66.我が家の元愛犬の行動力は侮れない
あまりにも予想外な事をアルスが言い出した為、全員が唖然としてしまい、室内に微妙な空気の静寂が訪れる。するとその静寂をぶち壊すように更にアルスが持論を展開し始める。
「よく考えてみろ! 兄上の婚約者であるルゼリア義姉上の正式なお披露目という事は、義姉上が可愛がられているフィーは参加必須だ! そしてもちろん、その婚約者である兄上の弟の俺も参加必須となる! だが、現状一番奴らに狙われているのはフィーだ! 公の場で第二王子の俺がフィーを守る為に堂々と引っ付いていられる状況を得るには、俺達が婚約を交わす事が一番手っ取り早いだろう!?」
そのアルスの主張を聞いたフィリアナは動揺の所為でアワアワし始め、フィリックスは怒りで肩を震わせ、ロアルドとクリストファーは盛大に呆れた後に白い目をアルスに向けた。
「いや君、それ明らかにこじつけ便乗だろう?」
「アルス……お前、単にフィーと婚約したいだけの下心が丸見えだぞ!?」
「そんな事はない! これはちゃんとフィーの安全を考慮しての主張だ!」
「護衛の為だけにフィリアナ嬢は王族と婚約するのかい? だったらいつもみたいにロアが、フィリアナ嬢に引っ付いていればいいじゃないか……」
「ロアは守りきれなかった前科があるからダメだ!」
「待て! いつ僕がそんな失態をした!?」
「しただろう!? ニールバール侯爵令嬢の時に! あの時、ロアは俺にフィーの事はしっかり守ると約束した……。だが、結局フィーは吊し上げに遭いかけていたじゃないか!」
「うっ……」
アルスの反論にロアルドが押し黙る。
すると、クリストファーが遠い目をしながら、当時第二王子アルフレイスとして、ニールバール侯爵家の令嬢エレノーラのドレスを犬だったアルスが引きちぎってしまった時に対応したやり取りを思い出す。
「そう言えば、そんな事もあったね……。でもその後、ロアはすぐに僕とラテール卿を連れて、君達を助けに来たじゃないか」
「来るのが遅過ぎる!!」
「だからと言って、ご令嬢方のドレスの裾をビリビリに破くのはどうかと思うよ?」
「自業自得だ!! 一人を寄ってたかって複数で吊し上げにする方が、どうかしている!!」
そう悪態をつきはじめたアルスにフィリックスが盛大にため息をつく。
「とにかく! 今は黒幕探しよりも二週間後に行われるルゼリア様のお披露目式をどう乗り切るか、対策を立てた方がよろしいかと思います。式の主催側である陛下やセルクレイス殿下は自由には動けませんし、マルコム騎士団長も陛下方の護衛で身動きが取れないかと思われます。その為、この状況は敵にとって殿下お二人を襲撃する絶好の機会になるかと……」
そのフィリックスの話にロアルドが腑に落ちないという表情を浮かべた。
「父上、いくら何でもそんな人目が多い場所で相手は仕掛けてきますか?」
「人目が多いからこそ、仕掛けてくるのだ……」
「どういう事です?」
すると、フィリックスの代わりにクリストファーが説明をし始める。
「ようするに人目が多いからセルク兄様は、あからさまに光属性魔法が使えないんだよ……。君達も今回巻き込まれなかったら、王位継承権を持つ王族が三属性使いだって知らなかっただろう? 王家は代々光属性魔法を受け継いでいる事は国防の弱点にもなるから、あまり公にはしたくないんだ……」
確かに今回の王家のお家騒動で巻き込まれなければ、フィリアナ達にとって光属性魔法は千年程前に存在した幻の属性魔法という認識のままだった。
「でも黒幕が扱う闇属性魔法は、光属性以外の魔法では防ぐ事も相殺する事も出来ない。つまり、もし今回公の場で闇属性魔法でセルク兄様が攻撃された場合、光属性魔法の存在を明るみにしてでもセルク兄様に自衛して貰うか、それとも今まで通り他国に光属性魔法の存在を隠し続ける事を優先するか……今、その二択を迫られている状況なんだ」
クリストファーのその話にフィリアナが、以前中庭で襲われた時の事を思い出す。あの時、魔法封じの闇属性魔法を放たれた際、フィリアナは確実に防げるタイミングで水壁を展開させた。だが、放たれた闇属性魔法は、まるで存在しないかのように水壁をすり抜けてきたのだ。
恐らく今回のお披露目式では、セルクレイスが目立つ場所に立てば確実に闇属性魔法で攻撃され、光属性魔法を使って防ぐしかない状況に追い込まれる。だが、王家は光属性魔法が使える事を出来れば他国には知られたくはない……。
他国に知られてしまうと、光属性魔法で結界を張れる王族を討てば、国に攻め入りやすくなる事が公になってしまうからだ。その情報を外部に漏らさぬよう王家は、代々この力の存在を一部の人間にしか開示しないようにしてきた。
だが、隣国の王族も参加するお披露目式で使えば、確実に光属性魔法の存在は明るみになってしまう。非情な判断が出来る人間であれば、まだ替えの利く王太子の命よりも長い目で見た場合の国防を優先するだろう。
しかし、現状のリートフラム王家は、その非情な判断が出来る人間がいない。
国王リオレスも第二王子であるアルスも王太子の命を優先する事の一択だろう。
その場合、どのようにしてお披露目式中にセルクレイスの安全を光属性魔法無しで守るかが、課題となってくる。
「となると……現状一番対策を練らなければならない部分は、光属性魔法の存在を隠しつつ、闇属性魔法に対処出来る方法を探す事か……」
ロアルドが自分考えをまとめるように口にすると、何故かアルスが過剰に反応し、勢いよく机を叩いた。
「それだけじゃない! フィーの安全確保も最優先事項だ! あいつら、絶対に兄上だけでなく、俺の事も始末しようとしてくるはずだ!」
アルスのその主張の仕方にやや呆れ気味になった三人だが……。
確かに今回は、第二王子の弱点でもあるフィリアナの安全面も徹底的に強化しなくてはならない。仮にフィリアナが、お披露目式に参加しなかったとしてもラテール邸で襲われる可能性もある。ならば思い切ってお披露目式に参加させ、常にアルスに張りついて貰っていた方がフィリアナの安全面は、かなり強化される。
「だからと言って、フィリアナ嬢をアルスと婚約させるのは……ちょっと乱暴すぎやしないかい?」
「何故だ? もう確定している事の予定を少し早めるだけだろう?」
「いや、その確定しているのはアルスの中だけだろう!? フィーの気持ちはどうなるんだ!」
「フィー……?」
クリストファーとロアルドに反論されたアルスが、縋るような瞳をフィリアナに向ける。すると、フィリアナがあからさまにビクリと肩を震わせた。
「フィーは……俺と婚約するのは嫌なのか……?」
「そ、そんな事はないけれど……。で、でもね! こういう事は一生の事だから、急に勢いで決めたりするのは良くないと思うの!」
「俺にとっては急でも勢いでもない。もしフィーが婚約したい奴がいるなら、断腸の思いで諦めるが……。はっきり言ってこの7年間、フィーが恋愛関係に興味を持った事はなかったし、この先も持つかどうか怪しい……。ならば婚約相手が俺でもいいはずだろう?」
「アルス、はっきり言い過ぎだよ!! もう少し私の乙女心に配慮して!!」
「配慮しての婚約の申し入れだ! 俺は将来の伴侶にはフィーしか考えられない!」
まるでプロポーズのような事を真っ直ぐな瞳で訴えられてしまったフィリアナが、顔を真っ赤にしながら兄に縋るように目だけで助けを求める。だがロアルドは、右手をヒラヒラさせながら「フィー、辺境伯夫人の教育、頑張れー」とだけ言って、敢えて視線を逸らした。
そんな兄に見捨てられたフィリアナの両肩をいつの間にか後ろに回っていた父フィリックスが、不敵な笑みを浮かべながら、がっちりと掴んでアルスと対峙する。
「まぁ、そういうお話は、まず陛下から婚約の了承を得られてからにして欲しいのですが? アルフレイス殿下」
ニッコリと口元に笑みを作ってはいるが、目は完全に笑っていないフィリックスがアルスに圧を掛ける。するとアルスの方も負けじと、フィリックスに不敵な笑みを返した。
「言ったな? 言質は、しっかり取ったからな!」
「ええ。ですが、このような状況時に陛下が、そう簡単に承諾してくださるとは思えませんがね」
「言ってろ! 俺は絶対に父上を説得し、お前に正々堂々とフィーとの婚約の申し入れしてやる!」
行儀悪くビシリとフィリックスを指差しながらアルスが啖呵を切ると、そのやり取りを見ていたロアルドとクリストファーが呆れるように半目になり、盛大にため息をつく。
「はいはい。それはこの後、アルスがリオレス叔父上と勝手にやればいいから……。今はまず、お披露目式の襲撃対策について考えようね!」
「まずは当日ラッセル宰相閣下に監視を付ける手配をするべきですよね……」
「それに関しては、とりあえず王家の影を使うとして……。問題は闇属性魔法を放たれてしまった時にどのように防ぐかだよね?」
「一番確実なのは、アルフレイス殿下が行った誰かが身を呈してセルクレイス殿下を庇うという方法になりますが……」
「そうなると会場が騒然としてしまい、ルゼリア辺境伯令嬢のお披露目式が台無しになってしまう……。出来れば内密にサクッと阻止したいのだけれど……」
いつの間にかアルスとフィリアナとの婚約話は、国王リオレスによって完全に却下されると判断したクリストファーにきれいに流され、早々に本題である闇属性魔法の対策について話し合いだした三人。
そんな三人の態度に不貞腐れ気味だったアルスだが……。
話の内容が本格的なお披露目式の襲撃対策に変わり始めたので、アルスもその話し合いにいつの間にか加わっていった。
しかし、フィリアナだけは、その話し合いの内容が全く頭に入こず、参加も出来ずにいた。
そもそも警護対象でもあるフィリアナが意見を出せる立場ではなかった事もあるが、それ以前に先程のアルスから放たれたプロポーズにも近い婚約を熱望する言葉が、頭の中でグルグルと回ってしまい、それどころではなかったのだ。
そんなフィリアナは、自分との婚約を熱望するアルスに非常に戸惑っていた……。
アルスは飼い犬と言う立場であったが7年間も常に一緒に過ごし、人の姿に戻った後もデリカシーには欠けるが……いつもフィリアナを最優先で行動してくれる。
恐らくこの先、アルス以上にフィリアナの事を考えてくれる婚約者候補は現れないだろう。
しかしフィリアナは、アルスが自分との婚約を仄めかすような事を口にする度に戸惑いだけでなく、不安も感じていた。
このまま自分が第二王子であるアルスの婚約者になってしまっていいのだろうか……と。
アルスは家族と言い切ってもいい程、フィリアナの中では大切な存在となってしまっている。
しかし、その感覚はアルスが飼い犬だった頃の延長でもあるのだ。犬の姿だったとはいえ、実際にラテール一家の一員として7年間一緒に暮らしてきたアルスは、フィリアナにとって、すでに自身の家族の一員と化しているのだ。
しかし、今後婚約者となってしまったら、その関係はまた違ったものになってしまう。フィリアナは、アルスに婚約を望んでいる事を口にされる度に家族としての関係が壊れてしまうのではないかと、ずっと懸念していた。
そんなフィリアナがアルスに対して抱く愛情が『家族愛』である。
しかし、アルスがフィリアナに求めている愛情は、もっと別の物のように思えてしまう。
もし互いに抱いている愛情の種類の違いにアルスが気づいてしまったら、自分達の家族的関係が壊れてしまうのでは……。そう思ってしまうフィリアナは、アルスが婚約を望んでいるような事を口にする度に密かに怯えていた。
そしてフィリアナが、そんな不安を抱いている事を兄であるロアルドは薄々気づいているはずだ。だから厩舎で外出許可を取りに行ったアルスを待っている時、フィリアナに『そんなにアルスに対して身構えるな』と助言してきたのだろう。
それでもフィリアナは、家族愛を越える程の愛情をアルスが自分に向けてくるのではないかと身構えてしまう。もしそのような愛情を向けられてしまったら、自身もアルスへの接し方が変わってしまいそうで怖いと思ってしまう。
だが、先程の父フィリックスの話では、国王リオレスはそう簡単には婚約の承諾をしないという口ぶりだった。その父の様子に少し安堵していたフィリアナだったが……。
翌日、アルスはフィリアナの予想を裏切るように満面の笑みを浮かべながら、ラテール一家が待っている客間にある物を手にして現れる。
そんなアルスが手にしていた物は、国王リオレスのサインが入ったフィリアナへの婚約申し入れの書類と、アルスの釣書が挟んである黒いファイルだった。




