59.我が家の元愛犬は涙する
「どういうと言われても……」
ルインについて急に話題を振られたアルスが、何と答えればいいのか分からず戸惑いだす。すると、フィリアナはルインと共にアルスに仕えていたジーナにも話題を振り始めた。
「ジーナさんは一緒にアルスの身の周りのお世話をしていたんですよね? ルインさんって、どんな人だったんですか?」
すると、ジーナが昔を懐かしむように優しく目を細め、ルインについて語りだす。
「そうですね……。ルインが殿下付きの侍従になった時、彼はまだ14歳だったのですが、最初から何でもそつなくこなせる物覚えの良い優秀な子でした。ただ、焦げ茶色の髪に淡い茶色の瞳をしていたので、あまり目立たない容姿ではありましたね……。その分、あの子の穏やかな雰囲気を引き立ておりましたけれど。殿下に対しても初めて顔合わせをした際、反抗的だった殿下を穏やかな口調で見事に言い負かしていたので、陛下や王妃殿下もやっと殿下と相性のよい侍従がやって来たと、お喜びになられておりました」
すると、アルスがやや不貞腐れたような顔をし、ジーナの話に補足をする。
「俺にとっては、マルコムやシークみたいな奴が、もう一人増えたという感覚だった……」
「ふふっ! アルス、ルインさんにも弄られていたんだね!」
「言っておくが……フィー達の父親であるフィリックスも同類だからな!」
「ごめんね。多分、お父様はいちいち反抗してくる当時のアルスの態度が面白かったんだと思う……」
「あいつは、本当にロアとそっくりだ!」
「何でそこで僕が出てくるんだよ! 言っておくが、僕は昔からお前やフィーに振り回されてばかりだからな!?」
今度は兄が不貞腐れだしたので、フィリアナがそこでも吹き出す。
「他にはないの? ルインさんがこんな人だったというエピソード」
「他か? あいつは……普段ニコニコしているんだが、怒らすと一番厄介で怖かったな。笑顔でこめかみに青筋を立てて、詰め寄って来る感じで……。俺はしょっちゅう悪戯をしては怒られていたが……。兄上を庇って怪我を負ったり寝込んだりした時のルインの怒り方が特に酷くて、物凄い剣幕で捲し立てられた後、寝込んでいる俺の寝台の横を半日くらい陣取って、延々と呪詛のような説教を垂れ流すという地獄のような看病をされた……」
アルスのその話にもう何度目か分からない呆れ顔をロアルドが浮かべる。
「お前、本当に破天荒すぎる幼児だったんだな……。何で5つも年上の兄をまだ小さい弟のお前が庇おうとするんだよ……。しかもお前、一応尊い御身の第二王子だろう? そういう事は護衛がやる事だからな!」
「ルインにも同じ事を言われ、延々と説教された……」
「当たり前だ!」
現状はロアルドがルインのような役回りになっているような気がしてきたアルスは、説教モードになっているロアルドに白い目を向ける。
「大体! ルインはニコニコした顔をしながら、怒涛の勢いで俺に小言ばかり言って小うるさかったんだ! それに俺が悪戯しようと企んでいると何故かすぐに気付いて、いつも先回りをして妨害してきて……。城を抜け出すのだって、あいつが侍従になってから失敗ばかりだった!」
「お前のその救いようがないやんちゃ小僧ぶりで、相当周囲の大人達は手を焼いただろうな……。そのルインって奴も本業じゃなかったお前の侍従の仕事の方が、大変だったと思うぞ?」
「そんな事はない! 大体、あいつはいつもシークと一緒に面白がって俺を揶揄ってき……」
そう言いかけたアルスだが、何故か急に言葉を途切れさせる。
「アルス?」
急に押し黙ってしまったアルスにロアルドが怪訝そうに呼びかけるが、アルスは返事の代わりに頬から何かをポタリと落とした。そんなアルスの状態を見たロアルドが一瞬驚いた後、困ったような笑みを浮かべながら苦笑する。
対するアルスは、自身の状態が信じられないというような表情を浮かべた。
「何で……今更……」
そんな呆然としているアルスの瞳から零れ始めた涙を隣に座っていたフィリアナが、優しく指で拭ってやる。
「アルスはね……。ずっとルインさんの死を悲しみたかったのに悲しめなかったんじゃないのかな? だってアルスは、7年間も引きずってしまう程、ルインさんの事が大好きだったのでしょう?」
フィリアナの言い分を否定するようにアルスは、魔導士用の制服の右袖で自身の両目を勢いよく拭う。
「そんな事……ない……。だってあいつは……いつも俺に小言ばっかり言って来て、シークと一緒になって俺の事を揶揄ってばかりで……。魔法で脅しても動じるどころか、いつもの10倍くらいの説教を返してきて……。最後に俺に放った言葉なんて『もっと早く殺しておけば良かった』……だぞ? そんな奴、俺は好きなんかじゃ……ない……」
しかしアルスの涙は拭ったそばから、またすぐに溢れ出てきてしまう。
「何で……そんな奴の為に俺が……今更、泣かなければならないんだ……」
両目を右腕に押し付けたまま、アルスがグッと口元を引き締め、何かを堪え始める。そんなアルスの頭をフィリアナは、そっと自分の方に抱き寄せ優しく撫で出した。
「昔泣けなかった分、今はいっぱい泣けばいいと思う……。アルスはね、ルインさんの死を『悲しい』って感じていいんだよ?」
「…………っ!」
その言葉で更に涙腺を刺激されたアルスが、涙を隠す様にフィリアナの背中に手を回し、更に深く抱き付く。この間からフィリアナが感じていたルインの話をしている時のアルスの違和感は、これだったのだ……。
当時7歳だったアルスにとって、死に際のルインの動きは裏切られたという気持ちよりも、数少ない自身の理解者を失ったという悲しみの方が先立っていたのだろう……。だが、周囲の人間は、裏切りを見せたルインを激しく非難していたはずだ。
だが、それはアルスが大切だと思う気持ちから生まれた怒りで……。
アルスも幼いながら、周囲が自分の為に怒りを爆発させてくれている事を理解していたので、ずっとルインの死を悲しむ事はいけない事だと思い込んでしまっていたのだろう。
その為、本当はルインを失った事が悲しくてたまらないという気持ちを抱いている事を無意識に押し殺したまま、今まできてしまったのだ。その事にフィリアナが気が付いたのは、昨日アルスがルインの事を口にしている時に違和感があったからだ。
アルスの性格からすると、ルインに裏切られた事で、まず怒りの方が先立つはずだ。だが、何故か昨日のアルスは、どこか傷ついた様子が印象的だった。その様子からアルスは、7年経っても未だにルインの死と向き合えないままなのではないかと考えたフィリアナは、敢えてルインとの思い出話をアルスに語らせた。少しずつ、当時のルインとの楽しかった記憶を思い出させるように……。
その結果が今のアルスの状態である。
恐らく自分でも気が付かない程、アルスはルインに対する悲しみや罪悪感を溜め過ぎていたのだろう。だが、今やっとその事に気づき、7年分溜めてしまった悲しみが一気に押し寄せてきてしまった為、涙が止まらなくなってしまったようだ……。
そんなアルスの頭をフィリアナが労わるように撫でていると、ロアルドも同じ様な眼差しをアルスに向けながら苦笑する。
「そうか……。お前、ずっとルインは暗殺者で自分を殺そうとした奴だから、死んでも悲しいと思ってはいけないって、無意識で自分に言い聞かせて我慢していたんだな……」
「違う……。俺は我慢など……していないっ!」
「そんなボロ泣きしている状態で言われても全く説得力がないぞ?」
「うる、さいっ!」
更にフィリアナに顔を深く埋めた状態でアルスがロアルドに悪態をつく。
そんなアルスの様子に苦笑を深めながら席を立ったロアルドは、隠すように妹に顔を埋めているアルスに近づき、その頭を少し乱暴に撫でる。
「そうだよな……。いくらお前が王族特有の高い魔力や身体能力を持っていて、合理的な考え方が出来ても……中身は、まだ14歳の少年だもんな。しかも僅か7歳であんな状況に遭遇したら、それを受け止めきれるわけないよな……」
そう言ってロアルドが更にグリグリとアルスの頭を撫でると、アルスがフィリアナに顔を埋めたまま、鬱陶しそうにその手を払った。
「やめろ! ロアは頭を撫でるな! 俺の頭を撫でていいのはフィーだけだ!」
アルスが鼻をグズグズ鳴らしながら訴えるもロアルドが頭を撫でる事をやめなかった為、アルスは更にフィリアナにしがみつくように顔を深く埋めてしまう。そんなアルスを兄の撫で攻撃から守るようにフィリアナが、その髪をゆっくりと梳き始める。
すると、フィリアナの腕の中からアルスがボソリと呟いた。
「フィーは本当に……俺に甘すぎる……」
「そうだね。でも今日は特別だよ? だって、やっとアルスがルインさんの死と向き合えたのだもの……」
「………………」
「大好きな人がいなくなってしまっただけでもショックなのに……。それを今まで、ずっと悲しむ事が出来なかったなんて……そんなの辛すぎるよね……」
「〜〜〜〜〜〜っ!」
慰めるようにかけられ言葉にアスルが声にならないような唸り声を発しながら、甘えるようにフィリアナに顔を擦り付ける。そんな犬だった頃の甘え癖を見せてきたアルスをフィリアナは優しく受け止める。
年頃の男女間では完全に不適切な距離での接し方になるが、流石にアルスの今の状態からロアルドとジーナも苦笑しながら、二人のその接し方を咎めなかった。
すると、アルスがフィリアナの腕の中で顔を埋めたまま、今までで一番小さな声である要望を呟く。
「フィー……。もっと甘えていいか……?」
「仕方ないなぁー。今日だけだよ?」
「なら、今日この部屋で俺もフィーと一緒に寝てもいいか?」
そのアルスの要望にフィリアナが一瞬、驚きで言葉を詰まらせる。
すると、目ざとくその呟きを拾ったロアルドとジーナが、フィリアナよりも先に即座に反応し、同時に叫んだ。
「いい訳ないだろう!?」
「ダメに決まっております!!」
雰囲気に乗じて押し通そうとしたアルスの要望は、互いの保護者二名によって激しく却下される。
結局この日の夜は、フィリアナと同じ部屋で寝ると言い張るアルスをロアルドが羽交締めにして部屋から連れ出し、アルスの代わりに守るように寄り添ってきたレイを抱きしめながら、フィリアナは眠りについた。




