24.我が家の愛犬はやる気に満ち溢れている
第二王子アルフレイスからの要望をアルスを犬質に取られた事で、承諾するしかなかったフィリアナが、帰りの馬車の中で王家との話し合いが終わった父と兄にその事を話す。
すると、二人とも苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「フィー……。なんでお前は後先考えずに勝手にその要望を受けてしまうんだよ……」
「だ、だって! もし断ったら、アルスを取り上げるような言い方をされたから!」
「お前がその話を持ち出されている時、僕と父上はそのアルスの今後について王家と話し合っていたんだぞ!? そんな大事になっている状態で、いくらアルスの本来の飼い主であるからって、第二王子の我が儘が通る訳がないって気づかなかったのか!?」
「だったら何で兄様は、お父様と一緒に陛下との話し合いに行ってしまったの!? 兄様が一緒だったら私、そんな簡単に騙されなかったもん!」
「お前はー……。そろそろ兄様にすぐ頼ろうとする癖を直さないとダメだぞ? 来年から僕は王立アカデミーに入学後、寮生活になる。そうしたら週末以外は家には帰って来ないから、お前が頼りたくてもすぐには助けてやれないんだからな!」
兄のその言葉にフィリアナの顔色が一気に青くなる。
「に、兄様……来年から学生寮に入っちゃうの?」
「この間、その話を夕食の時にしただろ!? お前、聞いていなかったのか!?」
「だ、だって授業が終わったら帰ってくるって言ってたから私、てっきりこのお邸からアカデミーに通うのかと……。だから夕方以降は、兄様がいるって思ってたのにぃ……」
「帰ってくるのは週末だけだ! そもそもうちからアカデミーまで片道二時間近くかかるんだぞ!? そんな生活を五年間も続けていたら、その移動時間が勿体無いだろう!」
「そ、そんなぁ……」
今後も兄に頼る気満々だったフィリアナが愕然とした表情を浮かべると、ロアルドが呆れ果てた表情で白い目を向ける。だが、ロアルド以上に険しい表情を浮かべている人物がいた。二人の父、フィリックスである。
「フィー……。殿下はお前に『友人になって欲しい』とおっしゃられたんだよな?」
「うん……」
「その状況が、周囲の人間から殿下と親しい間柄だと思われてしまう可能性がある事には気づいていたか?」
「一応……。で、でも! それを受け入れないとアルスを取り上げられそうになったから!」
「お前、完全に殿下に嵌められたな……」
ロアルドのその呟きにフィリアナが、ビクリと体を強張らせる。
フィリアナもその先のリスクを考えていなかった訳ではない。アルフレイスから打診された『友人になって欲しい』という要望は、周囲にフィリアナを婚約者候補と思わせ、野心的な目的で近づいてくる令嬢避けを目的にしているものだからだ。
だが、アルスの身柄を交渉材料に出されてしまったフィリアナは、その要望を受け入れるしかなかった……。
そんな状況だった為、今回は不可抗力だったとフィリアナは訴え始める。
「だったら、どうすれば良かったの!? あのままじゃ、絶対にアルスを取られてたもん! そんな事になるくらいなら、私がしばらくの間、殿下の虫除けをやればアルスは、ずっとうちにいられるでしょ!?」
フィリアナのその主張にフィリックスとロアルドが、同時に深いため息をつく。
「フィー……。お前はなんて残念な子なんだ……」
「な、何で!? 私、間違った事していないよね!?」
兄からの『残念な子』宣言に自分が何をやらかしてしまったのかが、全く分からないフィリアナが慌て出す。
すると、父フィリックスが重苦しい口調でゆっくりと口を開いた。
「フィリアナ、お前はアルフレイス殿下の婚約者候補として、周囲から見られてしまう事までは気づけたが、その後にも発生するリスクには気づかなかったのか?」
「その……後……?」
「殿下が令嬢避けにお前を婚約者候補として周囲に印象付けた後、そのまま本当にお前を婚約者として迎入れようとしている可能性は考えなかったのか?」
父から放たれた衝撃的な発言にフィリアナが、目をまん丸にする。
「え……? で、でもうちは伯爵家と言っても、そこまで身分は高くないよね……?」
「お前、父上が陛下とアカデミー時代からの親友だって情報、忘れていないか? うちは確かに王族と繋がりが持てるような身分ではないけれど、領内から優秀な魔導士を城に斡旋しているし、当主の父上は学友時代の延長で現陛下から信頼を得ているから、もしアルフレイス殿下がお前との婚約を本気で望んだら、そのまま話が進んでしまう可能性が高いんだぞ!」
兄のその言い分にフィリアナの顔色が、一気に青ざめる。
「う、うそ……。だって私だよ!? 身分の高い侯爵令嬢になんの迷いもなく反撃する令嬢らしくない私だよ!?」
「フィリアナ……。世の中には、お前のように少々毛色が変わった令嬢を『面白い』と感じ、興味を抱くやんごとなきお方が少なからず存在するんだ……」
「お父様、酷い! 可愛い娘を珍獣みたいに言わないで!」
「安心しろ。フィーは、一般的な令嬢の基準で考えた場合、立派な珍獣令嬢になるから父上のお前の扱いは、間違っていないぞ?」
「兄様は黙ってて!」
「軽率に殿下の要望を承諾してしまったお前には、言われたくない!」
狭い馬車の中で言い合いを始めてしまった子供達にフィリックスが呆れながら盛大なため息をつく。そんな反応を見せる父親の様子から、自身が第二王子の婚約者に選ばれてしまう可能性が、かなり高い事をフィリアナが実感してしまう。
「兄様……どうしよう……。もし殿下から婚約を申し込まれたら、私はどうなるの?」
やっと自身が置かれている状況に危機感を抱き始めた妹にロアルドも盛大に呆れながら、その後どのような流れになるかの予想を口にする。
「そうだな……まずお前は、これまで以上に厳しい淑女教育を受けることになる」
「…………っ!」
「その後は、殿下の相手役として、茶会や夜会への参加が義務となる」
「義務……」
「最終的には臣籍に降下した殿下が、王家預かりの辺境伯領を賜ると思うから、殿下が成人後もフィーとの婚約が続いていた場合、お前は辺境伯夫人として殿下と共に生涯そこで生活する事になるだろうな」
「へ、辺境伯夫人!?」
中堅伯爵クラスの令嬢から、いきなり国の守りの要でもある侯爵家と同じくらい地位の高い辺境伯の妻になる可能性がある事にフィリアナが焦りだす。
「わ、私じゃ辺境伯夫人なんて無理だよ……。だって、そんな遠くに住む事になったら、すぐ兄様に助けを求められないよね!?」
「お前……嫁いだ後も兄様を頼る気なのか?」
「だって『困った時は、すぐに兄様に!』って言ってるのは、兄様自身でしょ!? 私、辺境伯領なんて遠いところに行くの嫌だよぉ……。兄様……どうしたらいいの?」
「何で僕に聞くんだよ……。そもそも、こればかりはアルフレイス殿下次第だから、兄様でもどうにも出来ないぞ?」
「でも兄様は、いつも言い掛かりみたいな事を言って相手を丸め込むのが得意でしょ? だから何とか出来ない?」
「お前……それ、ただの悪口だからな!」
「違うもん! 私、ちゃんと兄様の事、褒めてるもん!」
第二王子対策で言い争いを始めた子供達にフィリックスが、遠い目をしながらその様子を傍観する。すると、フィリアナの隣の座席で丸まっていたアルスが、いきなりスクッと立ち上がり、その上で寝ていたレイが転げ落ちそうになった。
それを向かい側に座っていたロアルドが、いち早く気づき、慌てて両手でレイを受け止める。
「わわっ! アルス! 急に立ち上がるなよ! レイが床に転げ落ちるところだったぞ!?」
「わふっ!!」
「いや……『わふっ!』じゃなくて! 今、お前のせいでレイが危ない目に……」
「わふっ! わふっ、わふっ、わふっ!」
ロアルドに叱られかけているにもかかわらず、アルスは何故か胸を張るようにやけに姿勢の良い立ち姿で、何かを主張するように吠え始める。
そんなアルスの不可解な行動にロアルドだけでなく、フィリアナも怪訝そうに首を傾げた。
「アルス、急にどうしたのかな?」
「何かを主張しているのだろうけれど……。アルス! わふわふだけじゃ分からないぞ?」
ロアルドのその言い分にアルスは、勢いよく座席から飛び降り、まるでフィリアナを背後に庇うような位置で陣取った後、再びわふわふと吠え出す。その行動で何を訴えているのか見当も付かなかったラテール兄妹は顔を見合わせ、更に大きく首を傾げる。すると、その様子を傍観していた父フィリックスがある事に気づき、口を挟んだ。
「もしかしてアルスは、自分がフィーと殿下の仲を邪魔するから、任せて欲しいと言っているのではないのか?」
その推察を聞いた二人が、父親からアルスへと勢いよく視線を向ける。
「そうか……アルスなら殿下に噛み付いても不敬にはならないよな!? アルスに邪魔して貰えばいいんだよ!」
「でも、さっきアルスが暴れそうになったら、殿下はアルスを檻に入れようとして押さえ込んできたよ?」
「そうさせない為にフィーもある条件を突きつけて、殿下を牽制するんだよ! 例えば……『結婚するならアルスも気に入った男性でないと嫌だ』とか言って!」
「それであの殿下が、大人しく引いてくれるかな……」
「引かせるしかないだろう……。まぁ、その前に本当に殿下がお前を婚約者に望むかどうかが、まだはっきりしていないから何とも言えないけれど……」
「殿下は、面白がっているだけにしか見えなかったよ?」
「それは兄様も同じ考えだ。でも……まだお前も殿下も子供だから、この先どうなるか分からないだろう?」
そのロアルドの言い分にフィリアナが過剰に反論する。
「私は殿下の事は絶対に好きにならないもん! だってアルスを犬質に取るような事を言って、私に令嬢避けをさせようとしているんだよ!? そんな性格が悪い人、絶対に好きにならないもん!」
「分からないぞぉ〜? 殿下は性格はともかく見目麗しいお顔立ちをしているからなー。フィーだって、年頃になればコロッと好きになってしまうかもしれないぞ?」
「見目麗しいお顔立ちなら、セルクレイス殿下で見慣れてるもん!」
「あー……確かに。アルフレイス殿下よりもセルクレイス殿下の方が、いかにも王子様というキラキラした見た目だもんなー」
そんな話をしていたら、先程まで自信満々の様子だったアルスが、何故か切なそうな鳴き声を出しながらフィリアナに擦り寄ってきた。
「クーン……」
「どうしたの? 今度は急に甘え出して……」
「クーン、クーン……」
「さっきフィーがセルクレイス殿下の事を褒めたから、いじけているんじゃないか?」
「そうなの?」
フィリアナがアルスの顔を覗き込みながら確認すると、その事を肯定するようにアルスが、切ない鳴き声を出しながらフィリアナの足に甘えるように頭をグリグリと押し付けてきた。そんな愛犬の愛情表現に思わずフィリアナの口元が盛大に緩む。
「大丈夫だよ! 私の中で一番かっこいいのはアルスだから!」
そう言ったフィリアナは、アルスをギュッと抱きしめて頬擦りする。
すると、アルスがフィリアナの顔をぺろぺろと舐め出した。
「お前達、本当に仲良しだよなー。いっそアルスが、人間だったら良かったんじゃないか?」
「そうしたら、このフワフワの毛が撫でられなくなるから、それはちょっと……」
「アルス、フィーはお前の体が目当てみたいだぞ?」
「わふっ!」
ロアルドに意地の悪い物言いをされたアルスだが、フィリアナにわしゃわしゃと撫でられながら、何故か満足げに尻尾をブンブンと振る。
その反応にロアルドが心底呆れた表情を浮かべた。
「お前……本当ぉぉぉーに、それでいいのか……?」
「わふっ、わふっ!」
「お前がそれでいいのであれば、僕はもう何も言わないよ……」
「わふっ!」
そんなアルスと子供達のやり取りを何故か父フィリックスだけは、複雑な表情を浮かべながら眺めていた。




