43.我が家の元愛犬は昔からやんちゃだった
セルクレイスから放たれた言葉に全員が言葉を失っていると、アルスがスッと挙手をする。
「確かに先週この邸を訪れた宰相、魔法研究所所長、騎士団長の三名が内側から兄上の結界に細工をした可能性は高いと思います。ですが、この中で約一名、確実に除外される人間がおります」
「騎士団長のマルコム卿だよね?」
急に会話に入ってきたクリストファーの言葉にアルスが大きく頷く。
「ああ、そうだ。あいつは剣に魔法を乗せる魔法剣は化け物並みの威力だが、実際に魔法を放つ行為に関しては、からっきしダメだからな……」
「でも本当は一般的な攻撃魔法を使えるのに、ずっと隠していた可能性もあるかもよ」
「それもない。昔、よく剣の稽古をつけてもらっていたが、あまりの負けっぱなしな状況に腹が立って本気の攻撃魔法を放ったら、危うくマルコムを殺しかけて物凄く怒られた事がある」
アルスのその話にクリストファーが眉間に皺を寄せる。
「剣術の稽古で魔法を使っただけでも卑怯なのに……君の化け物じみた魔力で本気の魔法を放つなんて、最悪じゃないか。相手が騎士団長だったから大事に至らなかったものの……。アルス……君、幼少期の頃だったとはいえ、何やってんの?」
「仕方がないだろう!? 当時6歳だった俺は、大人は皆、無条件で俺よりも強いと思い込んでいたのだから。あれぐらいマルコムなら、気合いで軽く弾き返せると思っていたんだ!」
「実際は?」
「弾き返すにも俺の魔力が強力すぎて無理だったから、間一髪のところで避けたらしい。その後、物凄く怒られて素振りを500回もやらされた……」
「幼少期の君は、本当にろくでもない事ばかりしていたよね……」
「うるさい! その頃から計算高く、腹黒だったお前にだけは言われたくない!」
またしても話が逸れ始めたので、呆れ顔のフィリックスが軌道修正を図る。
「はいはい。では第一騎士団長のマルコム卿は、黒幕候補から除外という事でよろしいですか?」
「ああ」
「そうだね」
「では残るは、宰相閣下のラッセル卿か、魔法研究所所長のパルマン殿のどちらかという事になりますかね?」
すると、今度はセルクレイスが軽く片手をあげる。
「パルマンは確かに怪しい……。今回のラテール邸での警備環境の見直しには、自ら率先して参加しているように感じた。爵位に関しても生まれが伯爵家の三男であるから、現在の魔法研究所の所長を任命された際に与えられた一代限りの男爵位しか持っていない。もし王家の血を引いているのであれば、今回の動機としては十分考えられると思う」
「そういえば……俺も城で保護されている際、やたらと撫でくりまわされた……。でも兄上は、パルマンに俺が第二王子だという事は明かしていないのですよね?」
「ああ。犬にされたアルスの正体を知っていたのは、私と父上に母上、クリスを含むルケルハイト公爵一家、そして君が犬にされた時にその場に居合わせたラテール卿と、当時お前の護衛担当だったシークだけだ」
そのセルクレイスの話から、やはりアルスは何者かによって犬の姿に変えられていた事をフィリアナとロアルドが察する。同時に父フィリックスは、アルスを連れ帰った時から、その正体を知っていたという事だ。いくら職務上の守秘義務があったとは言え、それを7年間も息子と娘に隠し通し、犬となってしまった主君と共に平然と生活していた父の肝の据わり具合に思わず二人は感心してしまう。
二人がそんな事を思っていると、その間にますますアルスが魔法研究所所長への不信感を募らせていく。
「だったら……何故パルマンは、俺の事をやたらと撫で回してきたんだ? あいつが動物好きとは、とてもではないが思えないぞ?」
「確かに……それは怪しいよね。そもそもパルマン殿は、魔力が高いと言われている見事な銀髪だ。うちもそうなのだけれど……王家の血筋には銀髪の子供は生まれやすいという特徴からも疑いたくなるよね」
「なら、あいつで決まりだな!」
何故か嬉々として、パルマン犯人説を決定づけようとしたアルスにセルクレイスが待ったをかける。
「いや、まだ結論を出すには早いだろう。まずパルマンの母親がパルマンを身籠った前後にどういう状況だったかを確認してから判断した方がいい。フィリックス、確かパルマンの母方の実家はシェリンス伯爵家だったな」
「ええ。ですが、母君は確か魔力の高さを見込まれ、シェリンス伯爵家の養子になったと学生時代のパルマン殿より伺ったような……その辺りの詳細も早急に確認致します」
「是非、頼む。そういえば……フィリックスはパルマンと同時期にアカデミーに通っていたのだな」
「はい。ですが……パルマン殿は、当時から魔法研究に没頭気味で、かなり変わり者として周囲から見られておりましたが……」
「やはり犯人は、あいつじゃないか?」
どうしても魔法研究所所長を黒幕にしたいアルスが、またしても意気込みながらパルマン犯人説を強く主張する。そのあまりにもしつこいアルスの押しにフィリアナとクリストファーが呆れ始めた。
「ねぇ、アルス。どうしてそこまでパルマン様を犯人にしたがっているの?」
「君、明らかに私情を挟んでいるよね?」
二人から疑わしげな眼差しを向けられたアルスが、愚痴をこぼすようにその理由を訴える。
「あいつは、昔から嫌いなんだ! 二属性魔法について試したい事があるとか言って、やたら変な実験をさせようと、しつこく迫ってきて……。大体、6歳児に実験台になれなど、普通の大人であれば頼んでこないだろう!?」
そのアルスの訴えにセルクレイスが、申し訳なさそうに挙手する。
「あー……申し訳ない。それは私のせいだ。その時、ちょうど父上の公務の手伝いを始めたばかりで王太子教育との両立が厳しかった為、アルスなら時間があるからと、逃げ口上に君を使ってしまった……」
「兄上……」
「本当にすまない……」
すると今度は、ロアルドが挙手をする。
「では逆にラッセル宰相閣下の場合は、どうでしょうか?」
すると、四人は顔を見合わせた後、そのまま考え込んでしまった。
「あのー、何か心当たりでも?」
「いや、むしろ何も出て来ないのだが……」
「俺もない」
「僕も特にないなー」
「宰相閣下殿は、学生時代は確か隣国に留学をされていたので私も接点はなかったな」
セルクレイス、アルス、クリストファー、フィリックスの順で返答は返って来たが、ラッセルは余程控え目な人間らしく、これと言ったエピソードなどは出て来なかった。
すると、クリストファーが自身が抱くラッセルの印象を口にし始める。それにつられセルクレイスとアルスも便乗し出した。
「そもそもラッセル卿は日陰の人というか、陰の功労者というか……」
「黙々と公務をこなしてくれている印象しかないな」
「夜会などの公の場にも滅多に参加されないしね」
「でも昔、俺が宰相室に忍び込んで執務机の書類を誤ってぶちまけてしまったら、無言で俺の首根っこを掴んできて、そのまま父上に突き出されたぞ? だから、あいつは意外と気が短いと思う」
アルスのその過去のエピソードで、またしても全員が盛大にため息をつく。
そんな白けた雰囲気に更にロアルドが追い打ちを掛けるように口を開いた。
「アルス……お前、幼少期はどうしようもない程の問題児だったんだな……」
「違う! 大体、子供なんて好奇心の塊のような生き物なのだから皆、こんなものじゃないのか!?」
「なら、セルクレイス殿下にもそういう昔話があるのか?」
「兄上は俺と違って優秀だから、こんな幼稚な悪戯などしていない!」
「あー……自分で幼稚って言っちゃったね」
「実際にその頃の俺の年齢は、幼児だったのだから仕方がないだろう!?」
ロアルドとクリスとファーの両者から問題児扱いされたアルスが、猛反論する。だが、アルスがふと自分の隣に視線を向けると、フィリアナもロアルド達と同じような白い目を向けている事に気付く。
「待て。何故フィーまで、そんな目で俺を見るんだ……?」
「だってアルス、今回の容疑者三名全員に何かしらやらかしているから……」
「違うよ、フィリアナ嬢。幼少期のアルスの被害者は、この三人だけじゃない。当時、城勤めをしていたほぼ全員が被害者に該当するよ?」
「そこまで俺は暴れていない!」
しかし、その当時をよく知っているフィリックスとセルクレイスは無言になる。その二人の反応にフィリアナとロアルドは何かを察した。
すると、アルスが悲しそうな表情を浮かべる。
「フィーだけでなく、兄上まで……。俺、そんなに暴れておりましたか……?」
「ええと……。ま、まぁ、大人しくはなかったが、そこまで問題視するレベルではでなかっ――――」
「はい。物凄く迷惑で粗暴なクソガキ様でした」
「フィリックス!!」
折角、フォローをし始めていた王太子の言葉を遮るようにフィリックスが問題児だと断言したので、思わずセルクレイスが強い口調で咎めた。
するとアルスは、ぐるりとフィリアナの方へと体の向きを変え、縋るように顔を覗き込む。
「フィーも……俺の事を粗暴な人間だと思っているのか……?」
見捨てられそうな子犬のような表情でアルスに顔を覗き込まれたフィリアナは、思わず息をのむ。
それは犬の時によくアルスが情に訴えてくる様子と全く同じだったからだ。
「そ、そんな事ないよ!? 確かにアルスは、ちょーっとやんちゃなところがあるし、私を守る時もやりすぎだなって思った事もあったけれど……。でも、私はアルスのそういう部分は、頼もしいって感じていたから粗暴なんて思っていないよ?」
「本当か……?」
「うん、本当。だからそんな不安そうな顔をしないで?」
つい、今までの癖でフィリアナがアルスを甘やかす様に宥める言葉を掛けると、何故かアルスがズイっとフィリアナの方に頭を突き出して来た。どうやら犬だった頃と同じように頭を撫でて慰められたいらしい……。
元愛犬の要望に応えるようにフィリアナが苦笑しながら、アルスの触り心地の良い黒髪を撫でてやる。すると、二人の様子に約二名が呆れ気味の白い目を、約一名がアルスのみ射殺さんばかりの刺すような視線を送り始めた。
そんな緊張感が無くなり始めた面々の様子にセルクレイスが盛大なため息をつきながら、今かなり深刻な状況である事を皆に再認識させようと、今後の動きについての話題を敢えて切り出す。
「とりあえず、今後の動きとしては、宰相と魔法研究所所長の母親の交流関係と、互いの伴侶とのなれそめについて早急に調べ、同時進行で今回ロア達が捕縛した襲撃者の尋問を行う予定だ。もしそれ以外で何か気付いた点が出てきた場合は、すぐに情報共有するようにして欲しい」
「「かしこまりました」」
セルクレイスの話にフィリックスとロアルドが了承する。
だがクリストファーだけは、やや難しい表情をしながら質問を返した。
「ところで……今回、アルス達が襲われた経緯の詳細をまだ聞いていないのだけれど……。一体、どんな風に襲撃を受けたんだい? それによっては、今後の護衛対象が増える可能性も出てくると思うのだけれど」
そう言って、何故かクリストファーはチラリとフィリアナに視線を向ける。
すると、それを遮るようにアルスがフィリアナを自身の背後に隠した。
「やめろ。フィーが怯える」
「やっぱり……。今回狙われたのはアルスではなかったのだね……」
「…………」
「えっ?」
アルスとクリストファーのやり取りにロアルドとフィリックスが、何かに気付くようにビクリと肩を震わせた後、二人同時にフィリアナに目を向ける。だがフィリアナは、何故自分が注目されているか分からない。
すると、左手を額に添え頭痛を堪えるような仕草をしたセルクレイスが、深刻そうな表情で、心苦しそうに口を開く。
「なるほど……。今回、狙われたのはフィーの方だったという事か……」
「兄上!!」
はっきりとそう口にした王太子の言葉にフィリアナが、全身をビクリと強張らせた。
「な……何で私? だって私が目を覚ました時、アルスは侵入者に襲われてて……それから逃れようと部屋を飛び出したのではないの!?」
「実は僕もその状況については、詳しく話を聞きたいのだけれど。アルス……お前は何故、侵入者と共にピアノ部屋に移動したんだ? もし狙われたのがお前だったのならば、その場で侵入者との攻防が始まっていたはずだから、場所を変える必要なんてなかっただろう?」
「それは……」
「お願い、アルス! その時、どういう状況だったのか詳しく教えて!」
フィリアナとロアルドの両者から返答を求められたアルスが、重くなった口を開き始める。
「俺はあの時、侵入者の気配をいち早く察して、奴が部屋に入って来る前に寝台の下に身を潜めて、やり過ごそうとしたんだ。俺がいなければ、すぐに立ち去ると思っていたから……。だけど、奴は俺の姿を探すどころか、部屋に侵入するなり真っ先にフィーの方へと近づいてきた……。その瞬間、狙われているのはフィーだと気付き、すぐに飛び出して奴の腕に噛みついた。奴が目的を達成するまで騒ぎを起こせない事も分かっていたから、魔法は使ってこないとも確信していたし」
そのアルスの説明で大体の状況をセルクレイスが把握する。
「それで侵入者を自分に引きつけて場所を移動し、フィーから遠ざけようとしたのか……」
「はい……。でも途中から奴は俺を追う事をやめ、あの部屋に逃げ込んだのです」
「それは恐らく、ターゲットをフィーからアルスに変更したのだろうな。だから防音室であるピアノ部屋にアルスを誘い込んだのだろう」
「俺もそう思います……。でもその時は、フィーを守りたい一心で、そこまで頭が回らなかった……」
そんなアルスのその話を聞いた面々は、それぞれの反応をしめす。
まずフィリックスとロアルドは、フィリアナが狙われ始めた事に顔を顰めた。そしてセルクレイスは、相手が手段を選ばなくなってきている状況を察し、今後の警備体制について考え込んでしまう。
そんな中、クリストファーが皆が言いづらそうにしている事を口にする。
「アルス、このままだと更にフィリアナ嬢は狙われ続けるよ」
「分かっている……」
そのやりとりを聞いたラテール一家全員がビクリと反応する。
特にフィリアナは、何故自分が狙われだしたのか訳が分からなかった。
「ど、どうして!? だって私、全く関係ないのに!!」
「この間の夜会でアルスが君を庇ったからだよ」
「えっ……?」
「魔法封じの術を放たれた際、アルスが身を挺して君を庇ってしまったから、君を攻撃すればアルスが自発的に体を張る事を相手に知られてしまったんだ……」
「そ、そんな……」
クリストファーの見解にフィリアナが放心気味に脱力する。
対してアルスが悔しそうにギリリと奥歯を鳴らした。
「ごめんな……フィー。俺の所為で……」
「アルスの所為じゃないよ……。でもこのままだと、また私を守る為にアルスがあんな目に遭うかもしれないと思うと凄く怖くて……。わ、私、もうあんな思いをするの……絶対に嫌なの……」
「フィー……」
先程、自分の目の前でアルスが命を落とした光景を思い出してしまったフィリアナが、ハラハラと涙を零し始める。すると、フィリアナの頭をアルスが自分の方に抱き寄せ、安心させるように頭を撫で始めた。
そんな二人の様子から、流石にフィリックスとロアルドもアルスの行動を咎めなかった。
しかし次の瞬間、アルスは飛んでもない行動に出る。
何とアルスは、当たり前のように涙を流しているフィリアナの頬を舌でペロリと舐めたのだ。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁー!!」
「「「うわぁぁぁぁぁぁー!!」」」
その状況を目にしたセルクレイス以外の全員が叫び声をあげる。
そして唯一叫び声を上げなかったセルクレイスだが……あまりにも予想外な弟の行動に目を丸くしたまま、言葉を失っていた。
そんな周囲を震撼させたアルスだが……「すまない。つい犬だった頃の癖で……」と、全く悪びれる様子もなく言い退ける。
すると、すぐ側で禍々しいオーラを放ちながら、ゆらりと立ち上がる人物の気配にロアルドが気付く。その瞬間、ロアルドは咄嗟にその人物の腕を掴んで止めに入った。
「ち、父上!? 落ち着いてください!!」
「離せ、ロア!! 止めるなぁぁぁぁぁ!!」
息子の制止を振り切った怒りのフィリックスは、勢いよくアルスに突進し、その頭頂部に全力の拳を垂直に叩き込んだ。




