34.我が家の番犬は武闘派に転向予定
フィリアナから解放されたアルスは、顔を覗き込んで来たクレオスの事を長椅子に座ったまま、ジッと見上げて首を傾げる。
するとクレオスが、どこか懐かしむような笑みを浮かべて小さく呟いた。
「そういう仕草をすると、初めて顔を合わせた時の事を思い出すな……」
「「えっ?」」
その呟きをロアルドとフィリアナは、聞き逃さなかった。
「あ、あの! 閣下は以前アルスと顔合わせをされた事があるのですか!?」
勢いよくフィリアナが確認すると、クレオスは一瞬だけ驚いたような表情を浮かべた後、ふわりと柔らかい笑みを返してきた。
「ああ。その時はまだ兄上に抱えられていたが……大きくなっても雰囲気や仕草というのは変わらないものなのだなと思って……」
「アルスは……何故、公爵邸に連れてこられたのですか?」
「それは……」
「アルスは生後間もない状態の時に母親と一緒にいるところを密猟者に襲われて、保護されたんだ……。でも魔力が高すぎた上に目の前で母親を殺されたショックから、魔力暴走を起こしそうだったから、リオレス伯父上が父の闇属性魔法でしばらくの間、魔法封じが出来ないか相談に来られた……というお話でしたよね? 父上」
「あ、ああ。そうだったな……」
何故か息子のクリストファーが、その時の状況を詳しく語り出したので、ロアルドとフィリアナが怪訝そうに首を傾げた。
するとクリストファーが、にっこりと笑みを浮かべながら更に補足をする。
「その時、僕も一緒にいて叔父上が可愛い子犬を連れて来たって、妹と一緒になって大喜びしたから覚えているんだ」
クリストファーのその話にフィリアナ達は、自分達が初めてアルスと顔をあわせた時の頃を思い出す。確かに7年前であれば、兄と同じ年齢である当時9歳のクリストファーは、生まれたばかりの子犬に興味津々な年頃である。
恐らく初めてラテール家にアルスがやってきた時の自分達と同じようにクリストファー達も大興奮していたのだろう。
そんな状況を想像したフィリアナ達だが、そこで初めてクリストファーに妹がいるという事を知る。
「あの……クリストファー様には妹君がいらっしゃるのですか?」
「うん。今年で12歳になったから……フィリアナ嬢より妹の方が一つ年下かな?」
それを聞いたフィリアナとロアルドは、クリストファーの家族構成が自分達と似ている事に何故か親近感を抱く。すると、何かを思いついたようにクリストファーが急に顔を輝かせた。
「そうだ! あとで二人にも妹を紹介するよ。特にフィリアナ嬢とは少し性格が似ているところもあるから、すぐに仲良くなれると思うな」
「あ、ありがとうございます」
そう答えたフィリアナだが親睦を深められるかについては、やや疑問を感じてしまう。そもそも、目の前の天使のような神々しく慈愛に満ちた銀髪の少年であるクリストファーの妹なのだから、かなりの美少女である事は確実である。そのような絶世の美少女だと思われる公爵令嬢と、元気が取り柄の自由奔放に育てられた似非伯爵令嬢と言われやすい自分が、上手く交流関係を築けるだろうか……と。
そんな一抹の不安をフィリアナが抱き初めていると、先程からじっとアルスの状態を確認していた王弟クレオスから、深いため息がもれた。
その反応にフィリアナとロアルドの表情が強張る。
「すまない……。この闇属性魔法は、私では対処出来ない。どうやらこの術者は、私よりも魔力が高い人物のようだ……」
クレオスのその見解にフィリアナは再び涙目になり、ロアルドが唇を噛む。
すると、アルスが今にも泣き出しそうなフィリアナに擦り寄り、膝に前足をかけながら、心配そうに鼻をピスピスと鳴らして顔を覗き込んできた。
「大丈夫だよ……。アルスは絶対に私と兄様で守るから!」
まるで自分に言いかかせるようにフィリアナは、アルスの両頬を包み込んで自身の額をくっつけた。その様子を見ていたクレオスが、やや切なげな笑みをこぼす。
「息子から話を聞いてはいたが、君は本当にアルスの事をとても大切に思ってくれているのだね……。あの気難しくて暴れん坊だったアルスが、こんなにも誰かを思いやれるようになったのは、君らがたくさんこの子に愛情を注いで接してくれたお陰だな」
「そんな事は……」
そう謙遜しかけたフィリアナだが、今まで何人からも昔アルスが城で大暴れをしていた事を聞かされていたので、恐らくクレオスのこの見解は、当たっているのだろう。
保護されたばかりの子犬だった当時のアルスは、目の前で母親を殺された直後、急に訳のわからない場所に連れてこられ、やっと生活に慣れ始めた際に今度は信頼していた世話係に殺されかけた過去を持つ。
そんな経緯を得てラテール家にやってきたばかりのアルスは、常に周囲を威嚇し、警戒というよりもどこか怯えているような様子だった……。だが、そんなアルスに対してフィリアナとロアルドは、ラテール家の人間達と共に惜しみなく愛情を注いだ。その結果、アルスは再び人を信じられるようになり、今ではフィリアナ達を守れる程の強さを持つまでに成長した。
そういう意味では、一度人間不信に陥っていたアルスが再び人を信じられるようになった事は、確かにフィリアナとロアルドルの存在が、大きく影響していると思われる。しかしそれ以上に賞賛すべき部分は、人間に母犬を目の前で殺され、自身も信じていた世話係に殺されかけた過去があるのに再び人を信じ始めたアルスの心の強さである。
そんなアルスだからそこ、魔法を封じられても強い心を持ち続けられるのかもしれない。そう感じたフィリアナは、心配そうに頬を舐めてくるアルスをギュッと抱きしめる。
「アルスは、本当に強いね……。でも魔法が使えない間は、大人しく私達に守られていてね……」
しかしアルスは、クーンと困惑気味の反応を見せるだけだった。
そんな二人の様子を苦笑しながら眺めていたクリストファーだが、急に何かを思い出したかのような素振りをみせ、ある事を二人に提案してきた。
「そうそう! 先程も少し話が出た妹の事なのだけれど……。もしよければこの後、君達に妹を紹介してもいいかな?」
「はい」
「もちろん」
二人が快諾すると、何故かクリストファー足早に扉の方へと向った。
「そんなに慌てて連れて来なくてもいいのに……」と思ったフィリアナだが、扉の前まで移動したクリストファーは、何故かその前でピタリと立ち止まるという謎の動きをしながら、更にフィリアナに妹との交流を勧めてきた。
「妹は少しとっつきにくいところがあるかもしれないけれど、フィリアナ嬢とは年も近いし、きっと仲良くなれると思うよ。だからもしよければ、是非妹の友人になってくれると嬉しいなー」
そう口にしながら、何故かクリストファーはフェイントをかけるように勢いよく扉を開けた。
すると、そこには人形のように整った顔立ちの銀髪の美少女が驚いた表情を浮かべながら、立ちすくんでいた。
「ヴィア? こんなところで立ち聞きだなんて淑女としてはあるまじき行為だよ?」
ニコニコしながらクリスファーが咎めると、その銀髪の美少女は小さく息を吐いた後、ゆっくりと口を開く。
「わたくし、立ち聞きなどしておりませんけれど? そろそろお兄様がわたくしの事をお二人にご紹介してくださる頃合いだと思い、こちらで待機していただけですわ」
父クレオスと兄クリストファーと同じ美しい銀髪をふわふわさせた公爵令嬢は、まるで抗議するような視線でに自身の兄をジッと見据える。その小動物を彷彿させるような大きく澄んだ明るい水色の瞳からは、可憐な容姿と打って変わって、かなり意思の強そうな印象を感じさせた。
そんな妹の返しにクリストファーは、更に口角をあげて笑みを深める。
「そうか……。立ち聞きではないのであれば覗き見かな? どちらにしてもお行儀はよろしくないね」
その言葉に銀髪美少女が一瞬だけ片眉を上げたが、すぐに先程の落ち着いた表情へと戻る。そんな自身の妹を室内に入るように促したクリストファーが、フィリアナ達に紹介をし始めた。
「二人とも紹介するね。この子が、さっき話に出てきた僕の妹のオリヴィアだよ」
「ロアルド様、フィリアナ様。お初にお目にかかります。ルケルハイト公爵家長女のオリヴィア・ルケルハイトと申します。ロアルド様におかれましては、いつも我が兄がアカデミーで大変お世話になっていると伺っております。今後ともどうぞ兄の事をよろしくお願い申し上げます」
美しいカーテシーを披露しながら、名乗ったオリヴィアのその見事な淑女ぶりに思わずフィリアナが見惚れていると、ロアルドがフィリアナも挨拶するようにと軽く肘で小突いてきた。その事で我に返ったフィリアナが、慌てて自身の中での渾身のカーテシーを全力で披露する。
「ラテール伯爵家長女のフィリアナ・ラテールと申します。こちらこそ、アカデミーではクリストファー様より大変よくして頂いていると兄より伺っております。拙い所もある兄ではありますが、どうぞ今後ともよろしくお願い致します。またこれ機にわたくしもオリヴィア様と交流させて頂けますと光栄です。どうか兄共々、よろしくお願いいたします」
「まぁ! フィリアナ様はわたくしとお友達になってくださるの? 嬉しいわ! わたくし、兄がこのように煌びやかすぎて何故かご令嬢方には、交流を遠慮されてしまうの……。ですので、なかなか気さくに接して頂けなくて……。でももしご迷惑でなければ、是非わたくしと親しくして頂きたいわ!」
先程までは人形のように無機質な表情を浮かべていたオリヴィアが、急に友好的な態度を見せてきた事にフィリアナが一瞬だけ身構える。そんなフィリアナの反応に気づかなかったのか、オリヴィアは自身の兄にある提案をし始めた。
「クリスお兄様! わたくし、今からフィリアナ様に我が家自慢のお庭をお見せしたいのだけれど、よろしいかしら!」
「それは構わないけれど、まずはフィリアナ嬢の都合も伺わないと……フィリアナ嬢、いいかな?」
「はい。ご案内頂けるのであれば、是非拝見させて頂きたいです」
「そう言って貰えると、こちらも嬉しいな。ヴィア、是非フィリアナ嬢に我が家の自慢でもある庭を案内してあげて」
「はい! それではフィリアナ嬢、どうぞこちらへ」
オリヴィアに促され、フィリアナが室内を出ようとした。すると、何故かアルスがピッタリとフィリアナの真横にくっ付いてくる。その事に気がついたオリヴィアが、自慢の庭園にフィリアナ達を案内しながら不思議そうにアルスに問いかけた。
「あら? アルスもわたくし達と一緒にお庭が見たいの?」
「わふっ!」
「も、申し訳ございません。その……もしご迷惑でなければ、是非アルスも一緒にお庭を見学させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん構いませんわ。でもここまでアルスが王妃殿下とセルクお兄様以外の方に懐かれているなんて……本当に珍しいわ!」
「そうなのですか? でもアルスはわたくしだけでなく、兄ロアルドにもこのような感じで接してきますが……」
「でしたら、アルスはラテール伯爵家の方々に絶大な信頼を寄せているのね。良かった……。このまま人間不信のままだったら、アルフレイス殿下の聖魔獣になる事が出来ないから、心配していたの」
邸の外の石畳の上を歩きながら、オリヴィアがポツリとこぼす。そのオリヴィアの言い方が、何故かフィリアナの中で少し引っかかった。
すると、オリヴィアがふわりと柔らかい笑みをフィリアナに向ける。
「実はわたくし、幼少の頃からアルフレイス殿下の最有力婚約者候補として周囲から見られておりますの。ですから、もしこの子に何かあったら将来わたくしの夫となるかもしれない殿下が、困ってしまわれるでしょう? なので、ついアルスが過剰に気になってしまって……」
そう物憂げに呟くオリヴィアの言葉が、何故かフィリアナの心にツキンと刺さる。そんな反応を見せたフィリアナに気がついたからか、オリヴィアは更に口角をあげて笑みを深める。
「そういえば……フィリアナ様も現状では、アルフレイス殿下の最有力婚約者候補と言われていらっしゃるとか」
「そ、そのような事は……」
「あら。でもここ4年間、殿下より頻繁にお茶に呼ばれ、この間もデビュタントとして参加された夜会で着ていらしたドレスが殿下から贈られた物だと、ご令嬢方の間で噂になっておりますけれど?」
いつの間にかオリヴィアの柔らかい笑みは、まるでフィリアナを値踏みするかのような策士的なものに変わっていた。その状況からフィリアナは、何故オリヴィアが急に庭の案内を嬉々として言い出したのか、その目的に気づく。
オリヴィアは、自分を出し抜くように急に第二王子の最有力婚約者候補として名が上がってきたフィリアナに探りを入れる為、庭の案内を言い出して現状の二人きりになれる状況を敢えて作ったのだ。
その事にやっと気づいたフィリアナは、過去自分に嫉妬による怒りをぶつけてきたエレノーラの姿が頭の中を過ってしまう。恐らく今後はオリヴィアから、あの時のように絡まれるようになるのだろう……。
そこまで想像したフィリアナは、油断していた自分を叱責するようにギュッと唇を噛む。
すると、いつの間にか到着していた庭園の入り口の前に立ったオリヴィアが、満面の笑みをフィリアナに向けながら、中に入るように促してきた。
「今から是非、フィリアナ様がアルフレイス殿下とどのくらい親しい間柄なのか、じっくりとお聞かせ頂きたいわ」
人形のように美しい銀髪の美少女に自信に満ち溢れた力強い笑みを向けられながら、これから尋問のような探りを入れられる事を宣言されたフィリアナは、思わずその迫力に圧倒され、小さく息をのんだ。




