44.我が家の元愛犬はデリカシーがない
「とりあえず今日のところは、私とクリスは共にラテール邸に宿泊させてもらう。その間、クリスはロアが捕縛した刺客の尋問を頼む」
「分かりました。ただ……相手もそう簡単には口を割らないと思うので、万が一自害しても大目に見てくださいね?」
「それは以前、アルスが犬にされた時に痛感しているから覚悟はしている。だが、出来るだけ情報は引き出して欲しい。私も邸内の結界に不備がないか確認次第、そちらに合流する。フィリックス、すまないが、侵入者を監禁している部屋にクリスを案内してくれ。それと私の方では邸内を隅々までチェックをさせてもらうが……構わないか?」
「ええ。娘の安全の為にも是非、お願いいたします。オーランド! まずはクリストファー様を監禁部屋へ案内してくれ。その後、ゲオルグと共に殿下に邸内を案内してほしい」
「かりこまりました」
セルクレイスがサクサクと指示を出すと、まずクリストファーが執事のオーランドと共に退室して行く。その従兄弟の様子を痛む頭頂部を摩って見送っていたアルスが、慌てた様子でセルクレイスに声をかける。
「兄上! 俺も一緒に邸内の警備チェックを……」
「ダメだ。アルスはしっかりと体を休ませるんだ」
「でも!」
「君は一度、命を失ったのだぞ? その際にかなり体に負荷が掛かったはずだ。今日は、もういいから休みなさい」
「だけど……」
「アルス……君は復活のピアスを付けていたから、先程の襲撃で自身が致命傷を受けても何とかなると考えていただろうけれど……。それを知らなかったフィーとロアが、その時どんなに胸を引き裂かれるような思いをしたか考えてみたか?」
セルクレイスのその言葉にアルスがビクリと体を強張らせた後、フィリアナ達に目を向ける。すると、二人が悲痛そうな表情を浮かべながらフイッと視線を逸らした。
「あっ……」
「君は昔から後先考えずに突っ走ってしまう事が多い。そしてその際、自分の大切な人間を優先しがちだ。今回の時のように昔の君は、何度も私を庇って怪我などで重症に陥っていただろう……。その時、兄である私が、どんな気持ちだったか分かるかい?」
「で、でも! 兄上は、この国の王太子です! だから何が何でも皆で兄上を守らないと……」
「逆に私にとってアルスが、そういう存在だとしたら?」
「えっ……?」
「何が何でも守りたい弟が、自身のせいで何度も重症に陥るような状況を繰り返していたら、私はどんな気持ちになると思う?」
「それ……は……」
兄であるセルクレイスに諭されたアルスが、悔しそうに唇を噛み締める。
今のアルスの発言は、自身が魔法封じの術を受けた際にフィリアナが口にした事と同じなのだ。
『アルスと私とでは命の重みが違う』
以前、そう口走ったフィリアナに怒りを覚え、それを訂正するように不満をぶつけた。だが、そんなアルスは、ずっと兄であるセルクレイスに対して、あの時のフィリアナと全く同じ考えの行動をしていたのだ。
もし兄やフィリアナが、自分を庇って瀕死になるような状況が起こってしまったら……アルスは絶対に自分を許せなくなる。だが、それと同じ状況を招く判断を先程の自分は、フィリアナとロアルドにしてしまった。その事に気付かされたアルスが、悔しそうな表情をしながら深く俯く。
「アルス、誰かを守るには、まず最低でも自分の安全を確保出来るような知識と力を得てからだ。それもない状態で自発的に自身を犠牲にして誰かを守るろうとする行為は、勇気でも何でもない。それは自己満足という名の無謀行為になる」
「兄上……」
アルスが涙目になりながら、自分よりも背が高いセルクレイスを見上げる。アルス自身も先程、一度命を落としかけた自分に泣き叫びながら縋りついていたフィリアナ達の様子を目にしているので、セルクレイスが言っている事が痛い程、身に染みているのだ。
だがそれでも……あの時のアルスにはフィリアナを庇うという選択しかなかった。たとえフィリアナが発狂しながら泣き叫ぶ状況になったとしても、どうしてもフィリアナには生きて欲しいという思いしか無かったのだ。
そんな弟の気持ちも分かっている様子のセルクレイスが、労うようにその頭を二回ほどポンポンと叩く。
「分かったら、もう軽はずみに無茶な行動や判断はしない事。それと……フィーとロアには先程、深く悲しませてしまった事をしっかりと謝罪しなさい」
「はい……」
兄に諭されたアルスは落ち込んだ様子で腰を下ろし、隣のフィリアナに許しを請うような視線を送る。そんなアルスにフィリアナが困惑気味な表情を返す。
「フィー、俺のせいで先程、辛い思いをさせてしまって……本当にごめんな……」
そう言って深く反省しているアルスの頭をフィリアナも苦笑しながら、慰めるようにポンポンと二回叩く。すると、何故か甘えるようにフィリアナの肩口にアルスが顔を埋めてきた。それは犬だった頃、誰かに叱られた際によくしていたアルスの癖だ。その事に気がついたフィリアナが、今度はアルスの頭を抱えながら髪を優しく撫で付ける。
しかし、そんな状況のアルスに対して、ある人物から苦情が飛んでくる。
「おーい、アルス~。僕には謝罪はないのかー?」
「ロアもすまなかった……」
「なんか僕には、謝罪の仕方が軽くないか?」
「ロアは俺が息を吹き返した際、俺の死からはとっくに立ち直っていただろう? でもフィーは……」
「分かっているであれば、もうこれ以上フィーの心を抉るような行動は二度とするなよ?」
「当然だ! もう絶対にしない!」
そう宣言したアルスは、先程の甘えるような仕草から一変し、フィリアナの事をギュウギュウと抱きしめた。すると背後の怒りのオーラを感じ取ったロアルドが盛大なため息をつき、フィリアナにある事を忠告する。
「それとフィー。あまりアルスを甘やかすなよ? アルスのペースで好き勝手にさせていたら、父上が烈火の如く怒りを爆発させて、第二王子暗殺容疑の候補者の一人として加わる事になるからな?」
「ロア、安心しろ。もうすでに加わる決意を固めている……」
「父上……その切り返し、全く冗談に聞こえないのでやめてもらってもいいですか?」
「殿下がフィーに過剰なスキンシップを繰り返す限り、それは無理だ」
そんな子供じみた言い分を言う父にロアルドが呆れ、白い目を向ける。
すると、先程クリストファーを案内していたオーランドが、警備責任者のゲオルグを連れて戻ってきた。
「セルクレイス殿下。ゲオルグも連れてまいりましたので、今から邸内をご案内出来ますが、いかがなさいますか?」
「すぐに案内して欲しい。まずはアルスの部屋付近の結界が破られた場所に案内してくれ」
「かしこまりました」
そう言って三人で部屋を出て行こうとするセルクレイスにフィリックスが声を掛ける。
「殿下、私も同行いたします。ロア、アルフレイス殿下の事を頼めるか?」
「はい」
すると、部屋の中にはフィリアナとアルス、そしてロアルドだけとなる。するとロアルドが、その場を仕切るようにパンパンと手を叩いた。
「よし。それじゃあ僕らは、さっさと体を休ませるぞ? 恐らく明日から色々と忙しくなるから……」
そう言って、フィリアナとアルスの背中を押して退室を促した。
「とりあえずフィーは自室でいいとして……。アルスはしばらく僕と同室で寝泊まりだな」
「何故だ?」
「だってお前の部屋、襲撃されたばかりじゃないか。それなのに自室に戻るつもりなのか?」
「そうじゃない。何故、フィーだけ別なのだ? だったら今までのように三人一緒に固まっていればいいじゃないか。そもそも俺は、今後もフィーと別々の部屋で過ごすつもりはない!」
そう言い切ったアルスにロアルドが盛大に呆れる。
「アルス……あのな? お前が今までフィーと同じ部屋で寝起き出来たのは、お前が犬だったからなんだぞ?」
「犬の姿じゃなければダメなのか? だが、今の俺の方が犬だった頃よりも完璧にフィーを守り切る事が出来るぞ?」
「いや、守る以前に……。まずアルスがフィーにとって、危険な存在になる可能性があるだろう? お前、送り狼でも狙っているのか?」
「送り狼? 何だ、それは……。俺は狼じゃなくて犬だったぞ?」
そんなアルスの切り返しにロアルドが片手を額に当て、頭痛を堪えるような仕草をする。
「そうではなくて……。年頃の男女が同じ部屋に寝泊まりしたら、あらぬ噂が立つだろうって事だ! お前は、嫁入り前のフィーが世間的に傷物令嬢と噂をされてもいいのか!?」
「何故そうなる!? 俺はフィーを傷付ける事などしない! フィーが嫌がる事は絶対にしない!」
「思春期の男なんて、いつ理性の箍が外れてもおかしくない状態なのだから、どうなるか分からないだろう!? とにかく! フィーは自室で! アルスは僕の部屋で休む事!」
「ふざけるな! もしその間にまたフィーが襲われたらどうするんだ! 俺はもう絶対にフィーから離れない! フィーの安全が確定するまでは、部屋も今までどおり同室で寝泊りするからな!」
「あ~~~もぉ~~~!! フィー! お前からも何とか言っ――――」
だが、ふと妹の手元に視線をやると、何故か追い縋るようにアルスの袖を控えに掴んでいる様子が目に入る。
「フィー……」
「兄様の言っている事は正しいって分かっているの……。でも、でもね? もしさっきみたいに襲撃されて、またアルスがあんな目に遭ったら……」
「フィー、安心しろ。今の俺は、もう魔法は封じられていないし、体術も使えるから先程のような醜態は絶対にさらさない!」
「魔法はともかく……。ずっと犬だったのにお前は、一体いつ体術なんてマスターしたんだ?」
「この邸の騎士団連中の訓練風景を見て学んだ」
「それ、実際に使えるかどうか分からないじゃないか!」
「問題ない。俺も兄上と同じで一度目にした物事は、すぐに自身に取り込める。だから社交マナー関連もフィーとロアの練習風景をずっと見ていたから、問題なくこなせるぞ?」
「何だよ、それ……。王族に与えられた特殊能力か?」
「さぁな。だが兄上やクリスもそうだから皆、普通に出来る事だと思っていた」
「それ、普通じゃないからな! 明らかに特殊能力だからな!」
そう叫んだロアルドは、一度気を落ち着かせるように深呼吸をする。
そして自身の部屋の方には向わず、フィリアナの部屋の方へと歩き出した。
「兄様?」
「今日だけだぞ、三人一緒の部屋で寝るのは……」
「兄様!」
「ロア!」
半ば諦め気味なロアルドの言葉にフィリアナとアルスが瞳を輝かせる。
だがその後にロアルドは、しっかりと二人に釘を刺す。
「だが、明日以降はダメだ! そもそもこんな事、父上に知られたらアルスだけでなく僕も父上に消されてしまう……」
「大丈夫だ! もしフィリックスがロアを消そうとしたら、その前に俺がフィリックスを消してやる!」
「アルス、それ冗談に聞こえないぞ……?」
ロアルドがブツブツ言いながら、二人を引率するようにフィリアナの部屋へと向かう。すると、何処からともなくレイが現れ、アルスの横にピタリと引っ付いてきた。
「そういえば……レイって、やけにアルスに懐いているよね?」
「ああ。レイは俺の聖魔獣だからな」
アルスの爆弾発言にロアルドとフィリアナの思考が一瞬、停止する。
「はぁ!?」
「ええっ!?」
「なんだ。二人共、気付いていなかったのか? そもそもレイが俺の居場所を正確に分かるのは、俺と聖魔獣契約済みだからだぞ?」
「いつ、そんな契約したんだ!」
「いつ、そんな契約したの!?」
「いつって……レイを密猟者から助けた直後だが……」
次から次へと衝撃的な事実が判明する展開にロアルドとフィリアナがぐったりしていると、いつの間にか三人はフィリアナの部屋の前に到着していた。だが、部屋に入ろうとするフィリアナをロアルドが一度、止める。そしてそっと扉を開け、室内の安全を確認した。
「大丈夫そうだな。二人共、入ってもいいぞ?」
すると、フィリアナよりもアルスが先に入室し、真っ先にフィリアナの寝台へと突進していく。そんなアルスにロアルドが叫んだ。
「アルス、待て!!」
ロアルドに一喝されたアルスが、犬だった頃の癖でお行儀よくピタリと動きを止める。だが、すぐに不機嫌そうな表情でロアルドを睨みつけた。
「何だ……。正直なところ、俺は早く休みたい……」
「だからって、何でお前は堂々とフィーの寝台で寝ようとしているんだ!」
「何でって……。俺とフィーは、ここ最近一緒に寄り添って眠って……」
「それは犬の姿だった時だろう!? お前はこっち! 僕と一緒にこの長椅子のどちらかで寝るんだ!」
「長椅子だと体が痛くなる……。俺もフィーと同じ寝台で寝たい……」
「絶対にダメだ!」
「何故だ!?」
「万が一、何か間違いがあったら困るだろう!?」
「それは婚前交渉の事を言っているのか? 俺はフィーの同意も無しにそんな最低な真似など絶対にしない!」
「フィーの同意があったらするのかよ!? そもそも……何故7歳以降、犬だったお前がそういう知識を持っているんだ!」
「ロアが閨の座学を受けている際、俺も一緒に引っ付いて聞いていた」
確かにロアルドが家督を継ぐ為に必要な知識を指導されている時は、やたらとアルスが引っ付いてきた時期があった。その際、ちゃっかり閨の講義も一緒に受けてしまっていたのだろう。
その時の記憶をロアルドが遡っていると、妹のフィリアナから何とも言えない微妙な視線を向けられている事に気付く。
「待て、フィー。兄様で変な想像をするな……」
「ごめん、私もしたくない……。というか、兄様のそういう話は聞きたくなかった……」
「そうだよな……。ごめんな……。って、全部アルスの所為だからな!」
「何故、怒る? 家督を継ぐ者や王族男児にとって子孫を残す為の閨の講義は必須で重要な事なのだから、別に恥ずかしがる事ではないだろう?」
「お前は、もう少し羞恥心とかデリカシーという言葉を学べよ!」
「俺は間違った事は言っていない!」
すると、やや不貞腐れた様子のアルスが、フィリアナの寝台に近い方の長椅子に寝転がろうとした。それを再びロアルドが止めに入る。
「アルス、お前が寝るのはこっちの長椅子だ」
「嫌だ! そっちだとフィーから遠い!」
「だからだよ!! 兄の俺が妹の近くに第二成長期を終えた男が寝ようとしている状況を許すとでも思っているのか!?」
「すぐにそういう事に繋げて考えるな! 俺はロアと違って純情な人間なのだぞ!?」
「純情な奴が人の妹の頬を平然と舐めるのか!? お前……あれ、うっかりじゃなくて絶対に確信犯だっただろう!」
「…………いや、ついうっかりだ」
「今の間はなんだ! ちゃんと僕の目を見てから、もう一度言ってみろ!」
何やら品位の無い内容で二人が言い争いをし出したので、その隙にフィリアナはそっと浴室に行き、用意されていた寝間着に着替えに行く。ちなみにレイは、何故かさっさとフィリアナの寝台の上で丸くなっていた。その間、室内の方からは二人が下らない事で言い争いをしている内容が聞こえてきたが、それが返ってアルスが犬だった頃と変わらないやり取りに感じられ、少しだけフィリアナに安堵感を与えた。
だが、着替え終わったフィリアナが室内に戻った際、ロアルドがこぼしたある一言で、その賑やかな空気は一変する。
「大体……アルスは一体、誰に犬にされる呪術を掛けられたんだよ……」
その瞬間、アルスが珍しく怯えるように表情を強張らせたのだ。
「アルス……?」
「悪い……。もしかして、あまり深く聞いてはいけない事だったか?」
流石のロアルドも珍しい反応を見せたアルスに口調が柔らかめになる。
「いや……。二人には話すべき事だと思っていたから別に構わない……」
「でも……アルス、凄く話すのが辛そうに見えるのだけれど……」
「もし嫌なら、今は無理に話す必要はないぞ?」
どうも犬だった頃の接し方が抜けない二人は、急に静かになってしまったアルスを甘やかし出す。だが、アルスの方はそれに甘んじなかった。
「大丈夫だ。むしろ二人には聞いて欲しい事だから……」
そうこぼしたアルスが、一瞬だけ気持ちを落ち着けるように息を吐く。
「俺を犬の姿にした人物は……4年間、俺の側使いとして仕え、俺よりも一回りも年上だった侍従の青年だ……」
その話から、まだアルスが邸に来たばかりの頃に父が口にしていた事を二人が思い出す。
『アルスの世話係をしていた人間が、いきなりアルスを傷付けようとした』
『その者は、取り押さえられたと同時に自ら舌を噛み切って自害してしまった』
その瞬間、フィリアナは瞳に涙を溜めながら、思わずアルスに抱き付いていた。




