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7.我が家の子犬は俺様犬

 アルスがラテール家にやって来てから、二ヶ月が過ぎた。

 世話係から殺されかけ、主と選んだ第二王子と引き離されたアルスは、この邸にきた当初はどこか怯え、周りを警戒している様子だったのだが……。

 現在では、すっかりここでの生活に慣れ、元気いっぱいに邸内と中庭を駆けずり回っている。


 そして二ヶ月も経つと、アルスがどんな性格かも見えてきた。

 アルスは子犬でありながらも非常に賢く、人間であるフィリアナ達の会話をほぼ理解しているようで話しかければ、しっかりと鳴き声で返事をする。


 だからと言って落ちついた性格という訳でもなく、通常の子犬のようにはしゃぎ過ぎて、花瓶や家具等を壊してしまう程のやんちゃぶりだ。

 ここ最近は、それでよく母ロザリーと執事のオーランドから叱られ、耳をペタンとさせている。


 性格面では、子犬であるのにどこかプライドが高く、自分が認めた人間以外の言うことは聞かない。

 特に父フィリックスには何故か反抗的で、よく靴に噛みついている。


 対してフィリアナには、かなり従順で叱られると酷く落ち込んでしまう。

 特にフィリアナに泣かれるとパニックを起こし、よくロアルドに助けを求めている。恐らくアルスの中で幼いフィリアナは、妹のような大切に守らなければならない存在という認識なのだろう。


 ロアルドに対しては、自分を一番世話してくれる人間だと認識し懐いてはいるようだが……。フィリアナの時と比べると、従順というよりも同志という感覚のようだ。その為、たまに反抗的になる事があるが、一番しっくりくる彼らの関係性は、共にフィリアナのお守り役という感じである。


 そんな中で、もっともアルスの躾に貢献しているのが、母ロザリーと執事のオーランドだ。とにかくやんちゃで俺様犬のアルスを自身の子供のように叱りつけながらも、子供達に過剰に絡まれ疲弊している時には、真っ先にアルスを助けてくれる。


 だが、やんちゃなアルスは、悪戯(いたずら)をしては叱られる事が多いので『この二人には、けして逆らってはいけない』という認識になっているようだ。その証拠にたまにフィリアナの言う事も聞かなくなっている状態のアルスをロザリーかオーランドが一喝すれば、すぐに我に返り素直に聞き入れる。


 どうやらこの二ヶ月間で、アルスの中での優先すべき人物のランクづけも大きく変動したらしい。

 アルスは、自分を溺愛してくれるフィリアナに一番懐き、散歩と入浴等の世話を率先して行ってくれるロアルドには信頼をよせ、ラテール家の影の番人であるロザリーと執事のオーランドに対しては従順で、聞き分けのよい『お利口そうなワンちゃん』を演じている。


 だが何故か父フィリックスにだけは反抗的で、まるで父親に反発する息子のような歯向かい方をした。しかしそんなアルスをフィリックスは叱りつける事もなく、ただただ苦笑して受け流すだけだった。


 そんな俺様犬のアルスだが、生活環境面では子犬とは思えない程の繊細さを見せた。

 まず床に直接置かれた餌皿からは、絶対に食事を取ろうとしない。その為、初日でロアルドが対応した置物の飾り台は、今ではすっかりアルス専用の食事用テーブルと化している。


 そして排泄も人に見られていると出来ないらしく、アルスが使用している一等客室には、第二王子が予め用意していたと思われる犬小屋サイズのトイレ小屋が設置されている。しかもそのトイレ小屋は、アルスが入ると自動的に内側から鍵がかかる仕掛けになっているらしい。アルスが来た当初、興味本位でロアルドとフィリアナが中に入っているアルスの様子を確認しようとしたのだが、小屋の入り口の扉は自動的に鍵がかかり、中を覗く事が出来なかった。


 他にも大概の犬が嫌がる入浴を好み、遊びに夢中にならない限り自身が汚れるような行動は、あまりしないというかなり綺麗好きな面がある。


 以前、フィリアナが水溜まりで泥遊びを始めようとした時などは、物凄い勢いでフィリアナのスカートを咥えて引っ張り、必死に止めに入るほどの徹底ぶりである。ちなみにこの時のフィリアナは、母ロザリーより「アルスを見習いなさい!」と叱られ、複雑な気持ちになったらしい。


 そんな綺麗好きなアルスは、入浴とその後にされるブラッシングが大好きだった。アルスはラテール家に来てから、毎日ロアルドと一緒に入浴し、その後フィリアナとメイド達から丹念にブラッシングされるのが日課となっている。


 だが不思議な事にアルスは何故か一番懐いているフィリアナとは、けして一緒に入浴をしない。まだラテール家に来たばかりの頃、フィリアナが一緒に入浴しようと抱き上げた際に激しく抵抗し、ロアルドにしがみつきながら頑なにそれを拒んだ。


 その事でフィリアナは少し悲しい気持ちになったのだが……。その代償なのか、アルスは入浴後のブラッシングをフィリアナが満足するまで好きなだけさせてくれるので、その悲しさは解消されていた。


 このように子犬とは思えないほどの繊細さを持つお育ちの良いアルスを母ロザリーは、かなり変わった子犬だと感じていたのだが……。

 息子のロアルドから「王族に飼われていたから、その辺の躾はしっかりされていたんじゃない?」と言われ、今ではそれがアルスの個性なのだろうと思うようになり、その状況をすんなり受け入れている。

 それだけアルスは、いかにもお育ちの良い坊ちゃん犬だったのだ。


 しかしそんなアルスでも一つだけ、ラテール一家を困らせる拘りを持っていた。

 それがアルスの異常なまでの首輪嫌いである……。


 白黒のよく手入れのされた艶のある毛並みのアルスが、野犬と間違われる事はほぼないだろう。

 だが、だからと言って首輪を着けないままでは飼い犬という認識がされにくく、預かり犬であるアルスがトラブルに巻き込まれてしまう可能性が出てくる。


 その為、出来れば首輪を着けさせたいのだが……アルスが頑なに拒むので、ここ一ヶ月前までのラテール一家は、その事で頭を悩ませていた。

 だが、その問題は一番幼いフィリアナのある提案で、あっさりと解決される。


「アルスには首輪じゃなくて、王子様みたいなカッコいいリボンを着けてあげればいいと思う!」


 その娘の意見で父フィリックスは、アルスが小生意気な子犬ではなく、王族に飼われている誇り高き聖魔獣だった事を思い出したらしい。そして、すぐに王家御用達の装飾品工房からデザイナーを邸に呼びつけ、アルスが気に入りそうなリボンタイのデザインをフィリアナの意見重視で用意させた。


 結果、アルスは真ん中に親指サイズの豪華なルビーがあしらわれた自身の顔の半分以上もある真っ赤なリボンタイをフィリアナから首元に着けられ、現在は満足そうな様子を見せている。

 だがフィリックスは、自分の子供達よりも高価なリボンタイを当たり前のように着けている子犬に呆れ果てていた。ちなみにそのリボンタイの費用は、しっかりと王家に請求しているらしい。


 そんな子犬としては独特の個性を放つアルスだが、現在ではすっかりラテール伯爵家の一員として馴染んでいる。

 アルスの一日の過ごし方は、午前中はフィリアナと中庭で遊び、午後は教育係から指導を受けるフィリアナの側でくつろぎ、夕方から晩餐までの間は兄妹二人と室内で遊ぶという非常に充実した日々だ。


 だが、この日は伯爵家を継ぐ為の教育を受けているロアルドが午前中から空いていた為、フィリアナとアルスは珍しく朝からロアルドに中庭で遊んで貰っていた。


「フィー、アルス。準備はいいか?」

「うん!」

「キャン!」

「それじゃあ……投げるぞ!」


 そう言ってロアルドは、手にしていた薄い木皿のようなものを地面に対して水平になるよう真横に滑らすように投げ放つ。それと同時にフィリアナが叫んだ。


「アルス! ゴー!」


 すると、アルスが勢いよく走り出し、ロアルドが投げ放った木皿のようなものを追いかけ、あっという間にその距離を縮める。そして一番良いタイミングでジャンプし、その木皿のような物を空中で咥えてキャッチした。


「「おおー!!」」


 そのアルスの華麗なジャンピングキャッチにフィリアナとロアルドが、手を叩きながら感嘆の声をあげる。すると、アルスが誇らしげな様子で、二人の元へと駆け戻ってくる。

 だが、何故かアルスは投げたロアルドではなく、フィリアナの方へキャッチした物を差し出した。そのアルスの行動にロアルドが、呆れながらぼやく。


「アルス……お前、何で投げた僕じゃなくて、フィーにそれを渡すんだよ……」

「だって、アルスに『ゴー』って言ったのはフィーだもん。アルスはフィーの言う事を聞いてくれただけだもんねー」


 そう言ってアルスが咥えている木皿のような物を受け取ったフィリアナが「アルス、偉い、偉い!」と言ってアルスの体全体をわしゃわしゃと撫で回す。すると、アルスが満足げに目を細め、その愛撫を堪能し始めた。その様子を恨めしそうに眺めていたロアルドが、盛大にため息をつく。


「一番お前の面倒を見ているのは僕だぞ? 朝に弱いフィーの代わりに一時間も早く起きて毎朝散歩させたり、一緒に湯浴みして毎日体を洗ってやっているのに……。何で僕よりもフィーの方に懐いているんだよ……」

「フィーだって毎日アルスにお食事あげて、ブラッシングもしてあげてるもん!」

「フィーの場合、アルスの世話というよりも自分が楽しんでいるだけじゃないか……。あっ! もしかして毎日餌をあげているのがフィーだから、一番懐いているんじゃ……」

「違うもん! アルスが一番好きなのがフィーだから、一番懐いているんだもん!」

「それなら明日からアルスの餌やりは兄様がやってもいいよな?」

「ダメェェェー! フィー、ごはんの前にアルスに『お手』と『おかわり』して貰うのを楽しみにしているのにぃー!」

「それならフィーは『お手とおかわり係』だけやればいいだろう? 餌係は兄様がやる!」

「ヤダァァァー! そうしたらアルス、フィーより兄様の事を好きになっちゃうでしょう!?」

「お前、やっぱりアルスを餌付けしている自覚があるんじゃないか……」

「違うもん! アルスはお食事あげなくてもフィーの事が、一番好きなんだもん!」


 アルスを抱き抱えながら、白い歯を剥き出して「イーッ!」と威嚇してくる妹の様子にロアルドが苦笑する。


「まぁ、アルスが一番フィーに甘いのは仕方がないよな……。だってアルスにとって、この家の中で一番守らないといけないって思っているのがフィーなんだから」


 兄の独り言のような呟きを聞いたフィリアナが、一瞬キョトンとする。


「何でアルスがフィーを守るの? アルスがフィーに守られてるのに……」

「いいや、アルスの方がフィーを守ってる。だってアルスは、自分の方がフィーよりもお兄さんだと思っているからな」


 ニヤニヤしながらそう告げてきた兄の言葉にフィリアナが激しく反論する。


「違うよ! アルスよりフィーの方がお姉さんだもん! だからアルスはフィーの弟になるんだもん!」

「お前はそう思っていてもアルスの方はそうは思っていないぞ? フィー、二カ月前に無理矢理首輪を着けようとして怒ったアルスに手を噛まれた事があっただろう?」

「う、うん……」

「その時、アルスに噛まれて痛かったか?」


 兄のその質問にフィリアナが静かに首をふる。


「びっくりしたから痛いって思っちゃったけど、全然痛くなかった……。歯のあとも付かなかったし、血も出なかったよ?」

「あれはアルスが敢えて甘噛みしたんだ。フィーに怪我をさせちゃいけないって思って。フィーは、まだ小さくて弱いから乱暴な事をしちゃダメだって、アルスはちゃんと分かっているんだよ」

「で、でも! それは兄様も同じだよね!?」

「僕は、たまにアルスに歯形が付くくらい噛まれる事があるよ?」

「ええっ!?」


 兄のその話を聞いたフィリアナは、思わずアルスに視線を向ける。

 すると、アルスが気まずそうに耳をペタンとさせ、項垂れるような仕草をする。

 そのアルスの様子から、先程の兄の言葉が事実だと確信したフィリアナが、ややショックを受ける。そんな妹のショックを少しでも軽減させてあげようと思ったロアルドは、出来るだけ穏やかな口調で、何故アルスがそのような行動をしてしまうのか状況説明を始めた。


「アルスもまだ子犬だから……そういう時は興奮しちゃって、思わず噛みついちゃう事があるんだよ。特に自分よりも強いって思っている相手に対してはね。でもアルスは、何も兄様の事が嫌いで噛み付いた訳ではないんだ」

「じゃあ、どうしてアルスは歯のあとがつくまで兄様を噛んじゃったの?」

「アルスにも苦手な事や嫌いな事があるだろう? でもどうしてアルスにもやって貰わないと困ってしまう時がある。フィーの場合だと、マナーのお勉強とかが、それかな? アルスにもそういうものがあって、その時に兄様が無理矢理アルスにそれをやらせようとしたから、『やりたくない!』っていう気持ちを兄様に訴える為に噛みついたんだよ。でもフィーは、どうしてもやらせなければいけない事を嫌がるアルスにさせようとした時、歯形がつくほど噛まれた事なんて一度もないだろう?」

「う、うん……」

「それはフィーがまだ小さくて、すぐ泣いちゃうからアルスも手加減してくれているんだ。でも兄様や母様、オーランドやシシル達は、アルスにとって自分よりも強い相手になる。だから全力で抵抗しないとアルスは、その嫌な事を無理矢理やらされてしまう……。それが嫌だから、全力で抵抗する為に手加減なしで兄様達はアルスに強めに手を噛まれてしまうんだ……。特に父様は、毎回足首から血が出るまで、容赦なくアルスに噛まれているからなー」


 兄からのその情報にフィリアナが驚愕しながら、抱きかかえていたアルスをゆっくりと地面に降ろす。


「ア、アルス? 本当にお父様にそんな事をしてたの……?」


 あまりの衝撃的な事実を聞かされたフィリアナは、驚きからアルスをジッと見つめた。

 父フィリックスの足首に頻繁に噛みついていた事をフィリアナに知られてしまったアルスが、気まずそうに耳をペタンとさせて地面に視線を落とす。それを肯定と受け取ったフィリアナが、両手を腰に当てて大きく息を吸い込んだ。


「アルス!! 血が出ちゃうまで誰かに噛みつくのは悪い子がする事なんだよっ!? もうやっちゃダメっ!! アルス、めっ!!」


 ロアルドによって、今までこっそりと行っていた父フィリックスに対する非道な行いを暴露され、フィリアナに叱られてしまったアルスは「クーン、クーン……」と一時的な許しを乞うように切ない声をあげ始める。


 しかしフィリアナは、そんな自分に縋りつくようなアルスの態度に絆される事もなく、両手を腰に当てたまま「アルス! めっ!」と再度叱りつけた。すると、流石のアルスも本気で反省し始めたのか、鳴き声をあげながら耳をペタンとさせて地面に伏せる。


 そんな妹達のやり取りを見たロアルドが苦笑する。

 すると、フィリアナが悲しそうな表情をしながら、アルスの問題行動についてポツリと溢す。


「どうしてアルスは、お父様の事を嫌うのかなぁ……」


 『噛み付くのは相手を嫌っているから』という短絡的な思考になっている妹にロアルドが、やや困ったような表情を浮かべる。


「フィー、アルスは父様の事を嫌ってなんかいないよ? むしろ……一番頼りにしているから、全力で噛みついちゃうんだ」

「な、何で? 一番頼りにしてるって事は、アルスはお父様の事が大好きって事でしょ? それなのに噛みついちゃうの!?」

「うん。多分アルスはね、どんなに本気で噛みついても絶対に父様はアルスの事を嫌ったり、見捨てたりしない人だって分かっているんだよ。父様はアルスにとって、唯一この家で怒りや不満をぶつけられる人……ぶつけても許してくれる人だって知っているんだ。それは父様に対して、アルスが『この人になら甘えてもいい』っていう信頼を寄せているって事なんだよ」


 ロアルドのその話を聞いたフィリアナが、何故か悲しそうな表情をしながら、涙ぐみ始める。


「じゃあ……フィーがアルスの一番になる為には、血が出るまで噛まれるようにならないとダメって事?」

「そうじゃないよ……。アルスはね、この家で一番頼りにしているのは父様だけれど、別に父様の事が好きって訳ではないんだ。アルスがこの家の中で一番好きなのは、間違いなくフィーだと思う。でも一番頼りになるのは、やっぱり大人で強い魔法が使えて伯爵でもある父様なんだよ。フィーだって危ない目に遭ったら、大好きなアルスじゃなくて、魔力が強い父様や兄様に助けを求めるだろう?」

「うん……。だってアルスじゃ、フィーの事助けられないもん」

「それと一緒。『大好きな人』が『頼りになる人』とは限らない。アルスにとってフィーは、いつも一緒にいたい大好きな人だから嫌われたくなくて、思いっきり噛みついたりはしない。でもアルスが一番信頼を寄せているはずの父様をアルスは、特に好きだとは思っていない。むしろどう思われもいいやって思っているから好きになって欲しいという気持ちはあまり無いんだと思うよ? だから、父様に怒られてもあまり気にならないから、思いっきり噛みつけるんだよ」

「そ、そんなのお父様が、かわいそうだよ!」

「まぁ、多分だけれど、父様はアルフレイス殿下の護衛をしている時にアルスの躾も担当していたんだろうね……。その時にやんちゃなアルスに口うるさく注意してたんじゃないかな? だからアルスに良く思われていないのかも」

「そっかー……。お父様、いっぱいアルスを叱っちゃったから良く思われていないんだね……」


 それならば仕方がないと、何故か納得している妹にロアルドが苦笑する。そして先程フィリアナが頑張ろうとしていた事をどうするか確認してみる。


「フィーは、アルスにとって『大好きな人』と『頼りになる人』、どっちになりたい?」

「フィーは絶対に『大好きな人』の方がいい!」

「なら今、そうなっているのだから父様みたいにならなくてもいいんじゃないか?」


 兄のその言い分にフィリアナは、大きく頷いた。

 だが、また悲しそうな表情を浮かべる。


「でも……血が出ちゃうくらいお父様の足にアルスが噛み付くのは嫌だなぁ……。兄様やお母様達にも噛み付いて欲しくないなぁ……」


 すると、耳をペタンとさせたアルスが、悲しげに鼻をピスピス鳴らしながらフィリアナに擦り寄る。そのアルスのあからさまなフィリアナ至上主義な様子が面白すぎたロアルドが、思いっきり吹き出した。


「兄様?」

「だ、大丈夫だよ。今のフィーの言葉で、アルスはもう父様の足を血が出る程、強く噛みつかないって反省しているから。でも……歯形が残ってしまう程度の噛みつきは許してあげて欲しいな」

「な、何で?」

「だってそれも我慢したら、アルスは嫌な事をされても嫌だって訴えられなくなるじゃないか。フィーだって気に食わない事があって兄様と喧嘩する時は、兄様の事を全力でポコポコ殴ってくるだろう? アルスの噛みつきは、それと一緒だよ。まだ小さいフィーとは違って、兄様達の手は丈夫だから少し歯形がついてしまう程度の噛みつきなら平気だ。だから、ちょっと強めに噛んじゃう事くらいは許してあげよう?」

「うん……」


 そう返事をしたフィリアナだが、あまり納得していないようだ。

 先程から許しを乞うように自分の足に縋り付くアルスをそっと抱き上げ、その青みがかった薄灰色の瞳をじっと覗き込む。


「でもね、フィーには絶対にガブッてしちゃダメだよ?」


 その瞬間、妹が何を懸念していたのかが分かったロアルドが、今日一番の盛大な吹き出しを見せる。


「そ、そうだよな! フィーはアルスにガブッとされたら、ショックで赤ちゃんみたいに大泣きしちゃうもんな!」

「フィー、もう6歳になったから赤ちゃんみたいに泣かないもん! もうお姉さんだもん!」

「知ってるか? お姉さんは言葉の最後に『もん』って付けないんだぞ?」

「お姉さんでも『もん』って付けるもん!!」


 兄に揶揄われたフィリアナが、両手で握り拳を作りながらムキになって訴えていると、邸の方から二人を呼ぶ母の声が聞こえた。


「ロアルドー! フィー! 大切なお話があるから、ちょっとこっちに来てくれるぅぅぅー!?」


 淑やかさに定評がある母ロザリーの大きな呼び声を聞いた二人がキョトンとする。


「お母様があんなに大声でフィー達を呼ぶの、珍しいね?」

「そうだな……。怒っている時しか、ああいう大声は出さないよな?」


 呑気にそんな会話をしていた二人だが、再度母から催促がかかった。


「ロアルド! フィー! 聞こえていないの!?」


 母の呼び声に苛立ちが混じり始めている事に気付いたロアルドが慌て出す。


「まずいぞ……。早く戻らないと、本当に母様に目の前で大声を出される!」

「アルス! お邸に戻るから、今すぐ走って!」

「キャン!」


 二人と一匹は、ラテール家の影の最強人物であるロザリーからのお叱りを受けないように慌てて、邸の方へと駆け出した。

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