14.我が家の愛犬は第二王子嫌い
「いやぁぁぁぁぁぁー!!」
「うわぁぁぁぁぁぁー!!」
アルスの予想外の暴挙にフィリアナと、駆け寄ってきたロアルドが絶叫する。
対して盛大に噛まれているアルフレイスは「あっ、結構痛いかも」と、意外にも冷静な反応を見せる。恐らく以前アルスが城で生活していた際、頻繁に噛まれていたのだろう……。
だが自分達が三年間面倒をみてきた犬が、飼い主とはいえ王族に噛み付いている現状を目の当たりにしたラテール兄妹は、パニック状態に陥ってしまう。
「バカバカバカァァァー!! お前、第二王子殿下になんて事をするんだよ!!」
「ダメェェェー!! アルスッ!! ぺっ! 早くペっしなさいっ!!」
顔面蒼白状態で必死に第二王子の右手からアルスを引きはなそうと兄妹が奮闘するが、当のアルスはまるで蛇のような執念でアルフレイスに噛みつき続ける。
それでも何とかしてアルスを引き離そうと奮闘していた二人だが……その努力も虚しく、更なる悲劇が襲う。
「ぎゃぁぁぁー!! 血ぃぃぃー!! 兄様、血が出てきたぁぁぁー!!」
「アルスゥゥゥー!! お前、僕とフィーが王家への不敬罪で処罰されてもいいのかぁぁぁー!!」
そのロアルドの言葉が効いたのか、アルスは急に本来の飼い主に噛みつく事をやめた。だが、その反動で引き離しに奮闘していた兄妹は、揃って後ろ側に尻餅をつくように転がってしまう。
そんな二人にアルフレイスが、父フィリックスから受け取ったハンカチで血を拭いながらが「二人とも大丈夫?」と呑気に話し掛けてきた。
「で、殿下ぁ……この度の失態は、全て僕に責任があります……。で、ですので、どうか……妹だけには寛大なご対応を!!」
「に、兄様は悪くありません!! アルスがこんな事をしてしまったのは、全部アルスを甘やかしてしまった私のせいです!! だ、だから……だから! 兄様とアルスを罰しないでください!! わ、私……私、何でもしますからぁ~!!」
珍しく涙目をしたロアルドと、すでにボロボロと泣き出してしまっているフィリアナの必死過ぎる様子にアルフレイスが、かなり困惑気味の苦笑を浮かべる。
「大丈夫だよ? この件について君達に責任を問うことはないから。単純に僕が飼い犬に手を噛まれただけなのだから、誰の責任でもないよ。そもそも僕はアルスが、まだこの城で暮らしていた時に毎日のように歯形が付く程、噛まれていたんだ。だからある意味、この状況には慣れているから気にしないで?」
美しい兄妹愛を見せる二人を落ち着かせるようにアルフレイスが、穏やかな声で二人を宥める。
対して今回盛大な不敬行為を平然とやらかしたアルスは、未だに兄妹二人に取り押さえられながらもグルグルと喉を鳴らして本来の飼い主を威嚇していた。
そんなアルスの態度にアルフレイスが、盛大にため息をつく。
「君は相変わらず母上と兄上以外には懐かないね……」
その言葉に兄妹が驚くような顔を浮かべる。
「あの……アルスは聖魔獣として殿下を主に選んだのではないのですか?」
そのロアルドの質問に対して、アルフレイスが困ったような笑みを返す。
「アルスは、あくまでも僕付きの聖魔獣候補として保護しているんだ。この子は、今まで保護した聖魔獣の中で一番魔力が高いからね。だけどアルスは、母上と兄上以外には懐かないんだよ……。でも魔力が高すぎるから、力のバランスの関係で下手に他の貴族と顔合わせをさせる訳にいかなくて……。だからラテール伯爵家での生活状況を初めて聞いた時は、もの凄く驚いたよ」
アルフレイスのその話にフィリアナが、パァーっと顔を輝かせる。
「じゃあ……じゃあ、アルスはまだ誰も正式なご主人様を選んでいないって事!?」
「フィー!! 殿下には敬語で!!」
「あっ……。た、大変失礼致しました!!」
兄からの指摘にフィリアナが慌てて謝罪をすると、何故か急にアルフレイスが吹き出した。
「君達、本当に面白いね。フィリアナ嬢、無理に敬語を使わなくてもいいよ? そもそも兄上と会話する際、君はかなり砕けた口調で話しているのだろう?」
「で、ですが……そういう訳には……」
「まだ子供の君には、堅苦しい言葉で会話をするのは難しいと思うし、公の場でなければ砕けた口調で構わないよ」
そう気遣う言葉をかけてくれたアルフレイスだが……。
自身もフィリアナより1つ年上なだけなので、同じく『子供』という枠組みに入る年齢だったりする。その事に違和感を抱きつつもフィリアナは、曖昧に笑って返答を誤魔化した。
すると、アルフレイスが話題を変えてくる。
「ところで君達は、この後どうするの? 会場の方に戻るのかな? 僕の方はエレノーラ嬢が騒動を起こしてくれた事で、今回のお茶会参加は見送ろうかと思っているけれど……」
アルフレイスのその質問にどう返答してよいか分からなかったフィリアナが、兄を頼るように視線を送る。その視線には『一刻も早くアルスを城から遠ざけたい!』という思いが込められていた。
それをロアルドが瞬時に読み取り、眉尻を下げる。
「僕達も本日は大人しく帰ろうと思います。今日は妹も色々ありましたので……」
ロアルドのその判断にアルフレイスが苦笑する。
「そっか。でもその前にフィリアナ嬢に確認したい事があるのだけれど……。今回の件でエレノーラ嬢に君から何か訴えたい事はあるかい? 例えば……今後社交場等では、なるべく彼女と顔を会わせたくないとか」
その話から先程アルフレイスがエレノーラに囁いた言葉をフィリアナが思い出す。確かに会いたくないという思いはあるが、だからと言って、まだデビュタント前の令嬢の未来を自分が奪うような発言が出来る程、幼いフィリナアにはその覚悟はなかった。
「その訴えをしてしまうと、エレノーラ様の将来に大きな問題が出てしまうと思うので結構です。ただ……もし可能なら、今後は私を社交場で見かけても会釈程度の挨拶のみで、それ以上は一切関わってこないで頂きたいです」
フィリナアの要望を聞いたアルフレイスが、何故か策士的な笑みを浮かべた。
「なるほど。文句は言わないかわりにもう自分には二度と関わってほしくないと。確かに下手に訴えて恨まれでもしてしまえば、更に嫌がらせを受けてしまう可能があるからね」
アルフレイスのその解釈にフィリアナが、ゆっくりと頷く。すると、苦笑を浮かべたアルフレイスが、小さく息を吐く。
「分かったよ。ではエレノーラ嬢には、毎回顔を合わせる度に君が彼女に不快な思いをさせてしまう事を気にしていると言う建前で、遠回しに君に接触を図る事を控えるようにこちらから促しておくよ」
「そ、そのような言い回しでエレノーラ様が大人しくなるでしょうか?」
フィリアナが不安そうな表情で確認するとアルフレイスが引き続き、策士的な笑みを深める。
「恐らく大丈夫だと思うよ? もし今後エレノーラ嬢が君に接触を図れば、それは彼女が君と親しくなりたいという意思があると判断し、王家が君達の親睦を深める為に全力でサポートすると伝えるから。その流れでは、社交界で自分が格下の伯爵令嬢である君と親睦を深めたいという噂が出回ってしまう事になるのだから、プライドの高い彼女には耐え難い状況になるからね。意地でも君を避けると思うよ?」
すると、先程から大人しく二人のやり取りを静観していたロアルドが口を挟む。
「その方法で、そんなに上手くエレノーラ嬢の嫌がらせを抑え込む事が出来ますかね……」
フィリアナも全く同じ事を懸念していた為、その兄の質問に同意するようにコクコクと頷く。すると、今度は意地の悪そうな笑みをアルフレイスが浮かべる。
「だから彼女がフィリナア嬢と仲良くしたがっているという噂を王家が故意で、広めると脅迫するんだよ。もし彼女が少しでも君に挨拶以外の接触を図ろうとした場合、即その対応をすると警告しておけば、もう二度と彼女はフィリナア嬢には突っ掛かってこないだろう? 仮に人を使って嫌がらせをしようとしてもラテール家がアルスを預かっている限り、王家の影が出入りしている事は彼女も理解しているはずだから、下手に手を出してこないと思うよ?」
天使のような笑みを浮かべながらも何とも意地の悪い対策案を口にしたアルフレイスにロアルドが笑みを浮かべたまま、口元を引きつらせる。
だが、フィリアナの方はそんなアルフレイスの策士的な一面よりもある言葉に大きく反応した。
「あ、あの! 今のお話では、私が安心出来るまで引き続き我が家でアルス……様を預からせて頂くという事でよろしいでしょうか!」
食いつくような勢いで質問をしてきたフィリアナの様子に一瞬、アルフレイスが目を丸くするが、すぐに吹き出す。
「う、うん。それで構わないよ。あとアルスの事は、僕の前でも普段通りに呼んであげて欲しいな。どうやらアルスは君達に他人行儀な接し方をされるのが気に食わないようだから。アルスの機嫌が悪いと、また僕が噛まれやすくなってしまうからね」
アルフレイスに苦笑気味に言われ、フィリアナとロアルドが同時にアルスへ白い目を向ける。しかし当のアルスは全く反省していないようで、そんな二人の視線を感じてもフンと鼻を鳴らし、開き直るような態度を見せた。
そんなアルスにロアルドが「お前、どこまで俺様犬なんだよ……」と言いながらしゃがみ込み、戒めるようにその口を軽く掴んで抑え込むと、嫌がったアルスが首を振ってその拘束から逃れる。
そのやり取りを見ていたアルフレイスが、やや寂しそうな笑みを浮かべた。
「君達は、とてもアルスの事を可愛がってくれているようだね……。正直、ここまでアルスに気に入られている様子を見せられると羨ましいよ」
「そうでしょうか……。妹はともかく、僕はよくアルスに歯形がつくほど、噛みつかれますけれどね……」
ロアルドのその返答にアルフレイスの視線がフィリアナの方に向けられる。
「そんなにフィリアナ嬢は、アルスに気に入られているの?」
「ええ。散歩や入浴などは僕が世話をしているのですが、妹の場合は、どこに行くにも常にアルスがくっついている事が多いので」
「なるほど。それで今回の登城にも付いてきちゃったんだ」
「申し訳ございません……。アルスの安全確保の為に我が家で預かっている事は、父より聞いていたのですが、今回は馬車に勝手に潜り込んでいたようで……」
「そっか……。それじゃ、もしかしたら僕よりもフィリアナ嬢の方が、聖魔獣のアルスに主として選ばれる可能性が高いね……。まぁ、君達だったら、どちらがアルスに選ばれても王家は安心して任せられるけれど」
アルフレイスのその話にフィリアナの瞳が輝き出す。
「あ、あの! その場合、私がアルスに主として選ばれれば、ずっと一緒にいられるって事ですか!?」
「うん。そうだね。ただ……それは簡単な事ではないみたいだけれど……」
「え?」
何か含みのある言い方をされたフィリアナが、怪訝そうな表情を返す。
すると何故かアルフレイスが、今日一番の満面の笑みをフィリアナに向けてきた。
「まぁ、この話はかなり長くなってしまうから後日、日を改めて君ら兄妹には再度登城して貰おうかな? その時、父上と兄上も交えてアルスの事を詳しく説明させてもらうよ。そもそも……」
そこでアルフレイスは、ちらりとアルスを一瞥する。
「折角、内密にラテール伯爵家で匿って貰っていたのに……コイツが君達に付いて来てしまったから、匿っていた居場所を刺客側に知られてしまったと思うからね……。そうなるとラテール家の警備体制も見直さないといけないから、どちらにしても父上には相談必須になるだろうし」
すると、その話を聞いたアルスが何故かビクリと一瞬だけ体を強張らせる。
その反応にラテール兄妹が同時に首を傾げた。
「アルス?」
「どうした?」
「クーン……」
何故か悲しげな声を上げ始めたアルスは、そのまま甘えるようにフィリアナの方へと擦り寄る。そんな様子のおかしいアルスが気になりフィリアナがしゃがみ込むと、アルスは自分の頭をフィリアナの脇下辺りに突っ込んできて、更に甘えるような仕草を始めた。
「アルス? 急にどうしたの?」
「なんか母上とオーランドに叱られた時と同じ反応をしているな……」
そのロアルドの話にアルフレイスが、またしても思いきり吹き出す。
「い、一応、自分がやらかしてしまった失態は理解しているようだね。アルス、次に登城する際は、ある程度の覚悟はしておいた方がいいぞ?」
第二王子の謎の言い分にラテール兄妹は、更に不思議そうに首をかしげたが、今までずっと傍観を決め込んでいた父フィリックスは、その言葉の意味を知っているようで苦笑を浮かべる。
結局、この日のお茶会は満足に参加出来ないまま、二人は父フィリックスに付き添われ、帰宅する事になった。




