72.我が家の元愛犬は群がられる
会場入りしたフィリアナはアルスのエスコートでその中央まで誘導され、二人はその場で来賓に向かって一礼をする。フィリアナとっては、二週間かけて猛特訓の末に身に付けた王族式の挨拶を披露する唯一の見せ場である。
対してアルスは、息でもするかのようにさらりとやってのけていた。恐らく犬にされる前の幼少期の頃に叩き込まれたものなのだろう。とてもではないが、初の社交場参加とは思えない程の堂々とした第二王子っぷりである。
そんな二人は、席に着いた国王夫妻の右隣に並んで立っている王太子組とは逆の左隣に並んだ。そしてこれからリオレスが開会の言葉を一言述べた後、伯爵家以上の高位貴族達が続々と挨拶をしにくる。
だが、今までは挨拶をする側だったフィリアナなので、今回はその逆の立場になってしまった事で、何だか落ちつかない気持ちになってしまう。すると、アルスが安心させるようにそっと手を繋いできて、その手を軽く前後に振る。そのアルスの気遣いにフィリアナが、安堵と共に笑みを返した。
そんなやり取りをこっそりしていると、リオレスがすっと立ち上がり開会の言葉を述べ始める。その瞬間、アルスとフィリアナ、そして今回内密に国王一家の厳重警護に当たっている第一騎士団と王家の影達の緊張感が一瞬で高まった。
もしラッセルが黒幕だった場合、この開会時とセルクレイス達がダンスを披露する時が一番狙ってくるはすなのだ。しかも困った事にどのように仕掛けてくるのかが、全く予想出来ない。
魔獣を操り混乱に乗じて奇襲を仕掛けてくるか……。あるいは直接セルクレイスに闇属性魔法を使ってくる事も考えられる。雇っている暗殺者をこっそりと仕向けて、誰にも気づかれずに暗殺を遂行する可能性もある。
ただラッセルの性格上、派手な奇襲はしてこないだろうというのが王家の考えであったが、敢えて派手な演出を行い、騒動に便乗して密やかに暗殺者を仕向けてくる可能性も捨てきれない。
何よりも厄介なのが、隣国の魔術を今回の暗殺で起用しているところだ。
魔術は魔法と違い属性という概念がない。先日のラテール邸での襲撃時でも確認されたが、闇属性魔法のような精神に作用する効果の物もかなりあるようだ。そのような魔術と闇属性魔法を併用されたら、たまったものではない……。
「フィー。もし兄上達が奇襲をかけられるような事があっても慌てず、絶対に俺から離れたらダメだぞ」
「…………うん」
そう耳打ちで伝えてきたアルスにフィリアナが、小さく頷く。
すると、いつの間にかリオレスの開会の言葉が終わり、今度はセルクレイスと今回の主役でもある婚約者のルゼリアが前に進み出る。これからセルクレイスより、ルゼリアが半年後に挙式を控えている正式な婚約者である事が確定されたと発表されるのだ。そしてその後、二人はダンスを披露する。
だが今から始まる未来に王太子夫妻の見せ場が、一番二人が無防備な状態になる。もしこれだけの注目を集めている状態で、闇属性魔法を放たれてしまえば、あからさまに光属性魔法を使う事が出来ないセルクレイルは、その攻撃を防ぐ事が難しい……。
その為、何としても闇属性魔法を放たれる前に対処しなくてはならないのだ。そんな状況下なので、本日極秘で王太子の護衛を行っている者達の緊張感は、この瞬間で一気に高まる。
しかし、ここまで厳重警戒態勢をしていたからか、ルゼリア達の挨拶は拍子抜けするほど何事もなく進む。そして二人は、次の見せ場でもあるダンスを披露し始めた。すると、極秘で護衛任務に就いている王家の影達が、静かに会場全体を警戒出来るよう広がり出す。その事を確認したアルスも二人のダンスを眺めるふりをしながら、こっそりと会場全体を見回すように警戒し始めた。
だが、二人がダンスを披露している最中も何かが起こる気配はない。
そんな中、フィリアナはどうしても宰相ラッセルの動きが気になってしまい、ついつい目で追ってしまう。だがラッセルは、今回のお披露目式の進行役と手元の書類を確認しながら、この後の式の流れの打ち合わせしている様子しか確認出来なかった。
どうやら何かを仕掛けてくるのは、開会時ではないらしい。
アルスと共にかなり周囲を警戒しつつも、白をベースに金の刺繍が施されたセルクレイスに操られるように淡く輝くようなレモン色のドレスを翻しながら、優美でしなやかに会場中央のダンスフロアで踊るルゼリア達の姿をぼんやり眺めていたフィリアナは、いつの間にか曲が終わりに近づいている事に気づく。
「開会時に奇襲を仕掛けてくるつもりはないらしいな……」
ボソリとこぼされたアルスの言葉にフィリアナも同意するように小さく頷く。
すると、ダンスを終えたセルクレイス達が会場全体に何度か礼をし、再び国王夫妻の隣に戻った。それを合図に再び別のダンス曲の演奏が始まり、今度は来賓客達がチラホラと踊り出す。
だがフィリアナ達にとっては、ここからは高位貴族達による挨拶ラッシュの始まりである。その際、フィリアナは、国王リオレスより第二王子の婚約者に選ばれた事を何度もアピールされる事になる。その事を予め覚悟していたフィリアナは、アルスの隣でこれでもかという程の笑顔を貼り付けて対応した。
だが、不思議な事に挨拶に出向いてくる高位貴族達の中にアルスと同じ年頃の令嬢を伴う夫妻は、あまりいなかった。そしてその中には、以前フィリアナに絡んでいたエレノーラの両親であるニールバール侯爵夫妻の姿もあった。だが娘のエレノーラどころか、長男のライオネスの姿もなかったので、どうやら今回は夫妻のみ参加らしい。
なんにせよ、挨拶にくる高位貴族達の中に同年代の令嬢の姿が見えないという事は、現在第二王子との縁を望んでいる家はないという事だ。その状況に今回の奇襲とは全く関係部分でフィリアナが安堵する。
しかしこの高位貴族達からの挨拶が終わると、今度は会場内への挨拶周りをしなければならない。当初アルスとした打ち合わせでは、この挨拶回りをするふりをしつつ、会場全体を警戒する見回りに二人も貢献するという予定だった。
しかし、この後すぐに二人は、自分達の存在が注目されていた事への認識の甘さを痛感する事になる。とりあえず形式にのっとり、一曲踊った後に挨拶回り兼会場内全体に見回りを行おうと、軽い気持ちでいた二人だったのだが……。ダンス終了後、あっという間に年の近い令息と令嬢達に囲まれてしまったのだ。
「アルフレイス殿下! お声がけ失礼致します! 私はエメット家長男のクレイスと申しまして、以前王立アカデミーにて一言だけ、お話をさせて頂いた事がございます!」
「アルフレイス殿下、お初にお目にかかります。わたくし、シーレス伯爵家の三女ミレイアと申します。この度はご婚約、おめでとうございます。つきましては是非、ご婚約者のフィリアナ様と是非友人としてお話をさせて頂きたいのですが……」
「私はヨークス伯爵家のジェイクスと申します。以前王立アカデミーにてアルフレイス殿下と共にグループ課題でご一緒させて頂きましたが、お記憶にございますか?」
「アルフレイス殿下、ご機嫌麗しゅうございます。わたくし、ライクス侯爵家長女のリリティアと申します。この度は殿下のご婚約、大変驚かされました……。実は……我が家にも王家よりお話を頂いていたのですが……」
皆、それぞれ思いの丈をぶつけるように主にアルス目掛けて突進してきたのだ……。そんな状況下からフィリアナは、ある事を心配し始める。何故なら隣で自分に張り付くようにエスコートしてくれているアルスの笑顔が、徐々に引きつってきたからだ……。そんな不穏な空気を感じとってしまったフィリアナは、それを抑止しようよ、敬語でアルスに声をかける。
「ア、アルフレイス殿下、あの……」
「分かっている。大丈夫だ……。盛大な猫を被れと父上にも釘を刺された……」
全く大丈夫そうに見えない引きつった笑顔を貼り付けているアルスが、怒涛の勢いで群がってきた一人一人に何とか丁寧な対応をし始める。しかし、やっと姿を現した第二王子との縁を求める彼らの勢いは凄まじく……いつの間にか二人は身動きが取れないほどもみくちゃにされていた。
そんな周囲からギュウギュウと押される中、フィリアナは誰かにいきなり右肩を掴まれ、そのまま後ろに引き倒されそうな勢いでアルスから引き剥がされた。
「ちょっ……! だ、誰っ!?」
そう叫ぶもアルスから引き離されたフィリアナは、群がる令息や令嬢達のもみくちゃ状態に飲まれるようにどんどんと輪の中心から外れ、外側に押し出されていく。
「フィー!!」
その事に気づいたアルスが手を伸ばそうとしたが、いつの間にか同じ年頃の令嬢達が数人アルスの周りを囲んでおり、下手に大きく動けない状況におい込まれていた。恐らく今無理矢理に人混みを押し除けてしまうと、周囲の令嬢達を弾き倒してしまいそうな状況である……。
その事を察したフィリアナが、こめかみに青筋を浮かべ、令嬢達を薙ぎ払いそうな雰囲気のアルスの暴走を咎めるように全力で首を振る。そして口をパクパクさせて、自分はしばらく壁際の方で待機しているような内容を簡単に伝えた。
すると、アルスが一瞬だけ不機嫌そうな表情をしたが、諦めたようにフィリアナの提案に同意するよう小さく頷く。そして先程よりも更に歪な笑みを貼り付けながら、群がってきている令嬢達を何とか落ち着かせようと対応し始めた。
その間、フィリアナはアルスの目に付きやすい壁際で、第二王子に群がる集団が小さくなるのを待つ事にする。だが、ただ待っているのもつまらないので、先程フィリアナを後ろへ勢いよく引き倒そうとした犯人探しを行おうと、アルスに群がる集団を注意深く観察し始める。
すると、先程食い気味でアルスに話しかけていたリリティアという侯爵令嬢と目が合う。その瞬間、リリティアがフィリアナに向かって不敵な笑みを向けてきた。そんな態度をされたフィリアナは『また侯爵令嬢か……』と心の中で愚痴り、盛大にため息をつく。
同時に5年前まで過剰に絡んで来たニールバール侯爵家のエレノーラの事を思い出した。
確かあの後、エレノーラは高位貴族専門で受け入れている厳格で由緒ある王立女学校へ入学させられ、淑女教育を一からやり直しさせられていると、親友のコーデリアが話していた事を思い出す。そして昨年、とある伯爵令息との婚約が決まり、現在は挙式を一年後に控えている関係で、その家で花嫁修行も兼ねて生活しているらしい。
コーデリアの話では、女学校生活でいかに自身が傲慢だったかを思い知らされたらしく、中等部を卒業して侯爵家に戻ってきた時には改心したのか、当時の事をコーデリアに深々と謝罪してきたそうだ。そして本来フィリアナにも謝罪を行いたかったようだが、王家よりやんわりと接近禁止令のような扱いをされている手前、声をかけられずにいるらしい。フィリアナにとっては5年も前の昔の出来事なので、すっかり忘れかけていたが、エレノーラの中では、ずっと引っかかっている出来事のようだ。
そんな事を思い出していたからか……。
ふとアルスから視線を外した瞬間、視界に入ってきたエレノーラの姿に息を呑む程、動揺してしまった。そんな動揺で固まってしまったフィリアナのもとにエレノーラがゆっくりと近づいて来る。
「フィリアナ様……。お久しぶりでございます」
そう声を変えてきたエレノーラは、5年前と比べると別人かと思ってしまうくらい儚げな雰囲気を漂わせる女性となっていた。




