15.我が家の愛犬は反省中
王家が主催するお茶会から早々に離脱したラテール親子は、自宅に向かう馬車に揺られていた。
その間、父フィリックスより近々王家から、アルスの件で登城するよう呼び出しがかかるであろう事を二人は聞かされる。すると、先程の第二王子との会話内で気になる事があったロアルドが、父フィリックスに質問し始める。
「父上、先程のアルフレイス殿下が口にされていた『アルスの主に選ばれる事は簡単な事ではない』と言うのは、一体どういう意味なのですか? そもそも僕達は、すでに殿下がアルスの主に選ばれているのだと思い込んでいたのですが……」
息子のその質問にフィリックス気まずそうな笑みを浮かべる。
現在12歳となったロアルドは三年前とは違い、今ではすっかり大人っぽい口調となり、フィリックスの呼び方も『父様』から『父上』呼びに変わっていた。
そんなロアルドは、成長と共に思考力もかなり上がっているようで……。
第二王子とアルスの間に主従関係の契約が交わされていない事を父親が故意に隠していた事に気が付いてしまったのだ。そんな息子の成長に少し寂しさを感じつつも、フィリックスは投げかけられた質問に答える。
「殿下のお言葉の通りだ。詳しくは登城した際、陛下より説明があると思うが……。アルスは自分自身の意思だけでは、主となる相手を選べないらしい」
その父の言葉に馬車の中でアルスと戯れていたフィリアナが、ピタリと動きを止めた。対するロアルドは、自分の予想が当たっていた事に「やっぱり……」と呟いた後、眉間にシワを作る。
「おかしいと思ったんだ……。もしアルスが自分で主を選べるならば、早々に王妃様やセルクレイス殿下が選ばれているはずだし。そもそも現状で、フィーが主に選ばれていない事が不自然だったから……」
すると、父と兄の話を聞いていたフィリアナが、馬車の座席で仰向けに寝っ転がっているアルスの腹を撫でながら、自分の中に生まれた疑問を父に投げかける。
「じゃあ、自分でご主人様を選べないアルスは、どうやったら選ぶ事が出来るの?」
今度は娘から質問をされたフィリックスが、困ったように笑みを浮かべる。
「それが……今はまだ分からない状態なんだ。聖魔獣に主として選ばれた人間は、互いに魔力が共有されるような感覚があるらしい。だが、アルスの周辺にいた人間で、そのような感覚を抱いた者は現状いない。そもそも主に選ばれる人間は、その聖魔獣にやたらと懐かれるので、現状その可能性が一番高い人間はフィーなのだが……」
父にその感覚がなかったかと確認されるようにチラリと視線を向けられたフィリアナだが、残念な事に今まで一度もそういう感覚はなかったので、静かに首を横に振る。すると、その状況を面白がるようにロアルドがフィリアナを揶揄い始めた。
「フィー。お前、普段ボケッとしているから、本当はすでにアルスと主従契約済みなのに気がついていないだけじゃないのか?」
「そ、そんな事ないよ! だって私、アルスの魔力みたいなの感じた事なんてないもの! もし主従関係が成立していたら魔力が共有されるから、アルスが使える属性魔法が私にも分かるって事でしょ? でも私、全く分からないもん……」
フィリアナが、がっくりしながら自身の腕の中にズボッと首を突っ込んできたアルスに視線を向けると、アルスが不思議そうに首を傾げてきた。その仕草が愛らしかった為、フィリアナはギュッとアルスに抱きつき、日々のブラッシングでホワホワしているアルスの柔らかい毛を堪能し始める。
そんな様子から、すでに妹がこの話への興味を失った事を察したロアルドが、呆れ顔を浮かべながら先程の会話の続きを父親と再開する。
「父上、ちなみに王家の方ではアルスのこの状態を把握しているのですよね?」
「ああ、もちろん」
「ならば現在、アルスと主従関係を結ぶ方法は調査中という事ですか? でもそれってあまり良くない状況ですよね? だって魔力が高過ぎるアルスに未だ主がいない状態なのだから。この先アルスが素行のよくない人間を主に選んでしまう可能性だって捨てきれませんよね?」
あまり歓迎出来ない可能性を口にすると、ロアルドが難しそうな顔を浮かべる。そんな反応を見せる息子にフィリックスが苦笑した。
「確かにあまり良くない状況だが……。お前が懸念しているような事態にはならないと思うぞ? そもそもプライドの高いアルスが、そんな人間を気に入るはずがないだろう。仮にもしそういう輩が、アルスが強強制的に主従関係を結ぼうとしてきたら、アルスは相手を噛み殺すくらいの勢いで抵抗すると思うぞ?」
「た、確かに……。今のアルスだと、それぐらい噛む力はあるかも……」
すると、先程まで話に興味なさそうにアルスを堪能していたフィリアナが突如、口を挟んできた。
「いくら悪人相手でもアルスは、そんな恐ろしい事なんかしないよ!! 兄様もお父様も怖い事を言わないで!!」
そして話題となっているアルスもフィリックスの話に不快感を抱いたらしく、フィリアナの腕からスポンと抜け出し、フィリックスが履いている宮廷魔導士達に支給されているブーツにガジガジと噛みつきだした。
「アルス……。お前は一体、私のブーツを何足ダメにしたら気が済むのだ?」
「今のはお父様が悪いのだから、ブーツをダメにされても文句は言えないと思う!」
「ロアルド……。娘の父に対する優先順位が犬以下になっているのだが……」
「父上、知らなかったのですか? フィーはアルス至上主義ですよ? ついでにアルスの方もフィー至上主義ですけれど」
息子からのその情報に何故かフィリックスが、あからさまに不満そうな表情を浮かべ、眉間に深い皺を刻む。
「物凄く両思いじゃないか……。父親としては非常に複雑な心境なのだが」
「父上……。犬にまで変な嫉妬心を抱かないでください。これではフィーが将来結婚する時の事を考えると、先が思いやられます」
「やめてくれ! フィーは少し前まで『大きくなったらお父様のお嫁さんになる!』と言ってたのだぞ!? それなのに……そんな恐ろしい未来を想像させないでくれ!」
「そうなんですねー。でも僕にも昔、同じように『大きくなったら兄様と結婚する!』と言っていましたけど」
「そ、そうなのか……?」
「ええ。ちなみにシーク様にも同じ事を言っていましたね」
「おのれ……シークめ!」
今より更に幼かった頃に自分の気に入った相手へ手当たり次第、求婚していた娘の事は責めず、その相手に憎悪を抱き始めた父親にロアルドが呆れ始める。
そんな会話をさらりと聞き流していたフィリアナは、父親のブーツに噛みついていたアルスをひっぺがし、再び自分の隣に座らせ、そのフワフワの毛質を堪能するようにアルスを撫で回し始めた。
そのあまりにも仲の良い様子にロアルドが、ある懸念を口にする。
「まぁ、今一番の心配は、今回の事で王家がアルスを匿う場所を我が家から、別のところに変更しないかと言う事ですかね? もしそうなったらフィーは、この世の終わりのように絶望して部屋から出てこなくなりますよ?」
「それはないだろう。そもそもアルスは未だに人間不信は拗らせたままだからな……」
父親の返しにロアルドが驚きの表情を浮かべる。
そんな息子にフィリックスが苦笑する。
「我が家では、もうすっかり馴染んでしまっているので気づかなかったと思うが……。アルスは未だに初めて目にした人間に対して異常な程の警戒を見せる……。例えばここ最近、我が家に出入りしている商人や、新たに雇った使用人、警備の者などに対して、アルスはよく吠えているだろう? あの行動は、未だに自分を狙っている刺客がいるのではないかと疑っているからだ」
「そういえば、新しく雇った護衛のグレイが、やっとアルスに吠えられなくなったって喜んでいたような……」
「グレイは、ロザリーの実家の遠縁にあたる青年なので、怪しいという部分は一切ないのだけれどな」
「でもこの間、フィーにせがまれて肩に乗せていたから、その件でアルスを怒らせた可能性はありますが」
「アルスは、どこまで嫉妬深いんだ……?」
「アルスのフィーに対する独占欲と執着心は凄いですよ? 僕でさえ、たまに嫉妬心をむき出しにされて噛みつかれる事があるので」
ロアルドのその話にフィリックスが眉間に寄った険しい皺を指で押さえる。
「フィーの将来が心配だ……」
「大丈夫じゃないですか? もしフィーがどこかに嫁ぐ際は、アルスも一緒に連れて行けばいいと思うので」
「そういう問題ではないだろう? そもそもアルスの正式な飼い主は、アルフレイス殿下だからな?」
「そうでしたっけ?」
まるでアルスの所有権がフィリアナにあるような返答をしたロアルドは、先程から楽しそうにじゃれ合っているフィリアナ達に混ざり、一緒になってアルスを撫でまわし始めた。
そんな二人と一匹の様子をフィリックスは、邸に着くまで呆れ顔で眺めていた。
それから二日後――――。
王家から呼び出しがあり、フィリアナとロアルドはアルスも連れて、父と共に登城する事となった。
しかしアルスは、今回の登城に関して非常に後ろ向きの姿勢を見せる。
「アルス、どうしたの? 折角セルクレイス殿下にお会い出来る機会なのに……」
「きっと今日は自分が怒られるって分かっているんだろう? この間、勝手についてきた罰だぞ?」
「クーン……」
ロアルドから手厳しい事を言われたアルスが、耳と尻尾をペタンとさせながら、フィリアナにすり寄る。そんなアルスをフィリアナは大きく腕を広げ抱きしめながら、兄をキッと睨みつけた。
「兄様! アルスは十分に反省をしているのだから、意地悪な事を言わないで!」
「フィー。世の中には、いくら反省しても取り返しがつかない事もあるんだぞ?」
「でもたった一度の失敗をネチネチ言うのは、良くないと思う! 兄様の陰険!」
「兄様は陰険じゃない! アルスがまた同じ失敗をしないように厳しめに注意しているだけだ! 大体、フィーはアルスに対して甘すぎるぞ!?」
「甘くないもん! 兄様がアルスに意地悪すぎるだけだもん!」
「『もん』じゃない! その語尾に『もん』って付けるの、いい加減にやめろよ! そろそろレシリア先生から令嬢にはあるまじき言葉使いだと本格的に注意されるからな!?」
「わ、私、語尾に『もん』なんてつけないも……の」
「あぁー! 今、付けかけただろう!?」
「つ、付けかけてないよ!!」
一週間前と同じ騒がしい状況になった馬車に揺られ、父フィリックスは呆れ返るように窓の外に視線を向ける。どうやら我が子達は伯爵家の生まれにしては、かなり自由に育ち過ぎているらしい。
帰ったら二人のマナー教育を担当してくれている叔母のレシリアに、もう少し厳しめの教育を行えないかと相談する事をフィリックスは検討し始めていた。
そんな賑やか過ぎる状況の馬車に揺られ、登城したラテール親子とアルスだが……。
ここでまたしてもアルスが、ロアルドとフィリアナの寿命を縮めるような行動をしてしまう。
三人と一匹は、登城してすぐに城内の最奥にある国王一家が生活をしているエリアの談話室のような部屋に案内されたのだが……。
入室した瞬間、アルスは室内の大きな円卓を回り込みながら、その中央に座っているリートフラム国王であるリオレス目掛けて、いきなり飛び掛かったのだ。
この瞬間、ロアルドは『不敬罪で爵位剥奪後に国外追放』という言葉を思い浮かべ、フィリアナの方は『一家全員処刑』という未来を思い描いてしまい、二人は同時に発狂するような叫び声をあげた。
しかしそんな悲痛な叫びをあげる二人の予想よりも国王リオレスは、遥か上を行く行動に出る。
リオレスはいきなり自分に飛び掛かって来たアルスの頭部に、まるでカウンターでも合わせたかのような見事な拳骨を垂直に叩き込んだのだ。




