13.我が家の愛犬はご機嫌斜め
急に現れた美少年の存在で、その場は一瞬だけ静まり返る。
そんな状況で真っ先に気持ちを切り替えたのがエレノーラだった。
「もしや第二王子殿下でいらっしゃいますか? わたくし、ニールバール侯爵家次女のエレノーラと申します」
いきなり名乗ったエレノーラが、見事なまでの美しいカーテシーを披露する。
いつものフィリアナなら、そんなエレノーラの変わり身の早さとカーテシーの美しさに「流石、腐っても侯爵令嬢……」と心の中で悪態をつくのだが、今のフィリアナにそんな余裕はない。
現状のフィリアナは顔色を青くしたまま、怯えるようにアルスをギュッと抱きしめる事で精一杯だった。
そんな状態にフィリアナを追い込んだのが、この美少年である。
ふわりとした触り心地の良さそうな癖のある黒髪にフィリアナよりも更に淡い水色の瞳。かなり上質な生地で仕立てられた服に第二王子の護衛である父フィリックスを側に控えさせて現れたこの美少年は、どう考えても第二王子アルフレイスなのだろう。
だが、この少年の登場は、フィリアナにアルスを手放さなければならない可能性を彷彿させ、その絶望感からフィリアナは小刻みに震え出す。
一方、エレノーラから自己紹介を受けたアルフレイスは、まるで妖精の王子の様なふわりとした柔らかい笑みを浮かべた。
「初めまして、エレノーラ嬢。君の言うとおり、僕はこの国の第二王子であるアルフレイス・リートフラムだよ。今まではあまり体調が優れなくて、ずっと社交場には顔を出せなかったのだけれど……今回は顔出し程度なら可能なくらいには体調が良くて、急遽このお茶会に参加する事にしたんだ」
「まぁ! もしや殿下との初の交流を果たしたのは、わたくし達ではありません!?」
瞳をキラキラさせながら質問するエレノーラだが、現状の彼女は先程アルスによってビリビリにされたドレス姿だ。その事すら忘れてしまう程、エレノーラは突然姿を現した第二王子の存在に興奮していた。
だが、その興奮はすぐにアルフレイスによって鎮められてしまう。
「そうだね。でも初めて交流をしたご令嬢に僕の飼い犬は、とんでもない事をしてしまったようで……本当に申し訳ない……」
「僕の飼い犬?」
アルフレイスのその言葉にエレノーラの動きが止まる。
対するアルフレイスは眉尻を下げ、困り果てた様な笑みを浮かべながら、自分とアルスの関係を説明し始めた。
「君達を追い回し、エレノーラ嬢のドレスを引き裂いたのは、現在ラテール伯爵に預けている僕の飼い犬なんだ……。この子は大きな声では言えないのだけれど、特別な犬で……。でも飼い主である僕が幼少期の頃から寝たきりで、なかなか遊んであげられずかわいそうだったから、僕がせめて寝台から起き上がれるようになるまでラテール家で面倒をみてもらっているんだ。その間、ずっといい子で楽しそうに暮らしていると聞いていたのだけれど……。まさかこんな事になるなんて……」
そう口にしたアルフレイスは、残念そうに地面に視線を落とす。
そんな第二王子の様子にエレノーラは、ここぞとばかりにアルスの面倒を見ていたラテール伯爵家の落ち度を主張し始めた。
「殿下が責任を感じてしまう事はございません! このお犬様が暴れてしまったのは、恐らくラテール伯爵家でお世話をする際にしっかりと躾をされていなかったからですわ!!」
「なっ……!」
自分の事をエレノーラに悪く言われるのは慣れているフィリアナだが、やりすぎとはいえ、自分を必死で守ろうとしてくれたアルスの事を悪く言われた事で、一気に怒りが沸点に達する。
「か、勝手な事を言わないで‼︎ アルスがこんな事をしてしまったのは私を守る為で……!!」
「お黙りなさい!! あなた、自分がどんな失態をされたか、ご理解していらっしゃらないの!? あなたは王族主催のお茶会に逃げ出しやすい状態の動物を連れて来て、このような騒ぎを起こしたのよ!? このお犬様がどんなに賢くても、しっかりと躾をされなければ、このように暴走してしまうに決まっているじゃない!!」
そう責められたフィリアナは、確かにアルスを護衛のウォレスとハンクに特に隔離するような細かい指示も出さずに託してしまっていた事を思い出す。
その事に関して、兄のロアルドが弁明しようと口を開きかけたが、それをアルフレイスは穏やかな笑みを浮かべたまま、片手をあげて制した。
「確かに子犬の頃にアルスはラテール家に預けられたのだから、躾がしっかりとされていなかった可能性があるかもしれないね」
「そ、そんな……」
アルフレイスの話にフィリアナが、うっすら涙を浮かべながらアルスを抱きしめる。その話題の中心でもあるアルスは、先程からエレノーラに向かって歯を剥き出しにしながら、低い声で唸り続けていた。
しかし第二王子アルフイスは、そんなフィリアナ達を擁護するような事を口にし始める。
「でもね、エレノーラ嬢。アルスがまだこの城にいた頃は、もっと酷い暴れ方をしていたんだよ?」
「え?」
「現状、今のアルスはフィリアナ嬢を守るように何故か君に向かって威嚇行為をしているよね? 僕はそれも凄く気になるのだけれど……。その前にまずこうやってアルスが、大人しくフィリアナ嬢に抑え込まれているという状況に驚いているんだ。以前のアルスなら、主人の僕の言う事すら聞かずに自分の怒りが収まるまで、ひたすら暴れ回っていたから……」
そう言って先程からエレノーラを睨みつけながら唸り声をあげているアルスに第二王子が苦笑しながら、視線を向ける。
「それが、こんなにも従順にフィリアナ嬢の言う事を聞いている。それで躾がしっかりされていないと言うのは、少々無理があるように思えるのだけれど?」
「た、確かにそれは一理あるかと思いますが……。ですが! 現にわたくし達は、こちらのお犬様に襲われ、ドレスを引き裂かれたのですよ!? もしフィリアナ様がしっかり躾をされていたと言うのであれば、この状況はフィリアナ様が殿下のお犬様に命じられたと言う事になるのではないでしょうか!」
エレノーラのあまりにも自分勝手な解釈にフィリアナの怒りが爆発しかける。
だが、何故かそれをアルフレイスの後ろに控えている兄ロアルドが、無音で口をパクパクさせながら「や・め・ろ」と訴えてきた。そんな兄の制止にフィリアナは何とか怒りを抑え込み、悔しさで俯きながら怒りを抑え込もうと歯を食いしばる。
だが、そんなフィリアナ劣勢の状況は第二王子のある一言で逆転した。
「では何故フィリアナ嬢は、アルスにそのような事を命じたのかな?」
その瞬間、エレノーラの顔から一気に血の気が引く。
「現状、彼女を守るような態度を見せているアルスの様子から、もしフィリアナ嬢がその様な指示をアルスに出したのなら、それは自分自身を守る為だったんじゃないかな? でもここには彼女に危害を加えようとする人間はいないはずだよね? だってここは城内で賊などは入って来られない厳重な警備体制が敷かれているのだから」
そう言って、アルフレイスがぐるりと辺りを見回す。
「それなのに彼女は何故か身の危険を感じ、アルスに自分を守る様に指示したと言う事だよね? しかも攻撃対象を君達にして」
「そ、それは……フィリアナ様がわたくし達に攻撃されると勝手に思い込み、いきなりお犬様をけしかけて……」
「エレノーラ嬢」
エレノーラの話を遮る様にアルフレイスが、ゆっくりとした口調で彼女の名を呼ぶ。
「ここは城内だよ? これがどういう事かわかるかな? ここには王家に仕える『影』達が安全を守る為、常に目を光らせている。すなわち、今この場での軽はずみな発言は場合によっては、王族に対する虚偽罪になる可能性があるという事だね。それを踏まえて、つい先程ここで何があったのか詳しく説明して貰えるかな?」
にっこりと笑みを深めたアルフレイスの言葉にエレノーラが、更に顔色を真っ青にさせて押し黙る。するとアルフレイスは、更にエレノーラに追い討ちをかけるような事を口にし始める。
「それと……先程、君が口にしていたドレスの賠償金額の件だけれど、君はラテール伯爵家が傾くくらいの金額を希望しているのだよね? 僕はその事を父に相談し、君のお父上であるニールバール侯爵と話し合わなければならないかな」
そのアルフレイスの言葉に更に顔色を青くさせたエレノーラは、縋り付くようにアルフレイスに駆け寄る。
「お、お待ちください!! そ、その金額は相手がラテール家だった場合という意味で!!」
「それはどういう事? 賠償させる相手がラテール家なら家が傾く程の金額を要求するけれど、相手が王家ならその金額では賠償を求めないと言う事? それはおかしな話だよね? しかも君はその素敵なドレスをズタズタにされて、かなり憤慨していると思っていたのだけれど……その怒りは相手によって大きさが変わるの?」
「そ、それは……」
少しずつ矛盾点を指摘され始めたエレノーラは、焦りからか言葉が尻すぼみになっていく。そんなエレノーラを安心させるようにアルフレイスは、敢えて優しい笑みを浮かべ、諭すような優しい口調でドレスの賠償方法を説明し始めた。
「安心して。今回はどう考えても僕の飼い犬であるアルスが起こしてしまったトラブルだから、王家側に責任がある。だからちゃんと君が希望している金額で賠償金を支払い、今回の事に関して正式に王家よりニールバール侯爵家に謝罪させてもらうから」
そのアルフレイスの話にますますエレノーラの顔から血の気が無くなっていった。
この話では、エレノーラが王家に対して賠償するドレス以上の金額を請求し、更に王家に頭を下げてもらいたいと訴えているように聞こえてしまう。
そして今のアルフレイスの話では、その内容で父である国王にニールバール侯爵家に対する賠償の件を相談すると言っているのだ。
そんな話の持って行き方を国王にされてしまっては、ニールバール侯爵家は王族に頭を下げさせただけではなく、王家相手にドレスの賠償金額をかなりふっ掛けたという噂が広がってしまう。
流石にその事に気づいたエレノーラが、訂正しようと口を開きかけたが、アルフレイスはそれを遮るように更に話を続ける。
「ちなみに全く同じドレスを仕立て直して責任をとる方法は控えさせてもらうよ? それだと人によっては、僕が君のためにドレスを仕立てて贈ったとこじつける人間もいるかもしれないから。だから君は、王家から支払われた賠償金で、新たに自分好みのドレスを作ればいいよ。なんなら僕の服を仕立てる為に入れているマダム・レイシーヌの予約分を君に譲るよ? そうすれば新しいドレスがすぐに手に入ると思うし」
そう言って、アルフレイスは優しくエレノーラの手を取り、いつの間にか側で控えていた側近と自身の侍女の方へと彼女をエスコートする。
だが、その際に一言だけ絶妙に周囲にも聞こえる声でエレノーラに囁いた。
「でも、僕がその新たに仕立てた君のドレスを見る事は、この先二度とないと思うけれど」
その瞬間、エレノーラの瞳にブワリと涙が溜まり始める。
今のアルフレイスの言葉は『この先、第二王子が出席する社交イベントの招待状は、エレノーラには届かない』と言う意味が込められていたからだ。
「ア、アルフレイス殿下……」
「どうしたの? これは先程君が一番望んでいた賠償方法ではないの?」
「わ、わたくしは……」
今にも溢れそうな涙を瞳に溜めたエレノーラが、縋るような視線をアルフレイスに向けた。するとアルフレイスは苦笑しながら、盛大に息を吐く。
「もしその賠償の仕方が困るようであれば、僕も違う方法を検討するよ? でも……それには君にもある程度の誠意を見せて欲しいな。例えば……先程まだ幼いフィリアナ嬢を脅迫するように放った酷い言動について、ニールバール侯爵令嬢として正式にラテール家に謝罪を入れるとか。そういう対応をしてくれるのであれば、僕にも君が賠償金で新たに仕立てたドレスを見る機会が訪れると思うな」
アルフレイスからの妥協案を提案されたエレノーラが、一瞬だけ悲痛そうな表情を浮かべた後、グッと言葉を飲み込むように俯いた。
そんなエレノーラの反応に苦笑しながら、アルフレイスは自身の侍女に彼女を託す。
「なんにせよ今の姿では色々問題があるよね……。こちらで用意している既製品のドレスで申し訳ないけれど、着替えの手配をさせてもらうよ。エドナ、彼女を来賓客用の衣装部屋に案内してあげて」
「かしこまりました」
そう言ってアルフレイスから指示を出された侍女が、ややふらつき気味なエレノーラに付き添うように城内の方へと誘導し始める。
それを確認したアルフレイスは、今度はエレノーラの取り巻き令嬢達に視線を向けた。
「君達も怪我をしているかもしれないから、一度城内の医務室で診てもらうといいよ。ルド、彼女達を医務室に案内してあげて」
「かしこまりました」
そう言ってもう一人の側近に四人の令嬢達の事を任せたアルフレイスが、今度はしゃがみ込んでアルスにしがみついているフィリアナに視線を向ける。
その瞬間、フィリアナはビクリと全身を強張らせた。
すると、アルフレイスが困った笑みを浮かべながら、フィリアナの方へ歩み寄りってきた。よく見ると、その後ろから心配そうな表情を浮かべた兄ロアルドも近づいてくる。だが、フィリアナは警戒するように目の前で同じようにしゃがみ込んで来たアルフレイスに視線を向け直した。
「フィリアナ嬢。アルスのせいで怖い思いをさせてしまって、ごめんね……。大丈夫? 怪我とかしていない?」
「は、はい。こちらこそ、その……庇って頂き、ありがとうございます……」
エレノーラ達から庇ってもらったお礼を辛うじて口にしたフィリアナだが、どうしてもアルスにしがみついている手に力がこもってしまい、思わず俯いてしまった。そんなフィリアナの様子に苦笑したアルフレイスは、今度はその腕の中のアルスに視線を移す。
「アルスもやりすぎたとはいえ、よくフィリアナ嬢を守ってくれたね。偉いぞ!」
そう口にしながら、アルフレイスがアルスを撫でようと手を伸ばす。
だが、次の瞬間―――――。
アルスは明らかに歯形がしっかり残る程の強さで、第二王子の右手に思いきり噛みついた。




