42.我が家の元愛犬には身代わり役がいた
すみません……。今回も7000文字越えで長めです。(泣)
オーランドに案内されながら、二人の王族が待つ応接間にむかっていたフィリアナだが……ふと、自身が血染めの寝間着姿だった事に気付く。
「に、兄様! この恰好のまま殿下達とお会いするのは、かなり失礼に値すると思うのだけれど!」
妹にそう言われ、ロアルドも袖口が血まみれになっている自身の寝間着に目をやる。
「確かに……。一度、着替えた方がいいな」
「でも、それだと殿下達をお待たせしてしまうんじゃ……」
「5分だ。フィー、5分で着替えろ!」
「えーっ!!」
「それと……ついでにお前は顔も洗った方がいいぞ?」
「あっ……」
兄に指摘され、フィリアナがそっと自身の頬を撫でる。
先程、一瞬だけアルスが命を落とした状態になった際に号泣したせいで、顔が涙でカピカピになっていたからだ。その時の状況を再び思い出してしまったフィリアナは、恐怖で身震いをしてしまい自身の両肩を抱きしめる。
そんな妹の様子にロアルドが、やや同情的な目を向けた。
「もし無理そうなら、兄様だけで殿下達の対応はするから、お前は休んでいてもいいんだぞ……?」
しかしフィリアナは、兄の申し出に首を横に振った。
「私も一緒に殿下達との話し合いに参加する。だって、アルスが一度命を落としてしまった状況を第三者目線で説明出来るのは、私しかいないから……」
「大丈夫か? もしその状況を話すのが辛いのであれば、アルスに丸投げしてもいいと思うぞ?」
「大丈夫。自分で話す……」
「そうか……。なら、着替え終わったら応接間の前に集合な。二人一緒の方が話も二度手間にもならないと思うから」
「分かった」
「オーランドは殿下達にアルスが無事な事だけ、伝えてくれ。あとの詳細は僕の方から話す」
「かしこまりました」
「フィー、なるべく早く着替えろよ?」
「分かってるよ!」
そう言って兄と別れたフィリアナは自室に戻るなり、すぐに浴室に行き、アルスの血が付いてしまった寝間着を脱ぎ捨てた後、血痕が見えないように丸める。そしてまだ残っているバスタブの湯を汲み上げ、寝間着越しで腕や膝に付着してしまったアルスの血を洗い流し、新たに汲み上げた湯で顔も洗った。
だが、肌に張りつくように付着してしまったアルスの血を目にすると、フィリアナの胸が恐怖と悲しみでギュッと締め付けられる。あの時、本当にアルスは一度命を落としたのだと……。
しかし、今は傷心的になっている場合ではないと自分を奮い立たせ、常備されているタオルで洗った箇所を拭きながら、自室のクローゼットに向かう。そこから簡単に袖が通せて、無難なデザインのドレスワンピースを1着選び、頭から被る。
すると、部屋の扉がノックされ、メイドのシシルが声をかけてきた。
「フィリアナお嬢様、お着替えのお手伝いは必要ではないでしょか」
「シシル? 良かった! 入って!」
「失礼致します」
「シシル、悪いのだけれど後ろのボタンを留めてもらえる? 自分では難しくて……」
「かしこまりました。あの……」
「うん?」
「お嬢様に身の危険が迫っていた際、全く気づかずに申し訳ございませんでした……」
フィリアナのドレスワンピースの後ろのボタンを止めながら、シシルが謝罪してきた。シシルはフィリアナの側使い業務だけでなく、護衛も担当している。
「そんな事……いいのよ。だって就寝時間だったでしょ?」
「そうなのですが……実はお嬢様が襲撃を受けている際、何故か私達は深い眠りに陥っておりまして……」
「私達?」
「はい……。実は私以外のメイドや警備の騎士に魔導士、それどころか遅くまでお仕事をされていたお館様やオーランドさんまでも……」
「お父様も……?」
「はい」
そのシシルからの報告でフィリアナは、先程の状況を思い返す。
確かにロアルドがレイに父親を連れてくるように指示を出してから、フィリックスが到着するまでには、かなり時間が掛かっていた。
その事に気づいてしまったフィリアナは、スッと顔から血の気が引く。
「まさか、この邸にいる殆どの人間が誰かによって故意に眠らされたって事!?」
「分かりません……。ですが、先程ロアルド様が捕縛した侵入者より、その詳細を尋問するとオーランドさんと警備責任者のゲオルグさんが話されておりました」
「そう……。その辺りも兄様に確認した方がいいわね。シシル、教えてくれてありがとう」
「いえ。こちこそ、お嬢様とアルス様をお守り出来ず、大変申し訳ございませんでした……」
「気にしないで。その代わり、兄様が来てくれたから!」
「お嬢様……」
「それじゃ、私はもう行くね。あと浴室に丸めてある寝間着は、処分してもらえる?」
「かしこまりました」
そう言って大慌てで自室を出たフィリアナが応接間に向かうと、ロアルドがすでに待っていた。
「フィー。遅いぞ?」
「ごめんなさい……。実はシシルから変な話を聞いてしまって……」
「邸の人間の殆どが何者かに眠らされていたかもしれないって話か?」
「兄様も誰かから聞いたの?」
「さっきオーランドから報告を受けた。確かにレイが父上を連れてくるのに時間が掛かっていたし、何よりも僕自身が同じような深い眠りに落ちていた」
「ええっ!?」
「僕はそれまで寝台に入って本を読んでいたはずなんだ。でも気がついたら意識がなくなる程の眠気に襲われて……レイが思いっきり足首に噛み付いてくれなければ目を覚まさなかったと思う」
そう言ってロアルドがトラウザーズの裾を少し上げると、右足首にうっすらと小さな歯型がついていた。その事でフィリアナが驚く。
「アルスならともかく……レイが噛みつくなんて、よっぽど兄様が起きなかったって事?」
「そういう事になるな。だから父上の足首にもレイの小さな歯型が付いているかも。その辺りの事も殿下に報告して調査して貰った方がいいな」
「うん……」
そう言って、応接間の扉をノックしたロアルドが扉を開ける。
すると、物凄い勢いで立ち上がった王太子セルクレイスの姿が真っ先にが目に入った。
「ロア! フィー! 無事か!?」
青ざめた顔で安否確認をしてきた王太子の様子に今の二人は思わず納得してしまう。今までアルスに対するセルクレイスの過保護ぶりには、やや違和感があったが、実の弟が暗殺対象にされていれば当然の心配である。
「はい。ちなみにもう報告済かとは思いますが、アルスも無事です。今は父に付き添われ、着替えをしております」
敢えてそのように告げたロアルドは、王族二人の向かい側の長椅子にフィリアナと一緒に着いた後、セルクレイスの隣に座っていた『もう一人のアルフレイス』の反応を窺うようにチラリと視線を向ける。
先程、人の姿に戻ったアルスと比べると、今目の前にいるアルフレイスは目つきが優しく、瞳の色もアルスよりも遥かに明るく透き通った水色だ。何よりも髪質がアルスよりも癖が少ない。すでに本物の第二王子の姿を目にしている二人は、ついこの偽アルフレイスに対して訝しげな視線を向けてしまう。
対して変な言い回しをされた王族二名も怪訝な表情を浮かべる。
特に偽アルフレイスの方は、かなり動揺した様子で今ロアルドが口にした事を再度確認してきた。
「ええと……アルスが着替え?」
「僕が駆けつけた際、何故かアルスは全裸だったので」
その瞬間、王族二人があからさまに驚きの表情を見せる。
「まさか……術が解けたのかっ!?」
「……はい。魔法封じだけでなく、もう一つ掛かっていた呪いらしきものも」
ロアルドの返答に立ちっぱなしだったセルクレイスが、気が抜けたようにドサリと長椅子に腰を落とし、両手で顔を覆う。
「やっと……か。7年もかかって、やっと……」
そう安堵の声を漏らすセルクレイスにロアルドが、不安を煽る様な出来事があった事も報告する。
「その際、アルスは妹を庇い、一度命を落としております」
「はぁ!?」
「何だと!?」
あまりにも衝撃的なロアルドの報告内容にセルクレイスだけでなく、今まであまり動じる姿を見せなかったアルフレイスまでも素っ頓狂な声をあげる。だが、放心状態のセルクレイスとは違い、すぐに我に返った偽アルフレイスは、顎に手を当てて考え込む仕草を始めた。
「なるほどね……。一度、アルスが死んだ状態になったから、掛かっていた呪術や闇属性魔法が一気に解けたのか。そうなると……君達にとって、僕は一体誰なのかって話になるよね?」
「「はい」」
ロアルドとフィリアナが大きく頷くと、アルスレイスに扮している人物が意地悪そうな笑みを浮かべ、セルクレイスに何かを確認する。
「セルク兄様、これ以上は僕がアルスのふりをする意味がないので、二人にも正体を明かしてしまってもよろしいでしょうか」
「ああ……。そうだな」
アルスが一度命を落とした事が余程ショックだったのか、憔悴気味のセルクレイスが力無く何かに対して許可を出す。
すると、偽アルフレイスが指に嵌めていた指輪をスッと外した。
次の瞬間、偽アルフレイスの黒髪が見事な銀髪に一瞬で変わる。
そしてその人物は、フィリアナ達が見慣れた天使のような微笑みを浮かべ、ゆっくりとした穏やかな口調で話しかけてきた。
「こんばんは、ロアにフィリアナ嬢。今日は従兄弟のアルフレイスが迷惑だけでなく、かなり君達を悲しませてしまったようで……本当にごめんね?」
「なっ――――!!」
「ク、クリストファー様っ!?」
なんと先程の腹黒そうな第二王子は、一瞬で慈愛に満ちた笑みを浮かべている公爵令息に変わってしまったのだ。そんな信じられない光景にロアルドは唖然とし、フィリアナは頭の中を混乱させる。
「な、何でっ!? だって今までお二人が一緒だった時って、あったはずじゃ……」
「いいや、ないよ。もっと言うと……僕が扮していたアルフレイスは、君達の目の前で一度たりとも火属性魔法を使った事がない」
「「あっ……」」
過去を振り返ってみたロアルドとフィリアナが、同時に声をあげる。
確かに城が魔獣に襲撃された際、クリストファーが扮していたアルフレイスは、一度も火属性魔法を使った事がなかった。だが、それはアルスが火属性魔法を使うので、アルフレイスは敢えて風属性魔法でアシストに徹していると二人は思い込んでいたのだ。
「僕は幼少期の頃、従兄弟だからか頭の形や背格好がアルスとよく似ていた上にアルスと同じ風属性魔法も使えたから、父と相談してアルスが人間に戻るまで、僕が繋ぎで時々アルスを演じる事をリオレス叔父上に提案したんた。だって、第二王子が何者かに犬にされただなんて王家にとっては、外聞がよろしくないからね。さっき外した指輪は、リートフラム王家に伝わる魔道具で、指にはめて魔力を込めると自身がイメージした顔立ちや髪の色に姿を変化させられるんだ」
そう説明したクリストファーは、先程はずした指輪を再度はめて魔力を込める。すると、二人がよく知る『もう一人のアルフレイス』の姿になった。
「でもこの魔道具、ある程度は姿を変える事は出来るけれど、身長や骨格、年齢までは変える事は出来ないんだ。特に一番困ったのが瞳の色だ。僕はたまたまアルスと似たような色をしているけれど、正確にはアルスの瞳は青みがかったグレイで、僕の方は完全に水色だからね……。幼少期のアルスをよく知っていた人間には、すぐ別人だと気づかれてしまう」
そう言ってクリストファーが苦笑すると、急に部屋の扉がノックされた。
すると、セルクレイスが許可を出す前にロアルドの昔の服を着たアルスと、父フィリックスが部屋に入ってくる。その瞬間、セルクレイスが物凄い勢いで立ち上がり、アルスの方へと駆け寄った。
「アルス! 体は大丈夫なのか!? ロアから一度命を落としたと聞いたが……」
「兄上、ご心配をお掛けしてしまい申し訳ございません……。ですが、城を出る前に託されたこのピアスのお陰で、何とか一命を取り留めました」
そう言いながら、アルスはベストのポケットから二つの欠片を取り出して、自身の手の平に乗せた。どうやらアルスが子犬の頃から右耳に付けていたルビーのピアスらしいが、今は見事に真っ二つに割れて、はめ込まれていたルビーらしき宝石も小石のように色を失っている。
「出来ればこれは、使いたくなかったのですが……」
「いや、構わない。むしろ役に立って良かった……。いくら国宝級の魔道具とはいえ、大切な弟の命には代えられないからな。とりあえず父上には報告しておく。まぁ、また代えのピアスを付けさせられるとは思うけれど……」
「勘弁してください……。代々王家で厳重に管理していた貴重な魔道具をそう何度も使い潰すなんて、流石の俺でもそこまで神経が太くないです……」
兄のセルクレイスにそのピアスの残骸を託したアルスは、何故か空いている一人掛け用の椅子に座らず、フィリアナの隣に無理矢理座る。そのアルスの行動にフィリックスが眉を顰めた。
「アルフレイス殿下……。そちらではなく、この一人掛け用のお席をご利用になられた方がよろしいのでは?」
「俺が座る場所は、いつもフィーの隣と決まっている。ロア、お前もう少し詰めろ」
辛うじて大人三人程が座れる長椅子にアルスが無理矢理座って来たので、フィリアナは兄とアルスの間でギュウギュウな状態で挟まれてしまう。その状況に呆れたロアルドが、アルスに押し出されるようにもう一つの空いている一人掛け用の椅子に移動した。
すると、その様子を眺めていた第二王子に扮したクリストファーが、盛大に吹き出す。
「ぶはっ! ア、アルス……犬だった頃とちっとも変わっていないじゃないか」
「うるさい。クリス、黙れ」
「うわぁー。アルスは、7年間も君の身代わり役をやってあげていた僕に対して、そういう事を言うんだ?」
「そもそもお前は俺に扮している際、何故無駄に兄上のようなキラキラオーラをまき散らしていた!?」
「何故って……リオレス叔父上から、そのように振る舞って欲しいと頼まれたからだよ? 予め君に扮した僕が、キラキラ王子の印象を周囲に植え付けておけば、君が無事に人間に戻れた時に幼少期の頃のような粗暴な行動がしづらくなると、叔父上は考慮されていたようだけど」
「父上の差し金か!」
「でもまさか、ここまでリオレス叔父上似に成長しているとは思わなかったから……。君が本来の第二王子として公の場に出たら、今まで別の人間が第二王子に扮していた事に皆が気づいてしまうかもしれないね。昔は君の釣り目以外は、僕らは結構似た顔立ちをしていたのに……人間って不思議だよね。というか君、ラテール伯爵家で伸び伸びと育てられていたはずなのに何で更に眼光が鋭くなってしまったんだい?」
「そんなの……俺が知るか! それよりお前、余計な事をしゃべり過ぎだぞ!?」
クリストファーがアルスを揶揄いながらも指輪を引き抜き、本来の自分自身の姿に戻る。その際、二人の姿をフィリアナが見比べると、確かに今のアルスが第二王子として公に出れば、以前のクリストファー製の第二王子と多少交流があった人間には、すぐに別人だったと気づかれてしまう状況だ。
そんな本物の第二王子であるアルスだが……。
ロアルドが抜けた事で余裕が生まれたからか、遠慮もせずに盛大に足を組みながら、長椅子に座っている。そんな主君の俺様ぶりを無言で傍観していたフィリックスが、呆れから盛大にため息をついた。
「これでは折角、クリストファー様が周囲に印象づけてくださった王族らしい第二王子殿下像が、すぐに崩壊してしまいますね……」
「フィリックスもうるさいぞ!」
「まぁ、それはもう仕方がない事だとして……。そろそろ本題に入ってもよろしいでしょうか?」
7年ぶりで雑談に会話が弾んでしまっている二人の状況を見兼ねたフィリックスが、軽く咳払いをして場を仕切り直すと、深刻そうな表情を浮かべる。
「何故、7年間も鉄壁の守りを貫いていた我がラテール邸の警備が、今回こうも簡単に破られてしまったのか……。アルフレイス殿下は、何かお心当たりがあるのではないのですか?」
フィリックスのその質問にアルスが大きく頷く。
「実はここ最近、邸内で急に不穏な気配を放ち始めた場所があるんだが……俺はその時、犬だったせいで上手くお前達に伝えられずにそのまま放置する形になっていた」
そのアルスの話にフィリアナがある事を思い出す。
「もしかして……アルスの部屋をすぐ出たところの行き止まり? アルス、最近よくあそこに向って吠えていたよね?」
「ああ。その場所だ。何故かあそこだけ空気の質が違っていて……。同時に俺の中の何かに反応して、かなり不快感があったんだ……」
すると、何故かセルクレイスが大きく反応する。
「アルス……もしかして今は、その不快感は無くなっていないか?」
「そういえば……先程着替えであの場所を通過した時は平気だった気がする……」
そのアルスの返答に急にセルクレイスが、頭を抱えながら盛大に項垂れた。
「クソっ! 恐らくそこだけ私の張った結界が破られている!」
「兄上? それはどういう事ですか?」
「ようするにそこだけ、私が張った光属性魔法の結界が、内側から破られている……あるいは、それを無効化するような術が、あの場所に施されている可能性がある。恐らく今の姿に戻る前のアルスが不快感を抱いていたのは、その場所に残留している魔力がアルスの体に絡みついていた魔力と、同じ物で同調していたからだと思う……」
「俺の体に絡みついていたって……それって闇属性魔法って事ですか!?」
「恐らくな……。ちなみにアルスが、その不快感を抱くようになったのは、いつ頃からか分かるかい?」
「今から一週間前くらいでしょうか……。ちょうど騎士団長のマルコム達がこの邸の警備体制の見直し視察に来た辺りかと」
「やはりそうか……」
「兄上?」
かなり深刻そうな表情で考え込んでしまったセルクレイスをアルスが心配そうにしつつも、次の言葉を待つ。すると、何かを決意したようにセルクレイスが重い口を開いた。
「恐らく、先週このラテール邸の警備体制を見直す為に私とクリスが連れてきた三名の中に……今回の黒幕がいる」
そのセルクレイスの言葉に室内にいた全員の表情が凍り付いた。




