41.我が家の元愛犬は実は大物だった
アルスが右手の上で発動させた小さな風の気流をフィリアナとロアルドが凝視する。その二人の反応にアルスが不可解そうに片眉をあげた。
「何だ?」
「いや、だって……アルスが扱えるのは火属性魔法だろう? でも今発動させている魔法は、どう見ても風属性魔法だよな……?」
「ああ。そうだが……。あっ」
ロアルドの質問にアルスがシュンっと風属性魔法を引っ込める。
「今のは見なかった事にしてくれ」
「無理だ!!」
「無理だよ!!」
しれっと無かった事にしようとしたアルスにフィリアナとロアルドが、同時にツッコミを入れる。
「どういう事なんだ……? アルスが二属性魔法を使えるって事は、もう思い当たる事が一つしかないじゃないか……」
「どうやら俺は人の姿に戻った後に扱える属性魔法が変化したらし……」
「も、もしかして私達は今まで王族を飼っていたって事!? そ、それって物凄く不敬になるんじゃない!?」
「いや、だから……俺は人の姿に戻った後に扱える属性魔法が……」
「それよりももっと不可解なのが、今まで僕達が交流していたアルフレイス殿下だ……。あの人は一体、何者なんだ?」
「二人共、俺の話を聞け! だから俺は人間に戻る際に扱える属性魔法が……」
「そんなの信じられる訳ないだろ!?」
「そんなの信じられる訳ないでしょ!?」
何とか誤魔化そうと無茶な仮説を主張し出したアルスをロアルドとフィリアナが同時に一蹴する。するとアルスが、不貞腐れた表情を浮かべた。
「アルス……もうお前がどこの誰なのか僕達は、大体察しがついているんだ。お前は――――」
そうロアルドが言いかけた瞬間、突然部屋の扉が乱暴に開かれた。
「フィー、ロア! アルスも! 無事か!?」
扉を開けたのは、レイに案内されてきた父フィリックスだった。
だが、三人の姿を見た瞬間、フィリックスは声を詰まらせた。
「なっ――――!」
そんな父親にロアルドとフィリアナが白い目を向けながら、今回の件について問い詰めようと意気込む。
「父上、これは一体どういう事……」
しかし、フィリックスはロアルドの質問を無視し、足早にフィリアナとアルスの方へと向かう。そんなフィリックスを座り込んでいる状態のフィリアナ達は、不思議そうに同時に見上げた。
だが、次の瞬間――――。
「このクソガキィィィー!!」
父フィリックスが、盛大にアルスの頭頂部に拳を垂直に叩き込んだ。
「ヒィッ! お、お父様が王族を殴ったぁぁぁー!」
「ち、父上! お気持ちは分かりますが、流石にそれは不敬になります!」
突然の父の暴挙にフィリアナは叫び、ロアルドは父を宥めながらアルスから引き離す。対して拳を叩き込まれたアルスは、キッとフィリックスを睨みつけた。
「フィリックス! お前……今、加減なしの本気な拳を叩き込んだだろう!? どういうつもりだ!」
「いいから娘から離れろ! この変態クソガキ!」
「お、お父様! ふ、不敬……」
「久しぶりに本来の姿を取り戻した主に対して、拳を叩き込むような奴に言われたくない!」
「黙れ! この露出狂!」
どうやらフィリックスは、娘のフィリアナが全裸の男に抱き抱えられている状況が許せなかったらしい。父親としては当然の反応である……。
だが、そんなアルスに怒りをぶつけている父に対しては、フィリアナとロアルドも言いたい事が山ほどあった。
「父上! アルスに対してお怒りなのは分かりますが、まず僕らに説明すべき事があるのではないですか!?」
すると、何故かフィリックスはロアルドに白い目を向けてきた。
「お前は……妹が全裸の男に抱き込まれているこの状況に思う事はないのか……?」
「確かに初めはフィーの貞操の危機を感じましたが……。相手があのアルスだという事と、フィー自身がアルスを視界に入れないようにしている事、何よりもそれ以上に衝撃的な事が色々と判明し過ぎて、途中からどうでもよくなっておりました」
「どうでもよくなるな! もっと疑問を持て!」
すると、フィリアナが遠慮がちにフィリックスにある事を訴える。
「お、お父様……。そう思われるのであれば、早くアルスに何か羽織る物を用意して頂けませんか?」
フィリアナの言葉にフィリックスとロアルドが同時にアルスの方に目を向ける。
すると、フィリックスを連れてきたレイが、いつの間にか胡座をかいているアルスの足の真ん中に丁度よく、ちょこんと座っていた。
「これは失礼……。殿下、恐れ入りますが、しばらくの間こちらを羽織っていただけますか?」
そう言ってフィリックスが自分の上着をアルスの肩にかける。
この時、フィリックスがアルスを殿下呼びした事で、ロアルドとフィリアナの中でアルスの正体が誰なのか、ほぼ確定した。
そんなアルスだが……フィリックスに上着をかけられ、あからさまに嫌そうな顔をする。
「お前の着ていた物を羽織るのは、あまり気が進まない」
「い・い・か・ら! さっさと羽織ってください!」
「お前……7年前よりも俺の扱いが雑になっていないか?」
「気のせいです」
フィリックスから肩にかけられた上着を羽織ったアルスは、渋々という様子で袖を通す。そして前のボタンを自身で一つずつ、しっかりと留めた。
「よし! さぁ、フィー! これで問題ないだろう? 以前のようにいつでも好きなだけ俺を抱きしめていいぞ?」
そう言って両手を広げたアルスの頭に再度フィリックスが拳を叩き込もうとした。だが、アルスはそれを慣れたように躱わし、サッと立ち上がる。
「フィリックス、俺を舐めるな! 同じ手は二度とくわない!」
「先程はくらわれておりましたよね?」
「あれは……7年ぶりだったから少し油断をしただけだ!」
そんな父とアルスのやりとりを見ていたフィリアナとロアルドは呆れ出す。
恐らく二人の関係は、アルスがまだ犬になる7年前からこのような感じだったのだろうな……と。
以前、父親の部下だったシークが、アルスの事を『破壊神』と言っていたのは、恐らく犬になる前からそう呼ばれていた可能性が非常に高い。それだけ幼少期のアルスは、かなりやんちゃな王子様だったのだろう。
そんな自分達の父親とギャイギャイ言い合いをし、ファイティングポーズをとっている第二王子を横目にフィリアナは、声を潜めて兄に質問する。
「兄様……。確か王族の方って、実年齢よりも大人びた方が多いと私は思っていたのだけれど……違うの?」
「奇遇だな。兄様も今、全く同じ事を思っていた。だがアルスの場合、経緯は分からないけれど7歳頃から犬としての生活を強いられていた訳だろう? 一般的な王子教育なんて受けていないから、現状は年相応の精神年齢……あるいはそれ以下かもな」
「ロア、聞こえているぞ? 一体、誰の精神年齢が幼稚なのだ?」
つい先程までフィリックスと言い合いをしていたアルスだが、どうやらロアルドがこっそり口にした言葉をしっかりと拾っていたらしい。腰に手を当て仁王立ちしながら、幼稚と言われた事を抗議してきた。
すると、ロアルドが盛大にため息をついた後、座り込んでいるフィリアナの手を引っ張って立たせる。
「膝を丸出しにしている14歳男児に凄まれても失笑しかないぞ……? とりあえず僕が以前着ていた服があると思うので、一度そちらに着替えて頂けませんか? アルフレイス第二王子殿下」
急にアルスに対して敬語を使い出したロアルドにアルスが不機嫌そうに片眉を上げ、フィリアナは今後のアルスへの対応をどうすればいいのかと困惑し、父フィリックスは敢えて強調するようにアルスの正体を口にした長男の行動にため息をついた。
「ロア……。敬語はやめろ。もちろん、フィーもだ」
「ですが、一介の伯爵家の人間が第二王子殿下に対して砕けた口調で接してしまうと、他の貴族達から反感を買ってしまうんですがね?」
「公の場では敬語で構わない。だが、俺は7年間もラテール伯爵家の一員として、お前達と家族同然の暮らしをしていたんだぞ? それなのに普段も他人行儀な対応をされたら……それなりに傷つく……」
急にしおらしくなったアルスにロアルドが苦笑する。
対してフィリアナの方は、公の場でなければアルスの接し方は今まで通りで構わない事に内心ホッとしていた。
いくら姿がガラリと変わってしまったとはいえ、人に戻ったアルスはあまりにも犬だった頃の面影が多すぎるのだ。毛質が細くサラリとした黒髪は、やや毛先に癖があり、触れたらフワフワした心地よさそうなところや、先程のロアルドとフィリックスと揉めている様子なども犬だった頃によく見かけた光景だ。
何よりも……やや青みがかった薄灰色のアルスの瞳は、犬だった頃と全く一緒なので、ジッと見つめられると、つい犬の姿だったアルスと重なってしまう。現状、急に兄に敬語を使われてしまい、しゅんとしているアルスの様子は、犬だった頃に誰かに叱られてしまった時と、ほぼ同じ反応なのだ。
そんな様子を見せられたフィリアナは、思わずアルスが犬だった頃の癖で慰めようと、そのサラサラでふわりとしている黒髪に手を伸ばしかける。しかし、現状のアルスはフィリアナよりも5cm以上も背が高いので、目線が上になってしまった。その事で我に返ったフィリアナは、すぐに手を引っ込める。
「ご、ごめんなさい! 犬だった頃の癖で、つい……」
そう零しながら、自身の手を戒めるように摩っていると、アルスが何故か腰を屈めて、フィリアナの目の前にズイっと自身の頭を突き出して来た。その事に驚いたフィリアナだが、戸惑いながらも思わずアルスの形の良い頭にあるつむじをジッと見てしまう。
すると、アルスがボソリと呟いた。
「フィーなら好きなだけ撫で繰り回していいぞ?」
「えっ……?」
「フィーは、昔から俺の頭をワシャワシャするのが好きだっただろう? 今は少し触り心地が変わってしまったと思うが……それでもよければ、いくらでも撫でていいからな?」
すると、フィリアナは吸い込まれるようにゆっくりとアルスの頭部へと手を伸ばし、触り心地の良さそうな黒髪に指先を埋めた。確かに犬だった頃とは触り心地は違ったが、人間のアルスの黒髪もフワフワでサラリとした柔らかい何とも言えない手触りだった。
そんな心地良い手触りのアルスの髪にフィリアナは、両手を突っ込むように入れてワシャワシャと撫でまわした。同時にもう犬のアルスには、二度と触れる事が出来ないという事を実感し始める。
すると、フィリアナの瞳にジワリと涙が溜まり出した。
「うぅ……。アルス……アルスゥー……」
もう犬のアルスに触れる事が出来ない寂しさから、思わずフィリアナは現状撫でまわしている人間のアルスの頭を胸元に抱きかかえる。
その状況に父フィリックスと兄ロアルドが、ギョッとしながら止めに入った。
「バカッ! フィー、何をやっているんだ!!」
「フィ、フィリアナ! そんなモノを抱きかかえるのはやめなさい!!」
慌ててアルスから引き離しに掛かる父と兄に向って、涙目のフィリアナが名残惜しそうにアルスの頭を手放す。対して『そんなモノ』呼ばわりをされたアルスは、ギッとフィリックスを下から睨みつけた。
「だ、だって……犬だった頃のアルスを思い出しちゃって……」
「お前なぁー。いいか? 今お前が抱きしめたのは、フワフワな毛並みの愛らしいわんこじゃなくて、健全で思春期真っ盛りの可愛げのない14歳の青少年なんだぞ? それが青少年にとって、どんな刺激的な接し方になるか分かっているのか!?」
「そうだ、フィリアナ。もしそれで殿下が変な物を爆発させたら、私は躊躇なく殿下を消さなければならない!」
「待て、フィリックス。今のお前の発言は、明らかに大問題だぞ?」
「うぅ……アルスゥー……」
兄に肩を抱かれながら、さり気なくアルスから引き離されたフィリアナは、こぼれてしまった涙を指で拭う。そんなフィリアナにアルスが手を伸ばそうとしたが、それを容赦なくフィリックスが叩き落とした。
「お前……今のは完全に不敬行為だからな!?」
「ご心配なく。リオレス陛下より殿下が問題行動をなさった際は、容赦なく手を出しても良いと護衛任務を承った頃より許可を頂いておりますので」
「父上め……」
そんなやりとりをしていると、急に部屋の扉がノックされたので、フィリックスが入室許可を出す。すると、執事のオーランドが邸の警備騎士と共に部屋に入ってきた。
「失礼致します、旦那様。実は先程、セルクレイス殿下とアルフレイス殿下がお見えになられまして……ご対応をお願いしたいのですが」
オーランドの言葉で、フィリアナとロアルドが勢いよく父親の方を見る。
「父上……セルクレイス殿下に連絡をなさったのですか?」
「ああ。万が一、闇属性魔法を使われてしまったら我々では対処出来ないからな」
すると、フィリアナが先程からずっと疑問に思っていた事を口にする。
「あの、お父様。どうしても分からない事があるのですが……」
「何だい?」
「ここにいるアルスは、第二王子のアルフレイス殿下でお間違いないのですよね?」
「……ああ、そうだ」
「では、今王太子殿下とご一緒にお見えになったアルフレイス殿下は……一体どなたなのですか?」
娘からのもっともな質問にフィリックスが、苦笑を浮かべる。
「それも含めて、今から殿下方を交えて話しをするから、お前達は先に応接間に行ってお二人の対応をしていてくれないか? 私は……こちらの本物のアルフレイス殿下にまともな服を着せてから向う」
父にそう言われた二人は怪訝そうな表情を浮かべながら、セルクレイスと偽者のアルフレイスが待つ応接間へと向かった。
★【我が家の元愛犬】の登場人物の年齢設定★
・フィリアナ→13歳
・ロアルド→16歳
・アルス→14歳




