慌ててカーテシーをとる。
「そのように畏まらないでくださいませ。将来的には伯爵夫人のわたくしよりも、辺境伯夫人となられるフィリアナ様の方が爵位は上になりますので」
「で、ですが……今はわたくしの方が爵位は下なので……」
そう返したフィリアナだが、今のエレノーラからは将来的な爵位の事で引け目や嫉妬心などを抱いている様子は一切感じられなかった。むしろ、何かを悟り、自身の立場をよくわきまえているという様子だ。
「5年前……酷い振る舞いをしてしまったわたくしと、フィリアナ様はまた会話をしてくださるのですね……」
「ええと……その、もう5年も前の事なので……。それにあの頃はわたくしだけでなく、エレノーラ様もまだ11歳でしたので、お互いにまだ幼かったというか……」
何故かフィリアナの方が言い訳じみた事を言い出してしまったが、今のエレノーラはそんなフィリアナの反応を昔のように見下すような事もなく、むしろ深々と頭を下げてきた。
「あ、あの!」
「5年前、フィリアナ様には本当に酷い事をしてしまい、申し訳ございませんでした……。あの後、わたくしは王立女学校に入り、その際に周囲の方々によって、自身がどれだけ傲慢で、不必要に他人を見下していた事に気づく事が出来まして……。フィリアナ様にしてしまった仕打ちの最低さにやっと気づきました……。本当はその時点ですぐにでも謝罪に伺うべきだと思っておりましたが……。フィリアナ様にとってわたくしは、顔を合わせたくない相手になっているのではないかと思い、今日この日までけじめも付けられず、謝罪出来ないまま時間だけが無駄に過ぎてしまいました……」
そう深々と頭を下げてくる侯爵令嬢にフィリアナが慌て出す。
確かに将来的には、辺境伯となるアルスの妻になるフィリアナの方が爵位は上にはなるが、今現状では侯爵令嬢であるエレノーラの方が身分は上なのだ。そんな相手から、このような公の場で頭など下げられたら、周囲から何を言われるか分かったものではない。現に先程フィリアナを押し除けたリリティアという侯爵令嬢が、こちらにチラチラと視線を向け、何かを企んでいる様子を見せている。
「エ、エレノーラ様! もう5年も昔の事な上に幼い頃の出来事なので、そのように重く捉えなくてもよろしいかと思います。あの時、生意気にも侯爵令嬢であられるエレノーラ様を挑発するような言動をはなったわたくしにも落ち度はありましたので……。もうお互いにこの件については、水に流すという事にいたしませんか?」
すると、エレノーラが呆けたような表情をした後、泣き出しそうな様子でクシャリと顔を歪める。
「フィリアナ様は……5年前の身分差を理由に不当な仕打ちをしてしまったわたくしの事を……許してくださるのですか?」
「それはわたくしの方も同じです。侯爵令嬢であるエレノーラ様にあのように挑戦的な態度をとってしまったので……。幼かったと不敬には問われませんでしたが……現状、あのような嫌味ったらしい言葉を爵位が上の方に放ってしまったら、淑女としての品位を問われます……。ですので、あの出来事は幼き故のお互いの失態という形で、もうお互いに引きずる事はやめませんか?」
すると、やや涙ぐんだ表情でエレノーラがフィリアナの両手を握りしめてきた。
「ありがとうございます……。そう言って頂けて5年間、ずっと抱いていた罪悪感から、やっと解放されました……」
「罪悪感だなんて……。そこまで大事になった訳では……」
「ですが、あの件がきっかけでフィリアナ様は、第二王子殿下にご興味を持たれてしまい、かなり強引に婚約の打診を殿下よりされていると、ある方から伺ったので……」
その話にフィリアナは、真っ先に親友コーデリアの顔を思い浮かべる。現状、コーデリアは、エレノーラの兄ライオネスの婚約者なので、嫁ぎ先での生活をする前のエレノーラとは、かなり交流があったはずだ。その際に改心したエレノーラにフィリアナの現状を話したのだろう。
「ですが、本日のお二人のご様子を拝見したところ、それはわたくし達の杞憂だったようですね……。お二人とも大変仲睦まじいご様子ですし、今回のご婚約はフィリアナ様も納得された上で決意されたのだと感じました」
そのエレノーラの言葉にフィリアナが照れくさそうに顔を赤らめる。
だが、次に続けられたエレノーラの言葉にフィリアナは心臓を跳ね上げた。
「ですが……殿下は5年前より大分雰囲気が変わられたのですね……。以前は、セルクレイス殿下のように穏やかで控えめな印象を受けたのですが……現状は非常に凛とした雰囲気になられていたので、大変驚きました……」
「そ、そうですね~。ここ最近の殿下ご自身もお父上であるリオレス陛下に似てきたと、よく口にされているので……。成長された事でお体も丈夫になられたので、陛下譲りの美丈夫さの面影が色濃く出て来られてのではないでしょうか!」
5年ぶりのエレノーラから見た第二王子の印象変化の感想にフィリアナが、内心冷や冷やしながら何とか誤魔化しを図る。だが、エレノーラがアルフレイスだと認識しているのは、クリストファーが扮していた第二王子の姿だ。その為、第二王子の雰囲気が5年前と比べ、変わってしまったと感じてしまうのは仕方のない事だ。
恐らく会場内でも現在の『第二王子アルフレイス』の以前と違う雰囲気に違和感を覚えている者が、数名はいるだろう。だが、その大半は後日口裏を合わせやすいルケルハイト公爵家の傘下の令息達だ。あとは数回クリストファーがアルフレイスとして参加した夜会で、第二王子に興味を持った少数の令嬢達なのだが……。そんな令嬢達も今から一カ月程前に一瞬だけ夜会で目にしただけの第二王子の姿をそこまで事細かには、覚えていないだろう。実際にエレノーラのように会話をしたのであれば別だが……そこはアルスに扮していたクリストファーが、極力令嬢達とは会話をしないように立ち回っていたようだ。
そんな過去の第二王子が実は替え玉だった事を気付かれぬように精一杯誤魔化しの笑みをフィリアナが浮かべていると、何故かエレノーラの方は暗い表情をし始める。
「実は本日の謝罪ですが……。フィリアナ様のお側にアルフレイス殿下がいらっしゃったら控えさせて頂こうかと思っておりました……」
「何故……ですか?」
「5年前の殿下は、わたくしに対してかなりご立腹のご様子でしたから……。きっとわたくしがフィリアナ様に近づく事を快く思っていらっしゃらないかと思いまして……」
何故か悲痛そうな笑みを浮かべながら、そう語るエレノーラの話にフィリアナが首を傾げる。確かに5年前、第二王子に扮したクリストファーはエレノーラを厄介な人物として、かなり厳しめに抑え込む様な撃退の仕方をしていた。だが、エレノーラが言うような怒りの感情は、そこまで露わにしていなかったはずだ。
「あの、エレノーラ様……。確かに5年前の殿下は、かなり手厳しい対応をエレノーラ様になされたかと思いますが……。そこまでお怒りではなかったと思いますよ?」
「そうかしら……。でもわたくしには、フィリアナ様を傷付けようとした事にかなり怒りを露わにしていらしたと思うのですが……」
そのエレノーラの言い分にやはりフィリアナは首を傾げてしまう。
当時の事を思い返してみても第二王子に扮したクリストファーは、怒りを露わにしていたというよりもエレノーラの事を煩わしそうに感じている印象しか思い浮かんでこない。むしろ怒りを爆発させていたのは、当時まだ犬の姿だったアルスのように思える。
なんせその時のアルスは、エレノーラが着ていた大人気デザイナーのドレスに噛みつき、容赦なくビリビリに引き裂いていたからだ……。その事を思い出してしまったフィリアナは、ドレスをダメにしてしまった事への責任を自身が取っていない事を思い出す。
「そ、そういえば……あの引き割いてしまったドレスの賠償は……」
フィリアナが恐る恐る確認すると、エレノーラの表情が少しだけ柔らかくなる。
「ご安心を。ドレスはしっかりとリートフラム王家より弁償して頂きました。もちろん、正規の金額で」
当時、かなり幼稚なレベルで大口を叩き、フィリアナを困らせようとしてしまった若気の至り的失態を思い出したのか、エレノーラは反省している様子を見せつつも困ったような笑みを浮かべながら、控え目にはにかむ。
そんなエレノーラの様子に少しだけフィリアナの警戒心も緩んだ。
すると、エレノーラが何かを思い出したように小さな声をあげる。
「フィリアナ様、実は本日兄と一緒にご友人のコーデリア場もこのお披露目式に参加をされているのですが……お会いになられますか?」
「コーディも今回参加しているのですか!?」
そのエレノーラの提案に思わずフィリアナは、目を輝かせてしまう。
ここ最近、色々な事があり過ぎて心休まる事がなかったフィリアナにとって、久しぶりに親友と会話をする事が出来る機会は、大変魅力的だった。
「ええ。ですが……先程、王太子殿下方がダンスを披露してくださっている際に兄が少し体調をくずしまして……今は王家が用意してくださっているゲストルームの方で、コーデリア様に付き添われて休んでいる状態なのです。兄は昔から何事にも取り組み過ぎてしまう傾向がございまして……。よく寝不足などで体調不良を起こしやすいのです……」
そのエレノーラの話にフィリアナは、以前コーデリアの婚約者であるライオネルと初対面した時の事を思い出す。中世的な美しい顔立ちの黒髪の貴公子だったが体の線が細く、几帳面そうな性格を感じさせる令息だった。婚約者であるコーデリアも真面目過ぎて、生きづらそうと称する程だ。そんな印象強かったライオネルなので、フィリアナは思わずエレノーラの話に納得してしまう。
「ですが、今であれば兄も大分回復しているかと思いますので、もしご希望であればコーデリア様のもとへ案内いたしますよ?」
そんな魅惑的なエレノーラの申し出に思わず食いつきそうになったフィリアナだが……現状の自分達は、それどころではない緊迫した状況である事を、すぐに思い出す。
「お声掛け頂き、ありがとうございます。ですが……今はアルフレイス殿下にエスコートをして頂いている状態です。誠に残念ですが、今回は辞退させて頂きます……」
フィリアナがしょんぼりしながら断りを申し出ると、その様子にエレノーラが苦笑する。
「そうですわね……。わたくしも、その方がよろしいかと思います。ああ、でも……。そうなりますと、フィリアナ様が次にコーデリア様にお会い出来るのは、三か月後になってしまうかしら……」
「えっ?」
ポツリとこぼされたエレノーラの言葉にフィリアナが大きく反応する。
「実は現在、ニールバール侯爵家では、領地の特産である白ワイン販売で隣国のグランフロイデに進出しようと検討しておりますの。その出店のための視察も兼ねて近々、兄とコーデリア様が三カ月程現地に滞在する予定になっておりまして……」
「グランフロイデで出店!? そ、それは……今後ニールバール侯爵家は隣国グランフロイデとの交流を盛んに行うという事でしょうか!?」
「え、ええ……。父や兄はそのように考えているようですが……。それが何か問題でも?」
「い、いえ……。そういう訳ではないのですが……」
そう返答するもフィリアナの中では、物凄い焦りがせり上がってくる。
恐らくニールバール侯爵家は、純粋に更なる領地の発展の為に特産品の白ワインで、隣国グランフロイデへの進出を検討しているのだろう。しかし、フィリアナ達の間では、今回の王族暗殺にグランフロイデが関与している可能性も捨てきれないでいる状態だ。
その事がはっきりしていない状態で、ニールバール侯爵家が隣国との交流を深める事は危険である。仮にその可能性がフィリアナ達の杞憂で終わるかもしれないにしても、今はまだ様子を見た方がいい事は確かだ。その事を一刻も早くコーデリアに助言した方がいいと考えたフィリアナは、一度断ってしまった先程のエレノーラの申し出を再度受ける事にする。
「エレノーラ様、やはりコーディのところへご案内頂いてもよろしいでしょうか……。実は早急に彼女に伝えたい事を思い出してしまいましたので」
「それは構いませんが……。ですが、今フィリアナ様はアルフレイス殿下のエスコートを受けられているのですよね? よろしいのですか?」
そこで一度、フィリアナは今自身が下そうとしている判断が間違っていないか、もう一度自問する。
確かに今の自分の判断は軽率だと思う。だがそれ以上に親友のコーデリアの身の安全を優先した方がいいと自身に言い聞かせる。そもそも今の自分には、数人の王家の影が護衛で付いているはずなので、もし襲撃されたとしても彼らがしっかりとフィリアナを守ってくれるはずだ。
「ええ! アルフレイス殿下には後で、わたくしから事情を説明いたしますので!」
「分かりました……。ではご案内いたしますね」
そう言ってエレノーラはコーデリア達のもとへ案内する為、フィリアナに会場を出るよう促す。その際、フィリアナはチラリと人だかりの中心にいると思われるアルスの方へ視線を向けた。一応、自身が一度会場を離れる事をアルスにも知らせた方が思ったからだ。
だが、その人だかりは先程以上に大きく膨れ上がっていた為、アルスの姿は確認出来ない……。代わりに兄ロアルドに一度会場を出る事をアピールしようとしたが、現在はセルクレイスの警護をメインで行っているからか、会場を見渡してもロアルドの姿も確認出来なかった。
だが今回フィリアナは、王太子と第二王子に続き、最優先護衛対象の一人でもある。ならばフィリアナが会場を出て行ってしまった事を誰かしら把握してくれているはずだ。
そう考えたフィリアナは、一刻も早く親友であるコーデリアに隣国グランフロイデとの取引に危険性があるかもしれない事を伝えようと、エレノーラの案内のもと会場を後にした。




