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6.我が家の子犬は泣く子に弱い

 中庭全体に響き渡るような大声で、火がついたように泣き出した妹にロアルドはギョッとし、アルスの方はビクリと体を強張らせた。

 対してフィリアナは両手で涙を一生懸命拭いながら、更に声を張り上げて泣き叫ぶ。


「フィ、フィー、アルスにき、嫌われちゃったぁぁぁぁー!! もうアルス、フィーに抱っこさせてくれない……。もう……もう、フィーとは遊んでくれないよぉぉぉ~!!」


 まるでこの世の終わりのように全身全霊でアルスに拒絶された事を悲しみだした妹にロアルドが、顔を引きつらせながら唖然とする。

 対してアルスの方もパニックを起こしたのか、物凄い勢いでフィリアナの方へ駆け寄り、その周囲をグルグルと回り出す。


「うっ……ふぅ……フィ、フィー、アルスの事……大好きなのにぃー! い、いっぱい……いっぱい、な、仲良くしたかったのにぃ……。も、もうアルス、フィーと、な……仲良くしてくれ、ないぃー! ア、アルス……もうフィーの事、す、好きじゃないから……。手ぇ噛んじゃうくらいフィーの事……嫌ってるからぁ……」


 いつの間にか泣き叫びから嗚咽を含む様な号泣に変わったフィリアナは、アルスに噛まれた事で自身が完全に拒絶されたと思い込み、その場にしゃがみ込んで、えっぐえっぐと泣きじゃくりだす。

 そのあまりにも子供らしい極論的思考に兄のロアルドが、どう慰めていいか分からず途方に暮れ始めた。


 対して、その原因であるアルスは、自分の所為でフィリアナが深く傷ついている事を理解しているようで、罪悪感からフィリアナを慰めるようにその周りをグルグルし、焦るようにキャンキャンと鳴いている……。

 だが、自分の悲しみを処理する事で手一杯なフィリアナは、そんなアルスの行動に気付かず、しゃがみ込んだまま両腕に顔を埋めた。


「や、やだぁ……。アルス、フィーの事、嫌いにならないでぇぇぇー! フィー、ア、アルスの事、大好きなんだもん……。アルスにずっと、ずっとおうちにいて欲しいんだもん! だ、だからフィー、これからはアルスに触るの我慢するし、抱っこもしない……。あ、あとアルスの後もついて行ったりしないようにき、気を付けるからぁー……。だ、だから……だから、もうフィーの事、き、嫌わないでぇぇぇー!!」


 完全にアルスに毛嫌いされたと思い込んでいるフィリアナの悲痛な叫びに一瞬だけ、ロアルドが切ない気持ちになる。だがよくよく考えると、何故ここまで好きか嫌いかの極論に妹は達してしまっているのか……その事にも呆れてしまう。


 だがフィリアナには、そのような考えに至ってしまう心辺りがあったのだ……。

 昨日アルスとの出会いから、『アルスを可愛がりたい』という激しい欲求が抑えきれなかったフィリアナは、アルスの気持ちも考えずに過剰に接し、何度もギュッと抱きしめ、過剰に撫でまわす等をして、ずっとアルスを拘束していた。


 今朝も起きてから早々にアルスを抱きしめ、着替えの最中もアルスが逃げ出さないように部屋にあった移動用のケージに一時的に閉じ込め、着替えが終わった後に解放はしたが、その後はずっと後をついて回り、鬱陶しいぐらいに声をかけていたのだ……。


 そんなフィリアナからの接し方にアルスは、昨夜からずっと不快そうな反応を何度も示していた事を実はフィリアナは、薄々勘づいていたのだ。

 それでもアルスを愛でたいという欲求が止められなくて……。

 子供特有の加減が出来ない全力の好意をアルスにぶつけ続けた結果、アルスは今朝からフィリアナを避けるような動きをしていた。そして中庭に逃げるように移動していたのが、つい先程までの一人と一匹の状況だった。


 そんな自分を煙たがるアルスの反応を昨日は気付かないふりをしていたフィリアナだったが、今朝も引き続きそのような反応をアルスにされたので、かなり焦ってしまい、更に過剰にアルスに絡んでしまっていたのだ。


 『嫌われたくない。もっと自分を好きになって欲しい』


 純粋で極端過ぎる思考で放たれた重すぎる自分の愛情表現をアルスが迷惑そうにしている事には、幼いながらも何となく気付いていたフィリアナ……。それでも一刻も早くアルスと仲良くなりたいという欲求の方が強すぎて、更に過剰にアルスに絡み、嫌がられるという悪循環に陥っていたのだ。

 その結果、フィリアナのしつこ過ぎる愛情アピールと、大嫌いな首輪をつけられそうになって苛立ったアルスが、フィリアナの手に噛みついてしまった……。


 アルスにとっては「しつこ過ぎるからやめろ!」という警告のような行為だったのだろう。

 しかしあからさまにアルスから拒否的な態度をされていたフィリアナは、アルスから『お前とは絶対に仲良くしない!』という絶縁状を叩きつけられたような感覚に陥ってしまったらしい……。


 『全力で愛情を伝えれば、相手も同じくらい大きな愛情で応えてくれる』


 子供らしい極論思考と、限度を知らない過剰なフィリアナの愛情表現にウンザリしていたアルスは、更に自分にとって不快な首輪を着けられそうになった事で、その苛立ちが頂点に達し、爆発してしまって今回噛みついてしまったのだが……。


 それでも相手が、悪気が一切ない全力の好意をぶつけてくる幼い少女だという事は、子犬でありながらも理解していたようだ。だから噛み付く際、痕が残らないような甘噛み程度の制裁に留めたのだろう。


 犬は群れで暮らす狼と同じように自分が家族の中で、どの順位なのか瞬時に見極める傾向を持っている。現状のアルスの中では、自分よりも格上なのがラテール家の家長であるフィリックスと、その妻のロザリーというのは昨日の時点で決まっているようだ。だが、まだ子供であるロアルドとフィリアナに対しては、自分と同格か格下という見方をしているのだろう。


 特にフィリアナは、自分よりも弱い守るべき立場の存在という認識のようだ。

 今回アルスがフィリアナに本気で噛み付かなかった事から、その事が何となく読み取れる。

 しかしフィリアナにとっては、痛みはほぼ無かったとはいえ『アルスに噛まれた』という状況がショックだったらしい。もう一生仲良くして貰えない程、自分はアルスに嫌われたという極論に達してしまったようだ。


 そんなこの世の終わりのように嘆き悲しむ妹に対して、ロアルドは途方にくれると同時にその感受性が強すぎる反応にかなり引いていた……。自身がフィリアナくらいの時は、どうだっただろうかと思い返してみたが、ここまで素直に感情を爆発させていなかったように思えた。だが、6歳の頃は自分を客観視する事など出来なかったので、その真相は両親や邸の使用人達に確認しなければ分からない。「ならば、後でみんなに確認してみよー」と呑気な考えに走り、現状手がつけられない状態に陥っている妹から、やや現実逃避を図る。


 対してアルスの方は、子供の涙には弱いらしい。

 先程から様々な角度から、しゃがみ込んでいるフィリアナの膝上に前足を引っ掛け、ピスピスと悲しげな声を上げて、反省しているような様子を見せている。


 そんな状況にロアルドは、アルスに憐れむような視線を注ぐ。

 いくら子供特有の限度を知らない過剰愛情表現だったとしても、人間不信に陥ってしまっている時にあそこまで絡まれたら、アルスは怒ってもいいとも思ってしまったからだ。


 だが、未だに悲痛な嘆きを呪詛のように口にし、自分を責め続ける妹にも同情心が多少なりとも芽生え始める。仕方がないので、先程からまるで許しを乞うようにアルスに付き纏われている妹を慰めようと、ロアルドがゆっくりとフィリアナ達に近づいた。


「フィー……。大丈夫だよ? アルスはもう怒ってないって。あと『さっきは噛んでしまって、ごめんね』って言ってるよ?」

「そ、そんな事、アルスは言ってない! だって、フィー気づいてたもん……。昨日からずっとアルス、フィーに触られたり、ギュッとされるの嫌がってたって……。でもフィー、アルスが可愛過ぎて、どうしてもやめられなくて……。だからアルスに嫌われちゃったって、ちゃんと分かってるんだもん!」


 意外にも妹は、自分が過剰すぎる愛情表現をアルスにぶつけ過ぎてしまった事を自覚していたらしい。その事にロアルドが驚く。

 同時に「だったら、もう少しその欲求を抑えろよ……」と思ってしまった。

 だが果てしなく嘆き苦しんでいる様子から一応、反省はしているようだ。


 その事を確認したロアルドは、先程から切ない鳴き声を上げながらフィリアナに縋りついているアルスを抱き上げ、フィリアナの方に差し出すように向けた。


「ほら。あまりにもフィーが悲しむから、アルスが責任を感じてしまって、どうしていいか分からなくなっているぞ? アルスも噛んだ事を『ごめんなさい』してるんだから、フィーもしつこくし過ぎた事を『ごめんなさい』して、仲直りした方がいいんじゃないか?」


 兄のその助言を聞いたフィリアナだが、先程アルスに噛まれた事が相当ショックだったらしく、両腕に顔を埋めたまま頭を思いっきり左右に振った。


「で、でもぉ……アルス、フィーの事、凄く怒ってるもん……。きっと、もう許してくれないもん……」

「そんな事ないだろう? なら何でアルスはさっきからフィーの膝に前足を置いてたんだよ? 『さっきはごめんね』って訴えているようにしか、兄様には見えなかったぞ? ほら、アルスを見てみろ。こんなに悲しげな鳴き声を出して、フィーの事を心配してるんだぞ?」


 ロアルドにアルスを頭に押し付けられたフィリアナが、恐る恐る顔をあげる。

 すると、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったフィリアナの顔をアルスがペロペロと舐め出した。そのアルスの行動にフィリアナが感極まる。


「うっ……ふっ……ア、アルスゥゥゥー……」


 すると、フィリアナがアルスに手を伸ばし、ギュッと抱きしめる。

 対するアルスは、嫌がる様子もなく、フィリアナの頬を慰めるようにペロペロと舐め続けた。


「良かったな。アルスと仲直り出来て……。でもな、フィー。アルスは、つい最近、人間に酷い事をされたばかりで、もしかしたら人が怖いって思っているかも知れないんだ……。なのにフィーが、しつこくアルスに絡んだらアルスが凄く疲れちゃうだろう? だからアルスに触ったりする時は、ちゃんとアルスが『いいよ』っていう状態の時だけにしような?」

「うん……。フィー、アルスの事大好きだから、今度からアルスに嫌われないようにちゃんと確認する……。アルス、今ギュッてしてもいい?」


 先程から自分の涙痕をペロペロと舐めてくるアルスの顔を覗き込みながら、フィリアナが恐る恐る確認する。するとアルスは、青みががった薄いグレーのつぶらな瞳をパチクリさせたあと「キャン!」と元気のいい返事を返してきた。


「うぅー…………アルス、ありがとう……。あと今まで、いっぱい強くギュウギュウして、ごめんねぇー……」


 再び涙をポロポロと溢しながら、アルスを抱きしめる妹の様子にロアルドがホッとするように胸を撫で下ろす。

 この出来事が切っ掛けになったのか、この後のアルスはロアルドが嫉妬する程、フィリアナにベッタリとなってしまう。


 当初は人間不信を患いながら、パワフル過ぎる接し方が多かったラテール兄妹に戸惑いを見せたアルスだが……。逆にその遠慮のない接し方をしてくる二人のお陰で、一ヶ月後には、すっかり家族の一員として馴染んでいた。

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