39.我が家の番犬は襲撃される
【※注意※】
『残酷な描写あり』に該当する展開がございます。
メインキャラが辛そうな展開が苦手な方は、読まれる際はご注意ください。
アルスが魔法を使えなくなってから、三週間が過ぎた。
その頃には、フィリアナのアルスに対する過干渉ぶりもやや収まってきたが、それでも夜は一緒に眠らないと不安になり、未だにアルスの部屋の寝台で互いにくっ付き合いながら眠っている。
だが、二週間前に比べるとフィリアナの不安は大分軽減されていた。
それは、先週この邸内に設置された国宝級魔道具のお陰なのだろう。
その魔道具は対になっている二つの指輪で、効果としては装着した者が指輪に魔力を注ぐと、もう一方の指輪がある場所に転移出来るという代物だった。
今回はその指輪の一つをロアルドの部屋に置き、もう一つを王太子セルクレイスが所持する事で、万が一アルスに何かあった際は、早急にセルクレイスがラテール伯爵邸に駆け付けられるようにと、国王リオレスが使用許可を出したそうだ。
『闇属性魔法に唯一対抗出来る光属性魔法を扱える王太子セルクレイスが、いつでもアルスのもとへ駆けつけられる』
そんな環境が作られた事によって、少しだけフィリアナの不安も軽減されたようで、ここ最近はアルスの後をつけ回す事も減ってきた。またアルスの方もセルクレイスに会える機会が増えたからか、最近はご機嫌な様子だ。
しかしそんなアルスだが、何故か邸に国宝級魔道具が設置された直後から、謎の動きをみせていた。
「アルス? 一体、何をしているの?」
「バウバウッ!! バウッ、バウッ、バウッ!!」
アルスは何故か自身の部屋を出てすぐの通路の行き止まり近辺を誰かと一緒に通る際、必ずそこに向かって吠え始めるのだ。
そんなアルスの行動は、まるでそこに何かがいる事を威嚇しながら周囲に伝えているようにも見えるのだが……。
フィリアナ達がその場所を念入りに確認してみても特に変わった様子がなく、何故アルスが吠えつけているのか、その理由が分からなかった。
「もぉ……。アルスは一体、そこで何が見えているの?」
「あれじゃないか? よく飼い猫が何もないのに部屋の隅をジッと見つめる行動。もしかしたら、そこに亡霊とかいたりして」
「兄様、やめて! 私、昔から亡霊とか怖い話、苦手なのだから!」
「だから毎晩、アルスに抱き付いて眠っているのか?」
「違うわ! アルスの事が心配だから抱きしめて寝ているだけだもの!」
「どうだか」
リートフラム王家兄弟の訪問を伝えにきた兄に揶揄われたフィリアナが、不貞腐れるような表情を浮かべながら、足早に応接間に向かう。
貴重な魔道具によって、簡単にラテール伯爵邸に足を運べるようになったセルクレイルは、弟と共に頻繁にアルスに会いにこの邸を訪れるようになった。
同時に弟のアルフレイスもフィリアナ目当てで、一緒に付いてきているようだが……毎回アルスによる手厳しい妨害を受けている。それでもめげないのか、今日もフィリアナが好きそうな焼き菓子を携え、兄と共に遊びに来たようだ。
だが、二人共まだ成人していないとはいえ、それなりに公務を任されているはずだ。それなのに頻繁にここへ訪問しても平気なのだろうかと、フィリアナが疑問を抱く。
「兄様……殿下方は、最近頻繁に我が家に遊びに来ているように思うのだけれど、ご公務は大丈夫なのかしら?」
「あー……っと、何でもうちに来る時は前日に翌日分の公務も終わらせた状態でご訪問くださっているみたいだぞ?」
「そこまでして、うちに来る事に拘る必要ってある!?」
「セルクレイス殿下の場合は、アルスの事を溺愛しているから心配なんだろうな。アルフレイス殿下は……」
そう言いかけたロアルドが、チラリとフィリアナに視線を向ける。
「完全にお前との親睦を深める事が目的だろう?」
「うっ……」
「近々、フィーと婚約を結ぶ為に本気で外堀を埋めようとなさっているようだから、お前もある程度は覚悟しておいた方がいいと思うぞ?」
「うぅー……」
そんな会話をしながら応接間に到着するとロアルドが扉をノックし、中からセルクレイスの声で入室許可があった。だが、ロアルドが扉を開けた瞬間、何故か真っ先にアルスが入室し、セルクレイス目掛けて駆け寄る。
「わふっ! わふっ、わふっ、わふっ!」
「アルス! 元気だったか?」
「わふっ!」
アルスが入室したと同時に席を立ったセルクレイスがその場でしゃがみ込み、駆け寄ってきたアルスをわしゃわしゃと撫でまわす。
アルスの方も嬉しいのか尻尾をパタパタさせながら振っていた。
その様子を目にしたフィリアナ達とアルフレイスが苦笑を浮かべる。
「セルク兄様……少々アルスを溺愛しすぎではありませんか?」
「そうは言ってもアルスは、こんなにも愛らしいのだから仕方がないだろう? ほら、フィー達のお陰で毛並みがこんなにもフワフワで……。一生撫で続けていたいくらいだ」
「僕は噛まれた事しかないので、ちょっと分かりませんけれど……」
そう言って王太子でもある兄に白い目を向けていたアルフレイスだが、すぐに席を立ってフィリアナ達の方へとやって来た。
「フィリアナ、ロア、突然来てしまってごめんね? セルク兄様が、どうしても今日アルスに会いたいってきかなかったから……」
「いえ、アルスも一週間ぶりに王太子殿下にお会い出来て嬉しそうなので、こちらとしては大歓迎です」
「そう言って貰えると助かるよ……。そうだ、これ。フィリアナにお土産! うちのお抱えパティシエが作ったチョコレートケーキだよ」
「あ、ありがとうございます」
ニコニコしながら自らケーキの入った箱を手渡してきたアルフレイスにやや驚きながら、フィリアナが箱を受け取る。すると、アルフレイスが箱を受け取ったフィリアナの手に自身の手を重ねてきた。
「で、殿下! あ、あの……」
「後で二人だけで一緒に食べようね?」
そのまま距離を詰めてきたアルフレイスは、フィリアナにこっそりと耳打ちをするように囁く。その瞬間、セルクレイスと戯れていたアルスが、物凄い勢いでアルフレイスの右脇腹へと頭突きを放った。
「うっわっ!」
危うく転倒しかけたアルフレイスが何とか堪え、キッとアルスを睨みつける。
「アルス……君さ、いい加減に僕とフィリアナの邪魔をするのは、やめてくれないかな!?」
「ウゥ―……バウッバウッ!!」
「そもそも僕らが仲を深める事は君の為でもあるのだけれど、その事を理解していないのかい!? 僕らが婚約をすれば余程の事が起こらない限り、将来的に君はずっとフィリアナと一緒にいられるんだ! そもそもこの際だから、はっきりと言わせてもらうけれど、僕は彼女をかなり気に入っていて、今の状況ならば抜け駆けだって可能なのだけれど!? それをせずにフェアに戦おうとしているのに君は……」
よく分からない言い分でアルフレイスが一気に捲し立てると、何故かアルスが威嚇するのをやめ、まるで不貞腐れているように尻尾を床にパタンパタンと打ち付ける。これは機嫌が悪い時のアルスの癖である。
そんなアルスを落ち着かせようと、フィリアナが傍でしゃがみこみアルスの顔を撫でまわす。
「アルス、殿下はあのようにおっしゃってはいるけれど、一番はアルスの事が心配だから、今日うちに来て下さったのよ?」
「うん。それは絶対にないから」
「…………」
一応、フィリアナはアルフレイスの印象を上げようと試みたが、当のアルフレイスは、間髪を容れずにそれを否定してきた。
そんな気まずい空気を仕切り直す様にフィリアナは咳払いをする。
「と、とにかく! アルスには、出来れば殿下と仲良くして欲しいの。だってアルスの本来の飼い主は……アルフレイス殿下なんだよ?」
そう口にしたフィリアナだが、内心全く納得していないであろう事が分かりやすいくらいに態度に出てしまっていた。そんなフィリアナの様子に男性陣三名は苦笑する。
「フィー。お前、本心がダダ洩れすぎだぞ?」
兄から指摘されてしまったフィリアナは、恥ずかしさから耳まで真っ赤になった顔をアルスのフワフワの毛並みに埋めてしまった。
そんな楽しい昼のひと時を過ごしたフィリアナだが……夜になると一気に不安の波が押し寄せて来る。アルスが魔法を封じられてからのこの三週間、フィリアナはアルスを抱きしめながらでないと、眠りにつけなくなっていたのだ。
そこまでフィリアナが精神的に不安定になってしまった原因は、自分が知らぬ間にアルスが危険な目に遭ってしまうかもしれないという考えが常に頭の中にあるからだ。もしアルスを失うような事が起きてしまったら……そんな恐怖が常にフィリアナには付きまとっているのだ。
その不安を少しでも軽減しようと、フィリアナはアルスを後ろから抱え込むようにして眠る。
そしてこの日の夜も――――。
フィリアナは、もはや日課と化したアルスに抱き付くような体勢で眠っていた。
しかし……ふと夜中に目を覚ますと、腕の中のアルスの姿が消えていたのだ。
「アルス? もしかしてお花摘み中?」
フィリアナは声を潜めながら、アルスのトイレ小屋に向って声を掛ける。
しかし、そこからは返答がないどころかアルスの気配すら感じられなかった。
その静寂さが、徐々にフィリアナの不安を煽り出す。
「アル……ス? アルスッ!! どこぉ!?」
急に焦り出したフィリアナが、声を荒げてアルスの名を何度も呼ぶ。
しかし……アルスからの返事はない。
ふと部屋の出口の方に目を向けると、扉が少し空いていた。ちょうどアルスが通り抜けられるくらいの幅で。
「――――っ!!」
次の瞬間、フィリアナは勢いよく部屋を飛び出し、周囲をキョロキョロと見回しながら邸内の廊下を裸足で駆け抜ける。
「ヤダヤダヤダッ! アルス、どこっ!? どこにいるのっ!?」
静まり返った邸内でフィリアナの足音だけが、ペタペタと廊下に響き渡る。
そんな中、窓から差し込む僅かな月明りを頼りにフィリアナは、必死でアルスの姿を探した。すると、前方の突き当りを左に曲がる小さな黒い影が目に入る。
「アルスッ!!」
すぐに姿が見えなくなったその影を追おうと、フィリアナもその突き当りを勢いよく左に曲がった。すると、防音になっているピアノ部屋の扉が半開きになっていたので、フィリアナは迷わずその部屋目掛けて、一直線に駆け寄り扉を全開する。
「アルスッ!! 一体、何が――――っ」
すると、念願のアルスの姿を発見する。
だがフィリアナの視界に入ってきたのは、アルスの姿だけではなかった。
そこにはアルスと対峙するように真っ黒なフード付きのローブを頭から被った人物がいたのだ。
「だっ……」
「誰っ!?」と叫ぼうとした瞬間、アルスが勢いよくフィリアナに体当たりしてきた。その衝撃で、軽く真横に吹っ飛ばされるような形になったフィリアナが、床を滑るように転がる。
一瞬、何が起こったのか分からなかったフィリアナは、アルスに吹っ飛ばされる前に立っていた場所に目を向けた。すると、無数の鋭い石の槍が何本も壁に刺さっている事に血の気が引く。その状況から今、自分達は何者かに地属性魔法で攻撃されたのだと理解した。
そんなフィリアナを守るようにアルスが低く唸りながら、距離を見計らうように謎の侵入者と対峙する。
だが次の瞬間、アルスが物凄い早さで、その侵入者に向かって突進した。アルスのその素早い動きに相手も狙いが定められないのか、やや焦った様子を見せる。
しかし、ふとした拍子にフィリアナと目が合った侵入者は、何故かフードから僅かに見える口元に笑みを浮かべた。その瞬間、フィリアナが恐怖で背中をゾクリとさせる。
すると、その反応を楽しむようにその侵入者は狙いをアルスではなく、いきなりフィリアナに切り替えてきたのだ。
その事に気が付いたアルスが更にスピードをあげ、侵入者に飛びかかる。
しかし、それは躱されてしまい、アルスの攻撃は空を切った。
対する侵入者は、アルスの攻撃を無理矢理避けた際にバランスを崩し、転倒し始める。だが、その間に侵入者は、先程まで練り上げていた魔法をフィリアナに向って放ったのだ。
だが、フィリアナの方も咄嗟に水属性魔法で自分の前に防御壁を二重に作り出す。先程攻撃された際にこの侵入者が、兄ロアルドと同等の地属性魔法が扱える事に気が付き、一枚では足りないと判断したのだ。
すると、予想通りフィリアナが作り出した防御壁の一枚目は、あっさりと破られてしまう。だがその際に威力が弱まったはずなので、二枚目でも充分防げるはずだった。
しかし……その予想を裏切るように侵入者の放った鋭く太い石の槍は、フィリアナが丹念に魔力を練り上げて作り出した二枚目の水壁も打ち破る。
それでも威力は大分削いだので、もう一度防御壁を作れば必ずこの魔法は防げると判断したフィリアナは、すぐに三枚目の防御壁を作りだす。
すると、相手が放ったその地属性魔法を辛うじて相殺する事が出来た。
その状況に、フィリアナが僅かに安堵する。
しかし、その一瞬の気の緩みが再びフィリアナを恐怖に陥れた。
なんと、魔法を相殺し消えかけている三枚目の防御壁の後ろから、更なる地属性魔法が追い打ちをかけるように姿を見せたのだ。
「なっ――――!!」
先程の転倒しかけている不安定な体勢から、再度同じクオリティーの攻撃魔法を放ってきた侵入者にフィリアナが、信じられないようなものを見るように驚きの表情を向ける。恐らくこの侵入者は、相当な手練れなのだろう。
だが、それと同時に絶対に避けきれない無数の石の槍が、フィリアナ目掛けて飛んでくる。しかし、今から防御壁を発動させてもとてもではないが、間に合わない……。
そう悟ったフィリアナは、思わずギュッと目を閉じようとした。
しかしその瞬間、何かが宙を舞いながらフィリアナの目の前に飛び出して来たのだ。その光景が、まるで時間がゆっくり経過するようにフィリアナの瞳に映し出される。
フィリアナを背にし、庇うように宙を舞ったのはアルス。
すると、その背中から角のような物が数本ほど飛び出し、辺り一面に真っ赤な花が咲き誇るように鮮血を飛び散らせた。そしてそのまま、ゆっくりとアルスの体が地面に落ちてゆく。
「何……で……?」
その恐ろしい光景は、一連のアルスの様子がゆっくりと時間が流れるような残酷さで、フィリアナの目に焼き付けられる。すると、その目の前でアルスが、ドサリと音を立てて床に落下した。
その瞬間、フィリアナは一気に本来の時間の速度に引き戻される。
だが目の前には、けして受け入れたくない惨状が、現実だと言わんばかりにフィリアナを追いつめてくる。その信じ難い惨状を拒否するかのようにフィリアナは、ゆっくりとアルスの名を呼んだ。
「アル……ス?」
腹部から背中にかけて鋭く尖った石槍に数か所貫かれ、大量に血を流しているアルスに真っ青な顔色のフィリアナが、小刻みに震えながら、もう一度恐る恐る声を掛ける。だが、アルスはヒューヒューと喉を鳴らすのみで返事をする事が出来ない……。
しかも最悪な事に横たわるアルスの先には、更にフィリアナ達を攻撃しようと侵入者が膨大な魔力を練り上げ始めていた。しかし、アルスの事で頭がいっぱいになってしまっているフィリアナは、その状況に気付けない。それどころか、唇を震わせながら何度も必死でアルスに呼びかける。
「い、嫌ぁ……。アルス……アルスゥゥゥー!!」
フィリアナが酷く震えてしまっている手をアルスに伸ばし、その体を労るように優しく何度も撫でる。すると、上下するアルスの体から嫌でも死を連想してしまうほど呼吸が荒い事が伝わってきた。そんな悪夢のような現実を突き付けられたフィリアナは、更に体を震わせながら大粒の涙を瞳からボタボタとこぼし始める。
だが、そんな放心状態のフィリアナに向って侵入者は容赦なく、先程から練り上げていた魔力を解き放つように地面に手を突き、魔法を発動させた。
しかし、それでも放心状態のフィリアナは気づかない……。
それどころか、どんどん弱々しい呼吸になっていくアルスを何とかしてこの世界に引き止めようと、何度も必死で名前を呼びながら、その顔を撫でまわす。すると、アルスがゴボリと吐血した。
その惨状にフィリアナが、発狂するように泣き叫ぶ。
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
すると、その叫び声に共鳴するかのように地響きのような轟音と、強烈な稲妻が部屋全体を物凄い勢いで走り抜けて行った。




