35.我が家の番犬は公爵令嬢と犬猿の仲
優美な笑みを浮かべたオリヴィアから挑発的な言葉を放たれたフィリアナは、予想外の状況に一瞬だけ固まってしまった。
そんなフィリアナの反応を確認したオリヴィアは、満足そうに笑みを深める。
「フィリアナ様。どうぞ、我が公爵家の自慢の庭を是非ご堪能くださいませ。そしてお庭をお散歩しながら、わたくし達の親睦を深めましょう? その際、あなた方ご兄妹がどのようにしてアルフレイス殿下に気に入られたのか、是非その秘訣を教えて頂きたいわ」
どうやらフィリアナが、アルフレイスと親しくなった切っ掛けに兄も一枚噛んでいるとオリヴィアは考えているらしい。このままでは誠実を売りにしている兄の印象が、策士的な人間として社交界に広まってしまうかもしれない……。
そんな事を懸念し始めたフィリアナは口元を引き締め、覚悟を決める。そして絶対に逃がさないとでも言わんばかりのオリヴィアの挑戦を受けるように庭園の入り口へと、一歩踏み出そうとした。
しかし、その前に何故か横に張り付いていたアルスが、まるで先陣を切るようにスッと前に出る。
「アルス?」
急に機敏な動きを見せ始めた愛犬にフィリアナが不思議そうに問いかける。
すると、オリヴィアも同じような表情でアルスの動きを目で追う。そんな二人の令嬢から注目されているアルスだが、その事には全く頓着していない様子で、ゆっくりとオリヴィアの近くまで歩みを進めた。
しかし、オリヴィアの足元に辺りに到着した瞬間――――。
「きゃあっ!」
何とアルスは距離を詰めると同時に勢いよく、オリヴィアの脇腹に頭突きを放ったのだ。その所為で、オリヴィアが一瞬だけよろめく。
「嫌ぁぁぁぁぁー!! アルスゥゥゥゥゥー!!」
対してフィリアナの方は顔色を真っ青にしながら叫び、アルスを押さえつけようとした。しかしこの後、更に目を疑うような光景が目の前で繰り広げられた事で、フィリアナの動きがビシリと止まる。
「やってくれましたわね! あなたの事だから、大人しく傍観などしているとは思っておりませんでしたけれど……。まさか淑女に対して頭突きを繰り出すなんて、呆れて言葉も出てきませんわ!」
なんと先程まで典型的な高位貴族の令嬢という雰囲気だったオリヴィアが、瞬時にアルスと距離を取り、ファイティングポーズまでし始めたのだ。
この予想外の展開にフィリアナは、口をポカンと開けて唖然とする。
「ウゥー……。バウッ! バウッ、バウッ、バウッ!」
「いいでしょう……。あなたがそういうつもりならば、わたくしも受けて立ちます!」
そう宣言してしたオリヴィアは、驚く事に本当に魔力を練りあげ始めた。
対するアルスも避ける気満々のフットワークを披露し、オリヴィアを挑発し始める。
「お、お待ちください!! このようなところで魔法など……」
「これはわたくしとアルスの問題です! 部外者であるあなたは、口出ししないでくださる!?」
「ぶ、部外者!? 私、仮ではあるけれど一応、アルスの飼い主なのに……」
部外者扱いされたフィリアナが涙目になりながらショックを受ける。
だが、フィリアナの様子など目に入らない程、殺気だったオリヴィアとアルスはビリビリとした空気を放ち始め、もはや一触即発という状況だ。
そんな一人と一匹の緊張感がピークに達した瞬間、ついにオリヴィアが叫ぶ。
「アルス! お覚悟を!」
「バウッ! バウッバウッ!!」
「ダ、ダメェェェェェェェー!!」
兄クリストファーと同じく風属性魔法が使える様子のオリヴィアは、片手にまとった気流をアルスに向かって勢いよく放つ。それを躱そうとアルスが華麗なステップを踏み始めた。
だが、オリヴィアが風魔法を放った瞬間、フィリアナが慌てて二人の間に水壁を作り出し、オリヴィアの魔法を打ち消す。
「フィリアナ様! 邪魔をなさらないで!」
「バウッ、バウッ!!」
「二人とも落ち着いて!! ど、どうしていきなり喧嘩を始めるのですかっ!?」
「アルスとわたくしは、昔から因縁があるのです! どうか邪魔をなさらないで!」
「バウッバウッバウッ!!」
「ア、アルスが何か失礼をしてしまったのならば、謝罪いたします! で、ですから少し落ち着いて……」
「バウッ!」
フィリアナがオリヴィアの説得に掛かっていると、それを隙と捉えたアルスが再びオリヴィアにタックルを放つ。しかし、オリヴィアはドレス姿であるにも関わらず華麗に躱した。
「相変わらずあなたは、油断も隙もあったものではありませんわね……」
「ウゥー……バウッ!!」
「待って! 何故アルスまで、そんなにもオリヴィア様に対して好戦的なの!? そもそもオリヴィア様はアルスと面識が何度かおありなのですか!?」
「ええ……。わたくしは昔から、この駄犬に邪魔ばかりされておりましたの」
「バウッバウッバウッバウッバウッ!!」
駄犬呼ばわりされたアルスが怒りからか、いつも以上に激しく吠えたてる。しかし、そんなアルスの威嚇にもオリヴィアは全く動じない。どうやらこのようにアルスに威嚇される事には、慣れている様子だ。怯むどころか、逆に反論するようにアルスを怒鳴りつける。
「お黙りなさい!! 現状のあなたに不満を訴える資格などなくってよ!!」
そうオリヴィアに一喝されたアルスは、何故かビクリと一瞬だけ体を強張らせた後、急に静かになった。
「あなたのせいで我が家は振り回されて……迷惑を被っているのよ!? あなたももう幼子ではないのだから、いい加減に伯父様やお兄様達に反抗的な態度を取るのはおやめなさい!!」
その言葉で何故オリヴィアが、アルスに対して目の敵にしているような態度を取るのか、フィリアナが察する。アルスはラテール家に来る以前から命を狙われていたが、その間はリートフラム王家とルケルハイト公爵家にガッチリと守られていたはずだ。
しかし、そんな親身になってアルスを守ろうとしてくれている国王リオレスや第二王子アルフレイス、そして公爵令息であるクリストファーに対して、アルスはずっと反抗的な態度を取り続けていたと思われる。
そのアルスの態度は、クリストファーの妹でもあるオリヴィアにとって、親身になって安全を確保しようと奮闘している兄達の善意を踏み躙るような態度にしか見えなかったのだろう。
以前、クリストファーにアルスが噛み付いてしまった時の状況から推察すると、恐らくルケルハイト公爵家の兄妹は、従兄妹という間柄でもある為、幼少期からアルフレイスと頻繁に交流があったはずだ。
そうなれば、必然的に第二王子の聖魔獣候補として保護されていたアルスとも顔を会わせる機会が多くなる。その間、アルスはずっとアルフレイスとクリストファーに反抗的な態度を取り続け、その状況にオリヴィアが怒りを募らせていた可能性が高い……。
自身の兄と将来婚約者するかもしれない第二王子に反抗的な態度を撮り続ける聖魔獣など、オリヴィアは良い感情など抱けなかったはずだ。先程、アルスの事が気になると言っていたのは、恐らくこのままアルスが第二王子の聖魔獣になってしまう事に疑問を感じているという意味合いが強い。
そう推察したフィリアナは、このままアルスと共に庭園の見学をする事は、得策ではないと考え始める。だが、もしアルスだけを兄達のもとに追いやろうとしてもアルスは、意地でもフィリアナについてきてしまうだろう。
ならば今回の庭園見学は一度保留にし、また日を改めて自分一人でオリヴィアの招待に臨んだ方が良いと判断する。
「あの……オリヴィア様。アルスもこのように興奮気味なので、もしよろしければ、お庭見学は後日改めてさせて頂いいても……」
しかし、そのフィリアナの申し出を聞いたオリヴィアは、何故か瞳をカッと見開き慌て出す。
「な、何故そうなるのです!? この駄犬の所為でフィリアナ様がお庭見学を諦める事などございません! この駄犬は、父か兄に捕縛させておきますので、遠慮などなさらないで!」
「バウッバウッバウッ!」
先程まで貼り付けていた公爵令嬢としての仮面をかなぐり捨てた様子のオリヴィアが、かなり雑にアルスを扱う。その事をアルスも理解しているようで、抗議するように激しくオリヴィアに吠えたてた。
そんなバチバチと火花を散らしている一人と一匹に挟まれているフィリアナは、途方にくれながらも、何とかこの場を収めようと奮闘する。
「も、申し訳ございません……。今の興奮状態のアルスでは、公爵閣下のもとで大人しく待つ事は難しいかと……。ですので、お庭見学は、また日を改めさせて頂ければと思います」
フィリアナが深々と頭を下げて断りを申し出ると、何故かオリヴィアがこの世の終わりのような表情した。そのオリヴィアの反応があまりにも予想外だった為、フィリアナが怪訝そうな表情を浮かべる。
そもそも中堅伯爵令嬢のフィリアナよりも王家と親類関係である公爵令嬢であるオリヴィアの方が、アルフレイスの婚約者に選ばれる可能性が高いのだ。
だが、そんな状況でも何故かオリヴィアは、必死になってフィリアナからアルフレイスとの親密度を確認しようとしてくる。
正直なところ、ここまで熱心にオリヴィアが第二王子との婚約を望んでいるのであれば、是非大手を振ってその座を譲りたいとフィリアナは目論んでいた。その為、アルスが暴れなければ、早々に婚約者候補を辞退をしたい事をオリヴィアに暴露するつもりだったのだ。
だが今の状況では、オリヴィアとゆっくり話が出来そうにもない。
そんな理由からフィリアナは後日改めたいと申し出ているのだが……。
「で、ですが……今日でないと色々と伺えない事が……」
何故かモゴモゴし始めたオリヴィアは、どうしても本日中にフィリアナと、アルフレイスの仲がどうなのか詳細を知りたいらしい。
だが、何故オリヴィアがそこまで必死に今日に拘るのか、その意図が全く分からないフィリアナは、ますます怪訝そうに表情を深めてしまう。
すると、遠くの方から自分の名前が呼ばれている事に気付く。
その方向に視線を向けると、兄ロアルドがクリストファーを引きつれ、物凄い勢いでこちらに向ってきていた。
「フィィィー!! 今この辺りで強力な魔力を感知したんだが、無事か!?」
「兄さ……」
「ロ、ロアルド様っ!?」
その瞬間、何故かオリヴィアが素っ頓狂な声をあげた。
「えっ?」
「あっ……」
慌てて口元を抑えたオリヴィアだが、その声はしっかりとフィリアナの耳に入る。今確かにオリヴィアは、自身の兄クリストファーにではなく、フィリアナの兄ロアルドの登場に大きく反応したのだ。
その状況で何かを察してしまったフィリアナとオリヴィアの間で、何故か気まずい空気が流れる。
「あ、あの……オリヴィア様。まさか本日確認されたい内容というのは、わたくしの兄……」
そうフィリアナが言い掛けた瞬間――――。
先程まで威嚇するように唸り声をあげていたアルスが、見事なまでの頭突きをオリヴィアの脇腹に極めていた。





