26.我が家の愛犬はやり過ぎ傾向
アルフレイスとの交流目的の茶席を終えていたラテール兄妹は、かなり深刻な表情を浮かべながら、馬車に揺られていた。
その重苦しい空気の中、今回一番第二王子を怒らせたアルスは、フィリアナの隣で大欠伸をしながらまどろみ、子狐レイは遊んで欲しそうにロアルドに可愛らしいタックルを無邪気に繰り出していた。
そんな飼い主とは対照的にのびのびとした様子で過ごす動物達をしばらく無表情で眺めていたロアルドが、元気にタックルをしてくるレイをあっという間に捕まえ、膝の上に乗せた。すると、自由を奪われたレイがジタバタともがき始める。
そんなレイをロアルドは無表情のまま何度も撫でてやると、次第にレイの動きが静かになり、いつの間にか目を細めてまどろみ始めた。
そんな癒しを求めるように子狐を撫で付けていた兄の様子を同じく虚な瞳で眺めていたフィリアナが、ゆっくりと口を開く。
「兄様……。今回の作戦、失敗だったと思う……」
すると、ロアルドが返事の代わりに盛大なため息をついた後、同じようにゆっくりと口を開きながら妹の呟きに答える。
「奇遇だな。兄様も全く同じ意見だ……」
「………………」
すると、馬車内が一瞬だけ静まり返り、しばらく気まずい空気が流れた。そんな空気に耐えかねたようにロアルドが、両手で頭を抱えながら前屈みになる。
「というか……何故、殿下はまだ2回程しか顔合わせをしていないフィーをそこまで気に入ってしまったんだ?」
「私にも分かんないよぉ……」
「フィー。お前、何か殿下の興味を引くような事を無意識にしなかったか?」
「わ、分かんない……」
「じゃあ、やっぱりあれか? アルスがエレノーラ嬢のドレスをビリビリにした時の。あの時の令嬢らしからぬフィーの言動に興味を持たれたとか……」
「あの状況で令嬢らしくなんて出来ないよ! だってアルスを取り上げられるかもしれないって私、必死だったんだから!」
「その必死さが面白くて殿下の興味を引いたんじゃないのか……?」
「もしそうなら、アルフレイス殿下はとても性格が悪いと思う! そんな人の婚約者になんて私、絶対になりたくないよ! 兄様! 何とかしてよぉー……」
「うーん、何とかって言われてもなぁ……。あとは、さっさとフィーが誰かと婚約してしまうくらいしか思いつかないぞ? そもそもフィーは気になる令息とかいないのか?」
すると、フィリアナが眉間に小さなシワを作る。
「私、まだ9歳だから、よく分からないよ……。それに婚約相手って、お父様が決めてくれるものなんでしょ?」
妹のその返答にロアルドが「そうだよなぁ……」とこぼした後、深いため息をつく。
早熟な令嬢であれば、この年齢でも十分初恋を経験しているかもしれないが、ロアルドは自身の妹が一般的な令嬢のように恋に恋い焦がれるタイプではない事を十分理解していた。
そもそも下手をしたら、妹は年頃になっても恋愛に興味を持つ可能性が低いとも思っている。
それでも現状の第二王子の猛アプローチ宣言を覆せる一番の方法は、フィリアナが早々に婚約者を得てしまう事なのだ。そんな状況なのでロアルドは妹の男性の好みを一応、確認してみる。
「ちなみにフィーは、どういう令息だったら婚約したいって思えるんだ?」
「どういうって……。全部言ってもいいなら……強くて、頭もよくて、性格もよくて、意地悪な言い方をしない優しい人で、家柄も伯爵家以上で、領地はうちの近くで、何よりも一番大事なのは私と同じくらいアルスとレイを可愛がってくれる人がいいなー」
「お前、色々と相手に求め過ぎじゃないか……?」
「だから全部言ってもいいならって最初に言ったでしょ!? でもこの中で絶対に外せない条件は、強くて優しい事と、アルスとレイを大事にしてくれる事かな?」
「嫁ぎ先が遠くなるのは、多少我慢出来るって事か?」
「うん。だって強くて優しい人だったら、これからは兄様じゃなくて、その婚約者様が私の事を守ってくれるでしょう?」
「お前、とことん誰かに頼って生きていく気満々だな……」
「そんな事ないもん! 自分で何とか出来る時はちゃんと自分で何とかするもん! でも……私、兄様みたいに何でも出来る訳じゃないから……。だから自分でどうにも出来ない時は、誰かに助けて貰うしかないでしょ? でも今まで何でも解決してくれる兄様に助けて貰う事に慣れてしまっているから、兄様以下の人だと、素敵って感じないと思う……」
フィリアナのその言い分にロアルドが、左手で両目を覆う。
「それは……もしフィーが行き遅れたら兄様の所為って事か?」
「兄様が何でも出来過ぎるのがいけないんでしょ!?」
「兄様はそこまで完璧じゃない! 大体、さっきお前が言った条件に該当する令息なんているのか?」
「いるよ!」
「例えば?」
「まず兄様でしょ?」
「兄様は倫理上、お前と結婚するのは無理だから却下だ」
「例えばの話だから! あとはセルクレイス殿下と……」
そこで何故かフィリアナの隣で眠りこけていたアルスが、ガバリと立ち上がる。
「それと、シーク様!」
フィリアナがそう叫んだ瞬間、アルスが不満を爆発させたように急に吠え始める。
「ア、アルス!? 急にどうしたの!?」
「バウ!! バウ、バウ、バウ!!」
「あー……。この低い鳴き声だと今のフィーの発言が、かなり気に食わなかったみたいだな……。アルス、安心しろ。セルクレイス殿下には、ルゼリア様という強くて美しい優秀な婚約者がいらっしゃるし、シーク様は二カ月前に婚約された上に今から三カ月後に挙式予定だから、フィーを取られる事は絶対にないぞ。そもそもシーク様だと、年齢が離れすぎだろう……」
すると、ロアルドのその話にアルスではなく、何故かフィリアナが大きく反応した。
「ええっ!? シーク様、いつの間にご婚約されたの!? しかも今から三カ月後に挙式って……物凄く急だよね!?」
妹からの鋭いツッコミにロアルドが、何とも言えない微妙な表情を浮かべる。
「フィーよ。世の中には大人の事情というものがあるんだ。シーク様は、その大人の事情で早く挙式しなければならなくなったんだよ」
「大人の事情……。もしかして政略婚?」
「いや? お相手はルゼリア様付きの女性護衛騎士の子爵令嬢だから、シーク様とは同僚で元々交流があった女性らしい。だけど一人娘だから、早く入り婿を得たかったんじゃないか?」
「それじゃ、将来的にシーク様は子爵になるって事?」
「まぁ、そういう事になるなー。でも子爵になる前にシーク様は、もっと責任を取らなければならない事があるから、今回の急な婚約はそっちの意味合いの方が大きいと思うけれど」
「何、それ?」
兄の言っている意味が分からないフィリアナは、アルスを宥めながら再び眉間に皺を刻む。
そんな妹の様子に苦笑したロアルドだが、現状自分達が抱えている問題の事を思い出し、途方に暮れるように天井を仰ぐ。
「まぁ、この状態だと早々にフィーの婚約者を見つけて殿下を回避する作戦は無理そうだな……。とりあえず、今後の殿下がどういう出方をしてくるか様子を見ながら、その都度対策を立てて行くしかないかぁ」
「でも兄様、来年から王立アカデミーに入学してしまうでしょう……? そうしたら私、一人で殿下と戦わなきゃいけなくなるよね?」
「アルスがいるのだから一人じゃないだろう? 今後は殿下との面会時は、出来るだけアルスを膝上に乗せておけ。もし殿下が婚約の申し入れをして来そうな素振りを見せ始めたら、アルスに暴れて貰えばいいんだよ」
「そんな事をしたら、アルスが檻に入れられちゃうよ……」
「そうならないようにフィーが、しっかりアルスを抱きしめておけばいいんだ。アルスには容赦ない殿下でも、婚約を申し込もうとしているフィーに対しては、アルスを取り上げるような無理強いはしてこないだろう?」
「そうかな……。でもこの間の事を思い出すと、それも通用しないかもしれないよ?」
「あとは、殿下と交流する日を出来るだけ週末にして貰え。そうすれば僕も一緒に登城出来るから、安心だろう?」
「王族相手にこっちの希望日に合わせてもらう事なんて出来るの?」
「『出来るの?』じゃなくて、やるんだよ。その日以外は無理だって言い張って。それでも無理強いしてきたら、病気のふりをして断るんだ!」
「そっか……。私、兄様がいる日を面会日にする為に病気のふりを頑張る!」
アルスを小脇に抱えながら、力強くそう宣言したフィリアナだが……。
この三日後、兄妹は第二王子の狡猾さを甘く見過ぎていた事を大いに反省する事になる。
登城から三日後、ラテール伯爵邸に第二王子から赤い薔薇が一輪、フィリアナ宛で届いたのだ。
その第二王子からの贈り物である一輪の赤い薔薇が置かれたサロンのテーブルの上をフィリアナとロアルドは、父フィリックスと共に無言で見つめていた。すると、その重苦しい空気を何とか払拭しようと、父フィリックスがやや引きつった笑みで珍しくおどけるような事を口にする。
「赤い薔薇を一輪だけとは、王族である殿下にしては、ずいぶん控えめな贈り物だな?」
「父上……。赤い薔薇を一輪だけ相手に贈る行為には『あなたに夢中』や『あなただけ』という意味があります……」
「………………」
ロアルドが無駄に持っていた豆知識を披露すると、更にその場の空気が重くなる。すると、その空気を跳ね飛ばしそうな雰囲気をまとった母ロザリーがアルスとレイを引き連れ、サロンに入ってきた。
「あなた達、こんなところに勢揃いしていたの? フィーの姿が見当たらないようで、アルスとレイが私のところに縋りついてきたのだけれど……」
すると、ロザリーがサロンに来た経緯を説明をしている最中にアルスは、一目散にフィリアナの方へと駆け寄った。その様子を確認したロザリーは苦笑しながら「それじゃ、あとはお願いね」と言って、アルス達をフィリアナに託し、サロンを出ていった。
すると、アルスが長椅子のフィリアナの横に陣取り、鼻をピスピスさせながら寂しかった事を訴えるように甘えだす。そんな反応をみせてきた愛犬から、先程故意に自室に置き去りにしてきた罪悪感にフィリアナが駆られ始めた。
「アルス、置いてきてしまって、ごめんね……。でも、これを見たら、アルスは絶対に不機嫌になると思って……」
そう言ってフィリアナは、甘えてきたアルスに頬ずりをした後、再びテーブルの上に並んでいる問題の品に視線を落とす。
すると、長椅子から降りたアルスが行儀悪くテーブルの上に乗り上がり、赤い薔薇を咥えた。その様子を三人がジッと眺めていると、アルスはそのままテーブルの上から飛び降り、何故か部屋の出口の方へと向かう。
そんなアルスの動きに合わせるように給仕のオリバーは、とりあえず扉を開けた。すると、アルスはその扉の隙間から顔だけ出すと、勢いよく頭を振って咥えていた赤い薔薇を投げ捨てるように床に叩き落とす。そして何食わぬ様子でカチャカチャと爪音を立ててフィリアナの元へ戻り、フィリアナの隣を陣取った後、その膝上に顎を乗せてまどろみ始める。
そんなアルスの行動に三人とオリバーが、唖然とした表情を同時に浮かべる。
だが、その状態から一早く復活したロアルドは、すぐさまアルスにツッコみを入れた。
「アルス……お前、嫉妬の仕方が酷過ぎやしないか?」
「わふっ!」
「いや、『わふっ』じゃなくて!」
薔薇を室外に投げ捨てた事を何故かアルスが達成感に満ちた様子で誇らしげに主張する。その愛犬の様子にフィリアナは思わず吹き出した後、満面の笑みでアルスを過剰に撫でまわし始めた。
「アルス~! 偉い、偉い!」
「こら、フィー! 今のは明らかに注意案件だぞ!? 褒めたらダメじゃないか!」
「えー? でもアルスは私が困っているのを感じてくれたから、ああいう行動をしてくれたんだよ? 私の為にやってくれたのだから、しっかり褒めてあげないと!」
「お前、それ殿下に対して不敬になるからな……」
「こっちの気持ちも考えないで、一方的に自分の要望を押し通そうとしてくる殿下の方が失礼だもん! ねぇー? アルスゥ~」
そう言ってフィリアナがアルスをギュッと抱きしめると、アルスが満足げに勢いよく尻尾をブンブンと振る。すると、その後ろにくっ付いていたレイが、その尻尾の被害に遭ってしまい、ロアルドの方へと逃げてきた。そんなレイをロアルドは抱き上げ、労わるように優しく撫でる。
だが、その表情はどこか厳しいものだった。
「父上、この状況、非常にまずいと思うのですが……」
「ああ。恐らく殿下は、フィーの関心を引く事よりも贈り物などをする事で、ご自身がフィーに好意を抱いていると周囲に印象付けて、婚約に結び付けようとしているな……」
「完全に外堀から埋めていく作戦ですね……。このままだと殿下の思惑通りになってしまいます。あの……父上から殿下に贈り物は控えて頂くよう進言して頂けませんか?」
「もちろん、そのつもりだが……。私が言うよりもフィー本人から言わせた方がいいだろう」
「ですよね……」
そう言って二人は、アルスと無邪気にじゃれ合っているフィリアナの方へと視線を向ける。
しかしこの後、第二王子が贈り物以外で外堀を埋めるような動きをしてくる事には、この時の三人と一匹は、全く予想していなかった。




