57.我が家の元愛犬は過去を振り返る
ジーナに案内されながら、城内の客室に向っていた三人。
すると、アルスがジーナの近況を確認し始めた。
「ジーナは、まだこの城で侍女として働いているのか?」
「まさか! わたくしは、もう前線を退く年齢でございますよ? 現在は、城務めの侍女を目指す若いご令嬢方の指導に当たっております」
ジーナのその話に親友のミレーユが昔、口にしていた事をフィリアナが思い出す。もしこのまま婚約相手が決まらなければ、城勤めの侍女を目指す為、貴族令嬢向けの訓練校に入学を検討していると言っていたからだ。
だが、そんなミレーユは三人の中で一番に婚約が決まった。
現在は将来の嫁ぎ先である辺境領内の子爵家に花嫁修業の為、行ってしまっているので手紙でしか交流がない。急にその事を思い出したフィリアナは「久しぶりにミレーユに会いたいなー」と呑気な事を考えていたのだが……。何気なく自分の横を歩いているアルスに視線を向けた際、今のこの状況に違和感を抱く。
「あれ? そういえば何でアルスも一緒になって客室に案内されているの?」
「フィー。お前、何を言っているんだ……?」
フィリアナの疑問を聞いたロアルドが、やや呆れ気味の表情を浮かべる。
「だってここには、ちゃんとアルスのお部屋があるのでしょう?」
「お前なぁ……。今もしアルスが自室に戻ったら、折角うちの魔導士の制服まで着て正体を隠している事が無駄になるだろう?」
「あっ! そっか……。でもいいの? アルス、思い出の品とか置きっぱなしじゃないの?」
「いや。そういう物は、もう全てラテール邸に運ばせている。それに以前過ごしていた自室には、大して思い入れはない」
「そ、そうなんだ……。随分、あっさりしているんだね……」
すると、何故かアルスが困惑気味な笑みを浮かべた。
「アルス?」
「むしろ、あの部屋は思い出したくもない記憶の方が多いからな……」
その言葉でフィリアナは、幼少期のアルスが常に刺客に襲撃されていた環境だったを思い出す。
「ご、ごめんね!? あの、私……」
「フィーが謝る必要なんてないぞ? むしろ、その思い出したくもない記憶を打ち消せるくらい楽しい思い出をたくさん貰ったからな! それに今の俺なら全員軽く返り討ちに出来るから、もし今回奇襲をかけられたら、昔の分と合わせて倍返ししてやる……」
そう言って、アルスが目を据わらせながら笑みを浮かべ、指をポキポキと鳴らす。そんなアルスの様子にフィリアナ達が苦笑していると、先頭で三人を誘導していたジーナがピタリと足を止めた。
「お待たせ致しました。こちらが皆様にお泊まり頂くお部屋となっております。向かって右側から……アルフレイス殿下、フィリアナ様、ロアルド様と、皆様それぞれに特化した室内内装でお部屋を準備させて頂きました。尚、ロアルド様とフィリアナ様のお部屋は、直接行き来出来る扉がございますので、よろしければご活用くださいませ」
ジーナの説明を聞いたフィリアナは、少しだけ安堵する。もし何かあった場合は、すぐに兄のいる隣の部屋へ駆け込めるからだ。しかし、用意された部屋の状況に納得出来なかったアルスは、即座にジーナに物申す。
「おい、ジーナ。何故、ロアとフィーの部屋は繋がっているのに俺とフィーの部屋は繋がっていない?」
その瞬間、アルス以外の三人の表情がスンと抜け落ちる。
「アルス……。お前、またその事で不満を言い出すのか?」
「あのね、アルス。私達はもう年齢的に一緒の部屋で寝泊まりは出来ないの……」
「お二人とも、大変申し訳ございません……。もしや殿下は、元の姿に戻られてから、ずっとこのような戯言を申されておりましたか?」
「戯言って言うな!! フィーの安全面を考慮しての主張だ!!」
そのアルスの訴えを聞いたジーナが、盛大に息を吐く。
「なんと、おいたわしい……。殿下はこの7年間、紳士的な振る舞いや周囲への配慮等を学べる機会が、全くなかったのでございますね……」
「ジーナさん。アルスのこのデリカシーの無さは生まれ持ったものなので、学ぶ機会があったとしても改善はされなかったと思います」
「なんと嘆かわしい……。殿下の現状を陛下に報告しつつ、再度紳士としての社交マナーを基礎から徹底的に指導し直して頂くよう進言しなければ……」
「何故、お前達臣下は先程から俺の王子教育のやり直しをしたがるんだ!!」
「それはまだ殿下が、未熟な御身であるからでございます」
「マルコムと同じ事を言うな!!」
そう言って不満を爆発させながら、何故かアルスは堂々とフィリアナのために用意された部屋の扉に手をかける。
「あっ! アルス、お前! 何を堂々とフィーの部屋に……」
「もし襲撃された場合、上手く対処出来るよう部屋の作りを把握するだけだ!」
やや言い訳じみた主張をしながら、アルスはズンズンとフィリアナ用の部屋に足を踏み入れ、備え付けのクローゼットの扉を開け、更に寝台の下も覗き込む。そうやって安全確認を行い、最終的にはロアルドの部屋に繋がる扉や、バルコニー付きの窓までも開け閉めをして安全性を確認していた。
「よし! 大丈夫そうだな……。しかも、いざとなったら俺の部屋のバルコニーから余裕でフィーの部屋のバルコニーに飛び移れる距離だ」
アルスのその呟きを聞いたロアルドが、心底呆れた反応を見せる。
「お前なぁー、いい加減にフィーと同じ部屋で寝泊まり出来ない現実を受け入れろよ……。犬だった頃とは、もう違うんだぞ?」
「そんな事は……分かっている……」
またアルスがギャンギャン反論してくると身構えていたロアルドだったが、予想外のアルスの反応に怪訝そうな表情を向ける。
「アルス? 急に神妙な顔つきになって……どうした?」
「ロアは……俺が犬の姿から戻る切っ掛けとなったあの日、刺客が初め俺ではなく、フィーを狙っていた事は理解しているよな?」
唐突にアルスからの質問内容にロアルドが一瞬押し黙り、フィリアナはビクリと肩を震わせた。
「ああ……。あの時、フィーが狙われていたからアルスが侵入者を自分に引きつけ、フィーから引き離してくれたんだよな? でも何故、急にその事を言い出すんだ? 今更その話をしたってフィーが更に不安になるだけだろう?」
ややアルスに抗議するような兄の言い分にフィリアナは、気まずそうに床に視線を落とす。正直なところ、フィリアナはその事については最悪な事態を思わず想像してしまいそうになる為、あまり考えないようにしていた。
だが、今のアルスの話で、あの刺客が本気でフィリアナに危害を加えようとしていた事を思い出す。そして自分がターゲットにされてしまっている現状を改めて実感してしまい、恐怖心が蘇る。
だが兄ではないが、何故アルスは急にフィリアナの不安を煽るような話題を振って来たのか……。その事に少し傷ついている自分がいて、フィリアナは思わずアルスをジッと見つめてしまう。
すると、アルスが珍しくすまなそうな弱々しい笑みを返して来た。
「ごめんな……。フィーの不安を煽るつもりはなかった。だが、実際に今のフィーは、俺以上にあいつらに狙われている。その事で不安になっているのはフィーだけじゃない……。俺の方もフィーが狙われているという状況が不安で仕方がないから、出来るだけフィーの傍にいたいんだ。何故なら俺は……」
そこでアルスは、一瞬言葉に詰まったように溜める。
「一度、自分にとって大切な人間を救えず、失っているから」
アルスのその話にフィリアナとロアルドが、同時に驚きから目を見開いた。
そしてジーナは、自分が聞いてもいい内容ではないと判断し、アルスに控え目に自身の退室を申し出る。
「殿下……。わたくしは、一度下がらせて頂きます。ご用がございましたら、あちらのベルを……」
「いや。ジーナもここにいて今から話す内容を聞いてくれ。お前は俺の専属侍女から突如、その担当を外された後、急に姿を消した後輩について何も聞かされていないだろう?」
アルスのその言い回しにジーナは誰の事を言っているのかすぐに察し、表情を強張らせながら、うっすらと唇を引き締める。
そしてそれはフィリアナ達も同じだった。
今、アルスが誰の事を口にしているのか……。
その人物が誰なのか気付いてしまったフィリアナは、思わず憐憫の眼差しをアルスに向けるが、ロアルドの方は何故か険しい表情を浮かべている。
そんな真逆の反応を示した二人にアルスは、何かを決意するように口を開く。
「俺はもう……自分にとって大切な存在が自分の所為で命を失う状況など、二度と経験したくない……」
嘆くようなアルスのその呟きにロアルドが、信じられないという表情を浮かべた。
「アルス……。それ、お前に犬の呪いを掛けた元侍従の話か……?」
すると、アルスがゆっくりと頷く。
その瞬間、ロアルドが苛立つように顔を顰め、アルスを責め始めた。
「何で……何でそんな奴がお前にとって大切な存在になるんだよ!! そいつは死体処理が簡単で、上手く身動きが取れない状態に追い込む為にお前を子犬の姿にして、殺そうとしたのだろう!? 何でそんな奴の事を『大切な存在』とか言うんだよ!? そんな奴をフィーと同等に扱うな!!」
アルスの発言にロアルドの怒りが爆発する。そんなロアルドに対して、アルスは静かに首を振った。
「ロア、違うんだ……。あいつは……ルインは舌を噛み切る直前に俺に対して、こう言ったんだ……。『もっと早く殺せば良かった』と……」
そのアルスの話に今度はフィリアナが、当時その言葉を放たれたアルスのように傷ついた表情を浮かべて反応する。対してロアルドの方は、吐き捨てるようにルインを非難し始めた。
「何だよ……それ。まだ7歳の子供を殺そうとする考え自体、頭がおかしいのに……。それに早いも遅いもあるもんか!!」
「ロア、本当に違うんだ……。そのルインの最後の言葉は、裏を返せば『もっと早い段階で俺を殺せた』という意味なんだ……」
そのアルスの解釈の仕方にロアルドは、驚きの表情を浮かべる。すると、アルスが気持ちを落ち着けるように深く息を吐いた。
「ルインが俺に犬の姿になる呪術をかけたのは、俺を殺しやすくするためじゃない。恐らく……俺をリートフラム城から遠ざけ、俺が別の場所で保護されるような状況を作る為に、敢えて犬の姿にし、周囲に俺のことを匿わせるように仕向けたんだ……」




